「東京地裁」(2005/10/25 (火) 22:59:24) の最新版変更点
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<p>
【裁判】台湾側は原告勝訴,韓国側は原告敗訴~2つのハンセン病訴訟で,結論分かれる:東京地裁</p>
<p>より</p>
<hr>
<dl>
<dt><a href="menu:1" target="_top" name="1">1</a> 名前:<font color=
"forestgreen"><b>('A`) R.</b>◆CkQJ/zRB6Y<b>@Sφ★</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)11:23:52ID:???0</dt>
<dd>
台湾は原告勝訴、韓国は敗訴・ハンセン病訴訟で東京地裁<br>
<br>
日本の植民地時代に開設された台湾の「楽生院」(現楽生療養院)の入所者25人が、<br>
ハンセン病補償法に基づく補償請求を棄却した日本政府の処分取り消しを求めた訴訟の<br>
判決で、東京地裁民事38部の菅野博之裁判長は25日、請求を認め処分を取り消した。<br>
<br>
一方、韓国の「小鹿島(ソロクト)更生園」(現韓国国立小鹿島病院)の入所者117人が<br>
同様の請求をした訴訟で、民事3部の鶴岡稔彦裁判長は同日、請求を棄却した。2つの訴訟<br>
の結論は正反対となった。<br>
<br>
韓国訴訟の判決理由で鶴岡裁判長は「外地の入所者が受け続けた偏見と差別の原因の<br>
一端が、戦前のわが国の隔離政策等にあったことは否定しがたい」と原告側の主張に一定の<br>
理解も示したが「法の審議過程などで、外地療養所の入所者が補償の対象になることは認識<br>
されていない」とした。<br>
<br>
2つの訴訟は当時総督府の下にあった両施設が、法律で補償対象と定められた「国立ハンセン病<br>
療養所等」に当たるかどうかが争点だった。〔共同〕(11:10)<br>
<br>
[Source]<br>
日本経済新聞 <a href=
"http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051025STXKC012225102005" target=
"_top">http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051025STXKC012225102005</a></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><a href="menu:21" target="_top" name="21">21</a> 名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)11:38:46ID:wIYWMi5T0</dt>
<dd>
■戦後、朝鮮のハンセン病患者が大量に密航していた(コピペ)<br>
<br>
昭和23年6月4日衆議院本会議での榊原亨の質問 から<br>
(榊原亨議員は日本医師会副会長であった)<br>
................................<br>
<br>
さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。現在朝鮮人癩患者は、一療養所に<br>
約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、戰前朝鮮の小鹿島にありました<br>
約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、全部これが脱出を<br>
はかりまして、この脱出いたしました六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて、<br>
日本に向け多数密航してきたのであります。<br>
<br>
その一例を申しますると、兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、これら朝鮮<br>
人患者は、日本において一團を組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたし<br>
まして、いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつあるのであります。<br>
<a href=
"http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=20461&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=2344&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20623"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=20461&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=2344&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20623</a><br>
</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:92" target="_top" name=
"92">92</a></b>名前:<font color="forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:16:12ID:PkPxigAo0</dt>
<dd>
つうか結果だけ報道してるが贔屓って言えるのか。韓国は基本的に日本統治を<br>
否定してるんだから、ハンセン病の問題も国内問題だろう。<br>
台湾は国家として今でも微妙だが、政治空白が長いし日本の政策の影響の<br>
度合いが大きいとか、ちゃんと理由あるんじゃないのか。<br>
<br>
いつものマスコミの反日報道な気がする。<br>
まあ東京GJだな。大阪とは大違い。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:124" target="_top" name=
"124">124</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:27:37ID:pdWwac8CO</dt>
<dd>
そもそも、日本の患者を救済する法案ができたのは、戦後に、ハンセン氏病の治療法が確立したにも関わらず、隔離しつづけたから、救済する為だ。<br>
<br>
台湾や韓国で、戦後に隔離しつづけたのが、日本の責任か?</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:128" target="_top" name=
"128">128</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:29:36ID:KcOkbuta0</dt>
<dd><a href="about:blank#124" target="_top">>>124</a><br>
やつらの言い分は「日本にそう言われたからそのままのやり方で続けた」ってことなんだろ。<br>
日本が撤退した後、日本の残したものは徹底的に否定したはずなのになw<br>
<br>
そういやニュースの見出しが「私の手を見て下さい」ってなってたけど<br>
指を奪ったのは病気であって、日本ではないのだが・・・</dd>
</dl>
<hr>
<p>
150名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:41:52ID:Xjt7+Dll0<br>
ここは韓国人にも平等に補償すべきだろ</p>
<p>何で民族差別するかなぁ</p>
<p>あ~~日本人だけど日本が嫌になってきた・・・orz</p>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:171" target="_top" name=
"171">171</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)12:49:20ID:gIydB9gJ0</dt>
<dd><a href="about:blank#150" target="_top">>>150</a><br>
裁判官は明言してないが、韓国には日本から莫大な経済協力金という賠償金、保証金が渡っており、<br>
ありとあらゆる保障の必要は一切ない。韓国人への日本政府の徹底した個別調査保障も韓国政府は国の総意で拒否し、<br>
韓国政府が莫大な金額を日本から貰い、全ての保証を約束。<br>
<br>
<a href="about:blank#150" target="_top">>>150</a><br>
韓国には平等も糞もないんだよ。おまえバカじゃないの?煽りにしても最低。<br>
くだらんレスするなボケが!!</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:213" target="_top" name=
"213">213</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)13:09:24ID:atTI61UL0</dt>
<dd>
ハンセン病補償法は、国籍や居住地を問わず、補償対象者を「国立ハンセン病療養所等に<br>
入所していた者」と定義。施設は厚生労働相による厚労省告示に列挙した。しかし、韓国と<br>
台湾の両施設は明記されていないため、訴訟ではその入所者が補償対象となるかどうかが<br>
争われ、二つの訴訟は判断が分かれた。<br>
<br>
また、補償法に基づき厚労省告示で補償対象と規定した「国立療養所」の解釈について、<br>
台湾の施設は1931年に施行された旧らい予防法が34年に勅令で台湾にも適用された<br>
ことから「国立療養所」と判断。一方、韓国ではそうした勅令がなかったと認定されたことも、<br>
二つの訴訟の結論が分かれる理由となった。<br>
<br>
<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000029-mai-soci" target=
"_top">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000029-mai-soci</a><br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:258" target="_top" name=
"258">258</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:38:53ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>[008/010] 7 - 衆 - 厚生委員会 - 5号<br>
昭和25年02月15日<br>
<br>
朝鮮では人の生肝を食えば癩病はなおるという伝説がございまして、朝鮮では殺人<br>
というものを調べてみると、たいがいそのうしろに癩病があるということがわかつ<br>
たのであり寓す。そういうようなことで、朝鮮人の殺人犯罪は年々多数に上つてお<br>
ります。この癩病は朝鮮の南部には非常にたくさんあるということがわかりました。<br>
しかしながら日韓併合のときには、内地に渡航するものが非常に少かつた。ただ内<br>
地だけの癩病を收容しておつたのであります。しかし自暴自棄になつておつたとこ<br>
ろの患者の中には、療養所の安定した生活によりまして非常に打つてかわつた人間<br>
になつた者もあります。しかしその千二百人の病歴を探つてみますと彼らはかつて<br>
浮浪する前には、首をくくつて死に切れず、あるいは海に入水して死に切れないと<br>
いう経歴を持つていない者は一人もなかつた。さように癩患者というものは恵まれ<br>
