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Last update 2008年06月01日

臨床司書士  著者:コサメ



 それぞれの新しい物語を待つ人々のところへ、と彼は言った。
 彼とは汽車の中で出会った。私の隣の席に座ったのだ。ご一緒してもよろしいですかと言う彼の物腰は柔らかで、紳士だということがすぐにわかった。
「お仕事ですか」
 私が問うと紳士はにこりと感じのいい笑みを浮かべた。
「ええ。それぞれの新しい物語を待つ人々のところへ向かう途中です」
 それを聞いて私は彼が臨床司書士だということがすぐにわかった。病に伏す人々のために物語を提供してまわる職業だ。活版所で這いつくばって脱字ばかりを集めている私にくらべたら、はるかに立派で、素晴らしい仕事だ。
「あなたは?」
「故郷に帰るところです。母が病に倒れまして、そのお見舞いに」
「それはそれは……」
 すると彼は何かを思案するように瞳を動かし、やがて思いついたように自身の黒鞄を膝にのせた。開くとそこにはたくさんの白い紙がいくつもの束になって重なっていた。
「たくさんありますね」
「商売道具です。この白紙たちがないと、何も始まりません。……いくつか読んでみますか?」
「いいんですか?」
 彼は微笑み、私に三枚の紙を差し出した。私はさっそくそれに目をおとした。全て白紙だと思われていたが、実はちゃんと文字が書いてあったらしい。

  みなしごの小鳥は
  すてられた哀しみを涙にかえることはせずに
  てっぺんへのぼることだけを考えるのだという
  リンドウの咲き乱れる丘で
  いくつもの星々が輝きはじめたとき
  さきへさきへと急ぐように
  あなたは黒曜石の羅針盤を指差してこう言った
  くるしみもよろこびも ぜんぶおなじところからくるんだねぇ
  ルルドの泉は もうすぐそこだよ

 今の時期ならちょうど、私の故郷にもリンドウが咲き始めている頃だ。母が好きな花だから、実家に帰るまえに摘んで帰れば喜ぶかもしれない。そんなことを考えているうちに、ふいに母のことが心配になってきた。大事無いと電報にはあったが、容態が急変することもありえる。私がもう少しいい仕事についていて、稼ぐことができたなら、一流の医者を呼ぶこともできただろう。でも今の私にはせいぜい、母の牛乳にまぜる角砂糖を買ってやることくらいしかできない。
 窓の外を見やると、先ほどまで街の風景だったのが一変して田園が広がりはじめている。黄金色の海原にポツポツと誰かがたたずんでおり、風に揺られてできる波を次々と受け止めていた。

  三つ四つ 五つ六つと
  周りし星の
  年月の記憶は 君の手の中

 二枚目の紙に書かれていたのはたった三行だけだった。
「これはとても短いですね」
「物語に長さは関係ありませんから。言葉によって成された芸術ならば何だって許されると、私は考えています」
 なるほど。三行だけだが、主人公についていろいろと想像できる。星空を眺めながら遠くに住んでいる恋人に想いを馳せているのかもしれない。あるいは六歳の誕生日を迎える子供のことを書いているのかもしれない。もちろんいくら考えても詳細が明かされることはないが、そんなことはさして重要ではないだろう。臨床司書士の彼もきっとそれをわかっているのだ。
 私は最後の紙に目を通した。

  おわりが来て、はじまりも来た
  めぐる星はやがて
  でくのぼうと呼ばれた小鳥を見つけ
  とんでごらんよと 手をさしのべ
  うるおう泉に 奇跡をおこし 林の向こうの春を呼んだ

「林の向こうに春があるんだそうです。一体、どういう意味なんでしょう」
「いろんな角度から文字を読んでごらんなさい。そうすればわかりますよ。物語はいつだってその“たった一言”を言いたいがために作られているのですから」
 そう言って彼はもう一枚を私に差し出した。しかしそこには何も書かれてはいなかった。
「これは?」
「あなたのお母様にお渡しください」
「でも、白紙のままですよ」
「それでいいのです。物語を選ぶのは私ではなく、あなたでもありません。物語が読者を選ぶのです。その白紙をお母様にお渡しください。きっと彼女にだけは読めるはずです。今、あなたが三つの物語を読むことができたように」
 彼がそこまで言ったとき、ガタンと汽車が停車した。ふと窓を見やった。私はぎょっとした。私が降りるべき駅ではないか。
「すみません! 降ります!」
 大急ぎで荷物をまとめ、汽車を飛び降りた。
「素敵な物語をどうもありがとうございます。母も喜びます」
 窓越しに私が言うと、紳士は微笑んだ。そして言った。
「良い物語に出会えますように」
 その言葉を合図にするかのように汽車はゆっくりと走り出した。




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