Mystery Circle 作品置き場

おりえ

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

非常識  著者:おりえ



 激突! 爆発音! 断末魔!
 そう思う間もなく、目の前で繰り広げられる展開に、彼はただ立ち尽くすしかなかった。
 頭が働いてきたのは、砕けた何かの破片が、靴の上にコツンと当たってからだ。人間何かのきっかけで我に返るものだが、彼の場合はそれだった。
 鼻につく嫌なにおいには覚えがあった。ガソリンだろう。このままいけば引火するだろうとか、そんなことは何も思わず、ただ彼は危険も顧みずに駆け出した。何しろ中からうめき声が聞こえるのだ。頭が空の状態でも、無意識に人命救助に走れる我が身を、彼は後で誇らしく思っただろう。
 無残にもひしゃげた機体は無視して、彼はぶすぶすと黒い煙を吐き出し始めた中を進み、軽く咳き込んだ後、声のする方へ怒鳴った。

「大丈夫ですか!?」

 何が大丈夫なものか、もっと他に言葉はないのか。
 彼は呼びかけながら、吹き出しそうになるのをこらえる。熱風が肌をなぶり、たちまち全身から汗が玉の様に浮き出てきた。頭のてっぺんから眉毛に一直線に流れたそれは、身を乗り出した途端に目の中へ入り、一瞬視界がぼやける。顔を横に傾けると、それは鼻筋を流れ、口の中に浸透した。塩辛い。味を感じている暇は無いだろう!

「だずっ、だずげでぐでぇっ!」

 中からくぐもった泣き声が聞こえた。彼は機体に手をかけ更に身を乗り出そうとしたが、信じられないくらいの熱が一気に全身を駆け巡り、悲鳴をあげてその手を離した。熱いなんてものじゃない。痛かった! もう少し鈍かったら皮膚が張り付いていたに違いない。彼は恨みがましく手をどけた先の物体を見つめた。煙と汗で激しく咳き込み、汚れた手でジーンズのポケットをあさった。確か出かけにハンカチを入れたはずだった。今日は暑いから、必要になると思ったからだ。別の意味で必要になった。今朝の俺ありがとう!
 彼は口と鼻をハンカチで覆うと、少し後ろへさがり、怒りをこめて機体を蹴っ飛ばした。案外それはもろかったようだ。がらん、と音を立て、半壊した機体はあっさりと重力に負ける。しめた、と思った途端、黒い煙が突然彼の全身に向かって吠え出した!
「ぐ……っ!?」
 煙が目前に迫るのを確認した瞬間、彼は咄嗟に目をつぶり、ハンカチを押さえる手にちからをこめ、空いた腕で顔をかばった。ごうごうとうなりをあげ、熱風が突き抜ける!

「えぇっほ、げへっ、だれが、いるのがぁ!?」

 熱さと恐怖で身がすくむ。いっそ体の向きを変えて逃げてしまおうか。いや、体が動かない。足は進むか? だめだ、鉛を仕込んだようにびくりともしない!
 だが何故これほどの状況の中で、中の人物は無事なのだろうか?
 火の手があがらないのが幸いしているのだろうか。
 色々な感情がごちゃまぜになったが、少なくとも生存者がいることは間違いない。そのことが彼に勇気を思い出させた。
 彼は必死に足を動かした。煙はまだ衰えを知らないのか、それとも彼に個人的な恨みでもあるのかもうもうと取り囲んでいる。機体を蹴っ飛ばした腹いせに違いない。くそっ、後で見ていろ。おまえらなど水で根絶やしにしてくれるわ!
 視界が悪いせいで、足元がおぼつかない。今踏んだのはなんだ? 電線か? ありえない。近くに電信柱はなかったし、何よりここは。

「おおっ、だずがっだ! ずまねぇが、でぇ、がじでぐでぇっ!」

 声はだんだんと大きくなっている。よかった、まだ無事でいるのだ。だが何故こんな場所に? こんな、自分以外誰もいないような所に――
 考えながらも、彼は突き進んだ。しかしなんて機体だ。これだけ進んでいるというのに、一向に先が見えない。煙のせいで方向がおかしくなっているわけではあるまい。声を頼りに歩いているのだ。耳がおかしくなっているわけではないのなら、異常なのはこの機体だ。
 がちり、と何かの感触が足の裏から伝わってくる。電球? ガラスのような素材だ。だが確認している暇は無い。

「ぢーぐじょー! じぐじっだ! いでぇ! うごげねぇ!」

 元気なヤツだ。
 彼は浅い呼吸をしながら笑った。ひゅっと息を吸い込んだせいで、肺が詰まって呼吸が止まる。だめだ、と思った時にはすでに遅く、彼の体は永遠に終わらない発作に囚われた。咳をする。息をする。咳をする。息をする。咳をする。息をする。咳をする。息をする。
 咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を息を咳を


