Mystery Circle 作品置き場

松永 夏馬

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nightstalker

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Last update 2008年04月12日

おもしろい噺  著者:松永夏馬



 追い詰められて八方塞り、私に逃げる場所なんてない、なんてぇのは捕り物劇じゃよく見られるもんなんですが、まぁ普通に生きててそうそうそんな事態にゃなりません。なるとしたら相当運が悪いか、もしくはそう思い込んでるだけってハナシですな。

 下町の長屋、まぁ大概長屋といや下町なんですが、そこに浮世絵師の男が住んでおりまして。今で言う芸名もしくはペンネーム、その名を南瓜之介(みなみ・うりのすけ)。ちょいとばかり頭の鉢が大きいのもありまして、長屋連中からはカボチャのセンセイなどと呼ばれております。
 で、このカボチャのセンセイ。そこそこ絵は売れるものの、貧乏長屋からなかなか抜け出せない。
 原因はというと、生粋の動物好きが災いしてか、そこいらへんの犬やら猫やらを拾っては帰る拾っては帰る。子犬子猫とはいえ、これだけいればエサ代だけでも馬鹿にならないわけで。自分の食費を切り詰める分ならまだしも、最近は仕事用の染料まで質屋に入れちまう始末。おまけにワンワンニャンニャン騒がしくてかなわない。
 犬猫を飼うにも程があるってんで、これじゃぁいかんと長屋の世話役でもあるご隠居が渋い顔してカボチャのセンセイの家へ行ったわけですが。

「センセイ、いるかい?」
「こりゃご隠居、今日は暖かいですなぁ。散歩日よりだ」
 カボチャのセンセイ、メザシを猫達にやりながら自分はたくあん齧ってる。犬達は布団の上を占領していて、これじゃどっちが飼われてるんだかってくらい。
「何を呑気なことを言ってるんだい。ちょっとお邪魔するよ」
「へいへい、えー、座布団は……座布団座布団。ああ、タマとミケの下か。うん、どれどれ、うわッ臭い……ちょっと湿っぽいけどどうぞ」
「ああもういいよいいよ。汚いねぇまったく」
 ご隠居上がり口によいしょっと腰を降ろして向き直る。万年床の向こう側、部屋の隅には描きかけだったりの絵がいくつもこう無造作に立てかけてあって、よくもまぁ引っかかれたりしないもんだとこっちが不安になる。
「で、ご隠居。今日はどういったご用件で? ご隠居だったらしっかりしてらぁ、ポチでもシロでもタロウでもブチでもタマでもミケでもトラでもジュリアンヌでも、安心して譲りまさぁ」
「なんだいそのジュリアンヌてのは。いや、そうじゃぁないよ。犬猫譲ってくれなんてことじゃない。うん、そうだね、まぁ、その犬猫のハナシなんだけども」
「どこぞでまた捨てられてるコがいましたか? 可愛そうに。よござんす、あっしが引き受けますよ」
「そうじゃぁないって」
「もうご隠居ったらもったいぶらないでくださいよぉ」
「オマエさんが喋らせないんじゃないか。……うん、実はだね」
 ご隠居さんが口篭もるのもわからなくはありません。カボチャのセンセイ、悪気なんてのはこれっぽっちもない。捨てられた動物を可愛そうにと心を痛めて拾ってくる。しかしまぁ、善意にも限度ってぇもんがあります。
「実はね……長屋の皆から苦情が出てるんだ。朝晩問わずワンワンニャンニャン騒がしいと。犬猫に黙れと言って黙るもんでもなし、どうにかせんとと思うわけだ」
「ちょ、ちょっとご隠居、そりゃなんです。ポチもシロもタロウもブチもタマもミケもトラもステファニーも捨てて来いってことですかい」
「ジュリアンヌじゃねぇのかい」
「捨てられてひもじい思いをしていたあのコ達をまた放り出せって言うんですかい? なんて冷たい。こんなに冷たいのはご隠居か死人くらいだ」
「失礼だね」
「まぁどっちも似たようなもんだ」
「どういう意味だいそれは」
「しかしねぇご隠居。騒がしいのはウチのコ達ばかりじゃぁないでしょう? 右隣の熊さんとこは子供3人朝からわんわんうるさいし。ご隠居はあの子らも捨てろと?」
 カボチャのセンセイ、何かと理屈っぽくて困ります。
「それに左隣の六さんとこなんざ子作りで毎晩にゃんにゃん……」
「いいんだよそういうこと言わなくて」
 ご隠居慌ててセンセイの口塞いじゃったりして。犬猫のことになるとどうにも感情的になってしまうのがカボチャのセンセイ悪い癖。
「まぁね、今すぐどうこうってわけじゃぁないんだ、騒がしいのはお互いさまだからね。とはいえだ。長屋連中がいろいろ言ってきてる状態なんでな、この犬猫達がなんか悪さでもしたら考えてもらわにゃならん」

