「盟友(前編)」(2008/12/06 (土) 17:35:53) の最新版変更点
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*盟友(前編) ◆WslPJpzlnU
闇夜に映える白亜の色があった。
白とも灰ともつかない色、それに彩られるのは巨大な建造物だ。およそ四階建て、というのは等間隔に配置された窓の数で理解出来る。
そして一階中央部では正面玄関が開き、目前に拓ける広々とした空白と繋がっていた。均された土を剥き出しにする空間は庭と表現できる規模、その周囲は背高なフェンスが周回し、校門という一点を除いて内外を隔離する。
白亜の建造物。
平らな土の庭。
全てを囲う網。
学校。
正確には校舎と校庭と呼ぶべき施設が、それだった。加えてその学校は体育会系だったのか、フェンスの間際には巨大な照明塔が点在し、備わる照明機の群が校庭を鮮明にしている。
だからこそクロノ・ハラオウンは、ここは待合場所にうってつけだ、と考えていた。
正面玄関の目前にある僅かばかりの段差に、一人の少年は腰かけている。
幼げな容貌だった。黒い髪、黒い瞳、服もまた上下ともに黒く、闇夜に勝るとも劣らない黒尽くめの少年がそこにいる。極めつけに靴までもが黒く、それだけに衣服から伸びる両手と顔が余計に白く見えた。
腰かけた少年は尻を段上にして右脚を土の校庭に投げ出す姿勢、左脚は膝を立てて関節部に左腕を乗せている。左腕はやや後方へ倒れた上半身を支える為か、体躯の影に突き立っていた。
そして右手には拡声器が握られ、段に掌を突く左手は平たい黒い箱とやや大きな鏡の破片を下敷きにする。
「一応、保険はしておかないと、な」
薄い笑みは自嘲と呼べる種類のもの、苦々しげに呟いて、クロノは黒い箱を押し当てる左手の五指で握り込む。カードデッキ、ご丁寧にも同梱されていた説明書にそう紹介されていた物品の、その存在を確かめる。
と。
音を聞いた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッ!!』
唸り声と称するに値する、胸の奥が共振するような大音量だ。頭を反らしてクロノは校舎を見上げる。
天地を逆さまにしたような視界の中で、校舎の外壁に備わる羅列した窓硝子に、赤い影が投影されていた。それは向き合う何かを反映する訳でも、校舎内にいる何かが透けて見えている訳でもない。硝子の中にそれがいるのだ。
怪物が。
「カードデッキの、契約モンスターか」
曰く、12時間に一人の参加者を契約モンスターに食わせる。
曰く、モンスターを従わせたり変身したりすると猶予は減る。
曰く、捨てたり猶予を使い切ったりするととそれに襲われる。
曰く、鏡の類にかざすとモンスターを見る事や変身が出来る。
それらの規約に縛られた怪物。それ以上で所有者に従い、それ以下で所有者を襲う、現金ともいえる合理的な異形。殺し合いを円滑に進める為に支給されたのだろう、時限爆弾とも表現出来る種類の物品、カードデッキの傀儡がそれだった。
耳鳴りを伴う獣の咆哮が、クロノをせっついて連発される。四足を持つ長い胴は龍に似た形態、海蛇の様に窓硝子の中を遊泳し、のた打ち回る様に動いてその巨体を強調していた。
説明書を読み解いたクロノは、このモンスターという鏡に潜む怪物は人を喰らって生きているのだろう、と類推している。そして契約モンスターとはある一定までそれが制限された存在なのだろう、とも。
ならばこの場を動かず、座り続けるクロノに業を煮やすのも当然というものだ。
拡声器で呼び込みを行ったのは人を喰らわせる為と期待しているのかもな、とクロノは思う。しかし残念ながらそんな気は毛頭なく、クロノが右手で握る拡声器を使用したのは、協力してこの殺し合いを脱する為だ
殺し合うな。
助け合おう。
ここから出よう。
と、呼びかける。
それがプレシア・テスタロッサによるこの殺し合いにおいて、クロノが最初にとった行動だった。拡声器によって増幅した声は校舎の屋上から周辺に響き渡り、そこに人がいたのならきっと気づいてくれただろう、そう思う。
そして呼びかけを終えたクロノは屋上からこの正面玄関まで下り、自分の声に応じてくれた誰かが来る事を期待して、待ち続けている。そこに殺意も虚偽の意思もなく、ましてやモンスターに餌をくれてやるつもりなど毛頭ない。
それがクロノの意思だ。しかし同時に、もう一つの思いもクロノの脳裏には存在している。こちらが純粋に相手を慮った所で相手もそれに応えてくれるのは限らないぞ、そう囁く思考がある。
思いに思いが応えてくれる、と、信じる、には。
クロノはあまりに実務的な性格だった。
だからこそ最低限の自衛手段は用意しておく必要がある。カードデッキと共に左手で押さえる鏡の破片は、降りてくる途中にあったのを砕いて回収した物だ。万が一の時は、これとカードデッキを使って防衛に出る。
と。
思って。
「…………は」
不意に笑いがこぼれた。
不意に哂いがこぼれた。
たった今まで思っていた、カードデッキを戦いには使わないという意思と真逆だな、と。
自嘲が、深まる。
自分が思えば相手も思ってくれるとは限らない。
戦うつもりはなくても戦いは起こりうる。
ならそれも予想した準備も必要で。
そう思う程度にクロノは。
実務的な性格。
いやになる。
くらいに。
実務的。
だっ。
た。
。
「————————————————————————————————ロノ君」
「!」
まるで閉じた視界が突然拓けたような感覚を得て、クロノは弾けるように表を上げる。それと共に思うのは、どうやらいつの間にか気を沈めていたようだ、という自分への分析だ。
良くないな、とも、思う。
「一人でいるのは、良くないな」
と。
考え過ぎてしまって。
良くないな。
と。
何度目かの自嘲を浮かべて、しかしクロノは立ち上がった。拡声器とデイバックは段上に放置し、カードデッキは鏡の破片と共にポケットへ仕舞っておく。尖った部分がポケットを破り、足を刺さないようにしておくのにやや手間取った。
ともかく、クロノは出迎える事にした。沈むかけていた自分の意識を引き上げてくれた、自分の名を呼んでくれただろう声の主を。
そしてクロノが見る先、正門の向こうから照明に照らされた校庭へ二つの人影が入ってくる。良きにしろ悪きにしろ自分の呼びかけに応えてくれた者達だろう。そして、わざわざ校庭に入る前からこちらの名を呼んだという事は、戦意の無い人間なのだろう、と判断した。
ほ、と。
内心のどこかで緊張が緩むのをクロノは感じる。それがどんな種類の問題であれ、殺し合いに乗った人間と対面するのは好ましい物でない。命の危機という以上に、そんな者が居るのか、と絶望しそうになってしまう。
だから久々に、クロノの顔に自嘲以外の笑みが浮かんできて、
「……………………………」
固まった。
入ってきた、二人を見て。
「おぉい」
そう言って手を振りつつやってくるのは、一人と、一匹。
青年と称せるだけの歳格好をした男と、黄色い体をした二足歩行の恐竜。
「………………………………………………………………………………………………」
はてな、とか。
思う。
恐竜って二本足で立つものだっけか、とか。
なんで恐竜がこの場所にいるんだろう、とか。
ていうかあの恐竜めちゃくちゃ小さいな、とか。
思って。
いる間に青年と恐竜の二人組はクロノは駆け出し、クロノの目前までやってきた。そして青年は満面の笑顔を浮かべつつこちらの右手を握って、ぶんぶんぶん。
「良かった、クロノ君無事だったんだね!?」
「……へ?」
「でも流石クロノ君だね、こんな状況で周囲に呼びかけるなんて……普通は出来ないよ!」
笑顔。
称賛。
まぁ、嬉しい。
嬉しいよ。
嬉しいけど、さ。
「……誰ですか、貴方は」
ずいぶん親しげですけど、僕は貴方を知りませんよ?
