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Last update 2008年07月06日

礼儀正しい泥棒  著者:かしのきタール


 (一)

 ――泥棒だな。礼儀正しい泥棒みてえ。
 汗染みと焦げ跡のついた煎餅布団の上で、起き上がりざまタバコに手を伸ばしたヤスジは「礼儀正しい泥棒」という思いつきを笑おうとして失敗した。深酒とタバコのせいで舌は粘るし、治療しないままの奥歯はズキズキと痛む。
 ――歯医者に行けって、うるさかったな。
 やっとの思いで薄笑いに成功した途端、慣れない胸苦しさに襲われて、あぐらをかいた足の上、ゴムの伸びたトランクスにかぶさっているたるんだ腹めざして首を折り、「はぁ~」と長いため息をつく。泥をかぶったみたいに頭が重い。小山のような肩を縮めて、しぼみかけたバルーンよろしくしょぼしょぼと丸くなると、吐きそこねたタバコの煙が背中に開いた空気穴から湯気になってのぼっていく気がした。

 突然鳴り始めたピーピーという電子音が何なのかを思い出せないまま、ぼんやりと目をあける。ウトウトしたらしいと気がついて頭を起こすと、ヤスジの代わりに炊飯器が湯気を出していた。予約タイマーがセットされていたらしい。 
 えり子は律儀な女だ。

 前夜、コンビニの袋をひとつ下げ、一人住まいのアパートの一室に帰ったヤスジは、抑揚をつけた「たんだいまぁ~」を自分に向けて歌うようにつぶやきながら玄関から続くキッチンスペースを抜け、まっすぐ数歩でたどりつく和室の隅のテーブルに鍵を投げだしたあとで、首をかしげたのだった。
 えり子が来るようになって一変した住まいは、いつものようにゴミひとつ落ちていない。雑誌はまっすぐに積み上げられているし、その日の朝脱ぎ捨てていったTシャツもズボンも、この前の休みに身に着けたトレーナーとジーパンも、洗濯され畳まれて、清潔な匂いを放っている。いつもと同じなのに、何か大事なものが抜けている気がする。シャワーだけの入浴を済ませ、ビールを出そうと開けた冷蔵庫の扉をいったん閉めかけまた開けて首をかしげた。やっぱり何かが抜けている。
 テレビの画面を見るともなく眺めながら、コンビニの袋からカッパえびせんを取り出して、口をとがらせ顎を突き出して缶に吸いつく。ビールを口に含んでからあらためて部屋を見回すと、やっと異変の元に気が付いた。えり子が持ち込んできたものだけが、きれいさっぱり消えていた。
「うお……!?」
 飲み込めなくなったビールが、喉もとで泥の味になった。
 ゴクリと大きく喉を鳴らして、喉にたまった苦い液体を飲み下す。しばらく止まった呼吸のあとに、「はぁ~」と長いため息が漏れた。あらためて部屋の様子をまじまじと見つめて、消えた物を指折り数えてみることにしたヤスジは、「壁に立て掛けた折りたたみテーブル」と「冷蔵庫のタッパーが三つくらい」のところで挫折した。「三つくらいのタッパー」を、一つとするのか三つと数えた方がいいのかで迷い、面倒臭くなったのだ。
「しゃーないか、な」 
 面倒臭い気分を維持する努力と、それをあきらめに変える根性を出すために声をあげ、ビールを一気に飲み干して、もそもそと煎餅蒲団にもぐり込む。身体の疲労と回った酔いにいたわられ眠りに誘われながら、それでもヤスジはひそかに願った。
 ――目覚めたら元に戻っていますように。

 目覚めても、消えたものは消えたままだった。
 ――礼儀正しい泥棒、かあ。
 つぶやく間に、炊飯器の音と湯気の匂いに反応した腹が鳴る。
 落ちたタバコの灰を軽く払ってから、布団を畳んで横にずらし、振り向きざま、壁際に寄せたテーブルの端を片手で持って手前に引く。小さな折りたたみテーブルの上は、放り出されて広がった鍵の束と、端のほつれた布製の財布、ポケットからつかみ出してくしゃくしゃになったレシートと小銭が少し、空き缶がいくつかとリモコンで手いっぱいだ。鍵の束を手の甲で押しながらこじあけるように作った隙間に吸い殻のはいった灰皿を置き、腰をかがめた姿勢でテレビに向けてリモコンのボタンを押すと、どっとわいた賑やかな笑い声が、ヤスジがかぶった泥をかすめて去った。
 ――あ、そうだ。
 メラミン製の白い灰皿も、えり子が持ってきたものだと思い出した。「これだけ置いてったのか」とつぶやきながら、両手を広げて太い指を見る。どの指を折って数えたらいいかわからなかった。その丸い掌を取ったえり子が「ぷくぷくしてる」とうれしそうに言った声も思い出してしまった。
 えり子は無邪気な女だ。

 (二)