ない、悲惨な生活を送つで来たということは、御承知のことだと思います。しかし<br>
大部分の患者は生活の安定を得て、療養所を一つの楽天地としようとする者がある<br>
反面において、浮浪徘徊者の常習であつた賭博がはやりまして、そしてこの賭博で<br>
金銭のやりとりをしてまつ裸になるまでも取上げるというわけで、逃走患者が絶え<br>
なかつたのであります。それが外部に出てまた浮浪徘徊するという状態になつたの<br>
であります。またそのうちには、実に神妙な人間か大部分を占めておりまして、身<br>
を殺して仁をなすというような患者さんたちもたくさんありました。しかし自暴自<br>
棄のために人の迷惑を一つもかまわないで、蹴込みとか、窃盗あるいは強盗という<br>
ようないろいろの犯罪をする者が、これは少数でありますけれども、そういうよう<br>
な犯罪者ができました。これはもちろん初期の療養所というものは、今日のごとく<br>
明るくなかつたのであります。<br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:265" target="_top" name=
"265">265</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:41:23ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
そこで秩序を保ち、これを救う方法について、政府でもまた療養所当局も困り抜い<br>
て、遂に大正五年に懲戒検束の規定というものができまして、警察署程度の治安維<br>
持、悪いことをしたら一時そこに入れるということになつたのであります。これで<br>
よほど賭博等の犯罪は少くなりました。また院内の秩序もやや回復いたしましたけ<br>
れども、これくらいのことではなかなか承知しない患者が数人はあつたのでありま<br>
す。私どもの配慮でも松原健三郎あるいは山田徳一というような非常に凶悪な患者<br>
がおりまして、それが日本全国を荒しまわつたというようなことがございます。し<br>
かし何とかして秩序を保たせたいというのが私どもの気持でありまして、生活、治<br>
療等も改善されて今日に至りました。そのうちに政府も、日本中に三万からあるも<br>
のをわずか千二百人くらいな收容ではとうていだめであるというので、数回の拡張<br>
が行われたのであります。そうこうするうちに日韓併合ということになりまして、<br>
朝鮮人も人づて参ることになりました。当時日本には三万おりましたが、朝鮮人に<br>
もそのくらいな程度の患者がおりました。その後次第々々に移動して参りました。<br>
その朝鮮の患者は、朝鮮独特と申しますか、殺人を平気でやるような凶暴な者が出<br>
て来たのであります。それでただ内地の患者だけではなく、朝鮮の癩患者も引受け<br>
なければならぬということで、一視同仁的に今日まで続けて来たわでございます。<br>
療養所の拡張に伴いまして遂には五千人八千人とふえ、私どもは一万人を目標にし<br>
て進んで参りまして、今は十箇所の国立療養所が八千三百人くらいを收容しておる<br>
わけであります。<br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:269" target="_top" name=
"269">269</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:43:26ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
今日ではいろいろの御配慮によりまして、患者の生活は昔のようではなく、また浮<br>
浪徘徊の徒ばかりではなく、りつぱな人もたくさん入つておるのであります。しか<br>
しまだ自暴自棄的の精神がありまして、院内において少数の惡い患者が、院内の安<br>
寧秩序を乱すというようなことがまつたくないではありません。これに対して私ど<br>
もは四十年にわたつて、何とかしてこの矯正策を政府も考えてくださいますように<br>
お願いいたして参りました。しかしながらなかなかそれの実行ができませんので、<br>
一時刑務所に送るというような場合もございましたけれども、そういうようなもの<br>
は不必要であるりかえつて窃盗、強盗あるいは殺人までも犯した者を刑務所に長く<br>
置くことはできぬというようなことで、こういうような者が執行猶予になつて、病<br>
人であるがら当然療養所でこれを治療してやれというような要求がありまして、そ<br>
れにはほとほと困つたのであります。癩患者なるがゆえにということで執行猶予に<br>
なりました者で、入つた者はまたいろいろな悪事をいたします。それをやる場所が<br>
ないようになつて来ました。憲法発布になりましてから、懲戒検束の規定も取消し<br>
になつたので、今はほとんお制裁することができないような状態にあります。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:272" target="_top" name=
"272">272</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:47:32ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
御承知でもありましようが、先日――一月十六日でありまするか草津において凶暴<br>
な患者がおりまして、これを朝鮮の多数の患者が撲殺したというような前代未聞の<br>
犯行がありましたことは、まことに遺憾なことでありますけれども、今かような凶<br>
暴な者を取締るところの方法がないのであります。院の者もやはりまる腰でありま<br>
すし、またこれを警察の方に伝えましてもどうすることもしないので、そのために<br>
かような凶行が起つたことはまことに遺憾なことでありまするが、今後においてか<br>
ような者は何とかして制裁をしていただかなければならぬ。癩患者は病人とは申し<br>
ますけれども、手足はまだきくような者が多いのでありまして、院内においてもい<br>
ろいろの相当な作業もいたしまするし、労働能力も相当ある者が多いのであります。<br>
それでこれを療養所に入れておきますと、多数の、八千三百人の安寧秩序を害する<br>
というような結果になりまして、また彼らが数人団結して院内の治安を撹乱すると<br>
いう場合において、前から申しましたように、職員はまる腰でありまするから、何<br>
ともこれを懲戒することもできなければ、実に危險な状態になつております。それ<br>
で近年、ことに朝鮮人の内地に移動する者が多くなりまして、これはあたりまえに<br>
査証を受けて入る者もございますが、密航する者も多数にある。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:274" target="_top" name=
"274">274</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:49:36ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
これが山口県とか福岡などの炭鉱とか製造工場に人りまして、そして軽いうちは労<br>
働に従事しておりますが、次第々々に重くなつておる者がたくさんございます。こ<br>
ういうような朝鮮から密航した者が今どのくらいあるかと申しますと、全国の療養<br>
所に五百人ほど入つております。また外部で朝鮮人の癩が自由に行動をいたして、<br>
あるいは酒を密造するとか、あるいはやみをやる者が、さような患者の中にも五百<br>
人ぐらいはあるのであります。今日は日本内地における一万三千人の者について一<br>
は、八千人だけは療養生活をすることができるのでありますが、朝鮮の安寧、秩序<br>
が維持できないために、せつかく日本人が向うに行つて、宇垣総督時代にこしらえ<br>
たところの六千人を收容できる世界第一を誇る療養所が、終戰のときに日本人の管<br>
理者はみな追い出されまして、ほうぼうの体でまる裸で帰つたというような状態で<br>
ありまして、院内の秩序が乱れて来まして、逃走が相次いでおります。そのために<br>
内地にたくさんの潮鮮人の患者が入つて来るので、日本は朝鮮の癩患者まで今日は<br>
おせわしなければならない。これは人道上でありまするから当然ではあるようなこ<br>
とではありまするけれども、こういうような荷やつかいなものが中に入るために、<br>
またこの院内の安寧秩序を維持のできないような状態に今日はなつて参りましたこ<br>
とは、まことに遺憾なことであります。<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:275" target="_top" name=
"275">275</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:51:40ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
今回の草津事件は、たくさんの朝鮮人が、手に手に物を持つて三人の者を撲殺した<br>
というようなことでありまして、私どもはまだその裁判とか、法律のことについて<br>
はよく承知いたしませんが、刑務所に入れても、病人なるがゆえにただちに執行猶<br>
予にするというようなことになつておりまして、内地の患者に対しても困る上に、<br>
朝鮮人の犯罪行為を取締る方法がない状態になつておりますので、このことは皆さ<br>
んのお耳に入れておいて、今後これでよろしいかということについてお考えおきを<br>
願いたいと思うのであります。近来療養所の八千三百人の日本人は、おかげさまで<br>
おちついてはおりまするが、人を殺すことを何とも考えないような朝鮮の癩患者を<br>
引受けなければならぬという危険千万な状態にありまして、患者の安寧秩序が乱さ<br>
れ、また戰員も毎日戰々兢々としてこれらの対策に悩んでおるような状態でござい<br>
ます。今日は草津に現に園長としておられる方がおいでになつておりまして、何か<br>
お話をしてくださることと思いますから、私はこのくらいで終ります。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:289" target="_top" name=
"289">289</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)14:03:34ID:dU3L9aA00</dt>
<dd><a href="about:blank#286" target="_top">>>286</a>,<a href=
"about:blank#287" target="_top">287</a><br>
ここから見れるかな?<br>
<a href=
"http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=14529&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=6217&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=14843"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=14529&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=6217&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=14843</a></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:293" target="_top" name=
"293">293</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)14:10:03ID:jh0bVbdg0</dt>
<dd><a href="about:blank#286" target="_top">>>286</a><br>
