日本拳法道連盟 豊前福光派古術連盟 風門館 古術:乱稽古のこと
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古術:乱稽古のこと(2006-10-21)

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古術には乱稽古がない、と再三書いているが、これは乱稽古を否定しているということではない。と言うより、古術の技法は、得物においては合戦武術の系譜をひき、体術と混然一体となっており、また、それぞれの得物の特性を利用した技が多いため、乱稽古が出来にくいのである。体術においても、当て身と逆関節を多用するために、乱稽古そものができない技法体系となっている。

福光派の手合いのまま乱稽古を行えば、極めて危険であり、身を守る護身の前に身を滅ぼしてしまうことになる。

そこで、歴代の伝承者は、乱稽古は別の格闘技で行ってきたと伝えられている。江戸期は相撲、明治以降は柔道、剣道、銃剣道などで乱稽古を行ってきている。

私の場合は、それが日本拳法道だったと言うことである。

古術の手形は正確に残し、実戦における、間合いや呼吸、心法などは、乱稽古の出来る他の格闘技で学ぶ、と言うのが古術の伝統である。

この二つを合わせて初めて真剣手合いに通用する、というのが福光派の発想法である。

こういうところも、私には非常にリアルに感じられる。

現在では、色んなルールの乱稽古が自由にでき、また大会などもオープンで開かれているので、環境的には古術の実用性を継承して行くには良い時代になっていると思う。

特に、古術の技法と相性がいいのが日本拳法道である。したがって、私は今後とも乱稽古については、日本拳法道でと考えている。

風門館として活動を再開してからは、古術主体の手習をやっていくつもりであるが、門人の中で乱稽古を望む者や、他流試合をしたいと言う者には日本拳法道の方も併せて指導していきたいと考えている。

私の体験からすると、「魂捨猪振」を身を持って味わうには、真武館あたりのルールなども優れているが、かなり危険性を伴うから、簡単には勧められない。

剣道、柔道、相撲、空手、他にも乱稽古や大会の有るところに出て行って、実際に打ち合う経験は、何ものにも代え難いものがる。

勝敗以上に、経験値を高めると言うことは、実用の護身を考える上では必要なことだ。

昔のように、無理をしてまで乱稽古や他流試合をする必要性はない、とは思っているが、武芸と言う観点からは見逃してはならないことだと思っている。

達人の弟子になったからと言って、型稽古だけで自分が達人になったような気になるのは、もっとも危険なことである。「生兵法は怪我の元」と言われるが、勘違いほど怖いものはない。

野球で言えば、イチローや松井に指導を受けたとしても、誰もがイチローや松井になれるはずがないと言うのと同じである。

風門館では、今後、古術中心の稽古を行っていくので、乱稽古を軽んじ、現代武道を侮るような者がでないために、このことは固く戒めておく。

ルールがあろうと、防具を着用しようと、実際に全力で打ち合う試合は厳しいのだ、と言うことも知っておくことは大事なことだ。

私は、古術を「鎌倉の古風を今に伝える流儀」として、伝承通り伝えていきたいと思っているが、間違っても、古術は世界最強と言うような誇大妄想なことを言うつもりはない。

ただ、現代武道で「100人取り」をした体験から、古術の手形稽古と変手打ち返し稽古だけでも、存外行けるという実感は持っている。

体力のない者、多忙で時間の無い者などにとっての護身の芸としては、その手も修練法も極めて合理的であり、優れていると言うことは言える。

護身と健身、修身を求める者には、その目的を十二分に果たせる流儀だと自負している。さらに、鎌倉の古風にひたり、大和心を響かせながら稽古していると、終わった後に、抹茶を一服飲んだような爽やかさが、心に沁みてくる。

これなども、古術の大きな魅力と言えよう。(館長)