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Last update 2008年04月12日

踊れないリズムはいらない  著者:AR1



 私の頬に、自然に笑みが浮かんできた。様々な色が混ざり合った照明を反射する虹色のミラーボールが宙に浮いているのを見て、または『レッツ・グルーブ』の機械的に加工(エフェクト)のされたヴォーカルが聴こえると、もしくは重低音の衝撃腹部から頭頂部へ突き抜けるたび、私の中にはリズムが躍動した。それは外から揺さぶられているのではなく、記憶が揺り起こす衝動だった。
 たまたまディスコに誘うことが出来た友人が言う。「よくそんなに踊れるわねぇ」
 私は揺れる身体を止めずに、我ながら器用に思いつつ答えた。「こんなことが出来るのは若いうちだけよ」
 そうやって何時間を腰をくねらせる儀式に狂っていたのだろう。自己の熱と周囲の熱気に当てられ過ぎたのか、私は倦怠感を催してしまった。うっすらとかいた汗のせいで、少々癖のあるミディアム・ヘアが頭皮にへばりついているような感じがする。
 入場口の方に戻ってオーバーヒートした私の体を冷まそうと考えた。まだディスコのホールから退場する時間には早い、と私は一瞬だけ浮上した弱音を一蹴する。「強がりはよして、カラオケでも行って夜を明かそうよ」と友人は進言して来たが、耳を貸すつもりはない。
 防音仕様の重々しいゲートを開いて階段を下りると、正装した清潔な井出達の男が二人いた。見張り番役を任命された係員だった。風に当たって休んでもいいか、と許可を求めると、二人の係員が同時に顔を見合わせる。どうしようか、という目の会話がしっかりと聞き取れた。彼らには、店の経営に関わる些細な権限すらも与えられていないのだ。
 二十秒ほど待たされて、少しだけなら、ということで了解を得られた。話の分かる人でよかった、という気持ちを込めて、俯いているのかどうか判別できないほど俯角の浅いお辞儀と「ありがとう」という言葉を残し、ゲートを抜け、そのすぐ傍に突っ立っていることを決め込んだ。
 闇夜と喧騒をアスファルトと道路が擦れ合うノイズが引き裂く。私は約束の相手が来ない恋人のように頭を垂らしていたが、反射的に顔を上げる。分厚い面のロールス・ロイスが、静かなくせに野太い排気音とともに視界を左へ横切る。そして、反対側から対向して来た、同じ面をした車を追いかけようと頭を右へ振った。ロールス・ロイスなのかは分からなかったが、ボンネットに銀色の天使を乗せてはいなかった。
 私の目の前には、様々な色に塗られた豪勢な車が通り過ぎていった。フェラーリ、ランボルギーニ、メルセデス・ベンツ、BMW、リンカーンのリムジン……他にも一昔前には珍し過ぎてお目にかかれない車種もあったが、それらの正体を暴けるほどの好奇心はなかった。ただ、高級車を所有出来る人に声をかけられたいという願望を振り払うには、私はまだ若過ぎた。車は所有者の財産を計る単純明快なバロメータである。
「私みたいな人、たくさんいるんだろうねあ。きっと」
 私みたいな、というのは「私のような現金極まりない考え方」を意訳したものである。もっと年を食えば、露骨な羨望は角を丸め、異国での出来事のような他人事でしかなくなるに違いない。
 春一番の来襲が三週間ほど前に訪れたとは言え、深夜の一時という時間で夜風に当たるという発想は、寒がりの私にとって無茶が過ぎたのかもしれない。ベルボトム・ジーンズに守られた下半身はまだしも、黒のロングキャミを纏った上半身には辛い。もっとも、暑さにも弱い私が夏にディスコに来ていたら体中の水分が塩分とともに抜けて、干からびた死体となって悪臭を振りまいているのかもしれないけれど。
 ふと、右方から足音がした。私の前を数える気にすらならない大勢の人々が通り過ぎて行ったが、なぜかその足音だけは鼓膜ではなく、骨振動を通しているかのような異次元のダイレクト感で飛び込んで来た。首をそちらに曲げると、ボロ布の衣服に裸足の女性がディスコの中に吸い込まれて行った。私の経験の中では、尾崎豊が死んだことの次くらいにショックな出来事だった――ヒッピーの少女がクラブに入ったことではなく、入口で門前払いを食らわなかったことが。
 私は眼を思いっきり見開き、しかし疑念は喉を振動させるだけで発声すらままならなかった。着飾っていないという次元の話ではない。これでは、大枚をはたいて衣装を調達している自分が馬鹿らしくなるではないか!
 憤りが麻薬のように作用したのかもしれない。骨が金属に挿げ替えられたように重かった私の足が急に軽くなる。高揚した気分に身を任せてディスコのホールに戻ると、『ライディーン』がフェード・アウトして『ボーン・スリッピー』のレコードに針が落とされようとしているところだった。私は古臭い音より新しい音の方が好きだったので、ちょうど良いタイミングに戻って来れたことが嬉しい。
 ディスコの中を見回しても、私の目の中に一際目立つであろうヒッピーの少女の姿はなかった。フロアは広大だったが、どこからともなく詰め掛けた客の中に紛れてしまったようだ。異質なものは避けたがる人間の習性があれば少女を遠ざけるように空間が出来ると思ったのだが、ノッている客達にすれば些細な異物なのかもしれない。
 レーザーが私の頭上を駆け抜け、陶酔するような声には思わず快感を抱かずにはいられない。しかし、今はダンスする以外の用事を優先的に片付けたかった。少し冷静になって考えると、なぜドラッグを提供しないディスコにヒッピーの少女が何の用があるのだろう?
 青い照明がスモークを突き抜け、黄緑のスポットライトがお立ち台に上がったストリッパー同然の女の扇子を照らし、黄色の照明が私の双眸を焼かんばかりに飛び込んできて目を逸らした。ホールの隅から隅まで歩き回り、終始眼球と首を動かすことを忘れなかったが、とうとうヒッピーの少女と鉢合わせすることはなかった。トイレでも借りにディスコに入ったのだろうか? コンビニじゃあるまいし。
 周囲にまともに気を配っていない群衆の間を用心深く抜けるのは体力を使うことだが、パンプスが足へのダメージに拍車をかけた。時間は深夜の二時、オールナイトとしゃれ込んだわりにはあっさりと限界を迎えている私がいた。
 ディスコに来る度に不思議に思うのだが、朝まで狂気に犯されたように乱舞している人達の体力には底がないのだろうか? ビールの中にドラッグを混ぜて飲まされているのかもしれない。本人ですら気が付かないうちに。もしかすると、自分も。
 私にも、タイトにフィットした、鏡の破片を張り合わせたようなワンピースを着てお立ち台に上がっている時代があった。当時の自分のパワーに驚きつつ、しかしストリッパー寸前まで行ったことに恥を感じている訳ではない。だが、単なるノスタルジーに成り下がった過去に対して、なぜか妙なもどかしさを感じずにはいられなかった。――私はそれで何を得たのだろう? 無為に時間を過ごしただけなのではないだろうか?
 急に心が萎えてきた。足が棒になりそうだ。またホールを離れたくなってきた……
 去り際、レコードが『キャント・アンドゥ・ディス』に取り替えられる。私にとっても、この場にいる私以外にとっても最高の賛辞かもしれない。最高の皮肉として。

