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Last update 2008年07月06日

不一致 is  著者:松永夏馬



「しかしストッキングを被ると何故このように面白い顔になるんでしょうか」
 暗闇の中、スポットライトに照らされた黒いスーツの男が、あなたに向けてくぐもった声でそう言った。仕立ての良さそうな黒いスーツをスラリと着こなした男は、こともあろうにストッキングを被っているのだ。顔はひしゃげて原型を留めず、当然声も篭って聞き取りづらい。
「大抵の場合この……」
 と言いかけて、思い出したかのように男はストッキングを引っ張って外そうとするが、これがなかなか外れない。潰れた顔が上に引っ張られる。
「くッ……」
 外れない。
「よッ……」
 外れない。

「えー……」

 ストッキングを被ったままの黒ずくめの男は肩をすくめると、あなたに向かって顔を曲げた。どうやら笑顔を作ったらしい。

 ********************

「こんな遅くに待ち伏せなんてどういうつもり」
 マンションの一室、対馬ミナ子の部屋の玄関で、対馬ナナ子は鏡のように同じ顔をした姉の声に含まれる刺を感じ、少し悲しくなった。
「別にそういうわけじゃ」
 ナナ子はそう言いながらも、実際待ち伏せしていたのだからそれ以上言い返せないでいる。どうしても会って話がしたかったのだが、避けられているのだからこうして多少強引な手段に出ざるを得ない。部屋へと進む姉の背を追ってナナ子もハイヒールを脱いだ。
「まったく、ナナ子といい平原といい、なんでこうアタシの周りにはストーカー気質な連中ばっかり集まるのかしらね!」
 平原というのは二人の高校時代の同級生で、ミナ子を一方的に慕いつきまとっていた男だ。学生時代には気付かなかったが、ミナ子に対して思いつめていた感情が、3年前の同窓会での再会で爆発したのだ。高校時代から数えて10年以上、良く言えば情熱的な、悪く言えば執着心の強い性格らしい。
 その様子だと今でも何かしらの接触があるのかもしれない。
 平原のことをストーカーとまで言うのは少し言い過ぎなのではないかとナナ子は思う。姉は妹と違い自信家で自意識過剰のきらいがある。
「アタシはさ、その……」
「矢口とのことでしょ。いいんじゃない? 結婚でもなんでもすれば」
 ダイニングテーブルに買い物袋を置き、ベッドルームへと進むとジャケットを脱いでハンガーにかける。
「……え?」
「でもアタシ、口軽いからね。何かの拍子にいろんなこと喋っちゃいそう。披露宴出るのも止めたほうがいいかしら? お酒出るでしょ?」
 鏡台に置かれたメイク落としのコットンを片手で取り出し、眉毛とマスカラを落としながらミナ子は笑う。
「そんな」
「矢口の家はけっこう格式高いからね、風俗でバイトしたなんて彼が知ったらどうなる……」
「お姉ちゃん!」
 姉の恋人だった男が双子の妹と結婚する。同じ顔をした女に鞍替えされたという事実は、ミナ子の高いプライドを深く傷つけたのだろう。それはわからなくはない。
 しかし。

 マスカラを落としたコットンを足元のごみ箱に放り込んで姉が振り向く。その細めた瞳はまるでガラスのように冷たく無機質に見えた。
 静かに溢れる悪意を感じ、ナナ子の中の自己防衛本能が働いた。視界がくらりと揺れたその瞬間、床の上に脱ぎ散らかされたTシャツや丸まったストッキングなどが目に入る。

 気付けば暗いベッドルームのベッドの上で姉は事切れていた。
 パンティストッキングを首に巻きつけ、色の変わったやけに長い舌を出し、目を剥いて微動だにしなくなっていた。命の灯が途絶え、ただの物質に成り下がっていた。
 そんな姉の上で呆然としていたナナ子は、ドアチャイムの鳴る音で我に返って飛び上がった。

 鍵―――!

