Last update 2008年04月12日
奏世記 著者:空蝉八尋
瞳の奥に、あんなに赤い血の色が見えるなんて。
目玉を半分に切って、順番に角膜、虹彩、水晶体、毛細体。
私の胸の奥は熱くなった。何だか正体のわからないものに焼かれ、焦げて燃え尽きていくように熱くなった。
また逆に、刃を握った手の平が冷たくなっていく。閉じた口から言葉は零れず、冷静とはまた別の視線を投げかけていた。
こんなもので、出来ていたのだと。
バラしてしまえばなんの意味もなさない、転がるただの部品を見て、私は酷く消沈したのだ。
もっと、何かがあるのかもしれない。
しかしそれはいくら月日が経とうとも、触れることも、目にできることすらなかった。
行き場を無くした冷えた手は、自力で握りしめるしか術がない、そんな言い訳が何度もよぎっていく。
創り出したい。と強く願うようになった頃。
世界は著しく変わっていた。
まったく変化してないと言えばそうなのかもしれないが、表面から見れば変わっていたのだ。
あの子がアダムで、私がイヴ。真っ赤に熟れた禁断の果実は、私の心臓。
目玉を半分に切って、順番に角膜、虹彩、水晶体、毛細体。
私の胸の奥は熱くなった。何だか正体のわからないものに焼かれ、焦げて燃え尽きていくように熱くなった。
また逆に、刃を握った手の平が冷たくなっていく。閉じた口から言葉は零れず、冷静とはまた別の視線を投げかけていた。
こんなもので、出来ていたのだと。
バラしてしまえばなんの意味もなさない、転がるただの部品を見て、私は酷く消沈したのだ。
もっと、何かがあるのかもしれない。
しかしそれはいくら月日が経とうとも、触れることも、目にできることすらなかった。
行き場を無くした冷えた手は、自力で握りしめるしか術がない、そんな言い訳が何度もよぎっていく。
創り出したい。と強く願うようになった頃。
世界は著しく変わっていた。
まったく変化してないと言えばそうなのかもしれないが、表面から見れば変わっていたのだ。
あの子がアダムで、私がイヴ。真っ赤に熟れた禁断の果実は、私の心臓。
「ミス・ツバサ」
「なんでしょう、ドクター・シャール」
私は彼の物言に、ふざけた返事を返した。その証拠に、彼もまた込み上げる笑いを堪えている。
「いつまでにらめっこしてんのさ。少し休憩したらいいよ」
「最後の仕上げをしなくちゃ……間に合わなくなたら困るでしょ?」
私は眼鏡をかけなおすと、キーボードの上で往復する手を振った。
そんな様子を横眼で見ながら、シャールはヘッドフォンを取り立ち上がる。
「ねぇ、ツバサ」
カタカタ、カタカタ。この空間は機械的。
「なぁに? さっきから」
「実験のことだけどね、一週間後に決まったっぽいよ」
「……すいぶん急いでるのね?」
「時間も無いからでしょ。俺とツバサがこの研究所で居られるのも今年いっぱいだし」
シャールは湯気のたつコーヒーのカップを手に、フィルムケースの立ち並ぶ棚の前へ立つ。
部屋の中央で広がる大画面に、厳重な警備システムで固められた機械が、何の変哲もなく映されていた。
「こいつも、ここまで大きくなったんだなぁ」
しみじみ零したシャールの言葉に、私は心の底から笑ってしまった。
「大きくなんかないわよ」
大きく複雑な電機コードで繋がれた機械の中身は、
たった一枚の、
レコードだと言うのに。
「実験が成功したら、いよいよツバサちゃんともお別れかー。淋しいねぇ」
「……成功、しなければいいのにね」
シャールの宙を浮いていた目が、私をしっかりとらえる。
「ツバサ。それホントにそう思ってんの?」
「実験ね。実験……人が死ねば、実験成功。そんなもの、失敗すれば良い」
「……ははっ。なーんか今更じゃないの? このシステム作ったの、他でもない君でしょう」
私とシャールは、同時に画面へと視線を移した。心電図にも似た小さな音が、絶えず響く画面の中身。
風の通り抜けるような音がかすかに聞こえ、動くものと言えば、点滅する光しか無い。
「優秀すぎたよ、俺も君も。そうじゃなかったら、こんな国軍研究所にカンヅメになんかされなかったろうね」
「そんなの、弁解にもならないわ」
シャールの深いため息が届いた。
「なんでしょう、ドクター・シャール」
