横須賀ビユーデン
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最後と言うことで今回はちょっと趣向を変えた特別編で。
第122回オフ・チーム入退団選手
第125回横須賀ビユーデン 最終巻
総評
:第125回 85勝62敗3分
|かつては17連覇を達成した横須賀の最後はちょうど転生期と重なり2位と言う結果に。創設期には優勝から最も遠かった球団が今では優勝できないことのほうが少ない常勝チームとなった。その影には、大昔優勝から遠いチームに腰をすえチーム作りに励んだ戦士達と、今を生きる才能溢れる選手達の賜物。
編者の選手もその一員として戦えた事を光栄に思う。これだけ快適な環境で俺ペナを戦うことはもう2度とできないだろう。お互いに信じ信頼し合い仲間と思えたチームメイトたちにこの場を借りて深く感謝したい。本当にありがとうございました。
チーム内歴代記録
若くして不動の1番となるや安打を量産したトップバッターが17連覇の最中に記録した打率。若いクリーンナップの成績を大きく引き上げチームを優勝へと導いた。 |
翌年チーム歴代記録の打率を塗り替える。周りの打者の調子がよく、自身も高打率を残し達成した安打数。若いクリーンナップを大きく助けたことは言うまでもない。 |
17連覇の初期に達成した本塁打数。当時最強だったMDK砲クリーンナップの中心で圧倒的な破壊力を見せ付けた。翌年チームは107勝の球界歴代記録(当時)を達成する。 |
打点/ |
さくらんぼ(16)・みきりん(15) |
138打点 |
前者は大昔の黄金期である5連覇の最中に叩き出した打点数。球史に残るみきちぃさくらんぼのライバルが競い合い到達した高みである。後者は本塁打記録と同じ年。17連覇の礎を築く大活躍だった。 |
横須賀の1番と言えば三好&葦月。後の時代に出た葦月が越えられなかった記録であるこの盗塁数。成長しきったMS砲とこの名トップバッターの力で横須賀は翌年から5連覇を達成する。 |
7連覇の最中でチーム最後の100勝となった119回に達成した記録。若い3本柱に負けまいと投げぬいたベテランが打ち立てた金字塔は歴代の戦士達を越える結果となった。 |
最多勝/ |
15歳・浅田(12)・NAMIDA(15) |
22勝 |
どちらもチームは優勝している。しかしどちらも5・17・7の連覇に絡んでいない。連覇と言う追い風を受けずに投げぬいたからこそ到達できた数字は歴代にふさわしい記録となった。 |
5連覇時代の奪三振王セイバーの記録を抜いた17連覇時代の奪三振王の記録。17連覇の中期と言う安定していそうな時期ではあるがその実チームは転生期と戦っていた厳しい中に打ち立てられた記録だった。 |
チームメンバー紹介
データは第125回ペナント娘。終了時点。
防御率2.93 13勝11敗 |
・高制球力の威圧投球・ |
3本柱としてチームを長く支えた大ベテラン。通算で2.69の防御率を残した名投手はペナ娘の終了とともに引退し、その後は新たな球児を育てるべく全国各地を野球指導で回っているとの事。 |
防御率1.84 19勝5敗 |
・名中継ぎが残した名先発・ |
ひたすら安定する投球はまるで機械のよう。昔から遅かった速球は衰えとは無縁で相手打者を惑わし続ける。ペナ娘終了後はその野球人生の締めとしてメジャーに挑戦したとの事。必殺の超スローボールは向こうでも大絶賛の魔球だとか。 |
防御率3.30 12勝13敗 |
・3種類の沈む球・ |
先発になじんできた右腕。ここからと言う時期にペナ娘が終了ということで米国のマイナーリーグから再度頂点を目指し野球を始めた。その数年後メジャーのマウンドから投げられる彼の球は三振の山を築いたと言う。 |
防御率3.26 12勝10敗 |
・23歳の先発14勝・ |
