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Last update 2008年03月15日

ソロ・ワークス  著者:AR1



「お酒を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。ええ、そうですともっ」
 少女――春日マキは勢いよく吐き捨てた。それは懺悔でもなんでもなく、単に愚痴を吐露しているに過ぎない。昨日は酩酊状態で家に戻って来たのを彼女の父はよく覚えている。交通標語よろしく『飲んだら飲まれるな』を遵守――もとい、アルコールの悪夢など力ずくで踏み倒してきた娘が、その時ばかりは意識レベルが危うい状態だったのだから、少々の動揺を伴ったものだ。
「昨日は教えてくれなかったな。理由」
「教えなきゃいけない理由はないから」
 ぶっきらぼうな口調は相変わらずだが、棘が宿るのは珍しい。行儀よく育てた覚えはないが、この十九年を通じて壁を感じることはあまりなかったことではある。ただし、私生活限定で。娘は仕事――エレクトリックギターのクラフトマン――の上では師弟関係であり、公私混同はなはだしいのを黙っている訳にはいかないからだ。厳しく律していれば、対立を演じるのはよくあること。
 今回の一悶着も仕事のことから端を発している。昨日の泥酔の余波を食らったのか、今日の仕事は順調には進まなかった。
「理由か? 挙げてほしいか? 頼んでおいた塗装の件は? ラッカーは吹いたのか? あとは――」
「だあぁぁぁぁっ。分かった、分かったって!」
 自らの金切り声に苦悶するマキ。アルコールに侵されていることも忘れて、可哀想に。同情はしないが。
「で、なにがあったって?」
「えーっと………そう。あの夜、ちょっと駅前の居酒屋に行ったんだ。茂木と、注文したギターのことで」
「それで?」
「見事、その場は修羅場と化しましたとさ。めでたしめでたし」
「まだ終わっていない」
 嗚呼、やっぱり許してくれないか――マキはうな垂れる。相手は誰であれ〈お客様〉であることに変わりはなく、そのお客様に啖呵とメンチを切った挙句に喧嘩別れだ。飲み直しても気分が晴れやしない。おまけに父親から雷が落ちたとあっては、自虐に走るくらいしか面白いことなどここにあらず。
「理由のことでしょ? 向こうがしつこいんだって。『いつになったら仕上がりそうだ?』って。まだ時間がかかる、って言ってるだろうが!」
「怒鳴ったところで詮無いことだろう?」
 むしろ身内が営業妨害してどうする?、とまでは口に出さなかった。客商売で愛想のなさは致命的だが、今回は範疇を著しく逸脱している。マキにもそれは理解できているはずだ。
「でもさ、こっちだって『かなり時間はかかる』って言っといたんだよ? 個人だと税関通すのにも結構苦労する材だったから、乾燥作業に……ええっと、来月で一年だっけ?」
 娘の質問に父は首肯する。マキがいきなり『ウチにある最高の材を使わせてほしい』と申し出てくるものだから、乾燥工程については重々把握している。
「多分、来月の今頃に終わるだろうな」
「ん、分かった……ったく、そんなに作業を前倒ししてほしいなら、ブライアン・メイに交渉してみりゃいいんだよっ。『実家の暖炉の木はまだ余ってますか?』って。当時の木材なら、よぉぉぉぉく、乾燥しているでしょうよ」
 それはとても壮大な仮定論だ。クラフトマン冥利に尽きる仕事になりそうだが、夢のまた夢。
 だが、それは困った。ギター・クラフトマンにとって『木材がない』というのは、『レストランでお客に出す品物がない』と同義。乾燥作業もストックされている木材の状態によるので、正確な予定を立てることは難しい。
「だが、乾燥工程の予定を知らせなかったお前も悪いな」
「ぐっ……」
 マキがよく犯してしまう失敗の一つだ。娘にとって重要なのはアルコールの心配ではなく、自己を制御する術。ただし、こんな欠点を持っていても集中力は凄まじいものがある。神様、なぜ私の娘には二物を授けてくれなかったのでしょうか?
「で、後味は悪いのか?」
「さあね。連絡はしてないし、来てもない」
「仕事は?」
「とにかく、乾燥の工程を待つしかないよね。その間に設計でも練っておく? なにかできることがあるかもしれないし」
 うん?、と父は喉の奥を鳴らす。はて、喧嘩をするほどだから仕事を投げ出すと思い込んでいたが、先走った心配だったのだろうか?
「仕事に関して生真面目なのは認めるが、いつもよりやる気があるんじゃないか?」
「入魂の一作ですから。それに、代金はもらっちゃってるし。尚更、やめる理由なんてないよ」
 これで激情家でなければ模範的なのにな、心中で嘆かずにはいられない。まあ、こういう性格だからこそ、変にひねくれたりしなかったのかもしれないが。昔から騒動の火種になったりしていたが、同時に誰かを心酔させることもあった。
 どう考えても辣腕には至らないが、豪腕であることは間違いなかった。
「ここらで集大成――って、二十歳前には早すぎるか」
「せめて還暦を迎えてからの台詞に取っておけ」
 そりゃそうだ、マキは失笑する。先ほどまでの激昂はどこへやら、将来はギターと結婚する運命なのだろうか。父さん、それだけは許さないぞ――決意を固める。
「でもさ、やってみたいよね。今の自分にできることを全部投入したら、どんなものになるのかさ。それに、そうでもしなきゃ、クラフトマンの神様は奇跡を与えてはくれないんだろうし」
「ロマンチックだなぁ」
「は? 昔、我が家の家訓とでも言わんばかりに力説してたのはどこの誰でしたっけ?」
 もっとも、ちょっと婉曲な解釈だけどね、マキは肩をすくめる。店のカウンターの上に腰を下ろし、足を組む。壁にはあからさまに無骨な出来の、しかし材の加工に奮闘したストラトキャスター。売り物にならないが、親も手伝って記念に飾ってある。フィニッシュの荒さは筆舌に尽くしがたく、加工そのものにも拙さが目立つ。配線を収めるためにボディ内部の一部をくり貫くのだが、未熟な腕のせいで余計なざぐりが入ってしまっている。
 鳴りの面で不利なことは目に見えているのだが、不思議と音質はよい。父はマキに諭した。
『時折、神様が魂を吹き込んでくれることがある。作り手が全力を出し尽くした時、それはきっと起きるに違いないんだ』
 木は息をする生き物であるとか、そういう次元の話ではない。楽器そのものが生き物であるかのような、情感溢れる音色を発散するのだと。
 それが宿ったのは、マキの軌跡の中ではまだ一度。そこからは修練に明け暮れる日がかなりを占めた。彼女は今回の大勝負で過去の感触の再現を試みたいところではあるが、呼び込むには足りないような気がする。そこで、あることを実行してみようと決めていた。
「聞いた話で一度試してみたいことがあるんだけど、お父さん。お祈りをすると、神様が何でもくれるって、本当?」




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