検索だと、しばらくすると見れなくなる。<br>
<br>
<a href="http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html</a><br>
<br>
これでいつでも見られるはず。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:330" target="_top" name=
"330">330</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)14:52:12ID:O+q5lRBF0</dt>
<dd>ソロクト(小鹿島)略史<br>
<br>
1873 ノルウェーのハンセンがらい菌を発見<br>
1907法律「癩(らい)予防ニ関スル件」制定、日本の隔離政策始まる<br>
1910 日本、韓国を併合<br>
1916朝鮮総督府は官立全羅南道小鹿島慈恵医院を開設(定員100人)<br>
1917 小鹿島慈恵医院が開院式を挙行<br>
1919 3.1独立運動始まる 朝鮮全土に拡大<br>
1926 小鹿島慈恵医院拡張による島民の反対闘争が起きる<br>
1931 癩予防法(旧法)制定<br>
1932財団法人朝鮮癩予防協会設立(事務所は総督府警務局内)<br>
1933 小鹿島癩療養所第1期拡張工事開始<br>
1934官制公布に伴い小鹿島慈恵医院は小鹿島更生園と改称<br>
1935朝鮮総督宇垣一成、制令第四号「朝鮮癩予防令」を公布<br>
府令により小鹿島に光州刑務所小鹿島支所を設置<br>
小鹿島更生園第1期拡張工事落成式を挙行<br>
1936 小鹿島更生園の第2期拡張工事が始まる<br>
1939 小鹿島更生園の第3期拡張工事が始まる<br>
小鹿島「患者地帯」大桟橋工事を昼夜兼行で120日で完成<br>
1942小鹿島更生園園長周防正季が入園患者李春相により刺殺<font color="#66CCCC">←これ何???????<br>
</font>1943米国で治療薬「プロミン」の効果発表<br>
1945 8月15日 日本、無条件降伏<br>
8月21日、小鹿島で朝鮮人職員らによる患者の大虐殺(死者84名) ←これ何???????<br>
8月24日、日本軍が小鹿島に出動、日本人200名は軍撤退で引揚げ <font color="#66CCCC">←終戦後に出動?</font><br>
<br>
<a href="http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/srktissue.htm" target=
"_top">http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/srktissue.htm</a><br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:334" target="_top" name=
"334">334</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)14:56:11ID:jh0bVbdg0</dt>
<dd><a href="about:blank#330" target="_top">>>330</a><br>
朝鮮人達が、もう日本人が助けてくれなくなると悟り、自分達で治療するために、患者を殺して<br>
肝臓を食おうと思ったんじゃないか。<br>
<br>
<a href="http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html</a><br>
>>朝鮮では人の生肝を食えば癩病はなおるという伝説がございまして、朝鮮では殺人というものを<br>
>>調べてみると、たいがいそのうしろに癩病があるということがわかつたのであります。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:338" target="_top" name=
"338">338</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)15:00:25ID:dU3L9aA00</dt>
<dd><a href="about:blank#8" target=
"_top">>8</a>月21日、小鹿島で朝鮮人職員らによる患者の大虐殺(死者84名) ←これ何???????<br>
<br>
日本の保護が無くなったからだよ。<br>
それで小鹿島の患者は大挙して日本に逃げ込んでる(密入国)</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><a href="menu:344" target="_top" name="344">344</a> 名前:<font color=
"forestgreen">名無しさん@6周年</font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:06:53ID:1WNS0Qjt0</dt>
<dd><a href="about:blank#325" target="_top">>325</a><br>
その通り。<br>
そもそもハンセン病の治療法が確立したのが1960年で、それ以前の隔離政策は問題となっていない。<br>
ハンセン病の違憲判決もこれ以降の隔離政策が問題だということになっていて、ハンセン病補償法もこれに基づいたもの。<br>
1960年は韓国や台湾は日本の法が及ぶ範囲だったのか?</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:357" target="_top" name=
"357">357</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>朝鮮寄りの資料</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:21:52ID:O+q5lRBF0</dt>
<dd>国立小鹿島病院沿革Ⅰ (1916~1945)<br>
1916.2.24 全羅南道ソロクトチャヘイウォン(小鹿島慈恵医院)建立<br>
決定 (朝鮮総督府令第7号)<br>
1917.4 定員100名で収容を始める<br>
5.17 開院式(開院記念日)<br>
1925.4. 1 地方官制改正 -小鹿島慈恵医院法制化<br>
(朝鮮総督府勅令85号)<br>
1926.9.19 小鹿島慈恵医院拡張反対住民騒擾事件発生<br>
1932.1.13 慶尚道出身と全羅道出身患者達間のキョンチョン(慶全)争い<br>
1933.3.13 小鹿島慈恵医院拡張のため、島全体を買収<br>
買収面積 総1,487,595坪<br>
1933.9 定員3000名収容のため、第1次拡張工事着工<br>
1934.9.29 全羅南道小鹿島慈恵医院の国立化<br>
10.1 小鹿島更正園に名前を改称<br>
1935.5 小鹿島神社建立、監禁室設置<br>
1935.9.15 光州刑務所小鹿島支所 開庁<br>
1935.10.21 第1次拡張工事落成式<br>
1936.4.1 精管手術を前提に夫婦同居 許容<br>
12. 1000名増員 収容のため第2次拡張工事を着工<br>
1937.10. 第2次拡張工事竣工<br>
1939.1. 1000名増員収容のため、第3次拡張工事着工<br>
11.25 第3次拡張工事完工- 患者6020名収容<br>
1940.4. 1 中央公園完成<br>
1942.6.20 患者イチュンサン、周防(周防正季)園長を殺害<br>
1945.8.21 騒擾事件で患者84名被殺←何か、日本人職員が殺したみたいな書き方w<br>
8.24 日本人職員 撤収<br>
<br>
2004年8月 小鹿島資料館の資料より<br>
<a href="http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/enkaku%201.htm" target=
"_top">http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/enkaku%201.htm</a><br>
<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:358" target="_top" name=
"358">358</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:26:41ID:O+q5lRBF0</dt>
<dd>院生たちの惨史<br>
(1945.8.21.)<br>
<br>
小鹿島に祖国解放の知らせが伝えられるや、院生たちは病舎地帯にある神社に火をつけ燃やし、<br>
矯導所の罪囚人と監禁室に閉じ込められていた者たちを全て釈放させた。また、日本人たちが去<br>
るや、病院運営権を掌握するため医師と行政職員間に勢力争いが広がり、島全体の雰囲気がと<br>
ても険悪になった。病院運営権に対する投票で職員たちに負けた医師 石四鶴は主導権を奪い取<br>
る欲心から院生代表イチョンギュに“運営権を掌握した者たちが院生たちのの食料と医薬品などを<br>
島の外へ持ち出そうとしている。これをくいとめなければならない、”と間違った情報を流した。<br>
<br>
自分たちの生存に直結した知らせを聞くや、極度に興奮した院生たちはこん棒やくわなどを持って<br>
職員地帯入り口(境界線)に集まり喊声をあげ、示威を行った。<br>
<br>
事態が緊迫するや、職員たちは、初めは空砲弾を撃った。しかし、数多い院生たちが継続、突進し<br>
てくるや、実弾をこめ射撃し、院生数名が倒れた。これに興奮した院生一部が職員たち何人かに暴<br>
行を加え殺し、病院運営権を院生自治会が握り職員地帯に攻め入った。これに対し職員たちは高<br>
興治安維持隊に支援を要請する一方、次の日に院生たちと協商を結んだ。しかし、武装した職員た<br>
ちと治安維持隊は協商をするためで出てきた院生代表たちを拘束し、全て射殺してしまった。また、<br>
各村にいる院生幹部たちを探し出し、大槍で刺し殺し、銃で射殺し、治療本館前に薪を積み上げ砂<br>
場の窪みで松炭油に火をつけ死体を焼いてしまった。また、船で食料を積みで出て、帰ってくる院生<br>
幹部たちも海にまで出て銃殺した。<br>
この事件で90名の各村の代表院生中84名が犠牲になり、6名だけが辛うじて生き残った<br>
<br>
<a href="http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/insei%20sansi.htm" target=
"_top">http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/insei%20sansi.htm</a><br>
<br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:366" target="_top" name=
"366">366</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:44:35ID:1WNS0Qjt0</dt>
<dd><a href="about:blank#360" target="_top">>360</a><a href="about:blank#362"
target="_top">>362</a><br>
<br>
治療法が確立した時点、すなわち昭和28年当時の主権保有国。<br>
つまり台湾は台湾政府に、韓国は韓国政府に要求するのが筋。</dd>
</dl>
<hr>
<p>
506名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/25(火)18:16:37ID:+SfNSdGv0<br>
>>487<br>
韓国は日本が個別に補償すると申し出たのに<br>
一括して補償を受けたいと主張して保証金を受け取ったが<br>
韓国政府は国民にその金を渡さずに政府が使い込んだ</p>