「フンフフン~フフ~フフン~フ~フフゥ~ン」
 大きく後ろに倒したシートに寝ころぶ姿勢で体を預けて鼻歌を歌うヤスジは、身体の向きを左にかしがせ、右手だけを大きくのばしてセダンのハンドルを操作していた。
 橋を渡ると急にせばまった一本道になる国道は、点在する個人商店群を抜けるとじきに湾を臨む場所に出る。海に背を向けて道を折れ、うねうねと曲がる小路を行くと、やがて黄色い帽子をかぶったランドセル姿の子供が描かれた「飛び出し注意」の看板が数メートル置きに現れ始めた。近くの小学校の外壁には、生徒たちの顔写真を焼き付けた陶壁がある。幼いヤスジの顔もそこに残っているはずだった。

 舗装道からそれて、砂利道の脇に停車させ、助手席に置いたボストンバッグと紙袋を両手に持って車を降りる。坂道に向かうと、野菜を入れた藤の乳母車を押しながら、ほおかむりをしたおばあさんが上ってきた。不器用に体をねじ曲げ道をあけて待つヤスジに「兄(あん)ちゃん、あんがとね」と言って通り過ぎる。「あいよ」と答えて下っていく彼の隣には、壁一面にぎっしりと埋め込まれた焼酎瓶が、ギラギラと顔を光らせ口をあけて、帰省者を歓待していた。

 焼酎瓶が埋められた壁の反対側には、「土管坂」の名の通りに土管が積み上げられ、地面には焼き物の欠片がびっしり埋め込まれている。ひんやりと懐かしい坂を下りながら、ぶら下げていた紙袋を腕にかけ直し、幼なじみと再会する気分で壁に触れていく。朝礼中の小学生のように整然と並んだ瓶の頭たちには、ひとつひとつに個性があり、見覚えがある。ほぼ大きさの揃った中に、ひとつだけ小さな瓶が混ざっていた。他のものに比べて半分くらいの大きさしかないその瓶が、いつも身をこごめていたのをヤスジはよく覚えていた。梅雨の頃、学校の行き帰りに、のびのびと這いまわる虫たちに身を縮めているその瓶から、かたつむりを取り除いてやっていた。小さいながら、五月晴れの日差しを浴びてぎらぎらとはりきっている今日の親友を見つけると、ヤスジは「おう」と挨拶をした。 

 焼き物の街T市は坂が多い。土管坂は、坂が崩れるのを防ぐために焼き物で三方向を覆いつくした坂道だった。片側には両手で抱えるほどの太さの土管が縦横に積み上がり、反対の壁には焼酎瓶が口を向けてバスケットボールほどの半球を残して埋め込まれ、地面にも焼き物が欠片となって埋まっている。土管の円柱と瓶の球体に覆われた赤褐色の坂は、初めて見る人をたじろがせずにはおかない迫力に満ちている。
「この坂を見たいって言ったのにな」
 えり子は勤勉な女だ。

 (三)

 裏木戸を開け、枕木が敷かれた庭にはいると、マテバシイの向こうに父の姿があった。痩せてひょろ長い体の半分が幹に隠れている。
「たんだいまぁ~」と声をかけると「お。きたんか」とだけ言って、また前を見る。葉影の下をのぞくと、父は腕組みをして、薄いピンク色に咲いた薔薇の花をじっと見ていた。
「今朝、咲いた」
 ふぅん、そうか。答えて父の隣に立つ。薔薇に興味はないが、丹精する父の姿はヤスジの心に焼き付いている。
「入るか」
 玄関の方に向き直った父に向かって慌てて紙袋を差し出す。母に手渡すのは照れくさかった。
「おう、すんません」
 ひょこりと肩をすくめた父に、ヤスジも小山のような肩を少しだけ縮めた。

 畳に寝転んでいると、縁側から草木を通した風の匂いがやってきた。アパートでは、窓をあけても排気ガスとアスファルトの匂いしかしない。
 鼻から思い切り空気を吸い込んだところで、畳をこする裸足の足音と一緒に母の声がやってきた。
「こっちで。ほれ、食べな」
 寝ころんでいても手が届く高さのちゃぶ台に、赤褐色の皿に乗った枇杷を置き、「よっこらしょお」というかけ声とともに母が座ると、縁側からの風が揺らいで止まった。
「アンタが久しぶりに帰ってくるって話したら、『そりゃ珍しい』ってな」
 いとこの家から今朝届いたばかりだという枇杷の実は、小ぶりで不揃いで色も薄い。母と向き合ってちゃぶ台の前にあぐらをかき、薄い黄色にところどころ黒い点のついた皮をむくと、瑞々しい果肉があらわれた。
「どうね」
 母の手は、枇杷からすばやく種を取り出していく。
「どうったってなあ」 
 ヤスジは皮を剥いた枇杷にかぶりつく。
「変わり、ないのか」
「変わんねぇよ」
 ――変わんなかったな。ヤスジは慣れない感情に戸惑った。茶棚に並ぶいくつもの急須の朱泥が頭にのしかかってくるように感じる。
 ――俺んち、行ってみる?
 そう聞いたあの時、えり子は確かにうなづいたのだ。