 なんて言い切られてしまいまして。大層腹を立てたカボチャのセンセイは犬の散歩へ行ってくると、ポチとシロとタロウとブチを連れ家を飛び出して行ってしまいました。

「まぁ、センセイの言い分もわかるんだがなぁ」 
 しばらくぼんやり猫を眺めていたご隠居が軽くため息をついて、さて帰ろうかと腰をあげたところ。
「失礼仕る」
 と、顔色のあまり宜しくない瓜実顔のお侍さんが顔を出しました。
「こちらに絵師の南先生がお住まいだと伺ったのだが」
 なにやらこう眉間に皺を寄せ、難しい顔をしております。ご隠居もちょっと恐れおののいちゃったりしまして。
「へ、へぇ。いかにもここがカボチャ……いや南先生の家でございますはい」
「私は東町奉行所の那須七左ェ門(なす・ななざえもん)である」
 青くて瓜みたいな顔して。名は体を現すたぁよく言ったもんで。
「おいカボチャん家にナスが来たよ……ああいや、お奉行様が何か。もしや南先生が何かしでかしましたか?」
 あまりにもお奉行様が険しいしかめっ面をしているので、そう思うのも無理はありません。
「いえいえとんでもない。実は私、昨年初めて南先生の絵を拝見したのだが、その美しさ、いや、そこから滲み出る作者の魂というんですか、それに心を奪われまして。僭越ながらなんとか一枚譲ってはいただけないかとお願いに参った次第で」
「……じゃ、なんでそんな怒ったような表情を」
「先ほどから腹の具合が悪くて」
 紛らわしいったらありゃしない。

 ********************

 さて、子犬を数匹引き連れて、薄暮れの町へと散歩に出たカボチャのセンセイこと南瓜之介はというと。
「まったく、ご隠居さんがあんなに血も涙もない人だとは思わなかった」
 ぶつくさ文句いいながら歩いておりますが、それでもなかなか腹は治まらない。腹立ち紛れに足元の小石をスコーンと蹴っ飛ばした。

