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Last update 2008年03月15日

OUR HOUSE  著者:なずな



足元の枯葉を蹴った。長い信号だった。
 ─ 何が間違いだったのか

 *
転勤先で、二人だけの新しい暮らしが始まった頃は楽しかった。

地方都市らしい小ぢんまりした町並みも親しみやすい感じがするし、耳慣れない土地の言葉さえ、新婚生活のスタートにはふさわしく新鮮に思えた。
2DKの社宅。くるくると家事をこなし、やりくりを一生懸命している柚子は、何だかままごとみたいで、それがまた、かわいく思えた。
仕事が忙しい幸弘に代わって、様々な手続きを柚子は一人でこなし、家具や雑貨を決めるのにも沢山店を回って
「これにするよ、いい?」
メールで写真を送って来た。
柚子の好みのインテリアが少しずつ揃い、テーブルには可憐な花がいつもあった。
そして何よりも 出迎えてくれる柚子の笑顔が嬉しかった。

想像していた通り、柚子は社宅の付き合いにもすんなり溶け込んだ。
帰宅するといつも、リサイクルテクニックだの、美味しいクッキーの焼き方だの裏ワザ収納方だの、今日聞いた話題をひとしきり聞かされた。
女っていいよな・・こんな他愛のない話や噂話で仲間が出来、土地に馴染んでいく・・
柚子の話を心地よく聞き流しながら、幸弘はネクタイを外す。

 *
どこで何が間違ったのか。

柚子の様子がおかしいと幸弘が気づいた頃には,安売りのトイレットペーパーが棚から溢れ出し、冷蔵庫には卵のパックがいくつも並び、野菜室には押しつぶされたトマトが汁を垂らし、
終いには冷蔵庫を開けるとなんとも言えない腐臭さえした。

「ユキくん、最近帰り、おそいね・・」
「ユキくん 週末もお休み取れないの?」

そこそこ楽しそうに過ごしているように見えても、新しい土地で過ごす時間は長く感じられるのだろうか。
最初はやりくり上手な奥さんの話を鵜呑みにしての ただのやり過ぎかと思っていた。
それもだんだん度を越し始める。
かまって欲しくてわざとこんな事をやってるの?
夫婦の事にまでしたり顔でアドバイスするよその奥さんの、つまらない話に乗せられてるんじゃないの?
柚子が、買い込んだものを冷蔵庫や押入れに無理やり押し込む様子を横目で見ながら、幸弘はTVの音量を大きくし、ぱたりと横になる。

こんなことしなくても、ちゃんと話してくれたら聞くのに。
変わった仕事や環境の中、今は周囲に無理してでも合わせていかなくちゃいけない。
慣れたら上手に休暇も取る。一緒に散歩したりショッピングしたりもできる。だけど ちょっとだけ待ってほしいんだ。
僕だって転勤がプレッシャーになってないわけじゃない。
職場に行ってる方は もっと大変な思いをしてるんだ。
寂しいとか言ったって、好きに時間を過ごせる柚子の方が一日どれだけ楽なことか・・
考えていると、冷蔵庫や押入れに溢れた安売り商品に、幸弘は抑えがたい苛立ちを覚え始める。
つい大声を出してしまった次の日、それらの物たちは
柚子が新たに購入してきた巨大な冷蔵庫の冷凍室に、詰め込まれたのだった。

 ─ 今日こそ絶対片付ける、そしてきっちり柚子と話すんだ。
蹴散らされた枯葉が くるくると風に舞う様を見ながら幸弘は心に決める。遅い信号がやっと青になった。
足元に転がってきた枯葉を一つ踏みつけると、サクリと乾いた音を立て枯葉は簡単に粉々になった。

