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 街を見下ろすビルの最上階にそのバーはあった。

 夜ともなれば、多くの小洒落た男女で下界を見下ろす窓側の席は埋まり、ピアノを取り囲むように配置されたテーブル席には疲れを癒すようにビジネスマンが談笑とともに遅い夕食を取る。金融と政治で塗りつくされたその街で、そのバーは確かに一つのオアシスだった。


「お疲れ様です。アスランさん!」
「シンもね」

 テーブルを拭き、クロスを剥ぎ取る青年と、ピアノをあちこち収納する青年。
 時刻は午前1時。
 見下ろす街はようやく夜の帳を受け入れて静まり返ろうとしている、そんな時間。
 街で一番高いビルの最上階にあるラウンジ、ミネルバにようやく閉店時間が訪れた。明日のオープンに向けてクロスを張りなおす二人は、テーブルのキャンドルと花瓶をトレイに載せて下げる。

「今日のお客さん五月蝿かったですよね」
「まあ、な」
「あれ弾ける? これ弾ける? ってなんですかアレ、普通こんな所でリクエストしますか?」
「初めてで浮かれていたんだろ」

 窓が閉まっているのを確認していたシンが振り向いて、脱力する。
「あー、初デートってやつですか?」

 床をモップがけして、椅子を上げ、ランドリーの籠にナプキン、タオル、クロスを放り込んで、ここまで30分。

「それに答えちゃうアンタも凄いですけど。俺、クラシックとかさっぱりだけど聞いたことある曲とかありました! ホント、上手いですよね」
「まあ、元音大生だし」
「そっか、でも勿体ないって言うか・・・なんで・・・」
「上には上がいるって事、音大出で音楽活動できる奴なんて一握りもいないよ」
「そんなもんですかー」

 点検表に名前を記入して、フロアの明かりを落とす。明日の仕込をしている厨房に顔を出して二人はロッカーに繋がる通路に出る。

「お疲れ様でしたー」
「お疲れ」

 高速エレベーターを降りたところで二人は別れ、アスランは赤い行き先案内のナイトバスに乗った。

 上手いですよね・・・か。
 だけど、上には上がいるんだよな。

 何となく手のひらを見下ろして、月が煌々と輝く夜空を見上げた。街はタクシーと幾ばかりかの乗用車が走り、歩道を歩く人もほとんどいない。

 この方が俺には分相応ってことか。
 スカイ・バー・ラウンジ・ミネルバ。そこの給仕係兼ピアノ担当。それが今の彼の職業だった。

 昼は給仕としてテーブルの間を動き回り、夜は決められた時間にピアノを弾き、その合間に給仕をする。バーラウンジのピアノなど、実質誰も聞いていない。フロアのBGMなのだから、音を主張せず空間を演出するための小物みたいなものだ。

 だけど、あの音はないよな。

 最初、ミネルバに勤めた初日、鍵盤を押したときの音を思い出す。きちんと調律されていない音。整調されてないピアノの音はひどく、せっかくのグランドピアノが台無しだった。店長に頼み込んで調律士を呼んでもらった。あれから半年に一度は調律をお願いしてもらっている。

 自分でできないこともないが、そんな気がどうしてもおこせなかった。

 ピアノはもういいんだ。
 ミネルバで弾いているのは生活費を稼ぐため。
 めどが付いたら大学に入りなおそうと思っていた。音楽ではないちゃんとした、工学や理学、法律でも経済でもなんでもいい、何かもっと身になるもの。

 アスランは停車のブザーを押して、席を立つ。

 ピアノは役に立たない・・・か。

 誰かの靴音が遠く響いて、いい感じに冴えていた夜は素肌には少し冷たい。アスランはバス停から歩きながら、マフラーを引き寄せる。ビルの最上階、スカイラウンジで弾くようになってもう一年が過ぎていた。




 ミネルバは一見高級そうに見えるけれど、値段はそれほど高くない。ちょっと財布に余裕があれば十分手が出る範囲だ。それ故、間違っても芸能人のお忍びとか、政財界のお偉いさんなんてのはここには来ない。

