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Princes on Ice 7

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 アスランは腹の上で手を組んで、天井を見上げた。

 プレスの前で問題発言をした後、コーチのイザークがさっさと行くぞと声を掛けにきた。これ以上、相手を刺激して欲しくないのだろうと険しい表情を見て気づく。

『貴様、何を考えている。牽制のつもりか?』
『そんなつもりはないけれど、まあ、そんな所』
『だとしたら失敗だな。お前の弟の方がダメージを食らっているぞ』

 よろよろと出て行くように見えたシン。

『あちゃー』
『この考えなしがぁ!』

 案の定、シンの部屋を訪れてみればなにやら一人沈んでいる様子。アスランは予想通りの結果に苦笑して天井のライトからシンへと再び視線を移した。

「お前、自分のスケート好きか?」

 トンボが目玉を食らった顔でシンはポカンと口を開けていた。

「俺はスケートが好きだし、ジャンプばかり注目されるのが面白くないと思っている。けど、お前もそうなのか?」

 多分に二重を否定を含んでいる。
 けれど、お前は違うだろ? そんなニュアンス。

 緊張していた顔の筋肉が緩んで、シンは「そうだ」と言いたかった。けれど声にならずに、下から覗き込む兄を見つめることしかできない。口で言ってできるほど簡単な事ではない。

 そんなことはない。
 ジャンプだって楽しいじゃないか、と。

 ガサゴソと動いて身体を起こしたアスランがシンの頭に手を置く。そうしてしまえば、シンはまた見上げる羽目になって、どう言ったらいいのか言葉に詰まる。ぐちゃぐちゃと髪をかき混ぜられて、目を瞑った。

「俺だって、ジャンプを否定する気はないよ」
「でも兄貴・・・くるくる飛んで回るだけだって言ったじゃないか」
「スケートはさ、滑る、飛ぶ、回るの3つで成り立ってるよな。どれか一つでも欠けたら面白くないだろ、バランスの問題だよ」

「どれを得意にするかは人それぞれだろ。お前の得意とするものはなんだ?」 

 えっと。俺が得意なのは。

「ジャンプ・・・」
「じゃあ落ち込んでる場合か? 目の前でジャンプなんてつまらないって言う選手がいるんだ、お前のやるべき事は何だ?」

「そんな事ないって証明する」

 簡単にできないから困っているんじゃないかよ。

「できる、できないは関係ないさ」
「は?」

「誰かに分かってもらいたくて滑るわけじゃないから」

 まず自分が楽しむのが先決。自然と楽しさは伝わるから。
 そこにスケートの個性は関係ない。

 そうだ、目の前の兄貴は自分の為に滑るのだった。
 自分が楽しむためにもう一度リンクに立つことを決めたのだった。
 しかも、そうするべきだと言ったのは俺じゃないか。

「ったく、オリンピック出場を果たしたとは言え、まだまだ子ど―――んぐ・・・!?」
「うるさい!」

 シンは手に合った枕を兄に投げつけてそれ以上続けさせなかった。エルボーのお返しとばかりにラリアットでベッドに沈め、ホールドする。むぐむぐ言う兄は最初こそ手足をばたつかせていたが、シンががっちりホールドしていたので早々に諦めたらしい。ベッドをバンバンと叩く。

「俺だって、超・頑固な兄貴に分かって貰おうなんて思ってません」

 叩くのも止めた兄がベッドに沈む。いつもならここで、足蹴りの一つでも飛んでくるところなのに。
 選手村のベッドは意外とリッチな作りで、自分の部屋のベッドよりふかふかしていたかも知れない。これが結構寝心地がいいのだ。

「でもまあ、俺の滑りを見て、やっぱりジャンプも捨てたものじゃないなって絶対思うだろうけどね!」

 顔を見てやろうと思って邪魔な枕をどかしたら、瞼を閉じた顔があった。
 急に静かになっておかしいなと思ったんだ。

「何だよ、そのまま寝るなって自分で言ったくせに」

 掛け布団と毛布を持ち上げた所でシンは手を止めた。横から布団を引き抜くと、起こさないように上手いこと中に潜り込んで、自分も一緒に寝ることにしたのだった。





「君の弟、急に動きが良くなってない?」
「そうか?」

 フリーの滑る順番を決める時、キラがアスランに話しかけていた。公式練習ではいつものやんちゃぶりが粗相に発展しそうになって、鬼コーチまで見事に復活していた。きっと本国では大きく取り上げられてお茶の間を賑わしたことだろう。