 外へ通じる玄関口にいた二人の男は、雲散霧消してしまっていた。連れションにでも行ったのだろうか? 見張りを立てずに持ち場を離れたのだとしたら、彼らは近日中にクビが飛んでいるに違いない。その前に、傭兵のような体格のヤクザにしこたま殴られるかもしれない。
 外の様子もおかしいことに気付き、私は階段を下りてゲートから顔を覗かせる。ネオンの光や酔っ払いの浮かれた鼻歌、言葉巧みに女を引っ掛けるクラブの店員――見慣れた光景がそこにはなかった。路上駐車されている高級車のフロント・ウインドウには、標準価格の十分の一にも満たない値段で投売りされている。
「みんな、忘れちゃったんだよ。もしくは、最初から使い捨てのボロ雑巾と同じ扱いだったのかもしれない」
 日付が変わってから初めてかけられた声に私は肩を震わせ、ディスコの階段へ振り向く。ヒッピーの少女が影のような儚さで、段差を椅子代わりにして腰掛けていた。
「何か用?」
「誰にも用はないよ。なあんにも、ね」
 落ち着いた口調のせいか、あまり皮肉屋っぽくは聞こえなかった。むしろ、少女は嘲笑うつもりはないのかもしれない。確かなのは、私のことについてほとんど眼中にないということだった。
「ロールス・ロイスも何もかも、需要がなくなれば鉄屑と同じような値札を提げられる運命。じゃあ、需要があった頃に価値があると思っていたのは誰? そこに価値を見出したのはあなたではなく、あなた以外の誰か」
「だから、なんなの?」
「あなた達の感じている価値観は、過ぎ行く現在(いま)を満足させ、思い出話に花を咲かせるだけの肥やしにしかならないってこと」
「私には関係のないことよ」
「そうやって他人の考えに依存し切って、自分の感性もろともノスタルジーの中に置き去りにするといいわ」
 それは捨て台詞であったらしい。少女はおもむろに立ち上がると、階段を上がってディスコの中に消えて行く。
「待って!」
 私は遠く離れた少女の肩を掴むように腕を伸ばしながら、少女の背中から漂うような気がする残り香を頼りに追いかける。しかし、ディスコのホールの中まで全力疾走するも、重厚な扉を開ける私を迎えたのは夜逃げの後のような無味無臭感だった。広々としたホールには客どころか、機材も何もなかった。何年も前から貸しに出されている空き物件のような空白。
 私の中では、ディスコでの出来事は過去のことになっていた。私が覚えていることはほとんどない。――皆がディスコに出入りしていた時は羽振りが良くて、開放的な気分に浸るために金を費やすことが出来た。皆――私を含めた――はそのことを当時の知り合いと共有する程度の重要性しかなかった。
 私は無情に打ちひしがれ、ディスコの門前で膝を突き、そのまま歩道に尻餅をついてしまった。ディスコで踊っていた私のリズムが体の心から消えうせ、情景の中にしか見ることが出来ない。
 ディスコを楽しめたのも、またヒッピーの少女に出会ったのもそれきりだった。



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