●
「確認しましょう」
クロノの一言に、ヒビノ・ミライはアグモンと共に頷いた。
正面玄関の目前、クロノが待っていたその場所でミライもまた腰を下ろす。恐らくは彼のであろうデイバックや拡声器の傍にクロノは腰を落とし、自分とアグモンは校庭の剥き出しな地面に尻を落とす。そうして完成するのは、三人の男が顔を突き合わせる三角陣だった。
黒い髪と服の少年、クロノ・ハラオウン。
黄色い体をした人型の恐竜、アグモン。
ミライは両者の姿を改めて見つめ、特にクロノの姿に注目する。幼い姿に不釣り合いな渋面は、自分が知るクロノ・ハラオウンと数分違わぬものだ。しかし彼は言った。自分はミライをを知らない、と。
どういう事だろう、とミライは思う。信じがたい告白だったがそこに嘘があるようには見えなかったし、つく必要があるようにも思えなかった。もし彼が自分を騙そうというのなら、そういう告白そのものをする必要が無い。
今のところ、このクロノと思しき少年は自分達に対して何か嘘をつくような行動をとっていない。騙す人間はそれを感じさせない、と言われればそれまでだが、このクロノは自分が知るクロノと同じ、堅実な人格を感じていた。
やや半信半疑、その心持でミライはクロノと向き合う。
「ではまず、名前から」
クロノは話題を切り出した。
「僕の名前はクロノ・ハラオウンです」
「僕はヒビノ・ミライだよ」
「オイラ、アグモン」
質問は続く。
「所属はどこですか? 僕は時空管理局」
「宇宙警備隊から派遣されたGUYS隊員で……今は時空管理局一時預かり、かな?」
「所属って何? 誰と一緒かっていうのなら、姉御とかエリオとかと一緒だったけど」
「この場における目的は何ですか? 僕はこの戦いを止め、主催者ととある人物を逮捕する事です」
「僕も、殺し合いを止めるつもりだよ」
「オイラもオイラも! でもその前に姉御達と合流しないと」
「…………種族は何ですか? 僕は人間です」
「僕は……ウルトラマンだ」
「オイラ、デジモン」
三度の質問が、一巡したところで、クロノの肩が落ちた。眉間を揉む彼の様子は疲労を感じさせ、幼い彼からはまるで残業帰りの中年を思わせる雰囲気が醸し出される。それから、は、とため息をついて、
「……ウルトラマンとデジモンって何ですか」
「それを訊かれると、僕は君がクロノ君かどうか疑わなきゃいけないんだけど……」
返したミライの言葉に、クロノが訝しげな表情を作った。どういう事だ、という疑問が僅かに細められた両目から放たれ、背中に浅く汗をかきつつミライは答える。
「僕が時空管理局に保護されてる身だ、って言ったよね? その時に僕はウルトラマンについて説明したんだよ。君や、リンディさんやなのはちゃん達にも」
告げた瞬間、クロノは驚いたように目を丸くした。それから口元を手で覆い隠し、目まぐるしい速度に思考しているのか、両の目を小刻みに左右へと往復させる。それが推理なのか、嘘をつく為の辻褄合わせを考えているのか、それはミライには解らない。
やがて考えがまとまったのか、クロノは口元から手を離してミライの顔を見据えた。そして告げられる答えは、
「すみませんが、やはり僕はヒビノさんを知りませんし、説明も受けていません」
完全な、関係の、否定。
このクロノはミライが知っているクロノではない、という事実。
来るのか、という危機感がミライを浅く構えさせた。もし偽者だとしたら、クロノのふりをやめて襲いかかってくるのか、という思考にミライは拳を握る。もし来るならそれをもって殴りつける、つもりで、
「——ですがリンディは僕の母ですし、なのはは僕の仲間です」
続いた言葉に、五指が解けた。そこまで言って、話す内容がいまいち理解できていなかった様子のアグモンが、え、と疑問の声を上げて身を乗り出した。
「どゆ事? どゆ事になってんの?」
しかし、特に事態が把握出来ているという訳でもない様子だった。むしろ、理解不能な話題が積り過ぎて我慢できなくなった、というのが事実なのだろう。
困惑したアグモンの挙動と、恐らくは訝しげな表情を浮かべているだろう自分の顔。その両方を見て、クロノは重々しく頷く。
それからミライの顔を、視線と指先でもって指示した。
「僕は貴方を知らず、貴方が知る僕は僕ではない。しかし両者には共通の知り合いがいる。……それも、彼女等と知り合いなら僕等が出会わない筈がない、そんな知り合いが」
となれば、と。
クロノは言う。
推測は三つ立ちます、と。
更に続けて言った。
「一つ目は、僕達が互いに嘘を付いている可能性。ですがこれは相手の素性を知っている必要があり、こうして齟齬が生じた時点で効果は余りありません」
そもそも僕は嘘を付いていませんし、とクロノは追伸。
それは僕もだよ、という言葉をミライは返答しておく。
「二つ目は、僕達の記憶が改変されている可能性。これには同士討ちをさせるという目的が推測出来ますが……それにしては改変があまりに中途半端です」
それなら知り合いという記憶自体消すでしょうし、と補足。
「なので僕が推すのは、三つ目の可能性です」
それが何を言わんとしているのか、ここまで丁寧に説明されればミライも理解する事は出来た。
「僕達はそれぞれ、よく似た人間の居る別世界から来た、って事?」
「その通りです」
クロノは。
首肯した。
「パラレルワールド……並行世界、と呼ぶんでしょうね、そういうのは。てっきりSF小説の中だけと思っていたんですが」
「幾つもの次元世界がある、って事はクロノ君が一番知ってるんじゃないかい? だったら、そういう世界があっても可笑しくないよ」
まあ、そうですけどね。
と、クロノは渋々応じた。
「勿論、この理屈は推測の域を出ません。理論に穴もありますし、推測出来ていない狙いがあるのかもしれません」
ですが。
それでも。
「——僕は三番目の可能性が、一番あり得ると思います」
クロノがそう断言して、ミライは腕を組んで押し黙る事となった。腕に覆われた胸の奥にある思いは、理解と納得と困惑と、それが事実なら一筋縄ではいかないだろうな、という予想だ。
ミライは思う。この最大の問題は、結果的には三つある可能性のどれであっても大差はないという事だ、と。偽者だろうが記憶の改変だろうが並行世界の別人だろうが、突き詰めればどれも別人と同等でしかない。
そういう意味では、三番目の可能性を選んだのは僅かばかりの希望を望んだからかもしれない。出会う知人が偽者でも改変されたのでもなく、せめて似ているだけの別人であって欲しい、と。
まだ協力の余地がある存在である、と、そう信じたかったのかもしれない。この少年は。
だからミライも、
「そうだね」
と、クロノの主張に頷いておく。
それが一番楽観的だと。
それが一番希望が持てる、と。
そう信じたのは、ひょっとしたら偽物かもしれない少年に言いくるめられたのではなく。
自分の知るクロノと根本を同じくするが故の、その人徳に似た説得力によるのだと信じつつ。
「さて」
と、ミライは合の手を入れることにした。場の空気を変える為に殊更明るい口調と表情を作って、勢いよく立ちあがって両の手を広げる。
「そうなれば、もう決まったようなものだね!」
「……そうですね。というか、考えてみればそれ以外にやる事もありませんけど」
ミライの意思を悟ったのか、クロノもまた固かった口調を崩し、薄い笑みを浮かべてミライに恭順した。そんな二人の様子にアグモンは小首をかしげて、
「え、何? 何が決まったの!?」
理解できていないのは自分だけだ、という事実に慌てたのか、アグモンは頭と手足をばたつかせて二人に答えを求める。その様子が幼子の様に見えて、ミライは思わず笑みを零す。
「僕達がこれからやっていくべき事、だよ」
ミライの答えにをクロノが引き継ぐ。
「今の理屈が確かなら、この場にいる人は皆プレシアがさらってきた人達、という事になる。仮にそうじゃなかったとしても、みすみす死なせる訳にいかない。……それが、善人でも悪人でもね」
「だからやる事は、最初と同じ。——この場所を巡って、巻き込まれた人達を助けて、誰かを傷つける奴を捕まえるって事だよ」
単純明快な結論だった。そう説明されてアグモンも理解したのか、おー、と感心したような声をあげて立ちあがった。意欲に満ちた顔でアグモンはクロノへと詰め寄り、
「よーするに、探して、訊いて、良い奴なら助けて悪い奴ならやっつけるんだな!?」
「……まぁそうだね」
詰め寄られたクロノは、切迫した恐竜の頭部に冷や汗を流して応答。それを聞いたアグモンはクロノから離れ、元気よく足踏みして両腕を振り回す。
「よぉし! ガン、バル、ゾ————————ッ!!」
がお、とか。
やる気のままに猛ったアグモンの遠吠えが、校舎の窓硝子を震わせた。その響きは確かに恐竜のものなのだなぁ、とミライは今さらながらに思い、アグモンの姿に妙な納得を得た。
「……まぁ、納得してくれたのは良いんですけど」
と、吼え猛るアグモンを余所にクロノがミライへと声を飛ばしてきた。やや半眼の目つきは、こちらの間抜けたところを見るような視線で、
「つまり僕が、ウルトラマンとかデジモンとか解らないって、解ってもらえました?」
「あ」
そうでした。
そうでしたね、と。
今更ながらにミライは思い至った。目の前にいるこのクロノが自分の知るクロノではないのなら、確かにウルトラマンについての説明はしていない事になる。
「ごめん、そうだね、説明しないといけないよねっ」
うっかりしちゃった、と思う。
てへ、とは思わなかったけど。
だからミライは、ウルトラマンについて説明しようと口を開き、
「ぶぇべ」
聞こえたのは、奇怪な音だった。
「……ミライさん?」
「ち、違うよ!? 僕じゃないよ!?」
白い目で見てくるクロノにミライは慌てて否定、両手を何度も振って自らの無実を懸命に表現する。事実、ミライは口を開いて発音する、それよりも前にあの奇怪な音がした。
では誰か、というのは考えるまでもなく理解でした。自分でもなくクロノでもないなら、残るのはアグモンだけだ。そしてそのアグモンは、
「…………ッ」
鼻先を大きな両手で押さえ、苦々しげな目つきで正門を睨みつけていた。変わる筈もないのに顔色が悪くなっているように思えたのは、それだけの不快感をアグモンが漂わせているからか。
「ど、どうしたんだい、アグモン君?」
「すげぇ厭な匂いがする」
ミライの問いに、アグモンは鼻を押さえて籠った声で返答する。
「最初は、オイラと同じデジモンの匂いがすると思ったんだよ。それが段々近づいてきて……でも、そしたらそいつの匂いは普通じゃなかった」
普通じゃない。
異常という事。
その言葉に、クロノの表情は鋭利になる。
「それはどういう事だ? 厭な匂いというのは」
「厭な匂いは厭な匂いだよ! でも、なんつぅか、そう……」
言い淀んで。
言葉を選ぶ。
一番適切な。
表現できる。
その言葉は。