 玄関の鍵はかけていない。ガチャリと金属的な音がやけに響いた。ナナ子は慌ててベッドルームを飛び出し、玄関へと走る。

「こんな夜更けにすみません」
 ドアの隙間から顔を覗かせたのは壮年の男だった。黒いシャツに黒いジャケットを羽織った、イタリアの俳優のような洒落た雰囲気の男。落ち着いた雰囲気でありながら、勝手にするりと玄関に入り込んでいた。
「先日この上の部屋に引っ越してきた者です。ご挨拶が遅くなりまして。……あ、これおソバ」
「は、はぁ」
 乱れた息を押さえつつ、ナナ子は考えをめぐらせた。手渡されたのしのついた包みを見て、このやたらと丁寧な男が自分と、そして姉とも初対面だと判断する。
「古葉谷、と申します。少々時間が不規則な仕事をしていますので、そのへんでご迷惑をおかけするかもしれませんが。よろしくお願いします」
「対馬ミナ子です」
 つい姉の名を口にした。口にした後で、あらためてナナ子は姉になりきってやり過ごすのが得策と決めた。ところが意に反し、古葉谷はにっこりと笑って帰ろうとしない。
「こちらはお一人で?」
「え、ええもちろん」
「女性の一人暮らしは大変でしょう? 最近は物騒ですから、気をつけてください」
「はぁ」
「ちなみにお仕事とかは?」
「……古葉谷さんとは初対面ですよね? ずいぶん詮索好きな方ですね」
 今は姉になりきるのだ。姉のように堂々とした態度で、目に力を入れて。ナナ子は姉を真似て手を腰に当てた。
「ああ、すいません。職業病です」
「……古葉谷さんお仕事は?」
「警察に勤めております」
「おまわりさん?」
 背筋に冷たい物が走る。数メートル先の扉の奥にはこの部屋の本当の主が転がっているのだから。
「刑事です。役職は警部補。捜査1課、えー……つまり専門はその、コロシです」
 ゴクリと唾を呑み込みつつも、ナナ子は下腹部に力を入れてニヤリと笑う男を正面から見据えて言った。
「そう、それは心強いですわ。女の一人暮らしですから」
 そして、どうぞお帰りください、と言わんばかりに手で古葉谷を促した。押し出すようにして古葉谷をドアの外へと追いやると、わざと音を立てて鍵とチェーンをかけてやった。有無を言わせぬそぶりで、男を従わせる。それはまるで姉のようで、ナナ子はなんだか少し楽しかった。

 再びベッドルームに取って返したナナ子は、姉がさっきとまったく同じ恰好で寝ているのを見ると、なんだか急に可笑しくなった。常に自身満々で自分を威圧していた女が、今ではだらしなく四肢を弛緩させている。死ぬとはこういうことなのか、とナナ子は思った。威厳も何もない。
 しかし、笑ってばかりもいられなかった。このままでは殺人犯となってしまう。自分の正当性、過失、たとえそれを訴えたところで、矢口との結婚は当然ご破算だ。それは避けなければならない。
 どうしたらいい。
 ナナ子は必死で考えたが、名案など浮かばない。それでもナナ子は落ち着いて思考を廻らせる。姉は妹の前で狼狽することなどなかったから、今は自分もそうでなければならない、そう思い込んでいた。

 再びチャイムが鳴った。今度は慌てなかった。鍵はロックしてあるし、チェーンもかけてある。時間も時間だから居留守を使ってもいい。
 LDKに設置されたテレビドアホンの画面には、見たことのある顔が映っていた。
 平原良介。ミナ子のストーカー男。

 その時、ナナ子は名案を思いついた。その天啓に従い、彼女はキッチンに出しっぱなしになっていたフライパンを手に取った。
 再び鳴らされるチャイム。深呼吸をして息を整えたナナ子は眉間に力を入れる。今はナナ子ではない。今の私は、対馬ミナ子だ。そう強く念じてドアチェーンに手を伸ばした。

 ********************

 フライパンで思い切り殴りつけると、平原は崩れるように床に倒れ込んだ。おそらく突然すぎて彼には何が起きたかすら理解できなかったであろう。叩きつけた瞬間の、体がひしゃげるような気味の悪い感触を忘れるように手を服の裾に何度もこすりつけた後、ナナ子は次の作業にとりかかった。
 ミナ子の服を脱がし、自分の着ている服を身に付けさせる。多少崩れても争った後なのだから問題はない。さすがに死体の着ていた服を着て帰るのも嫌だったので、ナナ子はクロゼットから適当に選んでそれを身に纏った。自分の趣味とは違うが仕方が無い。