 *

まず、冷蔵庫の方のしなびた野菜をポリ袋に次々放り込み、卵や牛乳を全部テーブルに並べた。
冷凍室の引き出しはぎゅうぎゅうに詰め込まれていて開けるのすら苦労した。


「柚子、こんな買い方って、変だと思わない?自分で解ってる?」
柚子は小動物の様な黒目がちの瞳で、幸弘をただ見つめている。感情が読めない。
恐ろしく長く感じた沈黙の後、急に柚子はテーブルの卵の意味が今、解った・・とでもいうように にこりと笑い
のろのろとした口調で言ったのだ。
「ユキくん晩御飯 卵がいいの?」
「飯は食ってきた。」
「ユキくん卵、好きだものね」
「もう 飯食ってきたんだ。連絡しなくて悪かったけど」
「ユキくん 何がいい?オムレツにしようか?」
「消費期限切れてるんだよ、気づいてないわけじゃないだろ?」 
「何がいいかな。すぐ作るから。何にしようかな。」
間の抜けた柚子の台詞。あまりのかみ合わなさに怒る気さえ失せる。
「連絡しなくって怒ってるの?晩御飯食べる時間に帰れないんだ。残業続きだって言って・・」
ピシッ。
「そんなんじゃない」柚子の言葉と同時に、頭目掛けて卵が飛んできた。
壁にカツンと音たてて当り、殻が割れ、中身がどろりと出て滴る。
最悪の事態。2個目、
3個目。
「そんなんじゃない」「そんなんじゃないよ」
「よせ、よせったら、怒るぞ柚子!」
身構えたが 4個目は飛んでこない。
「・・・・」
「柚子?」
「・・・・」
「柚子?!」


机に突っ伏す柚子におそるおそる近づいてみる。
泣いているのかと思ったら 柚子は驚くべき早業で眠っていた。
拍子抜けする程平和な寝息。どっと疲れが出た。

 *

次の朝。すっきりした顔の柚子に幸弘は心底ほっとした。
向き合って食卓に着く。きれいに焼けた目玉焼きは平和な朝の象徴。
「いっただきまーす。」
消費期限が切れてたって構うものか。

ほっとしたのもつかの間。柚子は朝食の目玉焼きをぐしぐしフォークでつつき始めたのだ。
「何してんだよ。普通に食べなよ。」
「・・・」
「美味しいよ。傷んでないよ。大丈夫だよ。」
「・・・・」

「いつまで すねてる?頼むよ、こんなのいい加減にやめようよ」
色あせてきた花がいつまでも飾ってあるテーブルを幸弘がドンと叩く。
弾かれたように顔を上げ、まじまじとこちらを見、柚子はフォークをぽろりと取り落とした。
下手な芝居みたいに。

「ユキくんは私のこと、解ってない・・」
「そんなことないよ、誤解だよ。僕も柚子もちょっと疲れてるんだよ。
 今度こそ週末は休み取るからさ、一緒にゆっくり過ごして色々話そう・・な?」

「ユキくんは私のこと、解ってないよ・・」
「いや、昨日はたださ、ちょっと同じもの買いすぎなんじゃないかって、それだけ・・」
「ユキくんは私のこと・・・」

絶望的なリフレイン。

 *

柚子の所に早く帰らなくてはという思いと できれば少しでも遅く帰りたいという気持ちが交差する。
 ─病院に連れて行った方がいいのかも・・
いや、まさか そんなこと・・心配しなくても すぐに何もかも元通りになるかもしれない・・
淡い期待。身勝手な希望。
幸弘の考えが纏まらないうちに、家のドアが目の前にある。


「お帰り、ユキくん」
ドアを開けると明るい笑顔の柚子が立っていた。顔色もいい。それだけで安堵する。
「ただいま 柚子」
穏やかな時間がこんなにも有難いものか。
お腹は空いてなかったけれど、柚子が用意した夕食のおかずをビールのアテにして食べた。
傍で柚子はにこにこ笑っている。
 ─良かった、以前の柚子だ。
経理課に行くといつも笑顔で接してくれた。疲れた顔をしてると冗談言って笑わせてくれた。
 ・・懐かしい恋愛時代を思い返し、幸弘はくすりと笑う。柚子も笑顔で返してくる。

「いいことでもあったの?柚子」
「うん。後で・・ね」
「もったいぶって、何?聞かせてよ、どうしたの?」

柚子はにっこり笑って椅子を立ち、サイドボードからテニスボールくらいの大きさの丸い玉を持ってきて
ダイニングテーブルにさも大切そうに載せた。
透明で、中にぷつぷつと気泡のようなものが見える。
「何?水晶占いのおもちゃ?どうしたの、これ?」
ちょっとつつくとそれはゴムのような質感。巨大スーパーボール。

「ユキくん、信じる?これね、凄いんだよ。」
「何が?」
「毎日話しかけて優しくしてやると、だんだん温かくなってきて、もっと綺麗に輝くんだって。」
「・・・?」
「うんと温かくなって美しく輝く時、ユキくんと私の赤ちゃんがいい子で生まれてくるんだって。」
「赤ちゃんって・・僕らはまだ・・」
あと数年は作らないで二人で過ごそうって言ってたじゃない・・幸弘は言葉を飲み込んだ。
信じ切ったような柚子の言い方と、どう見ても馬鹿でかいだけのスーパーボール・・
からかわれているんだよな?これって 冗談でしょ?
「柚子ってば・・」
苦いものを感じながらも、ここはあえて笑い飛ばそうとしたのに、柚子は大真面目な顔で幸弘の言葉を遮り続きを言った。