「——腐ったような、匂いだよ」
「「……ッ!!」」
その言葉に、ミライとクロノは飛びつくように視線を正門へと向けた。そしてミライは、恐らくはクロノもまた、見定めた。ミライ達がそうしたように、暗闇の中から校庭に入ってくる影を見定めた。
赤い服の小さな少女と、彼女に担がれた獣を、見定めた。
ずるずる、と、入って、来る、その、様を。
ミライはその少女に見覚えがあった。
「確か、ヴィータっていう」
赤いドレス調の服にウサギのぬいぐるみが縫い付けられた大きな帽子、その下からは茜色の三つ編みが二本伸ばした、小さな女の子。その姿は、かつてなのはを襲撃した騎士を名乗る一団の一人だった筈だ。
よく見れば、彼女の左肩には服を引き裂くほどの大きな裂傷がある。そんな状態で自分と同等以上の体躯を持つ獣を引きずってこの場所まで来たのか、そんな驚嘆とも驚きともつかない感情が湧き、そしてそれらは疑問と心配へと変化した。
「あ、あれ、デジモン、だよ?」
少女が引きずる獣を凝視してアグモンは言う。目を凝らして見れば、確かにその獣はアグモンと似通った形態で、恐竜のような姿をしていた。赤い表皮には黒い縞模様があり、大きな腕には鋭く長い爪がある。
「ひょっとして……あれが匂いの元? こんな匂いさせてるんじゃ、あのデジモン」
死んでるんじゃ。
と、アグモンが言った瞬間。
クロノが、駆けだした。
「クロノ君!!」
一瞬の間に起立し、駆けだした小さな体。過ぎ去り様にその横顔を見て、ミライは制止を含む言葉を放った。
その。
怒りとも嘆きとも。
つかない、表情を見て。
「いけない……!」
その思いがミライを追走させる。立ち上がりと振りむきは同時、遠心力を利用して投げ出した脚を支えにして強い一歩を踏み出す。全力疾走は、それから始まった。
そうさせるに足るのは、見取ったクロノの表情だ。それが何を意味しているのかはわからない、しかしそれを果たさせてはいけないと強く思う、直感がミライの胸中で躍動する。
だから、ミライはクロノを追って走り出す。
「ま、待てよぅ!」
背後でアグモンの呼び声が聞こえるが、今はそれを聞いている場合ではない。早くクロノを止めなければ、その思考が疾走の専念を行わせっていた。
急がなければ、そう思う。
こうしている間に、クロノはヴィータに到達してしまったのだから。
「その死体は何だ、ヴィータ!」
クロノも彼女の名を知っていたのか、そう思うが、しかし現状それは良い意味を持たない。ミライの知る数少ないヴィータの人となりは、気が強くて好戦的、というものだ。ならばあのような詰問では逆効果になるのは目に見えている。
あのクロノはそれを知らないのか。
若しくは、それに気付けない程興奮しているのか。
あのデジモンの死体が、クロノをそうさせたのか。
彼女が、あのデジモンを殺したかもしれない、という疑惑が。
「テメェに何が解るんだよ! 話して何になるんだよ!」
「話さなければわからないだろう、答えろ!!」
「信じんのかよ、お前がよぉ! 今私を疑ってるお前が、私を信じんのかよ!?」
「信じてほしければ行動で示せ! 僕だって信じたい!!」
「嘘つけ! ギルモン殺したのを私のせいにして捕まえる気なんだろ、そうなんだろ!!」
いけない、いけない、いけない。
三回思って、いけない、と四度目も思う。そんな調子では、互いの状況や心情を理解できる筈がない。激情にも似たその言葉が、ミライの胸に強く響く。
落ち着け。
そう言ってやりたい。
だから間に合ってくれ。
それを、告げられるまで。
「——だったらテメェも、テメェが疑ってる通りにしてやるよっ!!」
駄目だった。
ギルモンなる死体を下ろし、ヴィータはその下に担いでいたデイバックへと腕を込め、直後に鋭く抜き放つ。その五指が握るのは、明らかにデイバックよりも長い棒状の物体。
それが、柄であると、解ったのは。
その先端に、大きな刃があったから。
槍。
「危ない!!」
振り抜かれた刃、それがクロノに至ろうとする。だからミライは、それに割り込むべく跳躍した。強く地面を踏み抜き、体躯を押し上げて鋭く前方へと跳ぶ。その進路上にあるのは、クロノの小さな胴だ。
「うぁ…っ!」
両腕を広げた状態でミライは肩から衝突、クロノの脇腹が肩と密着し、その瞬間にミライは両腕を閉じて胴体そのものを抱き込んだ。直後には圧倒的体重差でクロノが押し倒される。ミライはそれさえも利用して共々に横転、勢いを利用して転がっていった。
横転による姿勢の低下と隔離、それによってミライはクロノをヴィータの一撃から助け出す事に成功した。そして横転が二桁に達するかという頃には勢いが弱まり、ミライはぶつけた体の節々に痛みを得つつ、抱き込んだクロノを解放した。
「大丈夫かい?」
身を起したミライはクロノに問いかける。クロノも膝をついた姿勢で起きていたが、しかしその表情には悔恨の色が濃く浮き出ていた。
「……すみません」
自分に痛みを得させてた事ではないだろう、とミライは理解している。ヴィータに怒気を持って詰め寄った事、を言っているのだろう、と。
ミライは思う。クロノはヴィータを信じていたのだろうか、と。このクロノがいた世界で彼はヴィータと仲間だったのか、それとも、誰かを殺すような事はしないと思っていたのか、と。
「とりあえず、それはいいから」
しかし今は、その懺悔を受け止めてやる暇はない。ミライが見る先、駆け寄ってくるアグモンとの間に、彼女は立っている。
長大な槍を持つ彼女は、怒りでも嘆きでも無い、激情による涙を流しながら、こちらを見返している。
●
時間は、ヴィータが校庭に入る前まで遡る。
街灯一つ点いていない深夜の街道を、ヴィータは月明かりだけを頼りに独り歩いていた。かつては、一人と数えても良かっただろう者を、担いで。
ギルモン。そう名乗った、デジモンなる獣。
ほんの一時だったが、とヴィータは思う。ほんの一時だったが、確かにこいつとは仲間だったのだ、と。体と対比して明らかに重い体は、種族の違いによるものではないだろう。否、それもあるだろうが、決定的な理由はもっと別のところにある。
重量の理由は、彼が死んでいるからだ。
「ん」
ず、と表現できる感覚にヴィータは声を漏らした。重量のままにギルモンの遺体がずり落ち、掴み上げて担ぎ直す事によりそれを阻止する。その荷物を担ぎ運ぶ動作に、ギルモンはもう生きていないのだ、と改めて実感させられる。
厭だな、と思う。
死んだという事が。
死んだと思う事が。
死んだ、から。
厭だな。
「や、だよな」
満ちた感情のままに言葉が作られ、意識とは関係なく唇がそれを紡いだ。だがそうする間も足を止めることはない。肩に感じる遺体の重みと、担ぎきれずに引きずってしまう尻尾の音を聞きつつ、両脚は交替で前に出る。
脚を止めて、目指す場所にたどり着くは、絶対に無いのだから。
目指す場所。
学校。
彼が呼んだ場所。
クロノ・ハラオウン、が。
「あいつ、なら」
それは甘えだ、とヴィータは仄かに思う。彼は仲間でも同胞でもなく、自分達を捕えるべく奔走する敵なのだから。だから本来は会いに行くべきではない、相手なのだ。
しかし、少なくともあの男は自分を殺しにはかかるまい、という理解がある。逮捕はしようとしても、裁定にかけることなく私意のみで相手を殺す事はしないだろう、という理解が。
だからヴィータは、クロノ・ハラオウンが居るであろうその場所を目指して歩く。最早なりふりを構っている場合ではない、と判断したからだ。
「ひょっとしたら、はやてが死んじまうかもしれない」
八神はやて。
大事な主で、家族。
ギルモンを殺した偽者とは違う。
大事な大事な、自分の家族。
そのはやてがこの場所に、数十人の人間が殺し合うこの場所に呼び出されている。ヴィータの同胞、ヴォルケンリッターと呼ばれる三人と共に。
「あいつらは大丈夫だ」
シグナムとザフィーラはそれぞれ戦闘や防衛に特化した騎士だ。後衛のシャマルにしたって、一筋縄で殺されるような騎士ではない。だから彼女達の心配は、とりあえずしない。
だからその分の心配は、一番大事なのに一番戦う力の無い、八神はやてに向けられる。
戦うどころか歩く事もままならない、弱くて弱くて、その癖優しい少女。
彼女が、死ぬとしたら。
「————厭に決まってんだろ!」
背筋に走る怖気のままにヴィータは叫ぶ。それだけは認められない未来だ、と。だからこそヴィータは、その未来を回避する為にクロノと会う事にした。
首を垂れる事に、した。
お願いします。
助けて下さい。
何でもしますから。
捕まりますから。
どうか。
どうか。
どうか一緒に、はやてを探して下さい。
そう嘆願する為に、ヴィータはクロノと会う事にした。
悲嘆の思いと、ギルモンの遺体を担ぐ強行軍が、どれほど続いただろうか。十分程度かもしれないし、あるいは数時間だったかもしれない。明かりも無く両手も塞がった状態の、疲労に呑まれたヴィータに時間を解する余裕はない。
だからこそ目前に広々とした校舎と校庭が見えた時は、幾許かの嬉しさが滲み出た。しかし、正念場はこれからだ、という思考が緩みかけた頬を強張らせる。
自分達を捕える側の人間、時空管理局のクロノ・ハラオウンとの遭遇はこれからなのだから。
目的地が見えた為だろうか、心持ち軽くなった足で地を踏み、ヴィータは正門を通過する。踏み場がアスファルトから均された土へと変わり、闇夜の黒は照明塔の光によって払拭された。
そうして開けた視界が、校舎の正面玄関前で座り込む一団を捉えた。
一人の少年と、一人の青年と、一匹の恐竜だ。青年は見た事もない男だったが、、恐竜はギルモンと似通った風貌に思えた。
そして少年は、クロノ・ハラオウンだった。
「……クロノ、ハラオウン」
改めてその名を口にして、何か固い物を飲み込んだ様な気がした。こちらと同様に、向こうもまたヴィータの存在に気づいているようだ。三対の目が自分の身体に集中するのをヴィータは感じる。
青年と恐竜が向けてくる視線は驚き、しかしクロノが送ってくるものは、
「……え?」
怒り、あるいは失望、そうした感情だった。叱咤するような、泣くような目付きでこちらを見据え、直後には立ちあがって鋭く走り出した。
自分よりも多少長いだけの脚は、しかしそうとは思えない程の速度で接近してくる。続いて青年や恐竜も立ち上がったが、彼らがヴィータとの距離を半分まで詰める頃には、クロノはもうヴィータへ辿り着いていた。
そして切迫したクロノが、叫んだ。
「——その死体は何だ、ヴィータ!」
眼球が痺れるかのような、それ程の距離と威圧だった。その威力に感情の強さを感じ、その声色に込められた感情を理解する。
自分を疑っているのだ、という意思が。
担いだ、ギルモンの死体。
ギルモンをそうしたのはお前ではないか、という、疑い。
お前はその恐竜を殺したのか、と。
殺したのか。
殺したのか。
殺したのか?