 この死体が発見されるまでどのくらいの時間がかかるだろうか。ミナ子が息絶えてから30分程度だ、明日発見されたとしてもどちらが先に死んだかなどわかるはずはないとナナ子は思った。押し入ってきた暴漢に襲われたミナ子は首をしめられながらも応戦した、シナリオは単純なほうが良い。
 相手はなにせストーカー、ミナ子を知る人物は誰もがそう証言するだろう。不自然なところは何もない。
 ナナ子は寝室まで運んだ平原の死体をミナ子に覆いかぶせ、フライパンをミナ子の手に握らせる。さらに玄関で脱いだ彼の靴を使い、玄関から寝室まで適当に床に跡をつけると再び平原に履かせておく。
 そこでふと思いついて、ナナ子は床に丸まっていたストッキングを拾い上げた。ストーカーとしての異常性愛を示すこともできるが、なにより強盗には覆面が必需品だ。

 ********************

 新居義也警部補は部下の紅野真巡査と共に対馬ミナ子のマンションの一室にいた。LDKの大きな吐き出し窓からは、初夏の昼下がりの爽やかな風が心地よかったが、室内に篭る独特の匂い、死臭は未だ消えず、新居はあいかわらず苦虫を噛み潰したような不機嫌そうな顔をしていた。
 奥の寝室にストッキングで絞殺された女と、ストッキングに覆われた頭部をフライパンで殴打された男が折り重なるように倒れているのが見える。女はこの部屋の主で対馬ミナ子。男は隣町に住む平原良介。所持していたサイフの中にあった免許証で判明した。ちなみにこのマンションの近くの路上に彼の車は停められていた。
 無断で会社を休んだ対馬ミナ子と連絡がとれずにいた同僚がマンションを訪れたところ、携帯電話の着信音が室内から聞こえることと、どことなく漂う腐敗集を不審に思って管理会社に連絡、そしてその管理会社所有の合鍵で扉が開かれて惨状が発見されている。

 普段から機嫌の良い時のほうが少ない上司が、さらに不機嫌なのは、LDKをうろうろする黒いスーツの男のせいだ。紅野は心の中で何度もため息をつきつつ、冷蔵庫や食器棚の中を覗くその男に駈け寄った。
「これは……ロースのスライス? あ、この包み紙は高級和牛で有名な老舗王久のだよほら」
 今度はテーブルに置かれたままのレジ袋を覗いて、黒ずくめの男は羨ましそうにそんなことを言った。王久は駅前デパートに入っているこだわりの和牛を扱う有名精肉店だ。鼻を近づけて顔をしかめる。
「冷蔵庫に入れなくて大丈夫?」
「古葉谷さん。古葉谷さんは担当じゃないんですから。あまりうろうろしないでください」
「ああ、ごめん紅田君」
「紅野、です」
 紅野は訂正する。今朝会った時も訂正した。
「憶えておきます」
 古葉谷は今朝会った時と同じ返事を返した。ずかずかと音を立てるように新居が進み出て、じろりと古葉谷を睨んだ。古葉谷を見上げるような形になる。
「いいか古葉谷。お前は今日は参考人なんだ。わかってるよな?」
「はい。えー……被害者の対馬ミナ子と会った、同じマンションに住む重要参考人です」
 重要、にいくらか力をこめた古葉谷。とぼけたような仕種の彼をもうひと睨みして、新居は紅野を引き連れて寝室に入った。鑑識が目礼してから腰を上げて口を開いた。
「死亡推定時刻はほぼ同時期です。とはいえ分単位でわかるわけではありませんが、二人とも一昨日の午後8時半から10時半くらいの間でしょう。司法解剖でももう少し狭まるとは思いますが」
「覆面代わりにストッキングか。今時いるんだな」
 吐き捨てるように新居が言う。すでにストッキングは取り払われていたが。
「情交の跡は?」
 鑑識員に新居が訊ねた。
「なさそうですね。恰好からして帰宅した直後、といったところでしょうか」
「ふむ」
 新居は顎をさすりながら二人の遺体から周囲に目を移す。
「この男、土足で上がりこんでますね。やはり押し入ってきた強盗か何かで、争った結果でしょうか」
「んー。それはどうでしょう」
 紅野の問いに答えた声の主は古葉谷。勝手にクロゼットを開けて中を見ている。衣装持ちのようで、クロゼットの中はぎっしりと服が詰まっていた。
「押し込み強盗なら何かしらまともな凶器を持ち歩くんじゃないでしょうかねぇ」
「ああ、なるほ……どおおっと古葉谷さんッ」
 新居が噛み付きそうな顔で一歩踏み出したのを見て、紅野は慌てて古葉谷をリビングに追いやった。
「ふん……まずこの二人の関係が明らかにならんとそんな推論は始まらんだろうが」
 新居は低い唸り声のような声でそう言った。

