作品別用語集 - ドーバー海戦(続・天海提督の決断)


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■ドーバー海戦(続・天海提督の決断)


背景

 1944年8月、帝國海軍はアイルランド沖、シェトランド沖、ドーバー海峡の独Uボート艦隊の大規模な掃討作戦を開始。
 これに対抗して独海軍は巡洋艦戦隊を派遣してUボート掃討部隊の駆逐戦隊の撃滅を図るが、英国海軍がドーバー海峡防衛の為と称して艦隊を動かさなかったため、これは失敗に終わる。
 10月には、独本国寄りの北海を除くドーバー海峡周辺海域駐留の独海軍艦艇は壊滅し、ドーバー海峡の制海権は実質的に日米連合海軍に帰していた。
 10月14日、独本国艦隊に対抗するため、帝國海軍遣欧艦隊は艦隊の大規模な再編成を敢行。
 10月29日、ドーバーに現れたH級戦艦11隻を基幹とする独本国艦隊への迎撃を開始した。

侵攻戦力


+ 日本軍

損害

+ ...

戦闘経過

 いち早く侵攻して来る独戦艦部隊を発見した第1機動艦隊は、実戦指揮を執った星井美希大将の指示の元、戦艦部隊に向け航空戦と砲撃戦を同時に敢行。
 お手本通りの丁字戦法を取りつつ、歴戦艦らしい錬度の砲撃により、独H44級戦艦を1隻ずつ釣瓶撃ちにして行った。
 被害を省みない執拗な航空隊の反復攻撃と第1機動艦隊1戦隊の砲撃により、独戦艦部隊は壊滅。
 この海戦の結果を受けた英国は密かに日米両国と停戦し、後顧の憂いを無くした日米連合軍は11月4日、『長門』『陸奥』損傷によりドーバー海戦に参加していなかった第3機動艦隊、そして米国機動艦隊の援護の元、ノルマンディーへの上陸作戦を敢行。
 日米合わせて170万人と言う巨大兵力を1点に集中させる事によりノルマンディー上陸に成功した日米連合軍はパリ方面への進撃を開始。
 これ以後独海軍は急速に弱体化し、1945年2月には本拠地であるバルト海の制海権すら危ういと言う状況に追い込まれた。

エピソード

 第1機動艦隊は名目上は遣欧艦隊総司令である天海春香大将が率いていたものの、実際の海戦指揮は『播磨』に座乗していた星井美希大将が執るとあらかじめ取り決められていた。
 砲撃戦中、独戦艦の砲撃を受け速力が25ノットまで低下し、独戦艦の追撃が不可能になった重巡『十勝』は、艦長の双海亜美大佐の指揮の下、射程ギリギリの距離で魚雷を発射。見事に独戦艦に61サンチ酸素魚雷を叩き込み、轟沈させてみせた。

参考文献





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