んな訳ねぇだろ。
「……テメェに何が解るんだよ!」
直後か、間が空いてか、それを感じる事も無くヴィータは叫ぶ。感情のままに、それまでの思惑も何も無く、ただ思いの赴くままに、叫びをクロノへと突き刺す。
お前に理解できるのか。
はやてみたいな奴に。
はやての偽者なんかに。
仲間を殺された感情が。
その過去を、話させようというのか。
「話して何になるんだよ!」
「話さなければわからないだろう、答えろ!!」
ざけんな。
「信じんのかよ、お前がよぉ! 今こうして疑ってるお前が、私を信じんのかよ!?」
「信じてほしければ行動で示せ! 僕だって信じたい!!」
ざけんな、と思う。
「嘘つけ! ギルモン殺したのを私のせいにして捕まえる気なんだろ、そうなんだろ!!」
ざけんな、その言葉が胸中で連呼される。
もしかしたらそれは、絶望という感情の一つの形だったのかもしれない。相応の覚悟を決めて、しかしそれが故に、覚悟とは別方向からの揺さぶりに、意思が折れてしまった。
耐えようという意思が、折れてしまった。
「——だったらテメェも、テメェが疑ってる通りにしてやるよっ!!」
それもまた、戦闘と、その後からずっと続いた疲労からなる短絡的な挙動だった、と言えるのだろう。
ギルモンの遺体を下ろし、その腹と自分の背の間に挟まっていたデイバックへと腕を突っ込む。そして、どういう理屈かは知らないが明らかに許容量を超過する筈のそれを、ヴィータは掌握する。
細長くて固い、棒状のもの。しかしヴィータは、それが棒ではなく、武器の柄である事を知っている。
槍型のデバイス、であろうという事を。
「らぁっ!!」
叫びと共に、居合抜きの要領でヴィータは槍を抜き放つ。抑圧された反回転は加速を果たし、増強した攻撃力でクロノを狙う。当然、先端に備わる刃でその体躯を切り裂く事を目的として。
だがその一撃は、追いついた青年の割り込みによって失敗した。
「……危ない!!」
体当たり同然の勢いで青年はクロノへと跳びつき、肩と両腕によって彼の胴を抱き込んで押し倒し、転がっていく。当然体長は圧倒的に低くなり、槍の振り抜きをくぐる形で二人は回避した。
ち、と短く舌を打ち、ヴィータは振り抜きによって乱れた体勢を整える。体躯と比較してあまりに長い槍は、止めるのではなく一回転する事によって減速させた。穂先は残像によってヴィータの周りに一瞬銀色の輪を作る。
背後から黄色い恐竜がやってくるのを感じつつ、ヴィータは起き上がって来たクロノと青年を見据えた。
ふと、目尻から頬に何かが伝う感覚を得た。しかし、何だろうか、と思う必要はない。戦中において、それは全く関係のない事だから。
自分が、泣いている事など。
自分の思いが。
泣いている事、など。
「ぶっ殺してやる—————!!」
疑われた驚愕と哀しみは、混乱と殺意へと移行していた。激情を瞬発力に変え、ヴィータの細い足が地を蹴る。脚力の乗った両脚は跳躍するような歩幅で駆け、クロノへと迫る。
よくも自分を責めたな、という思いから、上段よりの振り下ろしがクロノの脳天を狙う。
「スティンガーブレイド!」
対してクロノは苦々しい表情を浮かべ、魔法による防衛を行った。掌に生じたのは短剣型の青白い光、かつて彼が自分やザフィーラを強襲した際に降らした短刀群と、同形のものだった。
本来は射出に用いるだろうそれを一対両手に握り、刀身を交差するようにして飛来する槍の一撃を受け止める。
「馬鹿が!!」
白兵戦で魔導師が騎士に勝てるものかと、そう断言する自負が自分にはある。短刀を模しただけの魔力塊など、遠心力と威力強化に用いた自分の魔力によって即座に粉砕出来る。
しかしその自負は、予期せぬ形で裏切られた。防衛を目的とした短剣の交差点、それが受け止めたのは穂先ではなく、その基部にあたる柄のだったのだ。平たい穂先とは異なり、柄は円柱形だ。それはつまり、滑りを遮るものが無いという事。
「……!」
槍の下へと潜り込んだクロノはそのまま駆け出し、ヴィータの懐を目指す。つられて短刀も受け止めた槍の柄を滑り、接触する交差点から僅かな火花と雑音を散らして長い円柱を滑って行く。
その先にあるのは、柄を握るヴィータの小さな両手だ。
「この……っ」
離さざるを得なかった。
小さな手に相応の細やかな十指が、無骨な槍の柄を手放す。だが、ただ相手の対策に乗せられるようでは騎士は名乗れない。思うか思わないかの刹那で、ヴィータは次の攻撃へ移行する。
まず相手の攻撃が走る槍は、切っ先を中心にして石突が外縁を回るように手放す。次に、クロノ以上に小柄な身体を小さく屈めた。身体が左右が広がらない事を求めた姿勢は、まるで飛びかかる寸前の猫のような姿勢となった。
その体高は、クロノの足の丈よりも低い。それを利用してヴィータはクロノが片足を持ち上げた瞬間、その足裏と地面の間に全身を捩じり込ませる。
「な」
曲芸めいたヴィータの行動に今度はクロノが驚愕し、それを聞く事も無く、ヴィータは踏みつけられる事無くクロノの背後へ飛び出す。そして、そこへクロノを飛び越えて飛来する影があった。
手放した槍だ。
回転する槍の長さは、着地までに一回転するにはあまりにも長い。石突は反周すると共に地面と衝突し、その回転を終えた。
だがそれこそが、ヴィータの狙いだ。周回を止められた槍は、丁度石突が地面に設置して切っ先を斜め四十五度に伸ばした状態。それはヴィータの目前で柄を晒すにも等しい状態だ。
即座の姿勢制御を行って、ヴィータは再来した槍の柄をその手で再度掌握した。左手で穂先の根元、右手で柄の中ほどを掴み、柄は右脇に通して両足は強く踏ん張る。
槍という武器を最も活かせる攻撃、突きの姿勢だ。
狙うは、晒されたクロノの背中。
「らああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
喉を張った雄叫びに槍が突き出される。その穂先によってクロノの背骨を、脊髄を、胃袋を、肉を、皮を、衣服を、突き破るために。
だが、
「クロノ! 頭を下げて!!」
第三者の声が戦地に生じた。クロノとも青年ともつかない、やや稚拙な印象を受ける男の声だ。そしてその声の主は、今のヴィータに見つけることは出来ない。
当然だ。
声の主は、クロノの向こう側にいるのだから。
唐突なその声に従うクロノは駆けたていた足を故意に踏み外し、転倒を利用した伏臥を果たす。伏せられたクロノの体躯にヴィータの視界が拓け、二本足で立つ小さな恐竜を捉えた。
立ち並ぶ牙から火の粉を漏らす、小さな恐竜。その様子にヴィータは見覚えがあった。生前、共闘したギルモンもまたあれと同様の能力を見せていたからだ。ならば次の展開も、それと同様か。
「ベビーフレイム!!」
叫んだ恐竜の大口から、炎の塊が吐き出される。間近では太陽の様にも思えるそれは、クロノを貫く筈だった穂先と激突した。
「ん、ぐ」
経験したとおり、炎の威力自体はギルモンのそれと似たようなものだった。しかしあの時とは状況が違う。
正面から貫かれた炎の塊は威力のままに四散し、多量の火の粉となる。それが飛び散る方向は衝撃を受けた方向、ヴィータへと降り注いだ。細分化した炎は威力のある煙幕となり、ヴィータの皮膚を浅く焼き、視界を封じた。
顔や肩を焼く熱源と熱風に思わずヴィータは目を細め、手放した左手で顔を覆う。
それが、隙だった。
「ヴィータ……ちゃん!」
若干言い淀みのある叫び、それは先ほど短く叫ばれた青年の声だった。それがヴィータの、すぐ耳元で生じる。
接近、と感づく頃には体が動いていた。初動は制動するべく両足を力ませる事、続いて右手を伸ばしつつ上半身を音のした側へと旋回させる。
熱さに顰め、右手で覆った顔は視覚と嗅覚を封じられていた。しかし、それはこの場において全く関係ない。右手で握る槍が声の主に命中した事、それを知るのに関係ない。
「ミライさん!!」
やや間を開けてクロノが叫ぶのを聞き、それが槍を受けた青年の名だろうか、とヴィータは思う。やがて顔に感じていた熱と痛みが引き、顔を覆っていた右手を離す。
そして確認する。
槍を受けた青年が、どうしているのかを。
死んでいるのか、どうなのか。
目にしたのは。
「——死んでない!」
青年は、生きている。
「お……!」
青年、おそらくミライという名前なのだろう、その青年は生きていた。右脇で振り抜かれた槍を受け、刀身で背を僅かに切りつけ、しかし、生きている。