 ********************

「ご遺族の方をお連れしました」
 制服警官に促され、対馬ナナ子は再び姉の部屋へと踏み込んだ。LDKでは不味い物でも食べたのかというような顔をした迫力ある男と、真面目そうな青年とが出迎えてくれた。二人は新居警部補、紅野巡査と名乗った。リビングの隅には所在無さげに古葉谷警部補が立っていたが、ナナ子は、ナナ子としては初対面だったので軽く会釈するだけに留めた。念のため化粧で印象を変えているし、一度会った程度で一卵性の双子を区別できないだろう。
「ご足労頂きましてありがとうございます」
「あの、姉は」
「すでに警察病院のほうに搬送しました」
「……そうですか」
「お察しします」
 古葉谷が口を挟んだが、新居に睨まれて一歩下がる。
「……あの、こちらの方は?」
「えー、わたくし……」
「ただの参考人です」
 新居が間髪入れずに言い切って黙らせる。古葉谷は不貞腐れた子供のように下唇を突き出して肩をすくめた。新居がじろりと睨むと、古葉谷はそっぽを向く。
「対馬、ナナ子さん。ミナ子さんの双子の妹さんですね」
 紅野が取り直すようにそう言って、ナナ子をソファに座らせた。
「さすがによく似てらっしゃいますね」
「一卵性ですから」
 いつも同じようなことを最初に言われるので辟易しているが、今回も同じだった。ナナ子はそっけなくそう答える。
「お姉さんと最後に会われたのは?」
「……そう、ですね。2ヶ月くらい前でしょうか。正確な日付はちょっと」
「電話などの連絡は?」
「同じくらいでしょう。めったに連絡しないものですから」
「はぁ、そういうもんですか」
「あまり仲が良いわけでもないですし……」
 そうナナ子は寂しげに笑ってみせる。そして、演技とは難しいものだとナナ子は妙に冷静に考えていて、そんな自分に少し驚いた。
 ミナ子との最近のやりとり(ナナ子にとって話せることはろくに無かったが)について応答した後、紅野がテーブルに写真を置いた。
「この男を知っていますか? 寝室でミナ子さんと一緒に発見された男です」
 免許証からの複写らしい顔写真だ。ナナ子は頷いて返す。
「平原という男です。私達と同じ高校の同級生でした」
「最近では?」
「……姉が」
「はい」
「執拗に迫られていたらしいです。いわゆる、その、ストーカーというヤツです」
「ストーカー」
 紅野が咀嚼するように繰り返す。
「この男が……その、姉を?」
「状況を見るにその様子です」
 ナナ子はうつむいて唇を噛んでみせる。
「何度も家に押しかけられたりしたこともあると聞いていました。こんな……ことになると知らず」
「なるほど。新居さん、やっぱり平原が忍び込むなり押し入るなりしたと見て間違いないですかね」
 紅野がいくらか声を押さえて隣の上司に告げた。新居はほとんど表情を変えなかったが、「今んとこはな」と一言漏らした。
「ベッドルームで争った跡がありました。平原に襲われ命の危険を感じたミナ子さんはフライパンで応戦した。……もちろん、故人のそれは正当防衛でありますから、その」
 刑事達の、互いに命を奪いあった、という解釈に、ナナ子は心の中でほくそえんだ。シナリオ通りだ。
 姉も人殺しとして死んだのかと思うと噴出しそうになるが、顔を伏せてなんとか堪える。姉を殺した瞬間から姉のような過剰気味な自信が腹の中にあるのを感じてはいたが、今までの自分の理性的な落ち着きをあえて意識しコントロールしていた。そしてその巧みなバランスが、さらに自信をつける結果となる。