<br>
<br>
<p>もちろん韓国人の患者も気の毒なんだけどね</p>
<hr>
<p>
525名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/25(火)18:30:17ID:8aRCyDQq0<br>
>>520<br>
町みたいに大きい所で中にはスーパーや郵便局まである。<br>
しかも外出外泊自由、車まで持ってた。<br>
と言うと大抵の人は驚く。<br>
まあ病院付きの大型団地に近いな。</p>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:528" target="_top" name=
"528">528</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:33:18ID:z2smH6yG0</dt>
<dd><a href="about:blank#525" target="_top">>>525</a><br>
結構バイタリティ溢れてるからなぁ。<br>
若者よりはヨッポド金持ちだしね。でなきゃ訴訟なんて起こせないし。<br>
まぁ、金持ちである事と賠償に対する可否は繋がらないものではあるが。<br>
心情的には、金持ちに恵む金があったら、他の事に使いたいとは思うね。<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:529" target="_top" name=
"529">529</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:33:29ID:+SfNSdGv0</dt>
<dd><a href="about:blank#525" target="_top">>>525</a><br>
それをまるで酷いことを当時の日本人がやったかのように<br>
多くの日本人が刷り込まれたのは売国在日マスコミTBSのせいか・・・<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:530" target="_top" name=
"530">530</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:33:37ID:yFhrv6uz0</dt>
<dd>
よくわからんが、例え日本に責任があったとしても韓国の事例は日韓基本条約の<br>
範囲内に含まれるんじゃないのかな?<br>
<br>
<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:531" target="_top" name=
"531">531</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:35:31ID:DM1UcRBY0</dt>
<dd><a href="about:blank#506" target="_top">>>506</a><br>
つまり韓国に対する補償はすべて終了しているわけね。<br>
当然この訴訟も含まれてると。<br>
<br></dd>
</dl>
<dl>
<dt><b><a href="menu:532" target="_top" name=
"532">532</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:35:38ID:C6NFEzr20</dt>
<dd><a href="about:blank#526" target="_top">>>526</a><br>
でも<br>
<br>
<a href="about:blank#2" target=
"_top">>2</a>つの訴訟は当時総督府の下にあった両施設が、法律で補償対象と定められた「国立ハンセン病<br>
>療養所等」に当たるかどうかが争点だった。<br>
<br>
って書いてあるから、日韓基本条約と判決は関係無いみたいなんだが。<br>
単に朝鮮のは国立ハンセン病療養所じゃなかったって事なのか。</dd>
<dd>
<p><br></p>
</dd>
<dt><b><a href="menu:533" target="_top" name=
"533">533</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:37:05ID:8aRCyDQq0</dt>
<dd><a href="about:blank#528" target="_top">>>528</a><br>
なんせハンセンの予算は479億円だからね。<br>
たった3000人に毎年479億円。<br>
国連拠出金どころの騒ぎじゃないぞ。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:537" target="_top" name=
"537">537</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:43:19ID:1WNS0Qjt0</dt>
<dd><a href="about:blank#532" target="_top">>532</a><br>
ハンセン病補償法で全てのハンセン病患者に補償するという意味で使われたのだが、おそらく旧日本領の施設は考慮外。<br>
なにせ、らい予防法(昭和二十八年法律第二百十四号)による被害に対する補償だから、当時外国である旧日本領施設は普通入らない。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:539" target="_top" name=
"539">539</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:47:06ID:k6hR+HZ80</dt>
<dd><a href="about:blank#532" target="_top">>>532</a><br>
台湾・韓国の両原告らが、当時の自分達の住んでいた所(朝鮮半島・台湾)も含めて<br>
どういう立場だったかを認識しているかが要点。<br>
<br>
台湾>当時の台湾は日本国領。自分は日本人。<br>
韓国>朝鮮は日本に侵略されて植民地になった。自分は朝鮮(韓国)人。<br>
<br>
韓国側の主張だと戦後補償になるので解決済みとなる。<br>
むしろ、戦後以降の韓国政府が原告にどういった補償をしていたかのが問題。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:540" target="_top" name=
"540">540</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:47:37ID:2ccdKuV+0</dt>
<dd>当時の状況でモノを考えないとね。<br>
<br>
「今、安全とわかってるから(当時もそうだったはずで)だから国が悪い」<br>
という論調を取る人がいるけど、<br>
<br>
それならば、将来安全が確認されるかもしれないわけだから、<br>
どんどんプリオンを摂取し、遺伝子組み換え食品や抗生物質入りの<br>
中国食品を食べて、暮らしたらいい。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:550" target="_top" name=
"550">550</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)19:04:11ID:lwZnQcph0</dt>
<dd><a href="about:blank#545" target="_top">>>545</a><br>
牛・豚の糞尿を顔になすりつけて道端で寝起きする乞食生活をせず、<br>
ハンセン患者と風呂に入ろうなどと叫ばずに、ごくふつうに暮らして<br>
いれば、まず大丈夫だろう。<br>
<br>
<br>
「さて、この法律が施行された当時、ハンセン病患者は自らの意志にもとづいて<br>
自主的に療養所に入所していた。つまり希望者のみを隔離する考え方を採っていたことになる。<br>
しかし、当時の公立療養所の定員は全国で1,100人程度であったため、希望者全員を収容することは<br>
不可能になってしまう。そのため、政府は法律第11号第3条『癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス<br>
且救護者ナキモノハ行政官庁ニ於テ命令ノ定ムル所ニ従ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ<br>
但シ適当卜認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ』を持ち出して、<br>
扶養義務者がいる場合には彼らに患者の療養を任せ、実際に入所が認められたのは救護者のない<br>
浮浪患者のみであった。このことから、法律第11号は隔離をうたいながら、実際には救貧の性格が<br>
より強い法律であったと考えることもできる。」</dd>
</dl>
<hr>
<p><a href="about:blank#574" target=
"_top">>>574</a>名前:名無しさん@6周年
投稿日:2005/10/25(火) 19:28:54ID:k6hR+HZ80<br>
まぁ、韓国側原告は台湾側原告と違って訴訟内容とまったく関係無い<br>
「無理矢理日本名を名乗らされた」<br>
「君が代を覚えさせられた」<br>
「キリスト教徒なのに神社に参拝させられた」<br>
とか言ってる時点で勝訴できる訳が無い。<br>
<br>
誤ったハンセン病治療の「補償」を求めた台湾側原告に対して<br>
韓国側原告は歴史問題を言及して「賠償」を求めるから...。<br>
つか、韓国政府は自国の高齢者に対する社会福祉問題の解決を<br>
「日本に対する戦後補償」にすり替えたのと同じで、戦後ずっと放置していた<br>
ハンセン病患者に対する補償も「日本の植民地支配が原因」ですり替えたいんだろ</p>
<hr>
<br>
<dl>
<dt><b><a href="menu:763" target="_top" name="763">763</a></b>
名前:<font color="forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]
投稿日:2005/10/25(火) 22:43:17 ID:9DQE41gB0</dt>
<dd>過去にこういうやり取りがあったようだが<br>
<br>
日本政府
条約を結ぶにあたり、日本は旧朝鮮国に対して国として悪い事をしていませんので<br>
韓国政府に対して賠償金を渡す事は出来ませんが、損害を被った個人が居たら<br>
補償します。勿論、各,個人に対して補償金を直接渡します。」<br>
韓国政府
「日本政府はそんな余計な事をしなくて良い。我々が個人に渡す。」<br>
日本政府
「そうですか・・・・。それでは、韓国政府が個人に渡すようお願いします。ならば、こちらの<br>
お金は南の韓国の分の補償で、残りのお金は北の北朝鮮の分の補償で・・・・。」<br>
韓国政府
「北朝鮮は国家ではない! 半島全部の補償金を寄こしなさい。北朝鮮に対しては、あとで<br>
韓国政府が払っておくから」<br>
日本政府
「そんな・・・・。それでは、補償金が恐ろしく巨額になってしまいます」<br>
韓国政府
「あなたはつべこべ言わずに、その補償金全部を早く寄こしなさい。」<br>
日本政府
「分かりました。あなたの言う通り、戦前と戦後の半島に関する全ての補償金を、<br>
日本政府が唯一認める半島の合法政府である韓国政府に対して全額渡します。」<br>
韓国政府
「それで良い。後の事は韓国政府に任せておきなさい。」</dd>
<dd>
<hr>
<br>
<br>
<dl>
<dd>
<p><br></p>
<p>Written by Spica</p>
</dd>
</dl>
</dd>
</dl>
<p>
【裁判】台湾側は原告勝訴,韓国側は原告敗訴~2つのハンセン病訴訟で,結論分かれる:東京地裁</p>
<p>より</p>
