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Last update 2008年03月16日

視線の先の白  著者:Glan



 そう、だから私はここに一つ経験談を提示しようと思う。
 人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて私は嫌だ。
 かつて私は、物語を紡ぎ出すことに快楽を見出していた。脳内という小宇宙から生み出される血と肉とを伴った人間たちが織りなすドラマ。様々な感情が飛び交い、バラバラに見えるピースが最後には一つの場所にいっぺんの狂いもなく当てはまり、一つの像を映し出す。読む人の心は、その過程において大きな変化を伴っていく。
 そう、作家である私は、物語によって人の心を変えることが出来る。それこそがたまらなく快感であるのだ。
 だがそれは、他者の心を変えるだけではなかった。私自身の心すら変えたのだ。
 物語を生み出すたびに、私の心は「物語る私」から「物語る私を物語る私」へと変容していった。
 すなわち、自我と密接に、もっと言ってしまえば同化しかけていた作家としての私という存在は、物語るという行為を繰り返すその内に離れていき、やがて客観視できるほどの距離を持ってしまうまでになっていたのである。私は、そんな変化に気づくのにずいぶんと時間がかかった。
 初めは小さなストレスという形で、私の分裂した心は、齟齬をきたしていることを伝えてきた。
 物語の中において、何故か自分が現れるようになったのである。よく、小説においては作家を模した、または明らかにモデルとして参考にしていると思われる登場人物が現れることがあるが、それとは微妙に違う。まさしく「私」そのものが劇中に姿を現してしまったのである。
 それはファンタジー、時代小説、SFなど、どんな時代設定であっても関係なく登場した。気持ちの悪いくらい、その場にふさわしくない「私」が突然現れ、現状についての不満を、物語の脈絡とは関係なく話し始めるのである。
 これは、今まで物語ることが快楽であった私にとっては、耐え難い苦痛になった。執筆中、一種のトランス状態になっている(と私は考えている)自分にとって、勝手な登場人物による物語の混乱は、執筆する上での時間の無駄という現実的な問題だけではなく、私自身のモチベーションの低下という事態まで引き起こしたのだ。
 心が分裂したなどと考えられない私は、その理由を必死で考え結論を出そうともがく。しかし、肝心なところが深い闇に覆われた状態では、いくら考えてもその闇の周辺に何があるのかを考察しているに過ぎず、的外れな、納得のいかないものが頭の上に浮かび上がってくるだけだった。
 人は脆い生物で、たった一つ結論が出ないことが頭の隅にあるだけで、全ての歯車が狂ってしまう。
 私は、文字通り人生という階段を勢いよく転げ落ちていった。今更言うまでもないことだが、長い長いスランプと、そのストレスから起こした数々の犯罪によって、である。
 全てを失い、途方に暮れていた冬のある日。真っ白な朝方の街を歩いていた私は、東の空に見えた焼けるような朝日を見たとき、突然大きな「気づき」を得た。それは、まるで脳内で耳をつんざくような大爆発が突然起きたと言って良いぐらい、突発的で衝撃的な体験だった。
 私は過去のある瞬間から起こった全ての出来事の理由の根源を知った。
 それからの私は、気づき以前よりも若干スムーズに生活を送れるようになっていた。だが、だからと言って必ずしも「以前と同じような」生活が再現できるわけではなく、一度失敗をすると次々と失敗が重なるがごとく、私はしばらく苦しみ続けることとなった。
 まず考えたのは、離れてしまった二つの心を、再びもとの状態に戻せないかということだった。
 物語る私は、盲目的な人間である。快楽追求のためならどんなことでもする、それが恥ずかしいとは思わない、つまりは獣のような本能に突き動かされていた。
 一方、物語る私を物語る私は、物語る私と比べたら理性的な存在である。ただし、理屈っぽいが故に純粋な感性の波に身を任せることが出来ず、ストレスに大きな影響を受け、落ち込みやすい。
 物語る私という状態では、気にも留めていなかったことが、今の物語る私を物語る私という状態では、気になってしょうがない。それだけでなく、それに左右されすぎて本来の生活に支障をきたしてしまうほどだ。
 離れてしまった心は、本来決して癒着したりはしないはずのものだ。「主観」と「客観」がそもそも重なって私の中にあったという事実そのものが異常なのではないかと思ったりしたけれど、それが「私」にとって正常であったことなら、と無理やり自分を納得させていた。元々対立しているものを、無理やり重ね合わせることなど出来やしない、と頭の片隅では感じてはいながら。
 ここまで書いたとき、私は何かとてつもなく恐ろしいものを感じている。気配を察知している。
 今は2月22日午後11時13分45秒だが、胸の辺りから湧き上がるような、おぞましい何かが私の魂を包囲している。
 何故こんなことを小説にしようと思ったのか、何故こんなことを書いているのか、そもそも"私"はいったい"何処"にいるのか。
 言葉による記録は人々が考えているよりもはるかに移ろいやすく曖昧で、脆いものだ。
 たとえばここに書かれた私に関する文章は、はたして本物なのか、誰にも分からない。そう私にも分からない。
 作家綾瀬ホタルは一体どこにいるのか、何をしているのか、何を感じ生きているのか、何故生きているのか。
 またたとえばこの文章が私を名乗る"誰か"によって、ある小説サークルの課題として、書かれた物である可能性は?
 窓から見えるのは真っ白な銀世界? それともぬくもりの欠片もない機械の街?
 私は男? 私は女? 私は人間?
 そのどれもが、この文章において意味を持たず、この文章の意味さえ消えてしまう力を持っているのである。
 言葉というものは、きわめて乱暴である。物語る私は、物語る私を物語る私を言葉によって押しつぶした。そう、私はもはや「物語の私」なのである。そこに高尚な意識は存在し得ない。

end




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