 新居と紅野が席を外した隙に、ソファに古葉谷が腰を降ろした。体を深く静め、物言いたげなうわ目使いでナナ子を見つめる。たまらずにナナ子は口を開いた。
「あの……なにか?」
「いえ、その、よく似てらっしゃいます」
「双子ですから」
「えー、実は私、双子というのに憧れていまして、はい」
 突然何を言い出すのだろうこの刑事は、とナナ子はわずかに眉をひそめた。
「同時に同じこと言ったり、感じたり、シンクロニシティっていうんですか? そういうのとかあるんですか? テレパシー的な」
 興味本位なのか、体を起こして古葉谷は言った。顔は笑顔だ。
「無い、とは言いませんけど、さほど奇跡的な何かがあるわけじゃないですよ。テレパシーだなんてそんな」
「そうなんですか」
「ドラマじゃないんですから」
 古葉谷は心底残念そうに顔を伏せたが、思い出したようにパァっと顔を輝かせる。
「あ、あと。やっぱり、入れ替わったりして人を騙したりとかしました? ああいうのって一度やってみたいもんですけど」
「まさか」
 即答。楽しそうだった刑事の口元がへの字に変わる。
「それこそドラマやマンガの世界ですよ。あのですね古葉谷さん、たとえ一卵性の双子といってもまるっきり同じじゃないんですよ。外見がどれだけ似ていても、生活が違えば性格も纏う空気も違うんです」
 くくくっと小さく古葉谷が笑った。ナナ子は馬鹿にされたように聞こえてムッとした。
「そうですよね。大人になってそんなふざけたことしませんよねぇ」
 古葉谷の言葉にナナ子はギクリと身を奮わせた。殺害直後の入れ替わりが頭にあったから考えが及ばなかったのだが、双子の入れ替わりなど普通に考えれば子供の悪戯レベルの話。不敵な笑みを見せた刑事が憎たらしい。
「……それに。子供の頃は髪型が全然違いましたから」
 言い訳じみた答えをしてナナ子は密かに奥歯を鳴らした。

「古葉谷ッ」
 その時突然新居のドラ声がLDKに響いた。慌てて古葉谷が両手を上げて立ち上がる。まるで拳銃を突きつけられたかのようだ。
「お前な……」
 不機嫌そうな目をぎょろりとさせて新居が睨み、その後ろでは紅野が汗をかいていた。
「えー、ちょっと世間話……はい、すいません」
 新居の視線に耐えられなかった様子で、古葉谷はナナ子に会釈するとそのまま後ずさるように部屋を出て行った。

 ********************

「紅田君、紅田君」
 マンションの1F玄関で紅野は声をかけられ、振り向くと案の定柱の影から古葉谷が顔をのぞかせていた。
「……紅野です」
「紅野君? 紅野君ね、はい、今度こそ憶えておきます」
 こめかみを指でつつきながら古葉谷が口元をニィと上げた。相変わらず人を食ったような笑み。新居とはまったく違うタイプの刑事だが、この男の部下も何かと苦労しそうだ。軽く紅野はため息をつく。
「また新居さんに怒られますよ」
「ちょっとだけ。えー、二人の当日の行動はどのくらいわかってるのかな?」
 紅野は困ったように口を曲げたが、古葉谷の覗き込むような目から顔を背けて言った。
「宝飾デザイナの対馬ミナ子は8時頃に退社しています。いつも通りJRと徒歩で何事もなく帰宅していれば9時前にはマンションに到着している計算ですが」
「ちなみに僕と会ったのは9時半過ぎでした。買い物でもしたんでしょう」
「平原良介は証券会社の経理をしていますね。係長に昇進したばかりみたいです。この年齢で係長というと、優秀なんですかね。7時過ぎに会社を出て車で帰宅。まぁアパートに一人暮らしなので確認は得られてませんが。あ、自宅近くのスーパーで8時12分に買い物をしています。サイフにレシートが残っていたので時刻は正確でしょう」
「買い物? ストーカーの前に何買ったの?」
「えーっとですね……」
 手帳に挟まれていたビニル袋の中のレシートを、紅野は読み上げる。
「長ねぎ、卵、ポテトチップスに豆腐製品、缶ビール、缶チューハイ、しいたけ、それから複合調味料ですね」
「自炊するんだ」
 紅野の手からレシートをひょいとつまんで古葉谷が覗き込む。
「みたいッスね」
「この複合調味料ってのは?」
「いや、そこまでは……」
「調べといて」
「はい?」
「それから、対馬ミナ子さんとナナ子さんの二人の関係についてもう少し詳しく調べといてもらって、あとは……うん、ナナ子さんの当日のアリバイなんかも」
 当然のように言う古葉谷に紅野はいくらかムッとしたが、そんな青年刑事に彼は不敵な笑みを返して言った。

