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Last update 2008年03月15日

Juwelry Box  著者:幸坂かゆり



「会った瞬間、叱責の幻聴が聞こえてきたわ」
そう彼女が言った。
パーティーという華やかなこの席で、目が合い、
オレに話しかけてきた彼女が、挨拶の後に続けて言った台詞がそれだ。
彼女とは、10年ほど前、勤めていた深夜のカフェでのバイトで出会った。
確かにあの店にいた頃、オレは数え切れないほど彼女を怒鳴ったかも知れない。
辞めてから会うのは、今日が初めてだった。
「よくオレだってわかったな」
「自分を見つめる誰かの視線には敏感になるでしょう?」
彼女の言葉は見事に的を突いた。オレへの印象が「叱責」だったにも関わらず、
微笑んで話しかけてきた彼女には「成長」という言葉が相応しかった。

あの頃の彼女は、いつもオレの言葉に怯え、オレが店に入ってきただけで目が泳ぎ、
思っている感情のすべてが顔に出てしまうほど不器用な女の子だった。
「すっかり大人になったな」
「店を辞めてから10年以上は経っているもの」
彼女は胸の大きく開いた黒のドレスを着て、高いヒールすら足に馴染んでいた。
「こんな場所に一人か?」
「ええ。好きなアーティストが急遽、演奏するって聞いたから急いで来たの」
敬語を使わない物言いに戸惑ったが、当然だ。もう上司でも部下でもないのだ。
「あなたこそ、お一人?」
「ああ。まったく君と同じ理由でね」
「意外ね。あの頃はわたしがライブに行く、なんて言ったら嫌な顔をしていたわ」
「あの頃の君は、子どもじみた音楽ばかり聴いていたからだろう」
「からかうような口調は健在なのね」
彼女は笑ってオレの言葉を平然とかわした。
からかうような口調か。そうだったかも知れない。
オレに怯えながらも健気に上司と部下としての信頼関係を作ろうと試みて、
必死に彼女が出した話題は音楽だった。しかしオレはすぐにからかい、
その言葉に彼女が傷つく様子を平然と目の端に映していた。
不意にそんなことを思い出し、肩をすくめた。きっとオレも子どもだったのだ。

ライブは素晴らしかった。オレは、彼女ともう少し話がしたくて、
場所を変えて飲み直そうと誘い、彼女も頷いた。
パーティー会場を出て、今にも雪の降りそうな、寒い夜の街を歩き、
行きつけであるバーへ行った。ジャズが流れるクラシックな内装の店だ。
席に着き、落ち着いてから、オレはマティーニを、彼女はミモザを注文した。
彼女の前に華奢なフルートグラスに入った飲み物が運ばれてきた。
再会のための乾杯をして、彼女がグラスを口に運んだ。軽く顎を上に向けた時、
露わになった首から胸にかけて、銀色の首飾りが輝いた。
今の彼女にはその重厚な美しさがよく似合っている。
「誰でも良かったんでしょ」
唐突に彼女が言葉を投げかけてきた。
「何が?」
「あの会場で声をかけようとした相手」
「君が魅力的だったから目が離せなくなっただけだ」
「そう?ありがと」
確かに誰でも良かったのかも知れない。けれど彼女に釘付けになったのも事実だ。
彼女はグラスをそっと置き、話を続ける。
「でも、慌てていたでしょう。会場に上田園子さんがいたから?」
オレの心臓が一瞬、軋むように痛んだ。
上田園子は当時、彼女も店にいた頃のオレの恋人で、公認の仲だったので、
当然、彼女は、つき合った時から別れるまでの一部始終を知っている。
本当は先ほどのパーティーが、すべて楽しかったとは言えない。
園子がいることが判った時から、園子には気づかれないよう、必死だったために。
「君も気づいてたのか」
「ええ。上田さんは気づかなかったみたいだけど」
「そうだな」
彼女は酒を飲む。こくん、と一口飲んだ時の喉の動きで、首飾りが輝きを変えた。
別に話題を変える訳でもなく、正直に「その首飾り、似合ってるよ」と賞賛した。
「ありがとう。夫からのプレゼントなの」
彼女が既に結婚していた事に、オレは少しだけ驚いた。
「それはおめでとう。君の印象をまるっきり変えてしまうなんて、さぞかし素敵なご主人なんだろうね」
「もう5年経つわ。彼が亡くなってから」
亡くなった・・・。オレはつい軽口を叩いてしまった事に後悔をした。
「すまない。余計な事を言ってしまったな」
「ううん。知らないのなら当然だわ」
首飾りの輝きがオレのグラスに反射していた。
園子と恋愛をしていた頃、プレゼントなんてしたことがあっただろうか。
オレはグラスの中身を一気に空にすると、園子との恋を思い出していた。
なぜ、あの会場で園子の姿を見つけ、あれほど慌てたのか。
そのことを考え出すと、決まってそれまで忘却の彼方に押しやっていた想いが、
頭の中で逆回転するように、あの時の光景をオレに見せつける。

