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Last update 2008年03月15日

悪意  著者:松永夏馬



「だから、ミスをしたのはお前だ」

 男が言った。俺はでき得る限り表情を変えずに男に向き直り、言った。
「……なんのことですか?」
「動機は?」
「何を言っているのか」
 俺はそう答えながら彼のことを思った。コレは君の為にやったことなんだ。君が寂しくないように。

 ********************

 一週間前、私のクラスの男子生徒が事故死した。帰宅途中歩道橋の階段から転落し首の骨を折ったのだ。階段の勾配がきつい旧式の歩道橋が悲劇を生み、ほぼ即死だったという。

 そう、思っていた。

 いつものように帰宅し、郵便受けから新聞の夕刊を引っ張り出した私は、一通の封書を見つけた。
 宛先不明という紙の貼られた封書。宛先にはもちろん心当たりはない。しかし、送り主を見て私は息を飲んだ。
 私のアパートの住所、そして彼の名前。
 訝しく思いながらも私はその封筒に鋏を入れ、数枚の便箋を取り出した。その時の衝撃は今でも忘れない。呼吸が止まった。目に映る世界も止まったかのように見えた。自分の鼓動も止まったような感覚にさえなった。
 便箋に綴られた呪詛の言葉。彼の特徴的な“はね”の強い文字がびっしりと埋め尽くされていた。そしてその中の一文。
『これからボクは事故死する。帰宅途中に不慮の事故で』
 遺書。一瞬頭を過ぎった言葉。しかしこの手紙はむしろ遺書というよりも、告発文ではないか。命を賭した私への告発。ぐらりと揺れる感覚に私は思わずしゃがみこんでしまった。
 彼が『事故』に遭う直前にポストにこれを投函していれば、消印は次の日の朝一番になる。架空の地名、番地に送れば宛先不明で戻ってくるのは封筒に書かれた送り主の住所。
 ……わざと1週間の時を経て告発してきたということか。

 告発文としか見えない文字を再び目で追う。読むだけで喉元が焼けるような不快感を込み上げ、体が震える。
 彼の深い深い闇。担任として接してきながらその闇に光を届かせることはできなかったのか。いや、彼の心の奥底にこんな深い澱が沈んでいることに気付かず、上辺を撫でていただけでしかなかったのか。担任として、教師として、一個の人間として私は何も出来ていなかったのか。

 私は。どうしたらいい。
 事故として処理されたこの1人の生徒の死の真相。

 飛び跳ねるようにトイレに飛び込んだ私は、便器に顔を突っ込むようにして嘔吐した。

 ********************

 夫の帰りを待ち、私は息子からの不可思議な手紙を食卓の上へと置いた。夫は訝しげにその封書を手に取り、宛名を眺めた。
 心当たりの無い住所と名前。宛て先不明で戻ってきた息子の手紙だ。
「開けて見ないのか?」
 先週事故死した息子のプライベートな部分だったから、私はこの封書をどうしようかと夫に相談したかったのだが、夫は当然のことのようにペーパーナイフを取り出して言った。
 ジジ……と小さく音を立てて開かれた手紙。先に目を通した夫が硬直するのに気づき、私はえもいわれぬ不安感に襲われて腰を浮かしかけた。

 その瞬間夫の大きな掌が私の頬を打った。私は突然の出来事に構えることすらできず勢いに押され横に倒れこんだ。隣の椅子をなぎ倒し床に転がる。

「あなた……!?」
「この馬鹿者が!!!」
 激昂した夫がテーブルを両手で叩きつける。恐怖を煽る破裂音が耳元で鳴り、私はとっさに頭を抱えた。
「お前は……お前は母親失格だ!!!」
 テーブルの下にひらりと落ちてきた便箋。息子の癖のある字がびっしりと書かれているのがちらりと見えた。夫の罵声が一瞬途切れたように無音の世界で私はその手紙を手に取った。

 自殺をほのめかした遺書。

 いや、違う。私は目を疑った。
 仕事が忙しく家庭に目を向けない夫のために、一人背負い続けてきた子育ての末がコレか。

 遺書と銘打ったその手紙は、私への怨みつらみが書き綴られていた。目から涙がこぼれる。それと同時に音が耳から飛び込んできた。怒声。声にすら聞こえない騒音が、私の脳を揺さぶり、視界はぐにゃりと歪んだ。胸倉を掴まれて体を起こされるものの、私はどうやっても体に力が入らずに、ただただされるがままに、再び振り上げられた夫の手にはじかれるように。