そして、右腕が脇との間に槍を挟んだ。
「しまっ……!」
捉えられた、と思う頃にはもう遅い。
「クロノ君!」
「バインドォッ!!」
ミライとクロノの叫びはほぼ同時であり、またクロノが屈んだ姿勢で両手で地を突いたのも、また然りだった。突かれた掌と地面の間に挟まる短剣が輪郭を滲ませ、単なる魔力と化す。一時的に霧散したそれは、しかし形を変えてヴィータの足下に集結する。
魔方陣、そして拘束魔法という形で。
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*盟友(前編) ◆WslPJpzlnU
闇夜に映える白亜の色があった。
白とも灰ともつかない色、それに彩られるのは巨大な建造物だ。およそ四階建て、というのは等間隔に配置された窓の数で理解出来る。
そして一階中央部では正面玄関が開き、目前に拓ける広々とした空白と繋がっていた。均された土を剥き出しにする空間は庭と表現できる規模、その周囲は背高なフェンスが周回し、校門という一点を除いて内外を隔離する。
白亜の建造物。
平らな土の庭。
全てを囲う網。
学校。
正確には校舎と校庭と呼ぶべき施設が、それだった。加えてその学校は体育会系だったのか、フェンスの間際には巨大な照明塔が点在し、備わる照明機の群が校庭を鮮明にしている。
だからこそクロノ・ハラオウンは、ここは待合場所にうってつけだ、と考えていた。
正面玄関の目前にある僅かばかりの段差に、一人の少年は腰かけている。
幼げな容貌だった。黒い髪、黒い瞳、服もまた上下ともに黒く、闇夜に勝るとも劣らない黒尽くめの少年がそこにいる。極めつけに靴までもが黒く、それだけに衣服から伸びる両手と顔が余計に白く見えた。
腰かけた少年は尻を段上にして右脚を土の校庭に投げ出す姿勢、左脚は膝を立てて関節部に左腕を乗せている。左腕はやや後方へ倒れた上半身を支える為か、体躯の影に突き立っていた。
そして右手には拡声器が握られ、段に掌を突く左手は平たい黒い箱とやや大きな鏡の破片を下敷きにする。
「一応、保険はしておかないと、な」
薄い笑みは自嘲と呼べる種類のもの、苦々しげに呟いて、クロノは黒い箱を押し当てる左手の五指で握り込む。カードデッキ、ご丁寧にも同梱されていた説明書にそう紹介されていた物品の、その存在を確かめる。
と。
音を聞いた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッ!!』
唸り声と称するに値する、胸の奥が共振するような大音量だ。頭を反らしてクロノは校舎を見上げる。
天地を逆さまにしたような視界の中で、校舎の外壁に備わる羅列した窓硝子に、赤い影が投影されていた。それは向き合う何かを反映する訳でも、校舎内にいる何かが透けて見えている訳でもない。硝子の中にそれがいるのだ。
怪物が。
「カードデッキの、契約モンスターか」
曰く、12時間に一人の参加者を契約モンスターに食わせる。
曰く、モンスターを従わせたり変身したりすると猶予は減る。
曰く、捨てたり猶予を使い切ったりするととそれに襲われる。
曰く、鏡の類にかざすとモンスターを見る事や変身が出来る。
それらの規約に縛られた怪物。それ以上で所有者に従い、それ以下で所有者を襲う、現金ともいえる合理的な異形。殺し合いを円滑に進める為に支給されたのだろう、時限爆弾とも表現出来る種類の物品、カードデッキの傀儡がそれだった。
耳鳴りを伴う獣の咆哮が、クロノをせっついて連発される。四足を持つ長い胴は龍に似た形態、海蛇の様に窓硝子の中を遊泳し、のた打ち回る様に動いてその巨体を強調していた。
説明書を読み解いたクロノは、このモンスターという鏡に潜む怪物は人を喰らって生きているのだろう、と類推している。そして契約モンスターとはある一定までそれが制限された存在なのだろう、とも。
ならばこの場を動かず、座り続けるクロノに業を煮やすのも当然というものだ。
拡声器で呼び込みを行ったのは人を喰らわせる為と期待しているのかもな、とクロノは思う。しかし残念ながらそんな気は毛頭なく、クロノが右手で握る拡声器を使用したのは、協力してこの殺し合いを脱する為だ
殺し合うな。
助け合おう。
ここから出よう。
と、呼びかける。
それがプレシア・テスタロッサによるこの殺し合いにおいて、クロノが最初にとった行動だった。拡声器によって増幅した声は校舎の屋上から周辺に響き渡り、そこに人がいたのならきっと気づいてくれただろう、そう思う。
そして呼びかけを終えたクロノは屋上からこの正面玄関まで下り、自分の声に応じてくれた誰かが来る事を期待して、待ち続けている。そこに殺意も虚偽の意思もなく、ましてやモンスターに餌をくれてやるつもりなど毛頭ない。
それがクロノの意思だ。しかし同時に、もう一つの思いもクロノの脳裏には存在している。こちらが純粋に相手を慮った所で相手もそれに応えてくれるのは限らないぞ、そう囁く思考がある。
思いに思いが応えてくれる、と、信じる、には。
クロノはあまりに実務的な性格だった。
だからこそ最低限の自衛手段は用意しておく必要がある。カードデッキと共に左手で押さえる鏡の破片は、降りてくる途中にあったのを砕いて回収した物だ。万が一の時は、これとカードデッキを使って防衛に出る。
と。
思って。
「…………は」
不意に笑いがこぼれた。
不意に哂いがこぼれた。
たった今まで思っていた、カードデッキを戦いには使わないという意思と真逆だな、と。
自嘲が、深まる。
自分が思えば相手も思ってくれるとは限らない。
戦うつもりはなくても戦いは起こりうる。
ならそれも予想した準備も必要で。
そう思う程度にクロノは。
実務的な性格。
いやになる。
くらいに。
実務的。
だっ。
た。
。
「————————————————————————————————ロノ君」
「!」
まるで閉じた視界が突然拓けたような感覚を得て、クロノは弾けるように表を上げる。それと共に思うのは、どうやらいつの間にか気を沈めていたようだ、という自分への分析だ。
良くないな、とも、思う。
「一人でいるのは、良くないな」
と。
考え過ぎてしまって。
良くないな。
と。
何度目かの自嘲を浮かべて、しかしクロノは立ち上がった。拡声器とデイバックは段上に放置し、カードデッキは鏡の破片と共にポケットへ仕舞っておく。尖った部分がポケットを破り、足を刺さないようにしておくのにやや手間取った。
ともかく、クロノは出迎える事にした。沈むかけていた自分の意識を引き上げてくれた、自分の名を呼んでくれただろう声の主を。
そしてクロノが見る先、正門の向こうから照明に照らされた校庭へ二つの人影が入ってくる。良きにしろ悪きにしろ自分の呼びかけに応えてくれた者達だろう。そして、わざわざ校庭に入る前からこちらの名を呼んだという事は、戦意の無い人間なのだろう、と判断した。
ほ、と。
内心のどこかで緊張が緩むのをクロノは感じる。それがどんな種類の問題であれ、殺し合いに乗った人間と対面するのは好ましい物でない。命の危機という以上に、そんな者が居るのか、と絶望しそうになってしまう。
だから久々に、クロノの顔に自嘲以外の笑みが浮かんできて、
「……………………………」
固まった。
入ってきた、二人を見て。
「おぉい」
そう言って手を振りつつやってくるのは、一人と、一匹。
青年と称せるだけの歳格好をした男と、黄色い体をした二足歩行の恐竜。
「………………………………………………………………………………………………」
はてな、とか。
思う。
恐竜って二本足で立つものだっけか、とか。
なんで恐竜がこの場所にいるんだろう、とか。
ていうかあの恐竜めちゃくちゃ小さいな、とか。
思って。
いる間に青年と恐竜の二人組はクロノは駆け出し、クロノの目前までやってきた。そして青年は満面の笑顔を浮かべつつこちらの右手を握って、ぶんぶんぶん。
「良かった、クロノ君無事だったんだね!?」
「……へ?」
「でも流石クロノ君だね、こんな状況で周囲に呼びかけるなんて……普通は出来ないよ!」
笑顔。
称賛。
まぁ、嬉しい。
嬉しいよ。
嬉しいけど、さ。
「……誰ですか、貴方は」
ずいぶん親しげですけど、僕は貴方を知りませんよ?