<hr>
<dl>
<dt><a href="menu:1" target="_top" name="1">1</a> 名前:<font color=
"forestgreen"><b>('A`) R.</b>◆CkQJ/zRB6Y<b>@Sφ★</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)11:23:52ID:???0</dt>
<dd>
台湾は原告勝訴、韓国は敗訴・ハンセン病訴訟で東京地裁<br>
<br>
日本の植民地時代に開設された台湾の「楽生院」(現楽生療養院)の入所者25人が、<br>
ハンセン病補償法に基づく補償請求を棄却した日本政府の処分取り消しを求めた訴訟の<br>
判決で、東京地裁民事38部の菅野博之裁判長は25日、請求を認め処分を取り消した。<br>
<br>
一方、韓国の「小鹿島(ソロクト)更生園」(現韓国国立小鹿島病院)の入所者117人が<br>
同様の請求をした訴訟で、民事3部の鶴岡稔彦裁判長は同日、請求を棄却した。2つの訴訟<br>
の結論は正反対となった。<br>
<br>
韓国訴訟の判決理由で鶴岡裁判長は「外地の入所者が受け続けた偏見と差別の原因の<br>
一端が、戦前のわが国の隔離政策等にあったことは否定しがたい」と原告側の主張に一定の<br>
理解も示したが「法の審議過程などで、外地療養所の入所者が補償の対象になることは認識<br>
されていない」とした。<br>
<br>
2つの訴訟は当時総督府の下にあった両施設が、法律で補償対象と定められた「国立ハンセン病<br>
療養所等」に当たるかどうかが争点だった。〔共同〕(11:10)<br>
<br>
[Source]<br>
日本経済新聞 <a href=
"http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051025STXKC012225102005" target=
"_top">http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20051025STXKC012225102005</a></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><a href="menu:21" target="_top" name="21">21</a> 名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)11:38:46ID:wIYWMi5T0</dt>
<dd>
■戦後、朝鮮のハンセン病患者が大量に密航していた(コピペ)<br>
<br>
昭和23年6月4日衆議院本会議での榊原亨の質問 から<br>
(榊原亨議員は日本医師会副会長であった)<br>
................................<br>
<br>
さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。現在朝鮮人癩患者は、一療養所に<br>
約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、戰前朝鮮の小鹿島にありました<br>
約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、全部これが脱出を<br>
はかりまして、この脱出いたしました六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて、<br>
日本に向け多数密航してきたのであります。<br>
<br>
その一例を申しますると、兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、これら朝鮮<br>
人患者は、日本において一團を組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたし<br>
まして、いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつあるのであります。<br>
<a href=
"http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=20461&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=2344&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20623"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=20461&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=2344&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20623</a><br>
</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:92" target="_top" name=
"92">92</a></b>名前:<font color="forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:16:12ID:PkPxigAo0</dt>
<dd>
つうか結果だけ報道してるが贔屓って言えるのか。韓国は基本的に日本統治を<br>
否定してるんだから、ハンセン病の問題も国内問題だろう。<br>
台湾は国家として今でも微妙だが、政治空白が長いし日本の政策の影響の<br>
度合いが大きいとか、ちゃんと理由あるんじゃないのか。<br>
<br>
いつものマスコミの反日報道な気がする。<br>
まあ東京GJだな。大阪とは大違い。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:124" target="_top" name=
"124">124</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:27:37ID:pdWwac8CO</dt>
<dd>
そもそも、日本の患者を救済する法案ができたのは、戦後に、ハンセン氏病の治療法が確立したにも関わらず、隔離しつづけたから、救済する為だ。<br>
<br>
台湾や韓国で、戦後に隔離しつづけたのが、日本の責任か?</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:128" target="_top" name=
"128">128</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:29:36ID:KcOkbuta0</dt>
<dd><a href="about:blank#124" target="_top">>>124</a><br>
やつらの言い分は「日本にそう言われたからそのままのやり方で続けた」ってことなんだろ。<br>
日本が撤退した後、日本の残したものは徹底的に否定したはずなのになw<br>
<br>
そういやニュースの見出しが「私の手を見て下さい」ってなってたけど<br>
指を奪ったのは病気であって、日本ではないのだが・・・</dd>
</dl>
<hr>
<p>
150名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/25(火)12:41:52ID:Xjt7+Dll0<br>
ここは韓国人にも平等に補償すべきだろ</p>
<p>何で民族差別するかなぁ</p>
<p>あ~~日本人だけど日本が嫌になってきた・・・orz</p>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:171" target="_top" name=
"171">171</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)12:49:20ID:gIydB9gJ0</dt>
<dd><a href="about:blank#150" target="_top">>>150</a><br>
裁判官は明言してないが、韓国には日本から莫大な経済協力金という賠償金、保証金が渡っており、<br>
ありとあらゆる保障の必要は一切ない。韓国人への日本政府の徹底した個別調査保障も韓国政府は国の総意で拒否し、<br>
韓国政府が莫大な金額を日本から貰い、全ての保証を約束。<br>
<br>
<a href="about:blank#150" target="_top">>>150</a><br>
韓国には平等も糞もないんだよ。おまえバカじゃないの?煽りにしても最低。<br>
くだらんレスするなボケが!!</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:213" target="_top" name=
"213">213</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)13:09:24ID:atTI61UL0</dt>
<dd>
ハンセン病補償法は、国籍や居住地を問わず、補償対象者を「国立ハンセン病療養所等に<br>
入所していた者」と定義。施設は厚生労働相による厚労省告示に列挙した。しかし、韓国と<br>
台湾の両施設は明記されていないため、訴訟ではその入所者が補償対象となるかどうかが<br>
争われ、二つの訴訟は判断が分かれた。<br>
<br>
また、補償法に基づき厚労省告示で補償対象と規定した「国立療養所」の解釈について、<br>
台湾の施設は1931年に施行された旧らい予防法が34年に勅令で台湾にも適用された<br>
ことから「国立療養所」と判断。一方、韓国ではそうした勅令がなかったと認定されたことも、<br>
二つの訴訟の結論が分かれる理由となった。<br>
<br>
<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000029-mai-soci" target=
"_top">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000029-mai-soci</a><br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:258" target="_top" name=
"258">258</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:38:53ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>[008/010] 7 - 衆 - 厚生委員会 - 5号<br>
昭和25年02月15日<br>
<br>
朝鮮では人の生肝を食えば癩病はなおるという伝説がございまして、朝鮮では殺人<br>
というものを調べてみると、たいがいそのうしろに癩病があるということがわかつ<br>
たのであり寓す。そういうようなことで、朝鮮人の殺人犯罪は年々多数に上つてお<br>
ります。この癩病は朝鮮の南部には非常にたくさんあるということがわかりました。<br>
しかしながら日韓併合のときには、内地に渡航するものが非常に少かつた。ただ内<br>
地だけの癩病を收容しておつたのであります。しかし自暴自棄になつておつたとこ<br>
ろの患者の中には、療養所の安定した生活によりまして非常に打つてかわつた人間<br>
になつた者もあります。しかしその千二百人の病歴を探つてみますと彼らはかつて<br>
浮浪する前には、首をくくつて死に切れず、あるいは海に入水して死に切れないと<br>
いう経歴を持つていない者は一人もなかつた。さように癩患者というものは恵まれ<br>
ない、悲惨な生活を送つで来たということは、御承知のことだと思います。しかし<br>
大部分の患者は生活の安定を得て、療養所を一つの楽天地としようとする者がある<br>
反面において、浮浪徘徊者の常習であつた賭博がはやりまして、そしてこの賭博で<br>
金銭のやりとりをしてまつ裸になるまでも取上げるというわけで、逃走患者が絶え<br>