私は彼の物言に、ふざけた返事を返した。その証拠に、彼もまた込み上げる笑いを堪えている。
「いつまでにらめっこしてんのさ。少し休憩したらいいよ」
「最後の仕上げをしなくちゃ……間に合わなくなたら困るでしょ?」
私は眼鏡をかけなおすと、キーボードの上で往復する手を振った。
そんな様子を横眼で見ながら、シャールはヘッドフォンを取り立ち上がる。
「ねぇ、ツバサ」
カタカタ、カタカタ。この空間は機械的。
「なぁに? さっきから」
「実験のことだけどね、一週間後に決まったっぽいよ」
「……すいぶん急いでるのね?」
「時間も無いからでしょ。俺とツバサがこの研究所で居られるのも今年いっぱいだし」
シャールは湯気のたつコーヒーのカップを手に、フィルムケースの立ち並ぶ棚の前へ立つ。
部屋の中央で広がる大画面に、厳重な警備システムで固められた機械が、何の変哲もなく映されていた。
「こいつも、ここまで大きくなったんだなぁ」
しみじみ零したシャールの言葉に、私は心の底から笑ってしまった。
「大きくなんかないわよ」
大きく複雑な電機コードで繋がれた機械の中身は、
たった一枚の、
レコードだと言うのに。
「実験が成功したら、いよいよツバサちゃんともお別れかー。淋しいねぇ」
「……成功、しなければいいのにね」
シャールの宙を浮いていた目が、私をしっかりとらえる。
「ツバサ。それホントにそう思ってんの?」
「実験ね。実験……人が死ねば、実験成功。そんなもの、失敗すれば良い」
「……ははっ。なーんか今更じゃないの? このシステム作ったの、他でもない君でしょう」
私とシャールは、同時に画面へと視線を移した。心電図にも似た小さな音が、絶えず響く画面の中身。
風の通り抜けるような音がかすかに聞こえ、動くものと言えば、点滅する光しか無い。
「優秀すぎたよ、俺も君も。そうじゃなかったら、こんな国軍研究所にカンヅメになんかされなかったろうね」
「そんなの、弁解にもならないわ」
シャールの深いため息が届いた。
「真面目すぎるんだよ君は。君が開発した"音"は、無駄な争いを終わらせることが出来る。素晴らしいじゃない」
「そうね。すべてを、ね……」
その何の変哲もないレコードには、ある音が記されていた。
音声兵器、と国は呼ぶ。
知らぬ間に、じわりじわりと人体を弱らせ内臓を破壊し、いずれは死に至らしめる"音"が。
「昔、昔の偉い人も、そんなことを言ってたわね。でも、素晴らしい結果にはならなかったの」
「今は違うよ。それは過去で、これは未来だ。君の開発は、世界を救う」
なんて穏やかで、聞き心地の良い言葉。
思わず甘えたくなるような、選び抜かれた、そんな優しい言葉。
簡単に、飲みこまれてしまう。
「違うの……違うのよ、シャール」
遠い過去。
一番、大切にしなければいけないもの。
「私は、見たかっただけなのよ。知りたかっただけなのよ。自分が触れられればよかったの。それだけだったのに……」
罪悪感に苦しんでいるのだと、彼はそう感じただろう。
私はそれほど大人ではなかった。ただ、自分の事だけを考えているような、幼い子供なだけの私。
「人助けマシーンか、殺人マシーンか? それは、世界が決めることよ。私と貴方が決めることじゃない」
「ツバサ……」
どこから、私はこうなったのかしら。
けして不名誉ではないのに、むしろこれほどまでにない名誉なのに、何故。
「泣きそうだ」
「どうして、貴方が泣くの」
「違う。俺じゃない君が」
「なぜ……」
どこから、私と貴方は違うのかしら。
同じ物質で出来ているはずの人間は、どうしてこうも違うのかしら。
「くだらなくて、涙も出ない」
「……でもねツバサ」
シャールは画面に手を伸ばし、そっと触れた。
「もう今、新世界は見えているんだ。逃げられないんだ。この子は……音は」
世界を変える、ひとつの音は。
「生まれてくる」
何にも変えられない、変えることなど不可能な世界。
それを変えることが出来るのならば。
私の手など必要なかった。
ただ、それを変えることが出来るのならば。
変えることの出来る世界は、それまでのもので。
その力すら、変えることができる。
「シャール」
私は椅子にかけ、キーボードを叩くことを静かに再開した。