「やがまずぃわっ!!! はよごっぢぎてだずげてぐでぇ!」
「ぐぇぼっ!!!! ………っひゅ………っ」

 彼の発作に耐え切れなくなったような声と共に、空気の塊が彼にぶつかった。
 ばうんっ、と重たい感触と共に、ほんの一瞬だけ煙がなくなった。彼は慌ててそれを逃すまいと口を開けて吸い込み、肺を落ち着かせることに成功した。
 コンコンと軽く咳き込むと、喉が切れたのか血の味が口の中に広がった。息を吸うと喉全体が悲鳴をあげた。涙と鼻水が滝のように流れ出し、ハンカチがぬめる。だがこれを手放すわけにはいかない。
 彼はくそっと悪態をつきながらよろけ、声のする方へ慎重に歩みを進めた。こうなったら死んでもいいとさえ思う。火でも煙でもいくらでも来やがれ! もうやけだ。声の主に出会ったら、手を伸ばす前に一発殴ってやる! 人がこんな思いまでして来てやってるのにあの態度はなんだ!!

「あぁっ、もうだめだ……もう……あぁあぁあああぁあ」

 声はそんなことを言いながらもまだまだ元気のようだ。それどころか煙に巻かれているにも関わらず、どこか楽観しているような感じさえする。自分はこんなにボロボロだというのに。これなら助けてやる必要もないのではないか?
 ばりん、と何かを踏みつける。それが合図になったかのように、ふわっと視界が開けた。煙が彼を真ん中にきれいに左右に分かれ、霧散していく。
 彼はぜいぜいとあえぎながら、下を見た。喉ががりがりと痛んだ。

「……なんら、これ」

 枯れた声が出た。痛みを忘れた。
 ぼやける視界の中で見えたのは、七色に光るガラス玉だった。しかし丸くはない。小さい頃に食べた金平糖のような形をしていた。
 かがんで拾おうかとも思ったが、下を向いた瞬間吐き気を覚えたのでやめておく。前へ向き直り、彼はそっと周囲を見渡した。

「うぁ、すげ」

 ハンカチ越しからでもわかる透明な空気に、彼は湿ったハンカチを外そうとする。しかし思いなおして強く鼻をかんだ。煤で汚れたハンカチを畳みながら顔中を拭い、無造作に投げ捨てる。もう使えない。
 全身真っ黒に汚れた彼は、何か釈然としないものを感じていた。
 銀色に光る内部。金平糖がたくさん落ちてる光る床。どういうことだ。

