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匿名ユーザー
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その頃俺は、音楽院で知り合った彼女とペアを組んで地方巡業と称してチャリティコンサートやイベントを梯子していた。半ば強引に付き合わされたわけだが、休暇中は皆故郷に帰ったりしていたから、どうやって休みを過ごすか思案していた俺はなんとなく承諾してしまった。
彼女・カガリも俺もまだ駆け出しの学院生で、将来は音楽家になりたい、と無邪気に言い合っていた。
彼女・カガリも俺もまだ駆け出しの学院生で、将来は音楽家になりたい、と無邪気に言い合っていた。
カガリは声楽を、俺はピアノで。
彼女の歌は未熟だけど、ダイナミックで伸びのあるいい声をしていた。俺の機械的なピアノに負けない力があって、喜怒哀楽の激しい奴だったのを覚えている。
いろいろ失敗も多かったけれど、夏季休暇の終わりがけには、カガリのことを皆も認めてくれて少なからずファンもできたと思う。
彼女の歌は未熟だけど、ダイナミックで伸びのあるいい声をしていた。俺の機械的なピアノに負けない力があって、喜怒哀楽の激しい奴だったのを覚えている。
いろいろ失敗も多かったけれど、夏季休暇の終わりがけには、カガリのことを皆も認めてくれて少なからずファンもできたと思う。
「えっ、野外ホールでコンサート?」
「そっ! 駄目元で申し込んでおいたんだ」
「駄目元って・・・」
「だから、お前も何か弾けよ!」
「そっ! 駄目元で申し込んでおいたんだ」
「駄目元って・・・」
「だから、お前も何か弾けよ!」
夏が終わる前の一週間連続で開催される、教授と学院生によるチャリティコンサートがある。出演者は応募により決まるが多数の場合は教授推薦による抽選となるのだ。競争ばかりしている学院生にとって、練習室取り合戦が始まる前の一種のお祭り期間。
「それでさ、アスラン。私、アレ歌いたいんだ!」
カガリが歌ってみたいといったのは「私のお父さん」。オペラのアリアでコンサートなどでもよく歌われている定番の曲である。
「大丈夫か? 結構きついと思うぞ。野外だし」
「それは分かっている。だけど、何事も挑戦だろ?」
「それは分かっている。だけど、何事も挑戦だろ?」
定番なだけあって、伝統的なオペラ唱法で歌うその曲は、今までカガリが歌ってきた歌い方とは違っていて、発音からして実は別物だ。無論、彼女だって歌い手だ、歌えないわけじゃないが、耳のうるさい人達の前で披露できるほど物にできているかとなると?なのだ。なんせ高音域をパッサージュで自由に歌えなければならない。
彼女とアレンジを打ち合わせている最中、知り合いだという男がやってきた。
俺達はあと一ヶ月を切ったコンサートを前にして、うまく歌えない箇所について話し合っていた。曲の良さを考えるとどうしても譲れない部分で、これ以上編曲するわけにもいかず二人して打開策を探していた。
「やっぱり練習しかないよな。そうだ、練習だ!」
「後一ヶ月しかないぞ」
「後一ヶ月しかないぞ」
それでも、ぐっと拳を握り締めて前に突き出して付き合えと喚く彼女はロック歌手にでもなったら一躍スターになるのではないだろうか。
「じゃ、『イ』から始めようか。カガリ、姿勢注意して」
練習するしかないな。と落ち着いたところで、昔ピアノをやっていたというその男が、何気なしに彼女の伴奏をしてもいいかと言う。
「ごめん。ちょっとカガリ借りてもいい?」
「あっ、ああ」
「なんだ、キラ邪魔するなよ」
「あっ、ああ」
「なんだ、キラ邪魔するなよ」
悪気やたくらみが合ったとは思えない。生き抜きも必要だし、彼女とキラという奴は随分と親しそうだったから、俺も、気にせず席を譲った。簡単な打ち合わせをして声合わせを始めた彼女。
「どうだ、アスラン? 結局何時もの感じだけどな!」
「うーん、だがベルカントは避けて通れない道だし、ここにいる内に覚えたほうが・・・」
「まあまあ、試しに一回歌ってみてよ」
「うーん、だがベルカントは避けて通れない道だし、ここにいる内に覚えたほうが・・・」