●
「確認しましょう」
クロノの一言に、ヒビノ・ミライはアグモンと共に頷いた。
正面玄関の目前、クロノが待っていたその場所でミライもまた腰を下ろす。恐らくは彼のであろうデイバックや拡声器の傍にクロノは腰を落とし、自分とアグモンは校庭の剥き出しな地面に尻を落とす。そうして完成するのは、三人の男が顔を突き合わせる三角陣だった。
黒い髪と服の少年、クロノ・ハラオウン。
黄色い体をした人型の恐竜、アグモン。
ミライは両者の姿を改めて見つめ、特にクロノの姿に注目する。幼い姿に不釣り合いな渋面は、自分が知るクロノ・ハラオウンと数分違わぬものだ。しかし彼は言った。自分はミライをを知らない、と。
どういう事だろう、とミライは思う。信じがたい告白だったがそこに嘘があるようには見えなかったし、つく必要があるようにも思えなかった。もし彼が自分を騙そうというのなら、そういう告白そのものをする必要が無い。
今のところ、このクロノと思しき少年は自分達に対して何か嘘をつくような行動をとっていない。騙す人間はそれを感じさせない、と言われればそれまでだが、このクロノは自分が知るクロノと同じ、堅実な人格を感じていた。
やや半信半疑、その心持でミライはクロノと向き合う。
「ではまず、名前から」
クロノは話題を切り出した。
「僕の名前はクロノ・ハラオウンです」
「僕はヒビノ・ミライだよ」
「オイラ、アグモン」
質問は続く。
「所属はどこですか? 僕は時空管理局」
「宇宙警備隊から派遣されたGUYS隊員で……今は時空管理局一時預かり、かな?」
「所属って何? 誰と一緒かっていうのなら、姉御とかエリオとかと一緒だったけど」
「この場における目的は何ですか? 僕はこの戦いを止め、主催者ととある人物を逮捕する事です」
「僕も、殺し合いを止めるつもりだよ」
「オイラもオイラも! でもその前に姉御達と合流しないと」
「…………種族は何ですか? 僕は人間です」
「僕は……ウルトラマンだ」
「オイラ、デジモン」
三度の質問が、一巡したところで、クロノの肩が落ちた。眉間を揉む彼の様子は疲労を感じさせ、幼い彼からはまるで残業帰りの中年を思わせる雰囲気が醸し出される。それから、は、とため息をついて、
「……ウルトラマンとデジモンって何ですか」
「それを訊かれると、僕は君がクロノ君かどうか疑わなきゃいけないんだけど……」
返したミライの言葉に、クロノが訝しげな表情を作った。どういう事だ、という疑問が僅かに細められた両目から放たれ、背中に浅く汗をかきつつミライは答える。
「僕が時空管理局に保護されてる身だ、って言ったよね? その時に僕はウルトラマンについて説明したんだよ。君や、リンディさんやなのはちゃん達にも」
告げた瞬間、クロノは驚いたように目を丸くした。それから口元を手で覆い隠し、目まぐるしい速度に思考しているのか、両の目を小刻みに左右へと往復させる。それが推理なのか、嘘をつく為の辻褄合わせを考えているのか、それはミライには解らない。
やがて考えがまとまったのか、クロノは口元から手を離してミライの顔を見据えた。そして告げられる答えは、
「すみませんが、やはり僕はヒビノさんを知りませんし、説明も受けていません」
完全な、関係の、否定。
このクロノはミライが知っているクロノではない、という事実。
来るのか、という危機感がミライを浅く構えさせた。もし偽者だとしたら、クロノのふりをやめて襲いかかってくるのか、という思考にミライは拳を握る。もし来るならそれをもって殴りつける、つもりで、
「——ですがリンディは僕の母ですし、なのはは僕の仲間です」
続いた言葉に、五指が解けた。そこまで言って、話す内容がいまいち理解できていなかった様子のアグモンが、え、と疑問の声を上げて身を乗り出した。
「どゆ事? どゆ事になってんの?」
しかし、特に事態が把握出来ているという訳でもない様子だった。むしろ、理解不能な話題が積り過ぎて我慢できなくなった、というのが事実なのだろう。
困惑したアグモンの挙動と、恐らくは訝しげな表情を浮かべているだろう自分の顔。その両方を見て、クロノは重々しく頷く。
それからミライの顔を、視線と指先でもって指示した。
「僕は貴方を知らず、貴方が知る僕は僕ではない。しかし両者には共通の知り合いがいる。……それも、彼女等と知り合いなら僕等が出会わない筈がない、そんな知り合いが」
となれば、と。
クロノは言う。
推測は三つ立ちます、と。
更に続けて言った。
「一つ目は、僕達が互いに嘘を付いている可能性。ですがこれは相手の素性を知っている必要があり、こうして齟齬が生じた時点で効果は余りありません」
そもそも僕は嘘を付いていませんし、とクロノは追伸。
それは僕もだよ、という言葉をミライは返答しておく。
「二つ目は、僕達の記憶が改変されている可能性。これには同士討ちをさせるという目的が推測出来ますが……それにしては改変があまりに中途半端です」
それなら知り合いという記憶自体消すでしょうし、と補足。
「なので僕が推すのは、三つ目の可能性です」
それが何を言わんとしているのか、ここまで丁寧に説明されればミライも理解する事は出来た。
「僕達はそれぞれ、よく似た人間の居る別世界から来た、って事?」
「その通りです」
クロノは。
首肯した。
「パラレルワールド……並行世界、と呼ぶんでしょうね、そういうのは。てっきりSF小説の中だけと思っていたんですが」
「幾つもの次元世界がある、って事はクロノ君が一番知ってるんじゃないかい? だったら、そういう世界があっても可笑しくないよ」
まあ、そうですけどね。
と、クロノは渋々応じた。
「勿論、この理屈は推測の域を出ません。理論に穴もありますし、推測出来ていない狙いがあるのかもしれません」
ですが。
それでも。
「——僕は三番目の可能性が、一番あり得ると思います」
クロノがそう断言して、ミライは腕を組んで押し黙る事となった。腕に覆われた胸の奥にある思いは、理解と納得と困惑と、それが事実なら一筋縄ではいかないだろうな、という予想だ。
ミライは思う。この最大の問題は、結果的には三つある可能性のどれであっても大差はないという事だ、と。偽者だろうが記憶の改変だろうが並行世界の別人だろうが、突き詰めればどれも別人と同等でしかない。
そういう意味では、三番目の可能性を選んだのは僅かばかりの希望を望んだからかもしれない。出会う知人が偽者でも改変されたのでもなく、せめて似ているだけの別人であって欲しい、と。
まだ協力の余地がある存在である、と、そう信じたかったのかもしれない。この少年は。
だからミライも、
「そうだね」
と、クロノの主張に頷いておく。
それが一番楽観的だと。
それが一番希望が持てる、と。
そう信じたのは、ひょっとしたら偽物かもしれない少年に言いくるめられたのではなく。
自分の知るクロノと根本を同じくするが故の、その人徳に似た説得力によるのだと信じつつ。
「さて」
と、ミライは合の手を入れることにした。場の空気を変える為に殊更明るい口調と表情を作って、勢いよく立ちあがって両の手を広げる。
「そうなれば、もう決まったようなものだね!」
「……そうですね。というか、考えてみればそれ以外にやる事もありませんけど」
ミライの意思を悟ったのか、クロノもまた固かった口調を崩し、薄い笑みを浮かべてミライに恭順した。そんな二人の様子にアグモンは小首をかしげて、
「え、何? 何が決まったの!?」
理解できていないのは自分だけだ、という事実に慌てたのか、アグモンは頭と手足をばたつかせて二人に答えを求める。その様子が幼子の様に見えて、ミライは思わず笑みを零す。
「僕達がこれからやっていくべき事、だよ」
ミライの答えにをクロノが引き継ぐ。
「今の理屈が確かなら、この場にいる人は皆プレシアがさらってきた人達、という事になる。仮にそうじゃなかったとしても、みすみす死なせる訳にいかない。……それが、善人でも悪人でもね」
「だからやる事は、最初と同じ。——この場所を巡って、巻き込まれた人達を助けて、誰かを傷つける奴を捕まえるって事だよ」
単純明快な結論だった。そう説明されてアグモンも理解したのか、おー、と感心したような声をあげて立ちあがった。意欲に満ちた顔でアグモンはクロノへと詰め寄り、
「よーするに、探して、訊いて、良い奴なら助けて悪い奴ならやっつけるんだな!?」
「……まぁそうだね」
詰め寄られたクロノは、切迫した恐竜の頭部に冷や汗を流して応答。それを聞いたアグモンはクロノから離れ、元気よく足踏みして両腕を振り回す。
「よぉし! ガン、バル、ゾ————————ッ!!」
がお、とか。
やる気のままに猛ったアグモンの遠吠えが、校舎の窓硝子を震わせた。その響きは確かに恐竜のものなのだなぁ、とミライは今さらながらに思い、アグモンの姿に妙な納得を得た。
「……まぁ、納得してくれたのは良いんですけど」
と、吼え猛るアグモンを余所にクロノがミライへと声を飛ばしてきた。やや半眼の目つきは、こちらの間抜けたところを見るような視線で、
「つまり僕が、ウルトラマンとかデジモンとか解らないって、解ってもらえました?」
「あ」
そうでした。
そうでしたね、と。
今更ながらにミライは思い至った。目の前にいるこのクロノが自分の知るクロノではないのなら、確かにウルトラマンについての説明はしていない事になる。
「ごめん、そうだね、説明しないといけないよねっ」
うっかりしちゃった、と思う。
てへ、とは思わなかったけど。
だからミライは、ウルトラマンについて説明しようと口を開き、
「ぶぇべ」
聞こえたのは、奇怪な音だった。
「……ミライさん?」
「ち、違うよ!? 僕じゃないよ!?」
白い目で見てくるクロノにミライは慌てて否定、両手を何度も振って自らの無実を懸命に表現する。事実、ミライは口を開いて発音する、それよりも前にあの奇怪な音がした。
では誰か、というのは考えるまでもなく理解でした。自分でもなくクロノでもないなら、残るのはアグモンだけだ。そしてそのアグモンは、
「…………ッ」
鼻先を大きな両手で押さえ、苦々しげな目つきで正門を睨みつけていた。変わる筈もないのに顔色が悪くなっているように思えたのは、それだけの不快感をアグモンが漂わせているからか。
「ど、どうしたんだい、アグモン君?」
「すげぇ厭な匂いがする」
ミライの問いに、アグモンは鼻を押さえて籠った声で返答する。
「最初は、オイラと同じデジモンの匂いがすると思ったんだよ。それが段々近づいてきて……でも、そしたらそいつの匂いは普通じゃなかった」
普通じゃない。
異常という事。
その言葉に、クロノの表情は鋭利になる。
「それはどういう事だ? 厭な匂いというのは」
「厭な匂いは厭な匂いだよ! でも、なんつぅか、そう……」
言い淀んで。
言葉を選ぶ。
一番適切な。
表現できる。
その言葉は。