「よろしく頼むね、紅田君」
「……はぁ」

 紅野はもはや訂正する気にもならず、げんなりした顔で頷いた。

「さて……ふむ」
 古葉谷は人差し指で眉間をつつきながら考え込んだ。その後ろで紅野が何か言いたげな顔をしたが、諦めて仕事に戻っていった。



 そして暗転。


 切り取られたように灯されたスポットライトの光の輪の中で、古葉谷がふっと顔をあげた。その視線はまっすぐあなたに向けられる。
「えー……双子というものに憧れていたというのは正直な話です。シンクロニシティや入れ替わりといったドラマチックな体験をしてみたいというのは、子供の頃誰しも一度くらいは考えたことではないでしょうか」
 そして古葉谷は肩をすくめて小さく首を振る。
「しかしながら。この事件の犯人は入れ替わりも失敗ならばシンクロニシティもありません。双子とはいえ所詮は他人なんですねぇ。
 はい……ポイントはストッキングとコレ」
 古葉谷が掲げて見せたもの、それはビニル袋に入ったレシート。古葉谷はあなたに向かって満足そうに頷いた。

「古葉谷三郎でした」


 ********************

 ベランダから差し込む夕日を、古葉谷はカーテンで遮った。薄暗くなった室内が妙にひんやりと感じるのは、この部屋の主がすでに息絶えているからかもしれない。対馬ナナ子はLDKの照明をつけ、窓際に立つ黒づくめの刑事に振り向いた。
「聞きたいことがあると伺ったんですが」
 何を考えているのかわからない男だとナナ子は初めて会った時から思っていたから、呼び出され落ち着かない自分と、シナリオを押し切ってやろうという強気な自分とがナナ子の中で渦巻いている。
「えー、双子というものへの憧れが、少し薄れてきた感じがします。双子だからといって神秘性があるというわけでもありませんし、入れ替わりだってそうそう上手くいくわけがありませんからね」
 皮肉げな笑みを浮かべ、古葉谷はナナ子を昼間と同じソファに勧めた。
「……ええ、そんなものですよ、双子なんて」
 言葉の端々にチクチクとした感触を受けながらも、ナナ子は目に力を入れたまま無理やり笑顔を作ってソファに座る。カウンタに置かれたビニル袋の横に、抱えていた紙袋を置くと、古葉谷はキッチンカウンターの高いスツールに腰をかけた。
「実は、いくつか気になることがありまして。えー、今回私、仕事じゃないんで世間話程度で少しよろしいですか? よろしいですね?」
「強引ですね、古葉谷さん」
「職業病です」
 残念そうに古葉谷は首を振った。そのおどけた仕種にもナナ子はニコリともしない。妙な間が空いた。取り直すように古葉谷が咳ばらいをし、再び口を開く。