なかつたのであります。それが外部に出てまた浮浪徘徊するという状態になつたの<br>
であります。またそのうちには、実に神妙な人間か大部分を占めておりまして、身<br>
を殺して仁をなすというような患者さんたちもたくさんありました。しかし自暴自<br>
棄のために人の迷惑を一つもかまわないで、蹴込みとか、窃盗あるいは強盗という<br>
ようないろいろの犯罪をする者が、これは少数でありますけれども、そういうよう<br>
な犯罪者ができました。これはもちろん初期の療養所というものは、今日のごとく<br>
明るくなかつたのであります。<br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:265" target="_top" name=
"265">265</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:41:23ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
そこで秩序を保ち、これを救う方法について、政府でもまた療養所当局も困り抜い<br>
て、遂に大正五年に懲戒検束の規定というものができまして、警察署程度の治安維<br>
持、悪いことをしたら一時そこに入れるということになつたのであります。これで<br>
よほど賭博等の犯罪は少くなりました。また院内の秩序もやや回復いたしましたけ<br>
れども、これくらいのことではなかなか承知しない患者が数人はあつたのでありま<br>
す。私どもの配慮でも松原健三郎あるいは山田徳一というような非常に凶悪な患者<br>
がおりまして、それが日本全国を荒しまわつたというようなことがございます。し<br>
かし何とかして秩序を保たせたいというのが私どもの気持でありまして、生活、治<br>
療等も改善されて今日に至りました。そのうちに政府も、日本中に三万からあるも<br>
のをわずか千二百人くらいな收容ではとうていだめであるというので、数回の拡張<br>
が行われたのであります。そうこうするうちに日韓併合ということになりまして、<br>
朝鮮人も人づて参ることになりました。当時日本には三万おりましたが、朝鮮人に<br>
もそのくらいな程度の患者がおりました。その後次第々々に移動して参りました。<br>
その朝鮮の患者は、朝鮮独特と申しますか、殺人を平気でやるような凶暴な者が出<br>
て来たのであります。それでただ内地の患者だけではなく、朝鮮の癩患者も引受け<br>
なければならぬということで、一視同仁的に今日まで続けて来たわでございます。<br>
療養所の拡張に伴いまして遂には五千人八千人とふえ、私どもは一万人を目標にし<br>
て進んで参りまして、今は十箇所の国立療養所が八千三百人くらいを收容しておる<br>
わけであります。<br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:269" target="_top" name=
"269">269</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:43:26ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
今日ではいろいろの御配慮によりまして、患者の生活は昔のようではなく、また浮<br>
浪徘徊の徒ばかりではなく、りつぱな人もたくさん入つておるのであります。しか<br>
しまだ自暴自棄的の精神がありまして、院内において少数の惡い患者が、院内の安<br>
寧秩序を乱すというようなことがまつたくないではありません。これに対して私ど<br>
もは四十年にわたつて、何とかしてこの矯正策を政府も考えてくださいますように<br>
お願いいたして参りました。しかしながらなかなかそれの実行ができませんので、<br>
一時刑務所に送るというような場合もございましたけれども、そういうようなもの<br>
は不必要であるりかえつて窃盗、強盗あるいは殺人までも犯した者を刑務所に長く<br>
置くことはできぬというようなことで、こういうような者が執行猶予になつて、病<br>
人であるがら当然療養所でこれを治療してやれというような要求がありまして、そ<br>
れにはほとほと困つたのであります。癩患者なるがゆえにということで執行猶予に<br>
なりました者で、入つた者はまたいろいろな悪事をいたします。それをやる場所が<br>
ないようになつて来ました。憲法発布になりましてから、懲戒検束の規定も取消し<br>
になつたので、今はほとんお制裁することができないような状態にあります。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:272" target="_top" name=
"272">272</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:47:32ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
御承知でもありましようが、先日――一月十六日でありまするか草津において凶暴<br>
な患者がおりまして、これを朝鮮の多数の患者が撲殺したというような前代未聞の<br>
犯行がありましたことは、まことに遺憾なことでありますけれども、今かような凶<br>
暴な者を取締るところの方法がないのであります。院の者もやはりまる腰でありま<br>
すし、またこれを警察の方に伝えましてもどうすることもしないので、そのために<br>
かような凶行が起つたことはまことに遺憾なことでありまするが、今後においてか<br>
ような者は何とかして制裁をしていただかなければならぬ。癩患者は病人とは申し<br>
ますけれども、手足はまだきくような者が多いのでありまして、院内においてもい<br>
ろいろの相当な作業もいたしまするし、労働能力も相当ある者が多いのであります。<br>
それでこれを療養所に入れておきますと、多数の、八千三百人の安寧秩序を害する<br>
というような結果になりまして、また彼らが数人団結して院内の治安を撹乱すると<br>
いう場合において、前から申しましたように、職員はまる腰でありまするから、何<br>
ともこれを懲戒することもできなければ、実に危險な状態になつております。それ<br>
で近年、ことに朝鮮人の内地に移動する者が多くなりまして、これはあたりまえに<br>
査証を受けて入る者もございますが、密航する者も多数にある。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:274" target="_top" name=
"274">274</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:49:36ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
これが山口県とか福岡などの炭鉱とか製造工場に人りまして、そして軽いうちは労<br>
働に従事しておりますが、次第々々に重くなつておる者がたくさんございます。こ<br>
ういうような朝鮮から密航した者が今どのくらいあるかと申しますと、全国の療養<br>
所に五百人ほど入つております。また外部で朝鮮人の癩が自由に行動をいたして、<br>
あるいは酒を密造するとか、あるいはやみをやる者が、さような患者の中にも五百<br>
人ぐらいはあるのであります。今日は日本内地における一万三千人の者について一<br>
は、八千人だけは療養生活をすることができるのでありますが、朝鮮の安寧、秩序<br>
が維持できないために、せつかく日本人が向うに行つて、宇垣総督時代にこしらえ<br>
たところの六千人を收容できる世界第一を誇る療養所が、終戰のときに日本人の管<br>
理者はみな追い出されまして、ほうぼうの体でまる裸で帰つたというような状態で<br>
ありまして、院内の秩序が乱れて来まして、逃走が相次いでおります。そのために<br>
内地にたくさんの潮鮮人の患者が入つて来るので、日本は朝鮮の癩患者まで今日は<br>
おせわしなければならない。これは人道上でありまするから当然ではあるようなこ<br>
とではありまするけれども、こういうような荷やつかいなものが中に入るために、<br>
またこの院内の安寧秩序を維持のできないような状態に今日はなつて参りましたこ<br>
とは、まことに遺憾なことであります。<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:275" target="_top" name=
"275">275</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)13:51:40ID:dU3L9aA00</dt>
<dd>
今回の草津事件は、たくさんの朝鮮人が、手に手に物を持つて三人の者を撲殺した<br>
というようなことでありまして、私どもはまだその裁判とか、法律のことについて<br>
はよく承知いたしませんが、刑務所に入れても、病人なるがゆえにただちに執行猶<br>
予にするというようなことになつておりまして、内地の患者に対しても困る上に、<br>
朝鮮人の犯罪行為を取締る方法がない状態になつておりますので、このことは皆さ<br>
んのお耳に入れておいて、今後これでよろしいかということについてお考えおきを<br>
願いたいと思うのであります。近来療養所の八千三百人の日本人は、おかげさまで<br>
おちついてはおりまするが、人を殺すことを何とも考えないような朝鮮の癩患者を<br>
引受けなければならぬという危険千万な状態にありまして、患者の安寧秩序が乱さ<br>
れ、また戰員も毎日戰々兢々としてこれらの対策に悩んでおるような状態でござい<br>
ます。今日は草津に現に園長としておられる方がおいでになつておりまして、何か<br>
お話をしてくださることと思いますから、私はこのくらいで終ります。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:289" target="_top" name=
"289">289</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>小鹿島は悲惨な患者のために陛下からの贈り物だぞ!</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)14:03:34ID:dU3L9aA00</dt>
<dd><a href="about:blank#286" target="_top">>>286</a>,<a href=
"about:blank#287" target="_top">287</a><br>
ここから見れるかな?<br>
<a href=
"http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=14529&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=6217&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=14843"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=14529&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=6217&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=2&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=14843</a></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:293" target="_top" name=
"293">293</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)14:10:03ID:jh0bVbdg0</dt>
<dd><a href="about:blank#286" target="_top">>>286</a><br>
検索だと、しばらくすると見れなくなる。<br>
