「護身から見た型稽古の欠陥」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

護身から見た型稽古の欠陥」(2006/10/26 (木) 23:53:29) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*護身から見た型稽古の欠陥(2006-10-26) #counter 私も、形稽古の武道が長いため、護身の観点からその欠点を書いてみる。ただし、決して、他流派の批判をしているのではなく、その中に、「お公家さん」が紛れ込んでいるということであるから、誤解無きように。 私は、小学生の頃だったろうか?よくは覚えていないがTVで合気道の技を技を見て、いつか合気道をやりたいと思うようになっていた。特に本流の合気会の合気道を。 それで、大学時代に八光流をやったのも、合気道の道場が、近くになく仕方なくとと言う一面もあった。 松田隆智の「謎の拳法を訪ねて」ファンだった私には、八光流が、大東流の分派だという知識はあったからだ。 そして、大学を卒業して、ようやく合気会の道場が近くにあることを知り、入門することになった。 しかし、仕事も忙しくて、けっこう遠方だったので、私の地元に先生を呼んで、同好会を作ることにした。その先生は、今でも尊敬している。武道家として、また教育者としてもすばらしい方だった。技も切れ、この人こそは合気会の達人の一人と言えると確信させるような方だった。 しかし、私は、古術相伝のこともあり、どうしても他流試合をしなければならなかったから、日本拳法道に入ったのだが、合気道は、合気道でぜひとも続けたいと思っていた。 そんな中で、私よりも送れて入ってきた人が、私が、しばらく、日本拳法道でやってたときに、私より 段位が上になっていた。その人は、他武道の経験もなく、体も非力で、どう見ても実戦では、あかんやろうと言う人だった。むろん型稽古でも、とても私より技が切れるとは思えなかった。 問題は、彼が威張り散らかすことなのだ。彼が入門した頃、私は八光流三段でもあり、先生の受けを取るのは、私だったので、しばらく振りに行って、自分の法が段位が上になったということで威張りたかったのかも知れないが、態度は横柄。技は効かない。そして、やたら、技の名前だけは詳しいという 私の嫌いなマニアが誕生していた。 これが、形武道の一つの欠陥だろうなと私は思う。こういう人は、ルールのある試合でも 競技をさせたら一発でまいるであろうに、知識と段位だけで横柄な態度を取る。 昔の軍隊みたいなものだ。 こういう人間を生み出しやすいのが、形武道の欠陥だろうと私は思っている。これでは、護身にもなるまいに。ある意味平和な時代だから通用することだと思う。そして、こんなタイプに限って、競技武道をばんばん批判するからたまらない。 よっぽど、手合わせして、実戦の厳しさを教えてやろうかと思ったが、先生の手前もあり、控えた。 形武道には形武道の欠陥があると言うことの一例だと思う。 要は、何を習うにしても本人の心がけ次第だと言うことであろうが。 ちなみに、これは、合気道を始めとする形稽古主なる流派の批判ではないので誤解無きように。 あくまでも、私は、護身と言う観点から「公家文化」を批判しているだけだから。 合気道にも、実際腕が立って、立派な人格者が多いことも知っているので、誤解の無いように。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]
*護身から見た型稽古の欠陥(2006-10-26) #counter 私も、形稽古の武道が長いため、護身の観点からその欠点を書いてみる。ただし、決して、他流派の批判をしているのではなく、その中に「お公家さん」が紛れ込んでいるよ、ということであるから、誤解無きように。 私が小学生の頃だったろうか?よくは覚えていないが、テレビで合気道の技を見て、いつか合気道をやりたいと思うようになっていた。特に本流の合気会の合気道を。 大学時代に八光流をやったのも、合気道の道場が近くに無かったため仕方無く、と言う一面もあった。松田隆智の「謎の拳法を訪ねて」のファンだった私には、八光流が、大東流の分派だという知識はあったからだ。 大学を卒業して、ようやく合気会の道場が近くにあることを知り、入門することになった。 しかし、仕事も忙しく、結構遠方だったので、私の地元に先生を呼んで、同好会を作ることにした。その先生は今でも尊敬している。武道家として、また教育者として、素晴らしい方だった。技も切れ、この人こそは合気会の達人の一人と言える、と確信させるような方だった。 しかし、私には古術相伝のこともあり、どうしても他流試合をしなければならなかったから日本拳法道に入ったのだが、合気道は合気道で、ぜひとも続けたいと思っていた。 そんな中で、私よりも遅れて入ってきた人で、私がしばらく日本拳法道でやっていた時に、私より段位が上になっていた者がいた。その人は他武道の経験もなく、体も非力で、どう見ても実戦ではあかんやろう、と言うような人だった。無論、形稽古でも、とても私より技が切れるとは思えなかった。 問題は、彼が威張り散らかすことなのだ。彼が入門した頃は私は八光流三段でもあり、先生の受けを取るのは私だったので、しばらく振りに行って、自分の方が段位が上になったということで威張りたかったのかも知れないが、態度は横柄で、なおかつ技は効かないが、やたら技の名前だけは詳しい、という私の嫌いなマニアが誕生していた。 これが、形武道の一つの欠陥だろうな、と私は思う。こういう人は、ルールのある試合でも、競技をさせたら一発で参るであろうに、知識と段位だけで横柄な態度を取る。昔の軍隊みたいなものだ。 こういう人間を生み出しやすいのが形武道の欠陥だろう、と私は思っている。これでは護身にもなるまいに。ある意味、平和な時代だから通用することだと思う。そして、こんなタイプに限って競技武道をバンバン批判するのだからたまらない。 よっぽど、手合わせして実戦の厳しさを教えてやろうか、と思ったが、先生の手前もあり、控えた。 形武道には形武道の欠陥があると言うことの一例だと思う。 要は、何を習うにしても本人の心がけ次第だと言うことであろうが。 ちなみに、これは、合気道を始めとする形稽古主なる流派の批判ではないので誤解無きように。あくまでも私は、護身と言う観点から「公家文化」を批判しているだけだから。合気道にも、実際腕が立って、立派な人格者が多いことも知っているので、重々誤解の無いように願いたい。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
目安箱バナー