「まあまあ、試しに一回歌ってみてよ」
その音色を聴いて。彼女の歌を聴いて、驚いたのを覚えている。
歌い方に拘らず、大胆なアレンジで原曲は留めていなかったけれど、いきなり現れた男のほうが、ずっと彼女の声を引き出していた。
彼女は今まで見たことがないくらい気持ちよく歌っていた。
歌い方に拘らず、大胆なアレンジで原曲は留めていなかったけれど、いきなり現れた男のほうが、ずっと彼女の声を引き出していた。
彼女は今まで見たことがないくらい気持ちよく歌っていた。
「やっぱり、お前に弾いてもらうと歌いやすいな!」
「カガリにはこっちの方がいいよ。無理にオペラっぽくしなくてもさ。君もそう思わない?」
「カガリにはこっちの方がいいよ。無理にオペラっぽくしなくてもさ。君もそう思わない?」
曖昧に笑って、そうだなとか、その方がいいよとか、言って肯定した。
「お前のほうこそ、ちゃんと準備しているのか?」
「あー、俺は弾かないよ。替わって貰ったんだ」
「あー、俺は弾かないよ。替わって貰ったんだ」
俺はこの時ほど、同期の奴に出番を譲って正解だったと思ったことはない。
一週間後、彼のアレンジによる彼女のコンサートは大喝采で終わる。
「一時はどうなることかと思ったけど、何とかなったなっ!」
「すごく良かったよ、声出てた」
「すごく良かったよ、声出てた」
コンサートには例の彼女の知り合いって奴やその友人とやらも来ていて、抱き合って喜んでいた。
「僕の言う通りやれば大丈夫だって言ったでしょ」
「今夜はお祝いですわね」
「僕の言う通りやれば大丈夫だって言ったでしょ」
「今夜はお祝いですわね」
彼の連れは有名な歌手でラクス・クライン。そして俺は、アレンジを変えてカガリの力を引き出した男が今話題の新星、指揮者のキラ・ヤマトだと知った。
「君もカガリの伴奏お疲れ様」
「アスラン。ありがとうな、今度はお前のピアノも聞かせろよ」
「何言ってんのさ。君の歌声の前に霞んじゃうんじゃない!?」
「アスラン。ありがとうな、今度はお前のピアノも聞かせろよ」
「何言ってんのさ。君の歌声の前に霞んじゃうんじゃない!?」
笑いあう三人に混じる気になれない。
悪気があったわけじゃないという事は百も承知だ。
悪気があったわけじゃないという事は百も承知だ。
けれど俺は、一週間と立たないうちに彼女にペア解消を申し出た。自分のことより彼女に申し訳なかったのだ。俺と違って、彼女はこの先経験を積んで上手くなるだろう。未熟な唱法も今後練習して身に着けるだろう。持ち前の明るさや前向きな性格がどんどん表現力に繋がっていたから。
それが俺はどうだ?
誰か一人でも今まで、俺のピアノを聴いていた奴がいたか?
俺のピアノに感動した奴なんていたか?
誰か一人でも今まで、俺のピアノを聴いていた奴がいたか?
俺のピアノに感動した奴なんていたか?
これが俺の限界だった。
後でその男が彼女の兄だと知っても決断は変わらなかった。指揮者は人を見る目がある、おそらくは俺よりはずっと。
後でその男が彼女の兄だと知っても決断は変わらなかった。指揮者は人を見る目がある、おそらくは俺よりはずっと。
つまりはそう言う事だ。
主席だと持て囃されただけで、本当は才能などなかったのだ。
ただ、弾いているだけのどこにでもいる人間だったのだ。
ただ、弾いているだけのどこにでもいる人間だったのだ。
その年の秋、俺は音楽院を卒業して、何処の楽団にも属さず、音楽祭にも出ずに故郷に帰った。競争相手がいなくなることに歓迎することはあっても、引き止める奴などいなくて、見送りに来たのもカガリと、あの兄だけで。
「お前・・・連絡くらい寄こせよ」
カガリが泣きながら言うのには正直驚いたし、少し嬉しかった。
別れ際、彼女の兄が荷物を運ぶと言ってゲートの手前まで並んで歩く。
別れ際、彼女の兄が荷物を運ぶと言ってゲートの手前まで並んで歩く。
「だから、君のピアノを誰も聴けないんだよ」
「は?」
「は?」
何が、『だから』と言うんだ。
「まじめにやる気あるの? そんな音で誰が聴くのさ」
俺は相手の顔をまじまじと見つめ、そして睨みつけた。
お前に何が分かる!
お前に何が分かる!