<br>
<a href="http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html</a><br>
<br>
これでいつでも見られるはず。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:330" target="_top" name=
"330">330</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)14:52:12ID:O+q5lRBF0</dt>
<dd>ソロクト(小鹿島)略史<br>
<br>
1873 ノルウェーのハンセンがらい菌を発見<br>
1907法律「癩(らい)予防ニ関スル件」制定、日本の隔離政策始まる<br>
1910 日本、韓国を併合<br>
1916朝鮮総督府は官立全羅南道小鹿島慈恵医院を開設(定員100人)<br>
1917 小鹿島慈恵医院が開院式を挙行<br>
1919 3.1独立運動始まる 朝鮮全土に拡大<br>
1926 小鹿島慈恵医院拡張による島民の反対闘争が起きる<br>
1931 癩予防法(旧法)制定<br>
1932財団法人朝鮮癩予防協会設立(事務所は総督府警務局内)<br>
1933 小鹿島癩療養所第1期拡張工事開始<br>
1934官制公布に伴い小鹿島慈恵医院は小鹿島更生園と改称<br>
1935朝鮮総督宇垣一成、制令第四号「朝鮮癩予防令」を公布<br>
府令により小鹿島に光州刑務所小鹿島支所を設置<br>
小鹿島更生園第1期拡張工事落成式を挙行<br>
1936 小鹿島更生園の第2期拡張工事が始まる<br>
1939 小鹿島更生園の第3期拡張工事が始まる<br>
小鹿島「患者地帯」大桟橋工事を昼夜兼行で120日で完成<br>
1942小鹿島更生園園長周防正季が入園患者李春相により刺殺<font color="#66CCCC">←これ何???????<br>
</font>1943米国で治療薬「プロミン」の効果発表<br>
1945 8月15日 日本、無条件降伏<br>
8月21日、小鹿島で朝鮮人職員らによる患者の大虐殺(死者84名) ←これ何???????<br>
8月24日、日本軍が小鹿島に出動、日本人200名は軍撤退で引揚げ <font color="#66CCCC">←終戦後に出動?</font><br>
<br>
<a href="http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/srktissue.htm" target=
"_top">http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/srktissue.htm</a><br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:334" target="_top" name=
"334">334</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)14:56:11ID:jh0bVbdg0</dt>
<dd><a href="about:blank#330" target="_top">>>330</a><br>
朝鮮人達が、もう日本人が助けてくれなくなると悟り、自分達で治療するために、患者を殺して<br>
肝臓を食おうと思ったんじゃないか。<br>
<br>
<a href="http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html"
target=
"_top">http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html</a><br>
>>朝鮮では人の生肝を食えば癩病はなおるという伝説がございまして、朝鮮では殺人というものを<br>
>>調べてみると、たいがいそのうしろに癩病があるということがわかつたのであります。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:338" target="_top" name=
"338">338</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)15:00:25ID:dU3L9aA00</dt>
<dd><a href="about:blank#8" target=
"_top">>8</a>月21日、小鹿島で朝鮮人職員らによる患者の大虐殺(死者84名) ←これ何???????<br>
<br>
日本の保護が無くなったからだよ。<br>
それで小鹿島の患者は大挙して日本に逃げ込んでる(密入国)</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><a href="menu:344" target="_top" name="344">344</a> 名前:<font color=
"forestgreen">名無しさん@6周年</font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:06:53ID:1WNS0Qjt0</dt>
<dd><a href="about:blank#325" target="_top">>325</a><br>
その通り。<br>
そもそもハンセン病の治療法が確立したのが1960年で、それ以前の隔離政策は問題となっていない。<br>
ハンセン病の違憲判決もこれ以降の隔離政策が問題だということになっていて、ハンセン病補償法もこれに基づいたもの。<br>
1960年は韓国や台湾は日本の法が及ぶ範囲だったのか?</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:357" target="_top" name=
"357">357</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>朝鮮寄りの資料</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:21:52ID:O+q5lRBF0</dt>
<dd>国立小鹿島病院沿革Ⅰ (1916~1945)<br>
1916.2.24 全羅南道ソロクトチャヘイウォン(小鹿島慈恵医院)建立<br>
決定 (朝鮮総督府令第7号)<br>
1917.4 定員100名で収容を始める<br>
5.17 開院式(開院記念日)<br>
1925.4. 1 地方官制改正 -小鹿島慈恵医院法制化<br>
(朝鮮総督府勅令85号)<br>
1926.9.19 小鹿島慈恵医院拡張反対住民騒擾事件発生<br>
1932.1.13 慶尚道出身と全羅道出身患者達間のキョンチョン(慶全)争い<br>
1933.3.13 小鹿島慈恵医院拡張のため、島全体を買収<br>
買収面積 総1,487,595坪<br>
1933.9 定員3000名収容のため、第1次拡張工事着工<br>
1934.9.29 全羅南道小鹿島慈恵医院の国立化<br>
10.1 小鹿島更正園に名前を改称<br>
1935.5 小鹿島神社建立、監禁室設置<br>
1935.9.15 光州刑務所小鹿島支所 開庁<br>
1935.10.21 第1次拡張工事落成式<br>
1936.4.1 精管手術を前提に夫婦同居 許容<br>
12. 1000名増員 収容のため第2次拡張工事を着工<br>
1937.10. 第2次拡張工事竣工<br>
1939.1. 1000名増員収容のため、第3次拡張工事着工<br>
11.25 第3次拡張工事完工- 患者6020名収容<br>
1940.4. 1 中央公園完成<br>
1942.6.20 患者イチュンサン、周防(周防正季)園長を殺害<br>
1945.8.21 騒擾事件で患者84名被殺←何か、日本人職員が殺したみたいな書き方w<br>
8.24 日本人職員 撤収<br>
<br>
2004年8月 小鹿島資料館の資料より<br>
<a href="http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/enkaku%201.htm" target=
"_top">http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/enkaku%201.htm</a><br>
<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:358" target="_top" name=
"358">358</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:26:41ID:O+q5lRBF0</dt>
<dd>院生たちの惨史<br>
(1945.8.21.)<br>
<br>
小鹿島に祖国解放の知らせが伝えられるや、院生たちは病舎地帯にある神社に火をつけ燃やし、<br>
矯導所の罪囚人と監禁室に閉じ込められていた者たちを全て釈放させた。また、日本人たちが去<br>
るや、病院運営権を掌握するため医師と行政職員間に勢力争いが広がり、島全体の雰囲気がと<br>
ても険悪になった。病院運営権に対する投票で職員たちに負けた医師 石四鶴は主導権を奪い取<br>
る欲心から院生代表イチョンギュに“運営権を掌握した者たちが院生たちのの食料と医薬品などを<br>
島の外へ持ち出そうとしている。これをくいとめなければならない、”と間違った情報を流した。<br>
<br>
自分たちの生存に直結した知らせを聞くや、極度に興奮した院生たちはこん棒やくわなどを持って<br>
職員地帯入り口(境界線)に集まり喊声をあげ、示威を行った。<br>
<br>
事態が緊迫するや、職員たちは、初めは空砲弾を撃った。しかし、数多い院生たちが継続、突進し<br>
てくるや、実弾をこめ射撃し、院生数名が倒れた。これに興奮した院生一部が職員たち何人かに暴<br>
行を加え殺し、病院運営権を院生自治会が握り職員地帯に攻め入った。これに対し職員たちは高<br>
興治安維持隊に支援を要請する一方、次の日に院生たちと協商を結んだ。しかし、武装した職員た<br>
ちと治安維持隊は協商をするためで出てきた院生代表たちを拘束し、全て射殺してしまった。また、<br>
各村にいる院生幹部たちを探し出し、大槍で刺し殺し、銃で射殺し、治療本館前に薪を積み上げ砂<br>
場の窪みで松炭油に火をつけ死体を焼いてしまった。また、船で食料を積みで出て、帰ってくる院生<br>
幹部たちも海にまで出て銃殺した。<br>
この事件で90名の各村の代表院生中84名が犠牲になり、6名だけが辛うじて生き残った<br>
<br>
<a href="http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/insei%20sansi.htm" target=
"_top">http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/insei%20sansi.htm</a><br>
<br></dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:366" target="_top" name=
"366">366</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)15:44:35ID:1WNS0Qjt0</dt>
<dd><a href="about:blank#360" target="_top">>360</a><a href="about:blank#362"
target="_top">>362</a><br>
<br>
治療法が確立した時点、すなわち昭和28年当時の主権保有国。<br>
つまり台湾は台湾政府に、韓国は韓国政府に要求するのが筋。</dd>
</dl>
<hr>
<p>
506名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/25(火)18:16:37ID:+SfNSdGv0<br>
>>487<br>
韓国は日本が個別に補償すると申し出たのに<br>