 ********************

 僕達は親友だと思っていた。
 親友だなんて言葉はUFOみたいなもので、本当に存在するのかどうかなんてこともわからない言葉だったけど、彼のことは親友だって思い込んでいた。いつもつるんでた3人組、あまりクラスに馴染めず寄り添うように集まった僕らだけど、小学校から中学に上がっても、高校2年になった今でも、親友だった。親友だと思い込んでいた。
 彼は突然死んだ。歩道橋の階段から転げ落ちて。あまりにもあっけない親友の死に僕達はただただ呆然として、通夜や葬式もなんだかよくわからないうちに終わってしまっていた。3日くらいたってようやく「ああ、アイツはもういないんだ」って実感してたりした。そして泣いた。わけもわからず、人目も憚らず、突然泣けた。

 それなのに。

 宛先不明で戻ってきたらしい一通の封筒から出てきたのは彼からの手紙だった。
 自殺を予告した手紙が、死の1週間後に僕に届けられたのだ。

 仲間だと思っていたのに。ずっと友達だと思っていたのに。虐められていた彼を守ったのは僕じゃなかったのか?
 彼の特徴的な筆跡で、書き綴られた僕への憎しみの言葉達は、僕の胸を体を締め付け、胃の中を逆流させた。自分の部屋からトイレまで走る間もなく絨毯の上に吐瀉物を撒き散らし、ムセる。涙が頬を伝う。
 虐められていた彼を助けた僕の中に、あったのかもしれない。優越感が。
 自分が上位にいることの満足感があったのかもしれない。
 今思い返せば、心当たりが無いわけじゃない。

 親友だと思ってた。でも、親友だなんて思ってなかったのは僕自身だったんじゃないか!
 僕は四つんばいになったまま自分の吐瀉物を睨み、そして、吼えた。

 ********************

「……ツキオカ・アラタ。月岡新だな?」
 黒ずくめの服を着た男が俺の前に立っていた。いつの間にそこにいたのだろうか、名を呼ばれるまで気づかなかった。細身のパンツ、長袖のシャツ、時代錯誤なマントまで真っ黒のその男は、俺の視線を受けて軽く頭を下げた。
「バカな事をしたな」
 口元を歪め、男はそう言った。路地の街頭の光を受けて、深い闇色の目が俺に向いている。吸い込まれそうなほどの闇。俺は突然現れて突然わかったような口を利くその男を警戒し、半身をずらしつつ言葉を選ぶ。
「何ですか、突然」 
 くくく、と明らかに声を漏らし、その男は笑った。
「だから、ミスをしたのはお前だ」
 男が言った。俺はでき得る限り表情を変えずに男に向き直り、言った。
「……なんのことですか?」
「動機は?」
「何を言っているのか」
 俺はそう答えながら彼のことを思った。コレは君の為にやったことなんだ。君が寂しくないように。

「キミガサビシクナイヨウニ?」

 俺は驚いて身を強張らせる。心を読まれたのか。
「アンタ、何者だ」
「我輩か? 我輩は悪魔だ」
 なんでもないといった風に軽く答えた男。馬鹿馬鹿しいとしか思えない返事も、実際に心を読まれた直後では完全に否定できない気分になる。
「我輩も万能ではないからな。強い想いでなければ見えぬ」
 首を軽く振り、男は肩をすくめた。
「……だが。新、三人の死に共通する『手紙』の存在はお前のミスだ。警察がソレに気づくのも時間の問題だ」

 俺は黙る。

「少年の死を目撃したお前は少年のクセを真似て手紙を書いた」

 何故知っている。

「悪魔だからな」
 また読まれた。男は夜風にマントをばさりとはためかせた。そうしてまた誰に言うともなく語り出す。
「手紙を受け取った者達はその悪意の手紙に心を蝕まれた。人間とは弱いモノだな。ただ……わからぬのはお前の理由だ」

 彼の死はまぎれもない事故だった。

 幼少の頃イジメを受けていた彼は孤独を恐れていた。それを俺はよく知っていた。長い付き合いだったから。
 新任だが親身に相談に乗る担任。父親と違い大事にしてくれる母親。そしてかつてイジメから救ってくれた親友。

「だから、一緒に。彼が寂しくないように」

 闇色の目が光る。吸いこまれそうな深い黒。闇夜に融けこむような男、彼の名は悪魔。
 皆の心は脆かった。心の何処かに持っていた不安を、刺激し、増幅させる。偽善者ぶった仮面の奥に、自己満足や慢心や、依存や、優越感を隠し持っていた。その仮面にヒビを入れてみただけだ。

「なるほど」

 男は目を細めて俺を笑う。

「でもお前は一緒に行かなかった」

 悪魔が笑う。いや、笑っているのは俺だ。

「お前、人を殺してみたかったんだな」

 今度は。

 ――俺の仮面が剥落する番だ。




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