園子は彼女と同じ時期に入ってきたバイトの子で、彼女と同い年だったが、
その容貌や雰囲気は、まるで違った。
いつもシンプルなシャツにタイトなスカートで、メイクもきちんとしていて、
仕事を憶えるのも早く、何より、大人びていた。
それに比べて、当時の彼女はシニヨンを2つに分けて結った髪型とか、
ストライプのニーソックスに、フリルのついたミニスカートとか、
目が痛くなるような、明るい色の安っぽいアクセサリーをつけた出立ちは、
オレの目には、幼稚園児のように映った。

出会ったばかりの園子は話題も豊富で、生意気な可愛い女の子だった。
そんな園子に魅かれ、オレたちはすぐに恋に落ち、半同棲の生活になった。
しかし、それはすぐに終わりの見える恋愛だった。
園子は嫉妬深かった。その激しい嫉妬は場所を選ばず、オレに投げつけられた。
そのせいで、オレは職場でのプライドがずたずたになった。
うんざりして、仕事後もまっすぐ部屋に戻らず、遅くなってから帰宅すると、
案の定、園子からどこで何をしていたのか、詰問された。
ほんの少し、違う女と話しただけで浮気呼ばわりされ、
園子の、他の女に向ける執着とも言える妬みに、段々耐えられなくなってきた。
そんな関係に疲れ、ある日、とうとう園子に別れ話を切り出した。
園子は顔色を失くしていたが、案外落ち着いて見えたので安堵した。
しかし突然キッチンに立ち、そのふらついた足取りと共に不安が襲い、
後を追うと、既に園子は包丁で手首を切り、左腕を血に染めて立っていた。
オレは突然目の前で起こった出来事に狼狽した。
血は園子の白い腕を止まることもなく伝い、そのまま意識を失った。
急いで園子の元に駆け寄り、タオルで腕の血を押さえ、病院に急いだ。
幸い命に別状はなかった。
しかし目覚めた後の園子に会う勇気が持てず、オレはそのまま病院を出た。

その後、園子は入院した。このことは当然、店にも知られる所となり、
店長からも見舞いくらい行ってやれ、と言われた。
もちろん、様子が知りたいのは確かだった。
恐る恐る、園子の病室に顔を出した。なるべく長居したくなかった。
元気だとわかれば、それで良かった。できれば、寝ていればいいと願った。
病室の扉をそっと開けると、園子は一番奥のベッドにいて、身を起こしていた。
けれど、久し振りに見たその顔は、今までの気の強さが一切消え、
いつも堂々と張っていた背筋すら、猫背になり、すべてがぼんやりと虚ろで、
どこを見ているのか、読み取れなかった。
オレに気づかないままならそれでいい。そう思い、そのまま病室を出ようとした。
すると背後から「誰?」と、抑揚のない、消えそうな小さな声が聞こえた。
その声に、扉に手をかけたまま、動けなくなった。
ゆっくり振り返ると、血の気のない顔の園子と目が合った。
その瞬間、園子は目を見開き、オレの顔を凝視した。
目だけが吸いつくように、けれど、どうすることもできず、後ずさりをした。
すると、園子は病室中に響き渡るような声で「行かないで!」と叫んだ。
オレは自分の体が、びくん、と動いたのがわかった。
その声は、この世にたった一人しかいない片割れを亡くしたような悲痛さを孕み、
そして愚直なまでに、失われた時への哀惜を叫び続けた。何度も何度も。
オレは恐怖のあまり、がたがたとその辺にぶつかりながら病室の外に出た。
入れ違いに看護士が園子の病室に駆け込んでいく姿が見えた。
園子の声は廊下にまで響き、最後に聞こえた声は悲鳴のような嗚咽だった。
それ以来、病院に行くことができず、卑怯だとは思ったが、
生きていてくれたらいい、と、それだけを思っていた。
園子との恋愛は、オレにとって地獄のようだったのだ。
そうして半ば強制的に関係を終わらせて、それきり会っていなかった。
やがて、年数が経ち、オレは別の子とつき合い始め、結婚し、自分の店を持った。

そして今日だ。まさかあの場所に園子がいたとは。
生きていてくれた事への喜びと、しかし会ってはいけない、気づかれたくない、
そう思う気持ちはオレを取り乱させ、無様に慌てて辺りを見渡す恰好となった。
その場だけでいいから、連れと思わせる事ができる女を探した。
その、さ迷う視線の先に、とても魅力的な後ろ姿を見つけた。
一人で来ているらしいと判り、声をかけようとした時、その背中が振り返った。
すぐ、店にいた臆病な彼女だとわかった。そこで目が離せなくなったのは、
あの頃の面影を残しながら、清楚な花のような美しさを纏っていたからだ。