「電話で、ほれ、なんか言ってたろ?」
 ――えり子のことしゃべったか俺?
 母に問われて焦ったヤスジは黒々とした種に歯をぶつけた。奥歯の痛みが蘇って、気持ちのきしみも戻ってくる。「いてててて」と頬を抑えて下を向いた間にと、電話の会話を思い出そうとしてもなかなか思い出せない。
「歯医者いかないと。なあ」
 歯の奥から涙線に熱がせりあがってきた。
「そんなに痛いか?」
 丸い掌で背中をさすられながら鼻をすすりあげた。
 家に上がった時、床がつるつると滑ったことを思い出す。はいつくばってワックスをかけている母の姿が目に浮かんだ。やっぱり口を滑らせたんだなぁ。
 新鮮な枇杷の香りが、ヤスジの鼻から抜けていく。
 えり子は賢い女だ。

 (四)

 自分で買った土産の菓子をひとつ持って黒光りのする階段を上り、高校を卒業するまで過ごした二階の部屋へ入って窓際に腰掛けると、太ももの下で木製の窓枠がギシギシと鳴った。タバコに火をつけて一息吸い込み、木々の間に連なる屋根と、その向こうにわずかに見える湾に向かって煙を吐き出す。庭を見下ろすと、父がまた薔薇を見ていた。
 ――そんなに見張ってないと、ダメなのかなあ。
 一度だけ、えり子に花を贈ったことがあった。通りががった花屋の店頭のバケツにはいっていたミニバラの小束が目にはいったのだ。
 何もなかったヤスジの部屋に、えり子はいつもさりげなく花を飾った。殺伐としていたヤスジの日常は、彼女によってどんどん彩られていった。
 一人暮らしを始めた頃に不用品としてゆずられたワンドアタイプの古い冷蔵庫の手垢を拭きあげきれいにし、庫内にはタッパーに用意した常備菜を入れておいた。元々あったものと同じタイプのテーブルをもうひとつ持ちこんで、手料理をふるまう時には、ふたつをくっつけクロスを敷いた。汚れものを目ざとく見つけては、やはり不用品だったヤスジの二層式の洗濯機をくるくると頻繁に回し、片っ端から整理整頓していった。14型ブラウン管のテレビも、今どき珍しいよね、と言ってはこまめに埃をぬぐい取った。ヤスジの目覚める時刻に合わせて米を研ぎ、炊飯器の予約タイマーを忘れずセットして帰った。自分のペースを変えられて戸惑うことはあっても、わずらわしいとは思わなかった。楽しそうな彼女を見ているだけでうれしかった。
 だけどあの時、情熱の赤い薔薇だぜ。気取ったつもりで渡したら、えり子はすぐに視線を手元の雑誌に戻してあっさり答えたのだ。
「ありがとう、きれいなカーネーションね」
 えり子はそそっかしい女だ。

 置きっぱなしの学習机の引き出しから高校の時の実習で作ったぐい呑みを取り出し、ろくろを回す時の泥の感触を思い出しながら、タバコの灰をその中に落とす。焼き物実習があるたび増えていった小物を、引き出しの中や棚の隅から出しては、埃をふーっと吹き払いながら並べてみる。魚の形をしている色の薄い平坦な焼き物は、箸置きとして作ったものだ。お猪口なのか茶碗なのかわからない中途半端な大きさの碗もゴロゴロとたくさんある。大きめの動物は、ヤスジの干支、猪の置き物だ。
「えり子ちゃん、あそびましょ」
 小物をいじっているうちにままごと遊びをしている気がしてきたヤスジは、その時、テーブルをふたつ合わせた食卓を思った。かいがいしく食事を作っても、えり子自身はほとんど食べずに帰っていった。深夜まで帰らないことの多い彼の留守中に来ては、掃除をし洗濯をし、好きに飾り付けをした。たまにしか主は帰らずろくに家具もない殺風景な四角い部屋は、彼女にとっては格好のままごと遊びの舞台だったのかもしれない――。
 ショートカットのえり子の横顔が、横を向いた魚の箸置きに重なる。そういえば、とまた気付く。えり子の視線はいつもぐるぐると部屋ばかりを見ていた。舞台装置を確認する演技指導者のように。
 えり子は。本当のえり子は、どんな女だったんだろう。

 魚の箸置きと猪の置き物を並べたヤスジは「似合わねぇ」と笑うのに成功した。 
「礼儀正しい泥棒さん、さよーなら」
 箸置きを引き出しにしまいながら、ひょこりと頭をさげ、ふと、首をかしげる。灰皿だけ残していったのは、どうしてだろう。
「俺なら全部持っていくのにな。ケチだからよ」
 その前に、持ち込めるような商売道具を何ひとつ持ってないなと、ヤスジはまた笑う。メラミンの白い灰皿ひとつ、泥棒がくれたお情けだな――。

「ヤスジーっ」
 階下で母が呼んだ。懐かしい煮込みの匂いに鼻を鳴らす。どかどかと階段を下りきった床であやうく滑りそうになったヤスジが、おっとっと、と踏ん張ってから顔をあげると、父が黙って一升瓶を掲げてみせた。




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