 ところが。カボチャのセンセイ、今日は運が悪かった。

 スコーンと蹴った小石は近くの家の壁に当たってスコーンと高く飛び上がり、軒に当たってこれまたスコーンと跳ね返る。
「あぶないッ」
 ってんでこっちに向かって飛んで来る小石を慌てて避けたら、後ろ付いてきた子犬の足元にパチーン。さぁ大変だ。子犬達はパニックになりまして、ワンワンキャンキャン鳴き喚き、蜘蛛の子散らすようにパーっと走り出しちまった。
「ちょっとお待ち。お待ちよッ」
 慌ててカボチャのセンセイも駆け出して、あっちへどたばたこっちへどたばた。ほうほうのていでなんとか3匹捕まえたものの、最後の1匹が見つからない。だんだん日も落ちてきて、今とは違い街灯も無いですからね、こうなると探すのも一苦労だ。
「困ったな。おおい、何処いった? おおい」
 子犬を抱えてうろうろと路地へともぐりこんだところ、立派なお屋敷がございまして、その生垣の向こうから「痛ぇッ」と悲鳴が聞こえてまいります。
「どうしたッ!?」
「犬だ、犬に噛まれたチクショウめ」
「何ぃ? どこ行った犬め」
「白い犬だ! あっちへ逃げたぞ」
 なんてぇ会話が聞こえてくる。おまけに生垣の下から飛び出してきたのは自分が飼っている子犬じゃぁありませんか。どうやら興奮した犬がここん家の誰かに噛みついてしまった様子。
『なんか悪さでもしたら考えてもらわにゃならん』
 ご隠居の言葉を思い出して、カボチャのセンセイは真っ青ですよ。最後の1匹を抱えあげると一目散に逃げ出した。
「犬っつったってどこの犬かなんて黙ってりゃわかりゃしないはずだ。よし、急いで帰って知らん顔だ」
 なんてシラを切り通そうと決め、慌てて家へと逃げ帰ります。

 ********************

 一方、長屋では。
「ご不在ならば出直そう」
「いやいや、犬の散歩に出た程度、じきに戻ってくるでしょう」
 引き止められた相変わらず険しい顔のお奉行様は、猫がうろつく部屋を見回していくつか並んだ絵に目を留めた。
「ふむ。私は南先生のこの色使いがとても素晴らしいと思っておるのですよ」
「はぁ、そんなもんでございますか」
 ご隠居はどっちかというと浮世絵よりも水墨画のほうが好きでして。実のところ浮世絵のことはよくわかりません。
「特に最近の作品は、少ない色を使って大胆かつ繊細に表現する技法が確立してきたように思われますな」
 染料をいくつか質屋に入れちまったから仕方なくそうなっただけなんですがね。まぁご隠居も余計なことは言わないように口を噤んでおります。
「あの作品などは、鮮やかな色彩の中だからこそ、あの黒い色の深みが映えるというもの。そしてそちらの作品、この情熱的な燃え盛る炎のような激しい紅は先生の心の非凡さ、狂おしさ、言ってしまえば先生の狂気のようなものが表れているんですな。素晴らしい!」
「はぁ」
 ご隠居も頷くしかない。お奉行は眉間の皺をさらに深くしながらも、おそらく満足げに頷いた。

 そこにガラガラピシャリっと大きく音を立てて引き戸を開けて、飛び込むように帰ってきたのがカボチャのセンセイ。抱えていた犬達を部屋の中に下ろすと、大きく息をついて土間にへたり込む。
「センセイおかえり。早かったじゃぁないか」
「うわぁ。ご隠居まだいたの」
「まだいたって。何をそんなに驚いているんだい」
「なんでもないなんでもない」
 痙攣してるみたいに両手と首も振っちゃって。

「ああ、センセイ、こちら、東町奉行所の那須様だ」
「奉行所!? もう来たの!?」
「はぁ?」
 ご隠居も何がなんだかさっぱりです。ご隠居に紹介されたお奉行様は相変わらずのしかめっ面ですからね、カボチャのセンセイからしたら犬捕まえに来たと思うわけですよ。
 しかしまぁお奉行様はこんな顔していてもお気に入りの絵師に会えたってんで上機嫌。部屋の絵を見て唸ります。

「うーん、先生。やはり黒が決まってますな」

「クロに決まってる!? ……どうしようもう犯人だってバレてるよ」
 勘違いも甚だしい。

 そんでもってお奉行様、別の絵の鮮やかな紅色をビシッと指差した。
 ちょうどその絵の前の布団に件の犬がおりましたもんで、それ見てカボチャのセンセイは「ははー」っと平伏した。

「南先生、やはりあれがあなたの狂気の色ですな」
「へぇ、凶器のシロです」

 尾も白い噺。……お後が宜しいようで。




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