「君も色々あったんだな」

オレは新しい飲み物を注文してから呟いた。
「私はほとんど流されるような生き方だったわ。けれど夫と出会ってから、少しずつ、色んなやりたい事ができるようになってきたの。私に興味をそそらせて、実行させるのがとても上手な人だったのね」
「そう言えば、君は色んなことに興味を持っていたな」
「音楽とかね」
彼女はちらりと皮肉めいた目を向ける。
「どんなに子どもじみた音楽だって、その人にとっては大事だってこともあるのよ」
「あの頃への反論か?」
少し、むっとしてオレは答えた。
「そうよ。本当に傷ついていたんだから」
言い返す言葉がない。それもそうだろう。
オレと再会した一番最初の記憶が、叱責だったのだ、と、またオレは拘ってしまう。
けれど、彼女はすぐに笑った。
「冗談よ。本当にもう平気なの。人間って癒されればどんなに辛い思いも、
心の中で思い出になって静かになるでしょう。今のあなたには何の怒りもないわよ」
その言葉に、ふと目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「オレは、癒されてはいけない人間かも知れない・・・。」
「上田さんとのこと?」
オレは黙って頷いた。今の彼女になら話せると思い、オレはゆっくり口を開いた。
「オレの中で園子は思い出になっていない。オレは園子を死の寸前まで追い込んだ。
許してもらおうなんて、都合のいい事は考えていない。でも、どうしても園子は、
心の中で暴れて消えてくれない。最後に病室で会った日の姿が忘れられないんだ」
「辛い日々を送ったのね」
彼女は労わるように、オレの手の上に彼女のそれを重ねた。
「・・・時々だけど、今でも夫のことを思い出して涙を浮かべる日があるわ。
それは決まって、自分が夫に対してひどいことを言ってしまったのを思った時よ。
けれど夫はもういないの。だから私は心の中に宝石箱を作って、その中に自分の思いを入れておくの」
「宝石箱・・・」
「そう。光のように輝くような時間もあったけれど、影のように黒く相手を傷つけた時もあった。けれどどんなに悔やんでも、もう直接謝ることはできないわ。
だけれどその箱の中から感情を出して、敢えて時々、その思いを感じてみるの。
そしてその箱を抱きしめるのよ。心の中で。そうしたらどちらも愛しいの。光も影も片方しか存在するなんて、ないでしょう。愛した思いも怒りに震えた思いも、両方必要不可欠な存在なのよ。悔やんでばかりいても何も解決しない。だったら、影も愛するの。そうやってすべての思い出を愛することで、私は夫の死を受け入れたわ」
そこまで言って、彼女は自分の話が長かったことを詫びた。オレは首を横に振った。
「あいつは、生きているんだよな」
「そうよ。痛みは抱えていると思うけれど、ああしてあの場所にいたのよ。
きちんとあの頃のようにお洒落をしていたじゃない。それで充分だと思わない?
あなたはもう自分を責める必要もないし、彼女もあなただけを責められないと思うの」
オレはもう彼女をからかうことなどできなかった。
彼女こそ、痛みを抱えた人間なのだ。
そして、その痛みから目を逸らさずに生きてきたのだ。
「あなた、この首飾りを褒めてくれたでしょう?心から嬉しかったわ。
この首飾りをもらったのは、まだ夫と恋人同士だった頃なの。8年も前になるわ。
それからずっとつけてるの。だからもうかなり輝きも褪せてしまったけど、
その褪せた色も、私には愛しいの」
そう言うと彼女は、オレの目を優しく見つめた。
「癒されてはいけない人間なんて、この世にいないわ」
オレは目を閉じ、彼女の言葉を大切に心に閉じ込めた。
オレの手に重ねられていた彼女の手は、とても温かく、母親のようだった。

しばらく話をした後、オレたちは店を出た。外は、さらさらと粉雪が舞っていた。
「今日、君と話ができて良かったよ」
「私も」
彼女は最後に微笑んで、タクシーを拾い、そこでオレたちは別れた。
オレは店先で、彼女を乗せたタクシーが見えなくなってからも、
しばらくその場を動けずにいた。

光も影も、褪せた色も、心の宝石箱に入れて愛し続ける、か。
自分の中にも、箱があったとしたら、それは埃の被ったものだったろう。
自分の影の部分を、オレはずっと憎み、悔やみ続けていたかも知れない。
けれど彼女の言ったように、悔やんでばかりいても仕方がなく、生きていたら、
歩き続けなければならないのだ。
風が強くて、思わず俯くとオレの影が雪の積もる歩道に映っていた。
影は一生つきまとう。けれど時々、オレも心の箱を磨いて、蓋を開き、
後悔という歪んだ空気を換気しよう。そして、時々、園子を思い出そう。
あの痛みを押さえつけて、忘れてはいけないとむりやりに思うのではなく、
忘れなくていいのだ、と、心の潰れるような思いを、解き放ってやろう。
光と影の片方だけが存在するのではない、と彼女は言っていた。
オレは園子の光の部分しか愛していなかった。いや、影を見ようとしていなかった。
園子にだって影の部分があったからこそ、あの日、病室で、
あれほどまでの慟哭があったのだ。

雪の中で立ち尽くすオレの足許に、雪が積もっていた。
すべての痛みを自由にした心の中の宝石箱は、今、新鮮な空気が入り込み、
あれほど暴れていた園子の思い出は、静かに眠る姿に変化していた。
オレの中の何かが、せつないほど強く、愛を欲していた。
そいつは、まさに影だった。


 <Fin>





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