「えー、お姉さんは帰宅した直後に私と会ったということになっています、それが9時半頃。そして強盗が押し入り事件発生。キッチンからフライパンを持ち出して応戦したものの、一番奥のベッドルームで決着……ね?」
「どこが気になるのですか?」
 ナナ子はまっすぐに古葉谷を睨むように見つめて言い返した。古葉谷はその視線をやはりまっすぐに受け止めて口元をニィとあげた。
「私と出会った後で襲われたのですから、平原さんは室内に潜んでいたのではなく、その後に押し入って来たと見て良いでしょう。私が部屋を出た後で、彼女は鍵をかけました。しっかりチェーンもかけています」
 刑事の言葉を反すうしてナナ子は眉をひそめた。古葉谷は軽く頷いて続ける。
「ミナ子さんのストーカーだった平原さんが、たとえ合鍵等を用意できていたとしても、チェーンまでは外から開けられません。このマンションのインターホンにはモニタもついている。……つまり、ミナ子さんは自ら平原を確認して、招きいれたということになってしまいます」
「ちょっとまってください」
 ナナ子は小さく手を挙げた。古葉谷はまるで教師のように手で彼女を示して「どうぞ」と言った。
「姉は帰宅した直後だったんですよね、平原が室内に潜んでいた可能性だってあるでしょう?」
 古葉谷は不敵な笑み浮かべ人差し指を立てた。
「鑑識によると、平原さんの靴の跡は玄関からリビングダイニング、そしてベッドルームにしかありませんでした。LDKには隠れるような場所もありませんから、潜んでいたというのならば場所はベッドルームということになります」
「じゃぁベッドルームだったんでしょう」
「ベッドルームに潜んでいたストーカーに対し、キッチンでフライパンを持ち出して応戦した、と」
「姉は強気な人でしたから」
「しかし、玄関ドアのチェーンははずした。発見時ドアの鍵はかかっていましたが、チェーンはかけられていませんでした。果たしてミナ子さんは勇ましくも戦おうとしたのか、それとも、逃げようとしたのか。……はっきりしません」
「襲われてフライパンで応戦し相手がひるんだ隙に逃げ出そうとした、で良いのでは?」
 古葉谷が言い返すと、素早くナナ子も反論する。
「それでは事件現場はもっと玄関の近くでなければなりません」
「そうかしら。乱暴目的ならベッドルームまで姉を引き戻してもおかしくは無いのでは?」
「行ったり来たり忙しいですね」
「可能性の問題です」
 古葉谷が初めて黙り、ナナ子は微笑みを浮かべた。ナナ子は目を瞑る刑事をしばらく見つめてから、もう帰ろうかとソファから立ち上がった。ハンドバッグを手にとる。
「えー、可能性の問題です」
 古葉谷は目を閉じたまま言った。
「最初に引っ掛かっていたのは、ミナ子さんが着ていた服です。クロゼットの中を見せていただきましたが、他の服に比べて地味だったように感じました。そして、その服は仕事の時に着ていたものでは無いそうです」
「仕事から帰ってきて着替えた、と?」
「はい。クロゼットはベッドルームです、着替えもそこでしたのでしょう。しかし、そこには平原さんが潜んでいたはずなんです」
 ナナ子がわずかに動揺する。刑事は再び恭しくソファを勧めた。
「……一度帰宅して、また外出する。その間に平原が忍び込み、帰宅した時に古葉谷さんと出会う」
「ミナ子さんのお化粧ですが、マスカラとアイシャドーだけが落ちていました、ベッドルームの鏡台脇のごみ箱に、化粧を落としたコットンが捨てられています。いいですか、ミナ子さんはベッドルームで化粧を途中まで落としているんです」
 そこまで言って古葉谷はナナ子に目をやった。彼女は黙ったままだ。
「帰宅してからベッドルームへ行って、そこでマスカラを落とす余裕があった。今あなたが言った順番では、ベッドルームで不法侵入している平原さんと対峙しつつ化粧を落とし始めたということになります」
「……不自然ですね」
「自然な解釈があります」
 古葉谷は再び口元に笑みを浮かべた。
「第三者の介入があった」
「私のことを言っているのですか?」
 古葉谷は睨みつけるナナ子におどけて肩をすくめて見せた。ナナ子の顔が険しくなる。
「不愉快です」
「それは大変失礼しました。しかし、可能性の問題です」
 いけしゃあしゃあと。ナナ子は苛立ちを隠せずに奥歯を鳴らした。
「その第三者の存在を仮定するとします。彼、ないし彼女は少なくともミナ子さんが部屋に招き入れるに足る人物であることは間違いありません。先ほど話したドアの鍵とチェーン、そしてインターホンのことからもその仮説は証明されます。いえ、もしかしたらもっと前からすでに室内にいたのかもしれません」
「古葉谷さんはそれを私だとおっしゃりたいのですよね」
 ナナ子の言葉に古葉谷は小首をかしげる。
「ちなみに、ミナ子さんが化粧を落としたのは本人の意思でしょう。他の誰にもそんなことをする理由が思いつきません。……続けます。平原さんが呼び出されたのか、それとも偶然居合わせたのかはわかりませんが、少なくとも第三者は彼がミナ子さんのストーカーであるということを知っている人物です。そうでなければ平原さんにストッキングをかぶせて異常性を示したりしません」
「その、第三者の存在は仮定でしか……」
 古葉谷はナナ子の言葉を手で制した。飄々としたたち振る舞いの中、目だけは鋭くナナ子を射抜いた。

