作品別用語集 - セイロン沖海戦(続・天海提督の決断)


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■セイロン沖海戦(続・天海提督の決断)


背景

 1943年1月1日、米軍と対独同盟を結んだ帝國海軍は、大西洋方面は米海軍に任せ、インド回りで独本国へ侵攻する事を決定。
 1月18日、新編なった第1第2各機動艦隊、そして第5水雷艦隊がセレターより出撃、1月21日、セイロン島を含むインド洋沿岸の各航空基地を空襲圏に捕らえた。

侵攻戦力

+ 注意

+ 日本軍

損害

+ ...

戦闘経過

 第1機動艦隊が放った偵察機が英軍戦艦部隊と機動部隊を同時に発見。直ちに第1機動艦隊司令星井美希中将は離れた位置にいた戦艦部隊へ向けて航空隊を放ち、近くにいた機動部隊は砲雷撃戦で叩く事を決断する。
 位置的に比較的近かった第5水雷艦隊司令水瀬伊織少将は直ちに第1機動艦隊救援に向かい、南方に大きく離れていた第2機動艦隊司令如月千早中将はセイロン島飛行場攻撃に専念した。
 奇襲となった近接砲雷撃戦により英軍機動部隊は正規空母を残らず沈められ半壊するが、空襲による戦艦部隊殲滅には失敗。
 しかしそこに第5水雷艦隊が殴りかかった事により星井中将は機動部隊撃滅を第5水雷艦隊に任せ、自らは戦艦部隊撃滅に向かった。
 戦艦部隊を大和級戦艦4隻の砲撃力、十勝級重巡の雷撃力で叩きのめしつつ、直衛空母を航空隊で撃滅する戦略が功を奏し、戦艦部隊は壊滅。
 しかし、直掩機がいない第5水雷艦隊にインド沿岸の基地航空隊が空襲。その後、飛行場撃滅には成功するものの、対潜能力を持つ駆逐艦が減少した所に独軍潜水艦部隊が強襲。
 第5水雷艦隊のみで何とか撃滅には成功するものの、駆逐艦3隻を沈められた。

エピソード

 この時第1機動艦隊司令の星井中将は戦前2航戦の幕僚経験はあったものの、機動艦隊指揮自体は初めてであった。
 それが原因か、英国艦隊との砲雷撃戦に集中し、航空隊発艦指示を忘れると言う大きなミスを犯している。(第1機動艦隊副司令五藤在知少将が自らの判断で発艦させたため大事には至らなかった)

 海戦終了後、大本営に星井中将が打った電文「この戦力では、ドイツに勝てない」は有名。

参考文献




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