一括して補償を受けたいと主張して保証金を受け取ったが<br>
韓国政府は国民にその金を渡さずに政府が使い込んだ</p>
<br>
<br>
<p>もちろん韓国人の患者も気の毒なんだけどね</p>
<hr>
<p>
525名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/25(火)18:30:17ID:8aRCyDQq0<br>
>>520<br>
町みたいに大きい所で中にはスーパーや郵便局まである。<br>
しかも外出外泊自由、車まで持ってた。<br>
と言うと大抵の人は驚く。<br>
まあ病院付きの大型団地に近いな。</p>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:528" target="_top" name=
"528">528</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:33:18ID:z2smH6yG0</dt>
<dd><a href="about:blank#525" target="_top">>>525</a><br>
結構バイタリティ溢れてるからなぁ。<br>
若者よりはヨッポド金持ちだしね。でなきゃ訴訟なんて起こせないし。<br>
まぁ、金持ちである事と賠償に対する可否は繋がらないものではあるが。<br>
心情的には、金持ちに恵む金があったら、他の事に使いたいとは思うね。<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:529" target="_top" name=
"529">529</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:33:29ID:+SfNSdGv0</dt>
<dd><a href="about:blank#525" target="_top">>>525</a><br>
それをまるで酷いことを当時の日本人がやったかのように<br>
多くの日本人が刷り込まれたのは売国在日マスコミTBSのせいか・・・<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:530" target="_top" name=
"530">530</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:33:37ID:yFhrv6uz0</dt>
<dd>
よくわからんが、例え日本に責任があったとしても韓国の事例は日韓基本条約の<br>
範囲内に含まれるんじゃないのかな?<br>
<br>
<br>
<br></dd>
<dt><b><a href="menu:531" target="_top" name=
"531">531</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:35:31ID:DM1UcRBY0</dt>
<dd><a href="about:blank#506" target="_top">>>506</a><br>
つまり韓国に対する補償はすべて終了しているわけね。<br>
当然この訴訟も含まれてると。<br>
<br></dd>
</dl>
<dl>
<dt><b><a href="menu:532" target="_top" name=
"532">532</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:35:38ID:C6NFEzr20</dt>
<dd><a href="about:blank#526" target="_top">>>526</a><br>
でも<br>
<br>
<a href="about:blank#2" target=
"_top">>2</a>つの訴訟は当時総督府の下にあった両施設が、法律で補償対象と定められた「国立ハンセン病<br>
>療養所等」に当たるかどうかが争点だった。<br>
<br>
って書いてあるから、日韓基本条約と判決は関係無いみたいなんだが。<br>
単に朝鮮のは国立ハンセン病療養所じゃなかったって事なのか。</dd>
<dd>
<p><br></p>
</dd>
<dt><b><a href="menu:533" target="_top" name=
"533">533</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:37:05ID:8aRCyDQq0</dt>
<dd><a href="about:blank#528" target="_top">>>528</a><br>
なんせハンセンの予算は479億円だからね。<br>
たった3000人に毎年479億円。<br>
国連拠出金どころの騒ぎじゃないぞ。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:537" target="_top" name=
"537">537</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:43:19ID:1WNS0Qjt0</dt>
<dd><a href="about:blank#532" target="_top">>532</a><br>
ハンセン病補償法で全てのハンセン病患者に補償するという意味で使われたのだが、おそらく旧日本領の施設は考慮外。<br>
なにせ、らい予防法(昭和二十八年法律第二百十四号)による被害に対する補償だから、当時外国である旧日本領施設は普通入らない。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:539" target="_top" name=
"539">539</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)18:47:06ID:k6hR+HZ80</dt>
<dd><a href="about:blank#532" target="_top">>>532</a><br>
台湾・韓国の両原告らが、当時の自分達の住んでいた所(朝鮮半島・台湾)も含めて<br>
どういう立場だったかを認識しているかが要点。<br>
<br>
台湾>当時の台湾は日本国領。自分は日本人。<br>
韓国>朝鮮は日本に侵略されて植民地になった。自分は朝鮮(韓国)人。<br>
<br>
韓国側の主張だと戦後補償になるので解決済みとなる。<br>
むしろ、戦後以降の韓国政府が原告にどういった補償をしていたかのが問題。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:540" target="_top" name=
"540">540</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[sage]投稿日:2005/10/25(火)18:47:37ID:2ccdKuV+0</dt>
<dd>当時の状況でモノを考えないとね。<br>
<br>
「今、安全とわかってるから(当時もそうだったはずで)だから国が悪い」<br>
という論調を取る人がいるけど、<br>
<br>
それならば、将来安全が確認されるかもしれないわけだから、<br>
どんどんプリオンを摂取し、遺伝子組み換え食品や抗生物質入りの<br>
中国食品を食べて、暮らしたらいい。</dd>
</dl>
<hr>
<dl>
<dt><b><a href="menu:550" target="_top" name=
"550">550</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)19:04:11ID:lwZnQcph0</dt>
<dd><a href="about:blank#545" target="_top">>>545</a><br>
牛・豚の糞尿を顔になすりつけて道端で寝起きする乞食生活をせず、<br>
ハンセン患者と風呂に入ろうなどと叫ばずに、ごくふつうに暮らして<br>
いれば、まず大丈夫だろう。<br>
<br>
<br>
「さて、この法律が施行された当時、ハンセン病患者は自らの意志にもとづいて<br>
自主的に療養所に入所していた。つまり希望者のみを隔離する考え方を採っていたことになる。<br>
しかし、当時の公立療養所の定員は全国で1,100人程度であったため、希望者全員を収容することは<br>
不可能になってしまう。そのため、政府は法律第11号第3条『癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス<br>
且救護者ナキモノハ行政官庁ニ於テ命令ノ定ムル所ニ従ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ<br>
但シ適当卜認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ』を持ち出して、<br>
扶養義務者がいる場合には彼らに患者の療養を任せ、実際に入所が認められたのは救護者のない<br>
浮浪患者のみであった。このことから、法律第11号は隔離をうたいながら、実際には救貧の性格が<br>
より強い法律であったと考えることもできる。」</dd>
</dl>
<hr>
<p><a href="about:blank#574" target=
"_top">>>574</a>名前:名無しさん@6周年投稿日:2005/10/25(火)
19:28:54ID:k6hR+HZ80<br>
まぁ、韓国側原告は台湾側原告と違って訴訟内容とまったく関係無い<br>
「無理矢理日本名を名乗らされた」<br>
「君が代を覚えさせられた」<br>
「キリスト教徒なのに神社に参拝させられた」<br>
とか言ってる時点で勝訴できる訳が無い。<br>
<br>
誤ったハンセン病治療の「補償」を求めた台湾側原告に対して<br>
韓国側原告は歴史問題を言及して「賠償」を求めるから...。<br>
つか、韓国政府は自国の高齢者に対する社会福祉問題の解決を<br>
「日本に対する戦後補償」にすり替えたのと同じで、戦後ずっと放置していた<br>
ハンセン病患者に対する補償も「日本の植民地支配が原因」ですり替えたいんだろ</p>
<hr>
<br>
<dl>
<dt><b><a href="menu:763" target="_top" name=
"763">763</a></b>名前:<font color=
"forestgreen"><b>名無しさん@6周年</b></font>[]投稿日:2005/10/25(火)
22:43:17 ID:9DQE41gB0</dt>
<dd>過去にこういうやり取りがあったようだが<br>
<br>
日本政府条約を結ぶにあたり、日本は旧朝鮮国に対して国として悪い事をしていませんので<br>
韓国政府に対して賠償金を渡す事は出来ませんが、損害を被った個人が居たら<br>
補償します。勿論、各,個人に対して補償金を直接渡します。」<br>
韓国政府「日本政府はそんな余計な事をしなくて良い。我々が個人に渡す。」<br>
日本政府「そうですか・・・・。それでは、韓国政府が個人に渡すようお願いします。ならば、こちらの<br>
お金は南の韓国の分の補償で、残りのお金は北の北朝鮮の分の補償で・・・・。」<br>
韓国政府「北朝鮮は国家ではない! 半島全部の補償金を寄こしなさい。北朝鮮に対しては、あとで<br>
韓国政府が払っておくから」<br>
日本政府「そんな・・・・。それでは、補償金が恐ろしく巨額になってしまいます」<br>
韓国政府「あなたはつべこべ言わずに、その補償金全部を早く寄こしなさい。」<br>
日本政府「分かりました。あなたの言う通り、戦前と戦後の半島に関する全ての補償金を、<br>
日本政府が唯一認める半島の合法政府である韓国政府に対して全額渡します。」<br>
韓国政府「それで良い。後の事は韓国政府に任せておきなさい。」</dd>
</dl>
<hr>
<p><br>
<br></p>
<dl>
<dd>
<p><br></p>
<p>Written by Spica</p>
</dd>
</dl>
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