若くして先発ローテを守り続ける投手。まだまだ成長する余地があった彼はペナ娘終了後韓国球界へ。30前の若き投手は1年目から旋風を巻き起こしその後15年で200勝を上げることになった。 |
防御率5.67 7勝13敗 |
順調に成長を見せていた投手。ペナ娘の終了時にまだ24歳と若く、実績に乏しかった彼はその後猛練習に励み長いマイナー生活の後メジャーのグランドに立つことになる。 |
防御率5.91 7勝5敗2S |
ピンチに強い精神力で期待の若手として育ってきていた投手。ペナ娘終了後は社会人野球チームへ。一発勝負の世界でその精神力の強さを発揮しチームは幾度か全国制覇を成し遂げる。 |
防御率3.62 6勝2敗3S |
最高の制球力を武器に投げた投手。ペナ娘終了後はチョコさんと同じく社会人野球チームへ。チョコさんのチームと何度も当たったがそのたびに繰り広げられる投手戦はプロ野球さながらの白熱っぷりだったと言う。 |
防御率3.38 2勝3敗31S |
終了が近づく球界に入った即戦力投手。ペナ娘終了後は当初の予定だったメジャーリーグへ。たった1年だけだったとはいえ王者横須賀で学んだことが後の野球人生で大いに役に立ったとのコメントは横須賀ファンの心をアツクした。 |
.292 32本 82打点 |
・横須賀最後の主砲・ |
抜群のリードと王者の主砲を勤める高い打力。ペナ娘終了後はメジャーの世界へ。本塁打の打てるスーパーキャッチャーとして1年目から正捕手の座をつかみ、長く活躍を見せたと言う。 |
.252 21本 49打点 |
naoと同じく1年間の在籍となった。ペナ娘終了後は当初の予定通りメジャーリーグの世界へ。naoに遅れること数年、トッププレーヤーの仲間入りを果たしたとか。 |
.281 9本 52打点 |
巧みな打撃と高い守備力を持った職人。ペナ娘終了後はマイナーリーグの世界へ。申し分なかった技術の上にシーズンを戦い抜く身体能力を見につけメジャーリーグ昇格後は職人として活躍を見せたと言う。 |
遊撃 |
魔女っ子メグ(メルヘン村田) |
19年目40歳 |
.264 71本 71打点 |
・本塁打の打てる好守備選手・ |
本塁打が打てるショートストップ。ペナ娘終了後は高齢をおしてメジャーに挑戦。衰えには勝てず思うような活躍ができなかったがチームの監督は「米国に来るのがあと10年早ければ」と言ったとか。 |
.320 34本 104打点 2盗塁 |
若き最強スラッガー。ペナ娘終了後はメジャーに行くと思われていたが本人の意思で韓国リーグへ。世界でも通用するであろうスラッガーはひゃっほーの持つ本塁打のアジア記録を抜き通算で900本に到達する。元チームメイトみかんも彼にはてこずったとか。 |
.273 9本 50打点 13盗塁 |
若く才能溢れる俊足巧打のバッター。ペナ娘終了後は韓国リーグに参戦し5年連続首位打者に7年連続盗塁王を獲得。その後は米国に渡り1年目から旋風を巻き起こすほどの活躍したとか。 |
.263 24本 75打点 |
打って走って守れるオールラウンダー。ペナ娘終了後は台湾リーグに。毎年のように首位打者争い本塁打王争いに加わりつつ守備では外野でGGを連発するなどスーパープレーヤーとして活躍を見せた。 |
.216 5本 30打点 8盗塁 |
新人ながらGGを獲得するほどの守備力の高さ。ペナ娘終了後はメジャーに挑戦。打撃ではサッパリだった彼も最強の守備固めとして生き残ることに成功。引退後は外野守備走塁コーチに就任。彼が教えた外野手は皆一流の守備力を手に入れたという伝説を残すことになる。 |
.222 23本 65打点 |
名球界一族最後のスラッガー。ペナ娘終了後は社会人チームに。社会人球界の2大投手となるチョコさん・マックスの二人はひたすらみきらすととの勝負を避け続けたらしい。無理に勝負を挑んだ他投手が返り討ちにあったのはいうまでもない。 |