「だずがっだぁ! あぁあああんだがだずげでぐでだんが。あんがど。あんがど!」

 あれだけ煙が立ち込めていたのに。機体はぱっくりと割れ、断面図まではっきり見える。なんだこれは。
 彼は拳を握り締めた。

「おでのごどば、わがっか? 翻訳機の接触がわるぐでな、わがんながったら、ちっとまっででぐで」

 銀色に光る身体。
 空洞のような巨大な目。穴しかない鼻腔。異様に小さい口。
 今目の前で機材に埋もれてじたばたしているのは、明らかに人間ではなかった。








 しかし彼には、どうでもよかった。

















 あー。あー。テステス。
 聞こえますか、聞こえますかー。
 ん、ん、んんっ、えーと、あれ、おかしいな、接触が。
 あ、わかる? OK? よーしよしよし。ホッ、そんなに壊れていないみたいだな。
 お? お? 何? あ、助けてくれる? 助けてくれんの? うーわー助かる。マジで助かる。
 アリガタマキン。超アリガタマキン。
 え? え? 何その顔。っかしーな、まだ直ってないのかな。
 何言ってるって、やだな、感謝の意を言葉にしてるんじゃないか。アリガタマキン。
 えっ、もうしゃべんなってなんでよ。なんだよーこの星の人間は冷たいよなー。あんたらさー、もっと色々しがらみとか捨てたらどうよ? だって変だもん。頭に何それ、何乗っけてんの。キモくね? なんかうげっ、一本一本生えてる!? 何コレ!? キモっ! カミノケ? 何それ。もーやめろって。そんなのやめろよ。無駄な栄養使ってんなよそんなモンに。あっ、あ――っ! ちょ、ちょっ、待って! 行かないで! イケてるよそれ! カミノケ超いい感じ! すっげーなうらやましーよ! マジで!
 あっ、ああ、ああ、アリガタマキン。マジでアリガタマキン。
 え? 何笑ってんの。失礼なヤツだな君はー。お礼言ってるのに笑いで返すってどんな教育受けて育ってんの。まさかそれがこの星の礼儀? アリガタマキン言ったら笑うのが礼儀!? うわっ、メモっとこ。この星の人間は、感謝すると笑いますよーっとな。もう最低な星だね。俺も結構色々回ってるほうだけど、こんなモン乗っけてこんな態度する星の人間初めてだわ。
 ああああいやいやいやいや! 暴力はやめようよー。平和的じゃないなー。メモっちゃうよー?
 え? あ、ホラ自由研究だよ。あんたら低俗な星の人間にもあるでしょ、そういうの。あ、うんうん、宿題宿題。
 参ったよー。ちょっと降りて調べて帰るつもりがさー、ドジ踏んじゃって。
 ん? ああ、これ自己修復できるから平気。煙も途中で止まったっしょ? まあおたくら低俗な星にはこんなすっげーもん作れる技術はないと思うけどねえ、あっはっはー。
 はい? あ、汚れたと。機体はキレイなのになんで自分だけこんな汚れたんだと。はぃはぃ。そりゃあんたが湿ってるからでしょ。無駄に水分放出してっから、余計な汚れがくっつくんだよ、ダッセーの。ははは、笑っちゃうね。俺みたいに乾いとけ。
 んでおたくは何してんの、こんな山奥で。
 えーっ、マジで? おたくも自由研究? ははは、昆虫でも捕まえようってか。幹に蜜塗って? 明け方虫がたかってたら捕獲しようってハラ? いやーすごいよね、おたくらみたいな進歩が遅れてる星の人間の考えることはさ。
 虫なんか捕まえてどうすんの? 標本にでもすんの? 趣味わっるいよね、だって死体をなんだっけーほら、あ、そうそう、虫ピン? 虫ピンでとめて、みんなに自慢げに見せるんでしょ? 俺笑っちゃったよ。生命体は生きてる内が華。動いてるからこそ価値があるもんじゃん。そんなアンタ、死体を見せびらかすってどんなんですか。そんなんしてっから絶滅種なんて言葉ができるんだよ。もう情けないね俺は。同じ宇宙で暮らしてる身として、あんたらみたいな低俗な生物が存在していること自体が許せないっつーか。
 お? 何よ、機体に興味ある? まあ、あんたらには程遠いもんだもんね、せいぜい完全に直るまで見ているがいいよ。俺も怪我したのゆっくり治したいしね。話でもしてようや。
 んー? あ、俺? 俺は見ての通り、ひ弱なのが売りだね。あんたらみたいな野蛮人じゃないもん。暴力反対だよ。細胞を活性化させて傷を修復するのが取り得だぁね。え? おいおい、口の悪さもだろってそりゃないんじゃないの。俺ほど紳士なヤツはいないよ? 星でも評判のジェントルメンだっつーの。













 彼はそこまで聞いてから、おもむろに銀色の単細胞をぶん殴った。
 単細胞は声も出さずに真横に吹っ飛んだ。かつんと、翻訳機だと言った小さな機械も一緒になって転がったが、彼にとってはどうでもよかった。

「ったく、割りに合わねーだろ。せっかく助けてやったのに、人間ならまだしもなんだこれ」

 おまけに汚れひとつない機体。先ほど蹴飛ばしてやった破片も、いつの間にかくっついている。なんて嫌なやつなんだ。

「うあーーーっ、喉いてぇし! 服も体も真っ黒だし! 自由研究も終わらねぇし!」

 陽が暮れてから来たので、もう辺りは真っ暗だ。懐中電灯を持ってきていたが、突然空から変な機体が降ってきて、木をなぎ倒して衝突して、中から断末魔のような悲鳴が聞こえて。
 なんて散々な一日だ! 夏休みは後少ししか残っていないというのに!
 彼は散々悪態をついてから、銀色の単細胞の細い腕をつかんだ。
 単細胞は小さな口をぱくぱくと動かし、それから転がった翻訳機を慌てて片方の手でつまみあげ、口に含んだ。

「なんてことすんのぉ? あんたなんてことすんのぉ!?」
「やっかましいわ! もうおまえでいいわ!」
「は!? 何が!?」
 彼はずるずると、単細胞の腕を引きずって歩き出した。
 ひ弱だと自称しただけはある。単細胞は仔猫のように軽かった。
「ちょ、何、どこ行くん!?」
「せっかく色んな珍しい虫捕まえて、夏休み明け自慢しようと思ってたのに! おまえのせいだからな!」
「何がよぉ!? アンタ何言ってんのよぉ!?」

 単細胞はむちゃくちゃに暴れたが、爪のない仔猫がじゃれているようにしか感じない。彼はよっこらせと直りかけの機体から飛び降り、単細胞はずるりと地面に落ちた。

「ところでオマエ、何食べて生きてんだ? 自由研究で発表するまで死なれちゃ困るからよー」
「だから何の話!? 翻訳機故障中!?」
「肉食だったらやだよなー。檻入れるしかねぇかなぁ」

 彼がやれやれと思いながら帰り道を行っている最中も、単細胞は両手足を振り回して暴れ続けた。

「あああっ、あんた!? アタシをなんだと思ってんの!? アタシはそんじょそこらの――」
「なんだこいつ? 叩くと言葉が変化すっぞ。おもしれぇ」

 彼がまた殴ってみっかと笑うと、単細胞は鳥のような声で鳴いた。

「キエエエエエエエッ!? 暴力反対!! 出るとこ出てもいいんだからね!?
 ちょっと!? 弁護士はどこよぉおおお!?」

 しまいには、わけのわからないことをわめき散らした。




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