「——腐ったような、匂いだよ」
「「……ッ!!」」
その言葉に、ミライとクロノは飛びつくように視線を正門へと向けた。そしてミライは、恐らくはクロノもまた、見定めた。ミライ達がそうしたように、暗闇の中から校庭に入ってくる影を見定めた。
赤い服の小さな少女と、彼女に担がれた獣を、見定めた。
ずるずる、と、入って、来る、その、様を。
ミライはその少女に見覚えがあった。
「確か、ヴィータっていう」
赤いドレス調の服にウサギのぬいぐるみが縫い付けられた大きな帽子、その下からは茜色の三つ編みが二本伸ばした、小さな女の子。その姿は、かつてなのはを襲撃した騎士を名乗る一団の一人だった筈だ。
よく見れば、彼女の左肩には服を引き裂くほどの大きな裂傷がある。そんな状態で自分と同等以上の体躯を持つ獣を引きずってこの場所まで来たのか、そんな驚嘆とも驚きともつかない感情が湧き、そしてそれらは疑問と心配へと変化した。
「あ、あれ、デジモン、だよ?」
少女が引きずる獣を凝視してアグモンは言う。目を凝らして見れば、確かにその獣はアグモンと似通った形態で、恐竜のような姿をしていた。赤い表皮には黒い縞模様があり、大きな腕には鋭く長い爪がある。
「ひょっとして……あれが匂いの元? こんな匂いさせてるんじゃ、あのデジモン」
死んでるんじゃ。
と、アグモンが言った瞬間。
クロノが、駆けだした。
「クロノ君!!」
一瞬の間に起立し、駆けだした小さな体。過ぎ去り様にその横顔を見て、ミライは制止を含む言葉を放った。
その。
怒りとも嘆きとも。
つかない、表情を見て。
「いけない……!」
その思いがミライを追走させる。立ち上がりと振りむきは同時、遠心力を利用して投げ出した脚を支えにして強い一歩を踏み出す。全力疾走は、それから始まった。
そうさせるに足るのは、見取ったクロノの表情だ。それが何を意味しているのかはわからない、しかしそれを果たさせてはいけないと強く思う、直感がミライの胸中で躍動する。
だから、ミライはクロノを追って走り出す。
「ま、待てよぅ!」
背後でアグモンの呼び声が聞こえるが、今はそれを聞いている場合ではない。早くクロノを止めなければ、その思考が疾走の専念を行わせっていた。
急がなければ、そう思う。
こうしている間に、クロノはヴィータに到達してしまったのだから。
「その死体は何だ、ヴィータ!」
クロノも彼女の名を知っていたのか、そう思うが、しかし現状それは良い意味を持たない。ミライの知る数少ないヴィータの人となりは、気が強くて好戦的、というものだ。ならばあのような詰問では逆効果になるのは目に見えている。
あのクロノはそれを知らないのか。
若しくは、それに気付けない程興奮しているのか。
あのデジモンの死体が、クロノをそうさせたのか。
彼女が、あのデジモンを殺したかもしれない、という疑惑が。
「テメェに何が解るんだよ! 話して何になるんだよ!」
「話さなければわからないだろう、答えろ!!」
「信じんのかよ、お前がよぉ! 今私を疑ってるお前が、私を信じんのかよ!?」
「信じてほしければ行動で示せ! 僕だって信じたい!!」
「嘘つけ! ギルモン殺したのを私のせいにして捕まえる気なんだろ、そうなんだろ!!」
いけない、いけない、いけない。
三回思って、いけない、と四度目も思う。そんな調子では、互いの状況や心情を理解できる筈がない。激情にも似たその言葉が、ミライの胸に強く響く。
落ち着け。
そう言ってやりたい。
だから間に合ってくれ。
それを、告げられるまで。
「——だったらテメェも、テメェが疑ってる通りにしてやるよっ!!」
駄目だった。
ギルモンなる死体を下ろし、ヴィータはその下に担いでいたデイバックへと腕を込め、直後に鋭く抜き放つ。その五指が握るのは、明らかにデイバックよりも長い棒状の物体。
それが、柄であると、解ったのは。
その先端に、大きな刃があったから。
槍。
「危ない!!」
振り抜かれた刃、それがクロノに至ろうとする。だからミライは、それに割り込むべく跳躍した。強く地面を踏み抜き、体躯を押し上げて鋭く前方へと跳ぶ。その進路上にあるのは、クロノの小さな胴だ。
「うぁ…っ!」
両腕を広げた状態でミライは肩から衝突、クロノの脇腹が肩と密着し、その瞬間にミライは両腕を閉じて胴体そのものを抱き込んだ。直後には圧倒的体重差でクロノが押し倒される。ミライはそれさえも利用して共々に横転、勢いを利用して転がっていった。
横転による姿勢の低下と隔離、それによってミライはクロノをヴィータの一撃から助け出す事に成功した。そして横転が二桁に達するかという頃には勢いが弱まり、ミライはぶつけた体の節々に痛みを得つつ、抱き込んだクロノを解放した。
「大丈夫かい?」
身を起したミライはクロノに問いかける。クロノも膝をついた姿勢で起きていたが、しかしその表情には悔恨の色が濃く浮き出ていた。
「……すみません」
自分に痛みを得させてた事ではないだろう、とミライは理解している。ヴィータに怒気を持って詰め寄った事、を言っているのだろう、と。
ミライは思う。クロノはヴィータを信じていたのだろうか、と。このクロノがいた世界で彼はヴィータと仲間だったのか、それとも、誰かを殺すような事はしないと思っていたのか、と。
「とりあえず、それはいいから」
しかし今は、その懺悔を受け止めてやる暇はない。ミライが見る先、駆け寄ってくるアグモンとの間に、彼女は立っている。
長大な槍を持つ彼女は、怒りでも嘆きでも無い、激情による涙を流しながら、こちらを見返している。
●
時間は、ヴィータが校庭に入る前まで遡る。
街灯一つ点いていない深夜の街道を、ヴィータは月明かりだけを頼りに独り歩いていた。かつては、一人と数えても良かっただろう者を、担いで。
ギルモン。そう名乗った、デジモンなる獣。
ほんの一時だったが、とヴィータは思う。ほんの一時だったが、確かにこいつとは仲間だったのだ、と。体と対比して明らかに重い体は、種族の違いによるものではないだろう。否、それもあるだろうが、決定的な理由はもっと別のところにある。
重量の理由は、彼が死んでいるからだ。
「ん」
ず、と表現できる感覚にヴィータは声を漏らした。重量のままにギルモンの遺体がずり落ち、掴み上げて担ぎ直す事によりそれを阻止する。その荷物を担ぎ運ぶ動作に、ギルモンはもう生きていないのだ、と改めて実感させられる。
厭だな、と思う。
死んだという事が。
死んだと思う事が。
死んだ、から。
厭だな。
「や、だよな」
満ちた感情のままに言葉が作られ、意識とは関係なく唇がそれを紡いだ。だがそうする間も足を止めることはない。肩に感じる遺体の重みと、担ぎきれずに引きずってしまう尻尾の音を聞きつつ、両脚は交替で前に出る。
脚を止めて、目指す場所にたどり着くは、絶対に無いのだから。
目指す場所。
学校。
彼が呼んだ場所。
クロノ・ハラオウン、が。
「あいつ、なら」
それは甘えだ、とヴィータは仄かに思う。彼は仲間でも同胞でもなく、自分達を捕えるべく奔走する敵なのだから。だから本来は会いに行くべきではない、相手なのだ。
しかし、少なくともあの男は自分を殺しにはかかるまい、という理解がある。逮捕はしようとしても、裁定にかけることなく私意のみで相手を殺す事はしないだろう、という理解が。
だからヴィータは、クロノ・ハラオウンが居るであろうその場所を目指して歩く。最早なりふりを構っている場合ではない、と判断したからだ。
「ひょっとしたら、はやてが死んじまうかもしれない」
八神はやて。
大事な主で、家族。
ギルモンを殺した偽者とは違う。
大事な大事な、自分の家族。
そのはやてがこの場所に、数十人の人間が殺し合うこの場所に呼び出されている。ヴィータの同胞、ヴォルケンリッターと呼ばれる三人と共に。
「あいつらは大丈夫だ」
シグナムとザフィーラはそれぞれ戦闘や防衛に特化した騎士だ。後衛のシャマルにしたって、一筋縄で殺されるような騎士ではない。だから彼女達の心配は、とりあえずしない。
だからその分の心配は、一番大事なのに一番戦う力の無い、八神はやてに向けられる。
戦うどころか歩く事もままならない、弱くて弱くて、その癖優しい少女。
彼女が、死ぬとしたら。
「————厭に決まってんだろ!」
背筋に走る怖気のままにヴィータは叫ぶ。それだけは認められない未来だ、と。だからこそヴィータは、その未来を回避する為にクロノと会う事にした。
首を垂れる事に、した。
お願いします。
助けて下さい。
何でもしますから。
捕まりますから。
どうか。
どうか。
どうか一緒に、はやてを探して下さい。
そう嘆願する為に、ヴィータはクロノと会う事にした。
悲嘆の思いと、ギルモンの遺体を担ぐ強行軍が、どれほど続いただろうか。十分程度かもしれないし、あるいは数時間だったかもしれない。明かりも無く両手も塞がった状態の、疲労に呑まれたヴィータに時間を解する余裕はない。
だからこそ目前に広々とした校舎と校庭が見えた時は、幾許かの嬉しさが滲み出た。しかし、正念場はこれからだ、という思考が緩みかけた頬を強張らせる。
自分達を捕える側の人間、時空管理局のクロノ・ハラオウンとの遭遇はこれからなのだから。
目的地が見えた為だろうか、心持ち軽くなった足で地を踏み、ヴィータは正門を通過する。踏み場がアスファルトから均された土へと変わり、闇夜の黒は照明塔の光によって払拭された。
そうして開けた視界が、校舎の正面玄関前で座り込む一団を捉えた。
一人の少年と、一人の青年と、一匹の恐竜だ。青年は見た事もない男だったが、、恐竜はギルモンと似通った風貌に思えた。
そして少年は、クロノ・ハラオウンだった。
「……クロノ、ハラオウン」
改めてその名を口にして、何か固い物を飲み込んだ様な気がした。こちらと同様に、向こうもまたヴィータの存在に気づいているようだ。三対の目が自分の身体に集中するのをヴィータは感じる。
青年と恐竜が向けてくる視線は驚き、しかしクロノが送ってくるものは、
「……え?」
怒り、あるいは失望、そうした感情だった。叱咤するような、泣くような目付きでこちらを見据え、直後には立ちあがって鋭く走り出した。
自分よりも多少長いだけの脚は、しかしそうとは思えない程の速度で接近してくる。続いて青年や恐竜も立ち上がったが、彼らがヴィータとの距離を半分まで詰める頃には、クロノはもうヴィータへ辿り着いていた。
そして切迫したクロノが、叫んだ。
「——その死体は何だ、ヴィータ!」
眼球が痺れるかのような、それ程の距離と威圧だった。その威力に感情の強さを感じ、その声色に込められた感情を理解する。
自分を疑っているのだ、という意思が。
担いだ、ギルモンの死体。
ギルモンをそうしたのはお前ではないか、という、疑い。
お前はその恐竜を殺したのか、と。
殺したのか。
殺したのか。
殺したのか?