 古葉谷はゆっくりとカウンタに置かれた紙袋に手を突っ込んだ。
「事件の日、平原さんはこんなものをスーパーで買っています。えーと、まず長ねぎと卵」
 一つずつ紙袋から出してカウンタに並べていく。
「しいたけ。豆腐製品」
 豆腐製品、と言って取り出したのは焼き豆腐だ。
「そして、複合調味料」
 コトリ、と音を立てて置かれた小瓶には『すき焼きのたれ』というラベルが貼られていた。
「……えー」
 古葉谷は並んだそれらの品物を手で示す。
「すき焼きを作ろうとしていたようです。彼のアパートでもすき焼き用の鍋が用意されていました。しかし、これでは何か足りません」
 小さく唸るような笑い声を刑事はもらした。そしてゆっくりともう一つの袋、ビニル袋のほうを手にとった。
「こちら。ミナ子さんが駅前のデパートで買った高級和牛。……長い間放置されてましたから残念ながら痛んでますが。
 はい、これ。ちゃんとスライスされています。ステーキ用じゃありませんし、こんな高いお肉で肉じゃがは作らないでしょう」
 ナナ子は古葉谷の言葉を理解するのに時間がかかっていた。混乱である。古葉谷はそんなナナ子を見て不敵な笑みを浮かべてカウンタに並べられた品物をもう一度眺めた。
「さて。……ストッキングを被ったストーカーが、どうしてこんなものをセッティングしたんでしょうか」

 そんなバカな。ナナ子は刑事の言わんとしていることが理解できずにいた。
 あのプライドの高い姉が、ストーカーまがいの男を。

「ナナ子さんとミナ子さん、外見は本当によく似ています。しかし平原さんは一途にミナ子さんだけを思い続けていたのでしょう。えー、ナナ子さんの婚約者、矢口さんでしたか。彼はミナ子さんからナナ子さんに……失礼な言い方で申し訳ありません、乗り換えたわけです。それはもちろんナナ子さんの魅力なんでしょうけども、平原さんはそうではなかった。平原さんがミナ子さんの外見以外の部分を認めていたことに、ミナ子さんは気づいたのです。もっとも、ミナ子さんはナナ子さんの手前、かつてストーカーだと言い放ってしまった男とお付き合いすることを隠さざるを得なかった」

 ナナ子は姉のことをわかっていなかった。双子なのに。何も理解できていなかったのだ。

「おわかりですね。平原さんとミナ子さんはあの日の夜、平原さんの家ですき焼きを食べる予定だったんです。高いお肉をミナ子さんが用意していますから、もしかしたら昇格のお祝いなのかもしれません。しかも、帰宅したミナ子さんは一旦化粧を落とそうとしていました。平原さんの家に行く為に化粧をし直すつもりだったのでしょう。もしかしたら、化粧せずに気兼ねなく会っていたのかもしれません。
 どっちにしろとにかく、二人はそういう関係なんです。えー、つまり。たとえ直前にケンカをしてしまったのだとしても、平原さんが土足で上がりこみストッキングをかぶる理由にはなりません。……第三者の存在を認めていただけますか?」

 ナナ子は何も言わない。その沈黙は肯定を意味した。力をこめていた目が伏せられる。

「あの時私が会ったミナ子さんはあなたですね」

 ナナ子の体が深くソファに沈んだ。そこでナナ子は最初に古葉谷が言った言葉を思い出す。

「古葉谷さん。さっき、入れ替わりも上手くいくわけがない、とおっしゃりましたが、どうしてわかったんですか?」
 ナナ子の問いに古葉谷はなんでもないといった様子で答える。
「ああ。ナナ子さんが最初に私の名前を言った時、まだ私、名乗ってません。新居警部補に睨まれてましたから」

 古葉谷が「ご挨拶が遅くなってすみません」と笑う。
 その、刑事らしからぬやけに楽しそうな顔を見たナナ子は、体の力が抜けていくのを感じた。




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