「買い物に行こうとしたらね、道に迷った男の人が、道を聞いて来たの。
 私も詳しくないからって 一緒に家に帰って地図で探してあげたの。」
「わざわざ、連れて、帰って?」
「うん、喉が渇いて・・って仰るし」
「何、それ?新手の訪問販売とかじゃないの?」
「ううん、何にも売りに来たわけじゃないよ。ただ・・」
「ただ・・?」

「言葉が懐かしくって・・」

ああ・・言葉がね・・何となく納得した。だけど・・
「無用心にも程があるよ。危ない目に合わなかったから良かったものの・・
 親切にも程度ってものがあるだろう、そんな訳の解らない玉、くれるヤツなんて大体・・」
「中に入れたわけじゃないのよ。その人もここで結構ですって。」
「あたりまえだ、あれだけ玄関ドア開ける時でも注意しろって・・」
「だってお年寄りなのよ。結局、少し先の老人ホームまで案内してあげたの。」
「なんだ・・迷子のお年寄り?」
「私の手を握ってね、ありがとうって何度も何度も言って、これをくれたの。
 とても大切なものなんだけど、貴方に差し上げますって。」

「断ったのよ。そんな大事なもの頂けませんって。でも、ぜひ貴方にって仰って・・」
柚子は赤ん坊でも抱くようにその玉を抱え込み 愛しそうにほお擦りした。
「柚子・・?」
「あなたにいいことがありますようにって、大切にした分だけ、この玉も愛情を返してくれますよって・・」
「柚子!?」

柚子はぺったりと床に座って 膝にのせた玉を撫ぜながら、語りかけている。
優しく、この上なく幸せそうに。


 *

「玉」の効果か、柚子の精神状態は それからとても安定していた。
買い物の仕方もかなり落ち着いてきたし、他の事は今まで通りにこなすようになった。
不安を口にすることもないし、また社宅の奥さんたちとの交流も元通りになっているようだ。
それでも以前より柚子のところに帰る時 気が重い。
不審な巨大スーパーボールを毎日撫で続け語りかける柚子は、十分異様に思えた。

「子供が欲しいの?柚子。それならそうとちゃんと話して」
声を掛けると 柚子は穏やかに微笑んで言う。
「急いでなんかないよ。前その話は二人で決めたじゃない。」
「じゃあ、何で・・」
「だって、思いがけず・・って事もあるじゃない。その時に予定外って慌てるなんて可愛そうじゃない?
 それよりも、ずっと待ってたよ、って言ってあげたいもの・・」
頭がズキズキした。
どちらにせよ、こんな精神状態の柚子に赤ん坊が出来るなんて、それこそ不安だ。
その上柚子はこの頃 子供みたいに早寝だし、熟睡したら声を掛けたって起きやしない。

「ほら、前よりキラキラして綺麗になったでしょ。最近はあちらからも何か囁きが聞こえてくるんだよ」

 *

幸弘の出した手紙に返事をくれる代わりに、義母が慌ててやって来た。
怒られても当然だ・・幸弘も覚悟はしていた。
ほんの数ヶ月前、あんなに幸せにしますと言い切って結婚式を挙げたのだ。
ずっと傍にいて欲しいという義父母と涙ながらの別れをして転勤先の土地にやってきたのだ。

義母は幸弘を責めはしなかった。そして、深いため息をついた後、意外な事を言ったのだ。
「小さいときから引っ込み思案で、酷い人見知りする子なので心配してたんです。転勤先の社宅暮らしなんて・・」
「柚子が引っ込み思案で人見知り?」
誰の話だ?幸弘がきょとんとしているのを見、柚子の母はまた、ため息をつく。
こちらを見ていた柚子が慌てて目を逸らした。
「人付き合いが苦手で、辛いことをひとりで抱え込む子で・・・正直親としても悩んだ時期があるんです。
 やっぱり 貴方にもお話してませんでしたか・・。」
幸弘が会社で出会った頃の柚子は、そんなそぶりもなかった。
いつも笑顔の世話焼き柚子。愛想のいい、控えめだけど人当たりのいい女の子。
自慢の彼女、と同僚にも紹介し、友達カップルと一緒によく遊びにも行った。
人付き合いが苦手だなんて 一言も柚子は言わなかった。
 ─ 無理してたの?いつも柚子はあんなに朗らかだったのに?