んな訳ねぇだろ。
「……テメェに何が解るんだよ!」
直後か、間が空いてか、それを感じる事も無くヴィータは叫ぶ。感情のままに、それまでの思惑も何も無く、ただ思いの赴くままに、叫びをクロノへと突き刺す。
お前に理解できるのか。
はやてみたいな奴に。
はやての偽者なんかに。
仲間を殺された感情が。
その過去を、話させようというのか。
「話して何になるんだよ!」
「話さなければわからないだろう、答えろ!!」
ざけんな。
「信じんのかよ、お前がよぉ! 今こうして疑ってるお前が、私を信じんのかよ!?」
「信じてほしければ行動で示せ! 僕だって信じたい!!」
ざけんな、と思う。
「嘘つけ! ギルモン殺したのを私のせいにして捕まえる気なんだろ、そうなんだろ!!」
ざけんな、その言葉が胸中で連呼される。
もしかしたらそれは、絶望という感情の一つの形だったのかもしれない。相応の覚悟を決めて、しかしそれが故に、覚悟とは別方向からの揺さぶりに、意思が折れてしまった。
耐えようという意思が、折れてしまった。
「——だったらテメェも、テメェが疑ってる通りにしてやるよっ!!」
それもまた、戦闘と、その後からずっと続いた疲労からなる短絡的な挙動だった、と言えるのだろう。
ギルモンの遺体を下ろし、その腹と自分の背の間に挟まっていたデイバックへと腕を突っ込む。そして、どういう理屈かは知らないが明らかに許容量を超過する筈のそれを、ヴィータは掌握する。
細長くて固い、棒状のもの。しかしヴィータは、それが棒ではなく、武器の柄である事を知っている。
槍型のデバイス、であろうという事を。
「らぁっ!!」
叫びと共に、居合抜きの要領でヴィータは槍を抜き放つ。抑圧された反回転は加速を果たし、増強した攻撃力でクロノを狙う。当然、先端に備わる刃でその体躯を切り裂く事を目的として。
だがその一撃は、追いついた青年の割り込みによって失敗した。
「……危ない!!」
体当たり同然の勢いで青年はクロノへと跳びつき、肩と両腕によって彼の胴を抱き込んで押し倒し、転がっていく。当然体長は圧倒的に低くなり、槍の振り抜きをくぐる形で二人は回避した。
ち、と短く舌を打ち、ヴィータは振り抜きによって乱れた体勢を整える。体躯と比較してあまりに長い槍は、止めるのではなく一回転する事によって減速させた。穂先は残像によってヴィータの周りに一瞬銀色の輪を作る。
背後から黄色い恐竜がやってくるのを感じつつ、ヴィータは起き上がって来たクロノと青年を見据えた。
ふと、目尻から頬に何かが伝う感覚を得た。しかし、何だろうか、と思う必要はない。戦中において、それは全く関係のない事だから。
自分が、泣いている事など。
自分の思いが。
泣いている事、など。
「ぶっ殺してやる—————!!」
疑われた驚愕と哀しみは、混乱と殺意へと移行していた。激情を瞬発力に変え、ヴィータの細い足が地を蹴る。脚力の乗った両脚は跳躍するような歩幅で駆け、クロノへと迫る。
よくも自分を責めたな、という思いから、上段よりの振り下ろしがクロノの脳天を狙う。
「スティンガーブレイド!」
対してクロノは苦々しい表情を浮かべ、魔法による防衛を行った。掌に生じたのは短剣型の青白い光、かつて彼が自分やザフィーラを強襲した際に降らした短刀群と、同形のものだった。
本来は射出に用いるだろうそれを一対両手に握り、刀身を交差するようにして飛来する槍の一撃を受け止める。
「馬鹿が!!」
白兵戦で魔導師が騎士に勝てるものかと、そう断言する自負が自分にはある。短刀を模しただけの魔力塊など、遠心力と威力強化に用いた自分の魔力によって即座に粉砕出来る。
しかしその自負は、予期せぬ形で裏切られた。防衛を目的とした短剣の交差点、それが受け止めたのは穂先ではなく、その基部にあたる柄のだったのだ。平たい穂先とは異なり、柄は円柱形だ。それはつまり、滑りを遮るものが無いという事。
「……!」
槍の下へと潜り込んだクロノはそのまま駆け出し、ヴィータの懐を目指す。つられて短刀も受け止めた槍の柄を滑り、接触する交差点から僅かな火花と雑音を散らして長い円柱を滑って行く。
その先にあるのは、柄を握るヴィータの小さな両手だ。
「この……っ」
離さざるを得なかった。
小さな手に相応の細やかな十指が、無骨な槍の柄を手放す。だが、ただ相手の対策に乗せられるようでは騎士は名乗れない。思うか思わないかの刹那で、ヴィータは次の攻撃へ移行する。
まず相手の攻撃が走る槍は、切っ先を中心にして石突が外縁を回るように手放す。次に、クロノ以上に小柄な身体を小さく屈めた。身体が左右が広がらない事を求めた姿勢は、まるで飛びかかる寸前の猫のような姿勢となった。
その体高は、クロノの足の丈よりも低い。それを利用してヴィータはクロノが片足を持ち上げた瞬間、その足裏と地面の間に全身を捩じり込ませる。
「な」
曲芸めいたヴィータの行動に今度はクロノが驚愕し、それを聞く事も無く、ヴィータは踏みつけられる事無くクロノの背後へ飛び出す。そして、そこへクロノを飛び越えて飛来する影があった。
手放した槍だ。
回転する槍の長さは、着地までに一回転するにはあまりにも長い。石突は反周すると共に地面と衝突し、その回転を終えた。
だがそれこそが、ヴィータの狙いだ。周回を止められた槍は、丁度石突が地面に設置して切っ先を斜め四十五度に伸ばした状態。それはヴィータの目前で柄を晒すにも等しい状態だ。
即座の姿勢制御を行って、ヴィータは再来した槍の柄をその手で再度掌握した。左手で穂先の根元、右手で柄の中ほどを掴み、柄は右脇に通して両足は強く踏ん張る。
槍という武器を最も活かせる攻撃、突きの姿勢だ。
狙うは、晒されたクロノの背中。
「らああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
喉を張った雄叫びに槍が突き出される。その穂先によってクロノの背骨を、脊髄を、胃袋を、肉を、皮を、衣服を、突き破るために。
だが、
「クロノ! 頭を下げて!!」
第三者の声が戦地に生じた。クロノとも青年ともつかない、やや稚拙な印象を受ける男の声だ。そしてその声の主は、今のヴィータに見つけることは出来ない。
当然だ。
声の主は、クロノの向こう側にいるのだから。
唐突なその声に従うクロノは駆けたていた足を故意に踏み外し、転倒を利用した伏臥を果たす。伏せられたクロノの体躯にヴィータの視界が拓け、二本足で立つ小さな恐竜を捉えた。
立ち並ぶ牙から火の粉を漏らす、小さな恐竜。その様子にヴィータは見覚えがあった。生前、共闘したギルモンもまたあれと同様の能力を見せていたからだ。ならば次の展開も、それと同様か。
「ベビーフレイム!!」
叫んだ恐竜の大口から、炎の塊が吐き出される。間近では太陽の様にも思えるそれは、クロノを貫く筈だった穂先と激突した。
「ん、ぐ」
経験したとおり、炎の威力自体はギルモンのそれと似たようなものだった。しかしあの時とは状況が違う。
正面から貫かれた炎の塊は威力のままに四散し、多量の火の粉となる。それが飛び散る方向は衝撃を受けた方向、ヴィータへと降り注いだ。細分化した炎は威力のある煙幕となり、ヴィータの皮膚を浅く焼き、視界を封じた。
顔や肩を焼く熱源と熱風に思わずヴィータは目を細め、手放した左手で顔を覆う。
それが、隙だった。
「ヴィータ……ちゃん!」
若干言い淀みのある叫び、それは先ほど短く叫ばれた青年の声だった。それがヴィータの、すぐ耳元で生じる。
接近、と感づく頃には体が動いていた。初動は制動するべく両足を力ませる事、続いて右手を伸ばしつつ上半身を音のした側へと旋回させる。
熱さに顰め、右手で覆った顔は視覚と嗅覚を封じられていた。しかし、それはこの場において全く関係ない。右手で握る槍が声の主に命中した事、それを知るのに関係ない。
「ミライさん!!」
やや間を開けてクロノが叫ぶのを聞き、それが槍を受けた青年の名だろうか、とヴィータは思う。やがて顔に感じていた熱と痛みが引き、顔を覆っていた右手を離す。
そして確認する。
槍を受けた青年が、どうしているのかを。
死んでいるのか、どうなのか。
目にしたのは。
「——死んでない!」
青年は、生きている。
「お……!」
青年、おそらくミライという名前なのだろう、その青年は生きていた。右脇で振り抜かれた槍を受け、刀身で背を僅かに切りつけ、しかし、生きている。
そして、右腕が脇との間に槍を挟んだ。
「しまっ……!」
捉えられた、と思う頃にはもう遅い。
「クロノ君!」
「バインドォッ!!」
ミライとクロノの叫びはほぼ同時であり、またクロノが屈んだ姿勢で両手で地を突いたのも、また然りだった。突かれた掌と地面の間に挟まる短剣が輪郭を滲ませ、単なる魔力と化す。一時的に霧散したそれは、しかし形を変えてヴィータの足下に集結する。
魔方陣、そして拘束魔法という形で。
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