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中国

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 中国



 1.中華人民共和国の略称。(国号の略称としての「中国」)


 2.中国大陸。(概念大陸としての「中国」。ただし、チベット・ウィグル等は除外されることが多い)


 3.中原・中華・中夏・中都・華夏に同じ。(特に古代・中世に於ける地域としての「中国」)




 一.中国大陸4000年の歴史 【夏→商(殷)→周→ry】

 一般的に「中国4000年の歴史」という場合には、おそらく2を指すと思われる。
 このキャッチフレーズは糸井重里氏によるもので、「中華三昧」のCMに使用された。
 現在では、紀元前1700年頃に建国された商(殷)王朝から数えるのが普通であるが、
 紀元前2200年頃に建国された夏王朝から数える学者もいる。

 どちらにしても、大体3700~4200年前後であり、四捨五入すれば4000年になるので、
 認識としてはほぼ正しいと言って問題はないと思われる。

 中華人民共和国では、いわゆる黄河文明(中国文明)を起源として、
 「5000年の歴史」として教えている。こういうものは考え方の違いなので、ある意味で正しいと言えるが、
 1949年10月1日に建国された中華人民共和国には、現在のところ56年の歴史しか無いので要注意。


 二.「支那」とは何か? 【周→秦→西漢→ry】

 略。


 三.どこからどこまでが「中国」なのか? 【西漢→新→東漢→三国(魏・蜀漢・呉)→ry】

 ここでは、2の「地域としての中国」に注目してみたい。
 大雑把には、洛陽を中心とする地域でほぼ間違いは無いが、しかし古代に編纂された歴史書を見ても、
 「どこからどこまでが中国である」という具体的な記述は意外と少ない。
 その中の一つ、『三国志』文帝紀の黄初二年(221)の条の注釈。
 文帝は魏の初代皇帝曹丕。曹丕の父親が曹操。ユニコード文字は[]でくくった。

 「魏略曰、改長安・[言焦]・許昌・[業β]・洛陽爲五都、立石表、西界宜陽、北循太行、東北界陽平、南循魯陽、東界[炎β]、
 爲中都之地」(三国志魏書第二文帝紀黄初二年条注引魏略)

 「『魏略』という書物には、こう書かれてある。
 長安・[言焦]・許昌・[業β]・洛陽を、魏の五大都市とした。そして、石の標識を立てて、西は宜陽まで、北は太行山脈まで、
 東北は陽平まで、南は魯陽まで、東は[炎β]まで、これを中都の地域とした」

 長安は西漢の帝都、[言焦]は曹一族の出身地、許昌は曹操の初期本拠地、[業β]は曹操の中期~後期本拠地、
 洛陽は東漢・魏の帝都。

 しかし、宜陽だの、太行山脈だの、陽平だの、魯陽だの、[炎β]だのと言われてもピンと来ないと思います。
 わかりやすく赤線でかこってみました。では、西暦221年初頭当時の「中国」の範囲は・・・


)


 以下、略。


 文責:組曲



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