「私、決めた」
「なにをだい?」
「この子の、名前を」
画面に映る、破滅を呼ぶ救世主を見つめる。
小指、中指、薬指、中指。
A,D,A,M,
「アダムよ」
「良い名前じゃない。……さしずめ君がイブって所かな? あれ? 僕は?」
私は笑った。少し拗ねた彼と、アダムに。
「パスワードを、最後にかけなきゃいけなかったわね」
「そうだね。まあ、君が決めることなんだけど」
「心臓を」
「え?」
私は、自分の膨らみの乏しい胸の左側を、手の平で覆った。
その何の変哲もないレコードには、ある音が記されていた。
音声兵器、と国は呼ぶ。
知らぬ間に、じわりじわりと人体を弱らせ内臓を破壊し、いずれは死に至らしめる"音"が。
「昔、昔の偉い人も、そんなことを言ってたわね。でも、素晴らしい結果にはならなかったの」
「今は違うよ。それは過去で、これは未来だ。君の開発は、世界を救う」
なんて穏やかで、聞き心地の良い言葉。
思わず甘えたくなるような、選び抜かれた、そんな優しい言葉。
簡単に、飲みこまれてしまう。
「違うの……違うのよ、シャール」
遠い過去。
一番、大切にしなければいけないもの。
「私は、見たかっただけなのよ。知りたかっただけなのよ。自分が触れられればよかったの。それだけだったのに……」
罪悪感に苦しんでいるのだと、彼はそう感じただろう。
私はそれほど大人ではなかった。ただ、自分の事だけを考えているような、幼い子供なだけの私。
「人助けマシーンか、殺人マシーンか? それは、世界が決めることよ。私と貴方が決めることじゃない」
「ツバサ……」
どこから、私はこうなったのかしら。
けして不名誉ではないのに、むしろこれほどまでにない名誉なのに、何故。
「泣きそうだ」
「どうして、貴方が泣くの」
「違う。俺じゃない君が」
「なぜ……」
どこから、私と貴方は違うのかしら。
同じ物質で出来ているはずの人間は、どうしてこうも違うのかしら。
「くだらなくて、涙も出ない」
「……でもねツバサ」
シャールは画面に手を伸ばし、そっと触れた。
「もう今、新世界は見えているんだ。逃げられないんだ。この子は……音は」
世界を変える、ひとつの音は。
「生まれてくる」
何にも変えられない、変えることなど不可能な世界。
それを変えることが出来るのならば。
私の手など必要なかった。
ただ、それを変えることが出来るのならば。
変えることの出来る世界は、それまでのもので。
その力すら、変えることができる。
「シャール」
私は椅子にかけ、キーボードを叩くことを静かに再開した。
「私、決めた」
「なにをだい?」
「この子の、名前を」
画面に映る、破滅を呼ぶ救世主を見つめる。
小指、中指、薬指、中指。
A,D,A,M,
「アダムよ」
「良い名前じゃない。……さしずめ君がイブって所かな? あれ? 僕は?」
私は笑った。少し拗ねた彼と、アダムに。
「パスワードを、最後にかけなきゃいけなかったわね」
「そうだね。まあ、君が決めることなんだけど」
「心臓を」
「え?」
私は、自分の膨らみの乏しい胸の左側を、手の平で覆った。
「パスワードに、私の心音を」
シャールの整った顔が、ひどく強張って、それこそ泣きそうにみえた。
「ツバサ……!」
「真っ赤に熟れた禁断の果実は、私の心臓よ。シャール」
この世界が終るとき。
アダム、貴方の役目が終わるとき。
私の役目も終わりになるの。
さようなら。
さようなら。
「ツバサ……!」
「真っ赤に熟れた禁断の果実は、私の心臓よ。シャール」
この世界が終るとき。
アダム、貴方の役目が終わるとき。
私の役目も終わりになるの。
さようなら。
さようなら。
「俺が、終わらせやしないよ」
シャールは初めて、笑いながら泣いた。
シャールは初めて、笑いながら泣いた。
私の心臓が止まるとき。
貴方が世界を変えた時よ。可愛いアダム。
「ありがとう」
貴方が世界を変えた時よ。可愛いアダム。
「ありがとう」
行き場の無くした手は、変わらず冷えていくばかり。
ただ、今は。
ときどき、冷たくなった手を、あなたの背中に回して温めてもらった。
ただ、今は。
ときどき、冷たくなった手を、あなたの背中に回して温めてもらった。