「どうせ俺は伴奏するのが精一杯の人間さっ」
「・・・その程度で・・・ピアニストを名乗るのやめてよね」
「・・・その程度で・・・ピアニストを名乗るのやめてよね」
言い合いを止めに来たカガリを見て、俺は慌てて荷物を引っ手繰ると、逃げるように出国ゲートに向かった。
家出同然で飛び出した俺が事業を営む父の元に帰れるはずもなく、生活するために仕方なく弾き始めたのがミネルバ。
ここで俺は随分と救われたと思う。
ここでは誰も俺のピアノを聴いていない。ただ、空間を壊さないだけの音の羅列。客が全く聴いてなくも俺はピアノを弾くことで給料が貰えたのだ。
ここで俺は随分と救われたと思う。
ここでは誰も俺のピアノを聴いていない。ただ、空間を壊さないだけの音の羅列。客が全く聴いてなくも俺はピアノを弾くことで給料が貰えたのだ。
それから一年半。
カガリの兄というキラが、なぜ。
カガリの兄というキラが、なぜ。
「離してくれないか」
「そうだね」
「そうだね」
正午前のスカイラウンジには、いつの間にか下界の音が届くようになっていた。港の汽笛、遠く聞こえるサイレン。
「探したんだ。あの後、カガリに僕すごく怒られちゃって」
そんなことを今更なぜ?
「どこにも君の名前がないから、こんなに時間がかかってしまった。君のお父さんの会社まで社員にいるんじゃないかって調べちゃったよ。それが、まさか・・・ね・・・」
彼が窓の外を見る。
ここはミネルバ。88階にある最上階スカイラウンジ。
見渡す視界に遮蔽物はなく、果てしなく続く水平線と地平線の交わる先を望める場所。夜は夜空と地上の星の間に浮かぶ別空間となる。
ここはミネルバ。88階にある最上階スカイラウンジ。
見渡す視界に遮蔽物はなく、果てしなく続く水平線と地平線の交わる先を望める場所。夜は夜空と地上の星の間に浮かぶ別空間となる。
「どうして無名のままステージに出てるの。しかも給仕係までして」
「ピアノは止めたんだ」
「でも、今は弾いていたじゃない」
「ピアノは止めたんだ」
「でも、今は弾いていたじゃない」
なぜ、今頃になってこの男は現れたのだろう。
ピアノは食費を稼ぐためで、来年からは、生活費兼学費に変わる予定だ。
ピアノは食費を稼ぐためで、来年からは、生活費兼学費に変わる予定だ。
「本当はあの時のことを『ちょっと言い過ぎだった』って誤った後、すぐ帰るつもりだったんだけど、気が変わった、かな」
彼が下界から視線を戻して、再びピアノの前に座る俺を見る。
紫の双眸は相変わらず真意が読めなくて、彼と俺の差を認識させた。あの時、期待の新星だった指揮者は、今はもう立派な指揮者になって活躍しているのだろう。そんな、プロとしての威厳、オーラのようなものが感じられた。
紫の双眸は相変わらず真意が読めなくて、彼と俺の差を認識させた。あの時、期待の新星だった指揮者は、今はもう立派な指揮者になって活躍しているのだろう。そんな、プロとしての威厳、オーラのようなものが感じられた。
「オケの公演でピアノを頼んでいた人が調子悪くてさ、君、替わりに出てよ」
何を・・・言っているんだ・・・?
オケ? 公演?
オケ? 公演?
「そんなこと、できるわけがないだろう!」
「僕って、意外と完璧主義者だからね」
「僕って、意外と完璧主義者だからね」
ピアノのフロントカバーに肘を突いて、再び手を掴もうと手を伸ばしてきた。反射的に身体を引いて避けたが、彼は目を細めて薄い笑みを浮かべた。
「もう決めたんだ」
「いい加減に・・・っ!」
「いい加減に・・・っ!」
「間に合った―――っ!」
なんとも軽いタッチで飛び込んできたのは店長だった。張り詰めた空間はまるでコンサート前の静まり返ったホールのようだったのに、途端に午後のけだるい空気が雪崩込んできた。
「店長・・・」
「あれ、誰、君?」
「あれ、誰、君?」
トライン店長がピアノの横に立って屈み込んだ青年を目に止めた。
「また来るからさ」
颯爽と去っていく青年の背中を二人して見送っていると、入れ替わりに頼んでいた調律士がやって来た。俺達がデパ地下のお弁当を食べている前で、早速作業を始める。
「うわ、これ・・・相当ひっどいですね。アクション、ボロボロだ」