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領土的野心あふれる国に「侵略者」呼ばわりされたくない

韓国では、「対馬は韓国領と確認し、返還を要求する」的な法案が国会に提出されたそうです。
竹島ではありません。対馬をです。
最近、半島資本による土地買収や観光業進出が目立つ対馬。いよいよ国が侵略に乗り出しました。

事実を曲げてるのは自分たちだといつになったら気が付くのだろうか

「歴史事実の改ざん、美化、隠ぺい、歪曲云々」といちいち突っかかってくる割に、正しい歴史を知らなすぎる。「返還」と銘打ってるということは、日本が対馬を奪った。と解釈しているらしい。だが、歴史の教科書の古代日本に関する項目をもう一度読み返してみよう。少なくとも、その段階では日本の勢力下であったことがうかがえる。卑弥呼や邪馬台国というと必ず登場する「魏志倭人伝」。ここにも、対馬と思われる島が日本系の国であると紹介されている。

結論一「古代(邪馬台国~大和朝廷)の段階では対馬は日本の勢力下だった」

では、「日本」「朝鮮」という今の形が固まりつつある時代はどうだろうか。
701年、大宝律令が発布されると、中央政府の役職や地方行政のシステムが固まり始める。地方行政に関しては、本州から九州までに、六十六の国と二つの嶋を設置することになっている。この二つの嶋こそ、隠岐島と対馬である。八世紀初めの段階で、対馬は日本の行政機構に組み込まれたのだった。

結論二「八世紀初めの段階では日本の領土であり、大宝律令で正式に日本の地方行政システムに組み込まれた」

続いて中世を見ていこう。
鎌倉時代の北九州と言えば、思い浮かぶのは元寇だろう。蒙古、高麗連合軍は、朝鮮半島や東シナ海沿岸から九州に迫った。この前に送られたフビライ・ハンの国書においては、求めてきたのは国交と通商のみであったとするのは通説。
で、少なくとも、高麗の宗主国として対馬を要求してきたことはないし、高麗及び歴代朝鮮国家も要求してきたことはない。という事実だ。
さらに戦国時代。対馬を治めていたのは宋氏だ。この一族は、朝鮮半島との貿易で栄えていた。宋氏は一度も朝鮮に従属すると言っていない。
さらに戦乱が終わり江戸時代。宗氏は、幕府より対馬に封じられていた。ここで、朝鮮通信使を受け入れ、江戸へ向かわせた。つまり、対馬は対朝鮮の窓口であり、一度も朝鮮に譲ったり、奪われたりしていない。

結論三「中世の武家政治時代や戦乱期においても対馬は日本領であり続けた」

そして、いよいよ近代だ。
戦争やら何やらのゴタゴタはこっちを参照してほしい。
日本は明治維新後、版籍奉還と府藩県三治体制から廃藩置県を行い、全国を3府302県(その年中に3府72県に統合)に再編成した。その後、北海道開拓使から北海道庁設置。県の合併や分離、改称を経て、戦前には現在と同数の47道府県。後に東京府に都制が実施され、現在の47都道府県の区分が出来上がる。
対馬はどうだろう。対馬は廃藩置県で長崎県に編入され、現在も長崎県であり続けている。
朝鮮併合から第二次大戦までの間、これまで通り朝鮮とは別に対馬は扱われてきた。
終戦後はどうだろう。ワシントン平和条約では、日本の領土のうちに対馬は含まれているし、無論、国際的にも認知されている。

結論四「近代にはいっても日本領であり続け、戦後も日本として保証され、国際的に認知されている」

最終的な結論「対馬は有史以来日本の領土であり、他国から「返還」を求められることは有り得ない。また、第二次大戦後も日本の領土として国際的に認められた土地である。」


ジャイアニズムでもない限り他人のものは他人のものであり、「返せ」とは言えない。とすれば、隣国は世界初のジャイアニズム国家なのだろうか。だとすれば、より危険性は増すだろう。