 *
「柚子、柚子に無理して欲しかったわけじゃないんだ。
 柚子が新しい場所に馴染むのや 他人と付き合うのがそんなに苦痛だってこと知ってたら・・。」

義母を交えて、幸弘は柚子と向き合って話そうとしたが、柚子はずっと黙って例の玉をなぜている。
たまりかねた義母が「玉」を柚子の手から取り上げて言った。
「しっかりしなさい、柚子。ただのゴムの玉よ。まさか信じてるわけじゃないでしょ?」
「寂しい時は愚痴言っていいって言ったでしょ?こんなおかしな事になってしまうなんて・・」
義母は柚子を抱きしめて泣く。
「一緒に帰ろう、ね、柚子。少し母さんと父さんのところで休むといいわ。
 また治療が必要なのか、今必要なのはどうする事か、ゆっくり考えて答え出すといい。
 それくらい、幸弘さんも待ってくれるわよね?」
義母の腕の中で、柚子は小さな人形のように見えた。危うくて儚い小さな存在。
柚子の唇が細かく震え、綺麗な透明の涙のしずくがポロリ、柚子の頬を伝って落ちた。


 *
次の朝、柚子は冷蔵庫の中を自分で仕分けし、処分した。
しなび切った大根、ぱさぱさになったきのこ類。
冷やす必要もない缶詰の類。賞味期限の切れたもろもろの食品。
冷凍庫の中のひからびたチーズのかけら。
そして、うな垂れたまま義母に支えられるようにして幸弘の元を去り、元の居場所に戻って行ったのだった。
ひとことも言葉を残さずに。


柚子がいないだけで、部屋がからっぽになったような気がする。
柚子のせいでいらいらして、仕事さえ手につかなくなったとまで思っていたのに今は何のために明日から仕事をしたらいいのか解らない。
脱力感、喪失感、言いようも無い居心地の悪さ。
窓の外の風景が色を失い、やっと馴染んだはずの家の中もよそよそしく冷たい。

立ち尽くす幸弘の足元で何かがコロンと転がった。
見下ろすとそれは例の「玉」。
透明のゴム製の球体を、拾い上げて手の平に乗せる。
冷凍室でかちかちにされたあの一切れのチーズのように、それはキンと冷えきっていて
昨日柚子が撫ぜていた時よりも、ずっと小さく硬くなっているように見えた。
玉の中から、柚子のか細い声が聞こえる気がする。幸弘がゆっくり撫ぜると、一瞬、淡く光ったように思えた。
カサリと音をたてて、傍に残された手紙が落ちた。柚子からのメッセージだった。

「ユキくんへ

母の言ったこと、本当です。
克服したい、変わりたいと本気で思ったのは、ユキくんを知った頃からでした。
営業で苦労してるところ、接待で疲れているところ・・ユキくんを見て、 私と似てるものを感じて、ずっと応援していました。
ユキくんと付き合うようになって いつも楽しかった。
真っ直ぐに頑張ってるユキくんが好きでした。

 ユキくんが私のこと、もっと社交的な女の子だと思ってくれてることに気づいた時、 本当は違うんだって言おうかと ずっと迷っていました。 
でも、自分が変われるいいチャンスかもしれない・・ううん、きっともう変われてるんだ・・と思いたかった。
ごめんね。ユキくんのいい奥さんになれなかった。
でも、あの玉を撫ぜてたら心が落ち着いて、未来の私たちの赤ちゃんに励まされている気がしたの。

変ですよね。
きっとまた、私は壊れかけているのかもしれません。

昔お世話になった病院に 行ってみようと思います。
ここでの仕事の方が、ユキくんには合ってる気がします。
私のことは気にしないで、ゆっくり仕事に慣れてくださいね。

ごめんね。ふたりで幸せになれなくて。

                柚子    」


こんなことって・・・幸弘は手紙を繰り返し繰り返し読んだ。
柚子が謝ることなんて 何にもないのだ。
 ─ごめんねなんて 僕は柚子に言って貰える立場じゃない。

上着を引っつかむと車のキーを取り、靴を履きながら玄関ドアの鍵を閉め、幸弘は階段を駆け下りる。
まだ、間に合うかもしれない。
幸弘は柚子と義母が向かった空港へフルスピードで車を走らせた。
ごめん柚子、気がつくことができなくて。ほんとの柚子が見えてなかった自分が情けない。
ごめん、もう一度柚子と向き合いたい。

そんな言葉を伝えるために。それよりも、柚子をしっかり抱きしめるために。


手紙を開けるために、幸弘の手から落ちた「玉」は、そのまま転がり、開けた玄関ドアを抜け、階段を駆け下りる幸弘と一緒にトントンと階段を跳ねながら落ちた。
そして階段の一番下で、一回大きく弾み、どこかに消えた。

 ─信じるかな、柚子。
最後に見た瞬間、それは、温かな色の美しい光を放っていたんだよ。




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