 来ない筈だったのだが。
 厨房でカクテルグラスを準備している時に、シンがこっそり近寄ってきた。

「アスランさん。あれ、イザーク・ジュールですよ」

 シンが指し示す先には、押さえたライトの中でも目立つ銀髪が光っていた。
 最近、メディアでよく目にする実業家。いや、元貴族の財閥の御曹司、という奴だ。

「一人で?」
「まさか。仕事の同僚って感じの奴が2人います」

 確かに同じテーブルに付くスーツ姿の男がいる。アスランは顔を顰めていた。よく見たら、ピアノの近くのテーブルなのだ。ああいうタイプは何かにつけて細かく、口うるさい。今も、同席の男に何か文句を言っている。

「やりにくいな」
「えっ、何ですか?」
「あー・・・、なんでもない」

 アスランは自分が典型的O型なのを自覚している。つまり大雑把なのだ。譜面は忠実に従うし、崩すところは崩して軽いタッチにする。しかしそれが表現豊かと言えるかというとそれはそれで微妙で。

 まあいいさ。どうせ聞いちゃいないだろう。

 舐めてかかったのが失敗だった。

 手を洗って時計を確認する、夜の2回目の時間。シンにフロアのことを頼むと、ピアノへと向かっていった。




「貴様、まじめにやれ」

 2曲弾き終わったところでいきなり話しかけられた。
 次の選曲はなんだっかと、楽譜をあさっている時、ふいに鍵盤が暗くなったのだ。

「あの、お客様?」

 もしかして、俺が給仕をしていたのがばれたのだろうか?

「誰も聞いてないとでも思っているのか?」 
「おい、イザーク!」

 同じテーブルの男があわてて近寄ってきた。彼をテーブルまで連れて行こうとするが、ガンと俺を睨みつけたまま動かない。

「音を間引きするな! そのふざけたアレンジは客を馬鹿にしているのか!!」

 わざわざイージーに聞こえるように編曲しているのが分からないのか?
 こんな所でショパンの練習曲を原曲どおりに弾いたらうるさくてブーイングだぞ。第一、そんなことをしたらこのピアノが持たない。

「ちょ、おま。ラウンジはコンサート会場じゃねえってば」
「うるさいっ。今度手抜きしたら許さんぞ」

 引きずられるように同席の男とともに帰っていった彼をぽかんと俺は見送っていた。しかしこの騒ぎで客の注目を浴びていることにおれ自身も気づいておらず、シンに声をかけられて初めて事態を悟ったのだ。

「注目されてますよね」
「視線が痛い」
「店長はいつもと同じでいいって」

 俺は衆目の中、映画音楽を中心としたポピュラーミュージックに切り替えた。

 これなら、手抜きもないだろう。
 原曲そのままに弾いても、空間で音を主張しない落ち着いた曲ばかりだ。

 第3の男
 旅愁
 愛と青春の旅立ち
 アンチェイドメロディー
 ロビンフット「愛のテーマ」

 いつでも飛びかかれる体制にしているあの銀髪野郎を横目で捕らえながら、俺は心の中で毒づいた。

 ザマーミロ。
 文句があるなら言ってみろ。

 今日はクラシックで行きたい気分だったのに、セットメニューの組み立てがパーになってしまった。結局、最後まで居座ったあいつのおかげで、その日は随分とお手軽な曲ばかりになり、俺はミネルバの皆に苦労を労われた。




やー、やっぱり書いてしまったよ。しかも続き物で。ニコルのコンサートで爆睡してしまったアスランですが、この話では、まっ、そんなんではありませんのであしからず。やー、彼、男で軍人とは思えないようなきれいな細長い指しているから(いや、マジで。種デス1話のザク機動シーンとか50話SPのオープニングとか見てると、さ)、鍵盤の上を滑っていたら結構さまになるかなと思って、唐突にピアニスト・アスラン、スタートです。ミネルバのモデルは言わずと知れたMM21にあるあそこです。