Mystery Circle 作品置き場

空蝉八尋

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nightstalker

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Last update 2008年04月12日

奏世記  著者:空蝉八尋



 瞳の奥に、あんなに赤い血の色が見えるなんて。
 目玉を半分に切って、順番に角膜、虹彩、水晶体、毛細体。
 私の胸の奥は熱くなった。何だか正体のわからないものに焼かれ、焦げて燃え尽きていくように熱くなった。
 また逆に、刃を握った手の平が冷たくなっていく。閉じた口から言葉は零れず、冷静とはまた別の視線を投げかけていた。
 こんなもので、出来ていたのだと。
 バラしてしまえばなんの意味もなさない、転がるただの部品を見て、私は酷く消沈したのだ。
 もっと、何かがあるのかもしれない。
 しかしそれはいくら月日が経とうとも、触れることも、目にできることすらなかった。
 行き場を無くした冷えた手は、自力で握りしめるしか術がない、そんな言い訳が何度もよぎっていく。
 創り出したい。と強く願うようになった頃。
 世界は著しく変わっていた。
 まったく変化してないと言えばそうなのかもしれないが、表面から見れば変わっていたのだ。
 あの子がアダムで、私がイヴ。真っ赤に熟れた禁断の果実は、私の心臓。


「ミス・ツバサ」
「なんでしょう、ドクター・シャール」
 私は彼の物言に、ふざけた返事を返した。その証拠に、彼もまた込み上げる笑いを堪えている。
「いつまでにらめっこしてんのさ。少し休憩したらいいよ」
「最後の仕上げをしなくちゃ……間に合わなくなたら困るでしょ?」
 私は眼鏡をかけなおすと、キーボードの上で往復する手を振った。
 そんな様子を横眼で見ながら、シャールはヘッドフォンを取り立ち上がる。
「ねぇ、ツバサ」
 カタカタ、カタカタ。この空間は機械的。
「なぁに? さっきから」
「実験のことだけどね、一週間後に決まったっぽいよ」
「……すいぶん急いでるのね?」
「時間も無いからでしょ。俺とツバサがこの研究所で居られるのも今年いっぱいだし」
 シャールは湯気のたつコーヒーのカップを手に、フィルムケースの立ち並ぶ棚の前へ立つ。
 部屋の中央で広がる大画面に、厳重な警備システムで固められた機械が、何の変哲もなく映されていた。
「こいつも、ここまで大きくなったんだなぁ」
 しみじみ零したシャールの言葉に、私は心の底から笑ってしまった。
「大きくなんかないわよ」
 大きく複雑な電機コードで繋がれた機械の中身は、
 たった一枚の、
 レコードだと言うのに。
「実験が成功したら、いよいよツバサちゃんともお別れかー。淋しいねぇ」
「……成功、しなければいいのにね」
 シャールの宙を浮いていた目が、私をしっかりとらえる。
「ツバサ。それホントにそう思ってんの?」
「実験ね。実験……人が死ねば、実験成功。そんなもの、失敗すれば良い」
「……ははっ。なーんか今更じゃないの? このシステム作ったの、他でもない君でしょう」
 私とシャールは、同時に画面へと視線を移した。心電図にも似た小さな音が、絶えず響く画面の中身。
 風の通り抜けるような音がかすかに聞こえ、動くものと言えば、点滅する光しか無い。
「優秀すぎたよ、俺も君も。そうじゃなかったら、こんな国軍研究所にカンヅメになんかされなかったろうね」
「そんなの、弁解にもならないわ」
 シャールの深いため息が届いた。

「真面目すぎるんだよ君は。君が開発した"音"は、無駄な争いを終わらせることが出来る。素晴らしいじゃない」 

「そうね。すべてを、ね……」
 その何の変哲もないレコードには、ある音が記されていた。
 音声兵器、と国は呼ぶ。
 知らぬ間に、じわりじわりと人体を弱らせ内臓を破壊し、いずれは死に至らしめる"音"が。
「昔、昔の偉い人も、そんなことを言ってたわね。でも、素晴らしい結果にはならなかったの」
「今は違うよ。それは過去で、これは未来だ。君の開発は、世界を救う」
 なんて穏やかで、聞き心地の良い言葉。
 思わず甘えたくなるような、選び抜かれた、そんな優しい言葉。
 簡単に、飲みこまれてしまう。
「違うの……違うのよ、シャール」
 遠い過去。
 一番、大切にしなければいけないもの。
「私は、見たかっただけなのよ。知りたかっただけなのよ。自分が触れられればよかったの。それだけだったのに……」
 罪悪感に苦しんでいるのだと、彼はそう感じただろう。
 私はそれほど大人ではなかった。ただ、自分の事だけを考えているような、幼い子供なだけの私。
「人助けマシーンか、殺人マシーンか? それは、世界が決めることよ。私と貴方が決めることじゃない」 
「ツバサ……」
 どこから、私はこうなったのかしら。
 けして不名誉ではないのに、むしろこれほどまでにない名誉なのに、何故。
「泣きそうだ」
「どうして、貴方が泣くの」
「違う。俺じゃない君が」
「なぜ……」
 どこから、私と貴方は違うのかしら。
 同じ物質で出来ているはずの人間は、どうしてこうも違うのかしら。
「くだらなくて、涙も出ない」
「……でもねツバサ」
 シャールは画面に手を伸ばし、そっと触れた。
「もう今、新世界は見えているんだ。逃げられないんだ。この子は……音は」
 世界を変える、ひとつの音は。
「生まれてくる」
 何にも変えられない、変えることなど不可能な世界。
 それを変えることが出来るのならば。
 私の手など必要なかった。
 ただ、それを変えることが出来るのならば。 
 変えることの出来る世界は、それまでのもので。
 その力すら、変えることができる。
「シャール」
 私は椅子にかけ、キーボードを叩くことを静かに再開した。
「私、決めた」
「なにをだい?」
「この子の、名前を」
 画面に映る、破滅を呼ぶ救世主を見つめる。
 小指、中指、薬指、中指。
 A,D,A,M,
「アダムよ」
「良い名前じゃない。……さしずめ君がイブって所かな? あれ? 僕は?」
 私は笑った。少し拗ねた彼と、アダムに。
「パスワードを、最後にかけなきゃいけなかったわね」
「そうだね。まあ、君が決めることなんだけど」
「心臓を」
「え?」
 私は、自分の膨らみの乏しい胸の左側を、手の平で覆った。

「パスワードに、私の心音を」

 シャールの整った顔が、ひどく強張って、それこそ泣きそうにみえた。
「ツバサ……!」
「真っ赤に熟れた禁断の果実は、私の心臓よ。シャール」
 この世界が終るとき。
 アダム、貴方の役目が終わるとき。
 私の役目も終わりになるの。
 さようなら。
 さようなら。

「俺が、終わらせやしないよ」 
 シャールは初めて、笑いながら泣いた。 

 私の心臓が止まるとき。
 貴方が世界を変えた時よ。可愛いアダム。
「ありがとう」 

 行き場の無くした手は、変わらず冷えていくばかり。
 ただ、今は。
 ときどき、冷たくなった手を、あなたの背中に回して温めてもらった。




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