「4回転は飛ぶの?」
「さあ、飛ぶかもな。俺もメダル狙うことにしたから」
「えぇ、ホント!? で、またフリーは曲なしでやるんだ」

 良く知っているな。
 アスランは顔にそう浮かべてキラを見た。相変わらずの情報収集能力である。

「今度はちゃんと曲をつけるよ。キラも聞いたことあるんじゃないか?」
「僕も知っている曲? なんだろう。あっ、君の番だよ」

 抽選の結果、フリーの競技順序が決まった。アスランもシンも同じ第3グループで、第3グループのトップにアスラン、2つ置いてキラ。そして最後がシンと決まった。






 フリープログラムは5分。
 あらかじめ提出したプログラムと照らし合わせて評価されるポイント制。
 冬のオリンピックの花形種目、フィギュアスケートシングルの決勝が行われる頃はもう大会も佳境である。これが終われば女子のシングルが始まり、最後の大詰めを迎える。

 フィギュアのスケート会場は熱気に包まれ、第2グループが終わった後のリンクの整備が始まっていた。いよいよ最後のグループである。トップ選手がひしめき、今日この会場に来ている観客の一番お目当て。

「誰のおかげで兄貴のスケートを見られると思ってんだよ。皆、俺に感謝して欲しいよ」
「全くだ」

 珍しくコーチと意見が合ってシンは銀髪の鬼コーチを見上げた。
 彼もアスランを銀盤に連れ戻した功労者の一人で、共に競い、苦楽を共にしたライバルだった。今、この舞台をどのような心境で見つめているのだろう。ふと、そんな事を思って、青い瞳を覗き込む。 

「集中しろ。超えたいと願うなら目を離すな」

 リンクの熱気が一転に収束する。
 会場に流れる音楽に、シンは息を呑んだ。




「この曲って!?」
「よく許可が降りたものだ」

 どよめきはすぐに収まった。
 奏でられる管楽器の音色はスカンジナビア大会が始まってから、会場のあちこちで聞こえた曲。

 冬季オリンピック、スカンジナビア大会オリンピック・テーマ曲。
 ファンファーレで始まる、各競技の表彰式で必ず流れる曲。

 誰もがちゃんと聞くのはこれが初めてだろう。
 まして、フィギュアの演技で流れるとは誰が予想しただろうか。

 耳慣れた曲のファンファーレの最後、アスランはエッジを切って舞い上がった。シンには宙に浮いている時間がやけに長く感じられ、数える間もなくジャンプの回転を見ていた。
 1・2・3・・・4回転。ループ。
 助走もなくあっさりと飛び上がり、何事もなく着地して滑り出す兄を見て、シンは震えが止まらなかった。

「アスランの奴。本当に負けず嫌いだ。シン・・・」
「えっ、ハイっ!」

 俺と同じ4回転ループ。
 シンは自分のジャンプと比べていた。

「お前の時代はすぐに来る。乗り越えられない壁じゃない。だから、今は良く見ておくんだ」

 高さは兄貴の方があるけど、距離なら俺のほうが飛んでいる。 
 ストレートラインステップ。レイバックで天井を見たままスピンして滑り出す。両足揃えて飛び、開脚して飛んだ所で、不思議な動きの意味を知った。中継で、録画で、チームの応援で見たことがある。兄の動きは全てこの大会の競技に由来しているのだ。
 けれど、それは何も特別な動きじゃない。
 滑る、飛ぶ、回る。全てそれらの組み合わせて実現していた。緩急を付けて、時に早く、時に遅く滑る。
 クロスカントリー、ラージヒル、モーグル。そこかしこに競技をイメージさせる動き。
 ステップではカーリング選手やホッケー選手のように動いて、最後、そうフィギュアスケートが残っている。男子では必須ではないアラベスクで円を描き、伸ばされた長い指の先で時間が止まる。

「あっ」

 すっと後ろに足を上げて、そのままエッジの踵を持つ。

 ビールマン・スピン。

 男子シングルでお目にかかるとは。





 拍手は遅れてやって来て、シンの手からドリンクを引っ手繰ってようやく座る。テレビのライトやカメラのフラッシュの前で、アスランは何処を見ているのか分からない。

「兄貴、大丈夫?」
「・・・・・・・・・・・・疲れた」

 ボードの前にアスランとシン、そしてイザークが座って結果が出るのを待つ。お茶の間の状況がどうなっているのか想像するだに恐ろしい組み合わせである。

「うわっ、やったぁ!!」

 得点が出て、シンはあまりの高得点に思わずアスランに抱きついていた。
 スケーティング得点の高さを筆頭に、全てのカテゴリで8点台。一斉にフラッシュが焚かれたのは言うまでもないのだが、すぐにアスランの鉄拳が飛んだ。

「ぐあっ!?」
「こらシン。お前はまだ自分の演技が残っているだろっ!」

 オークレーの演技を見守り、ハイネの演技の時にはリンクの手前で準備を始める。イザークとアスランが付いて白いリンクを3人で見ていた。

 シンは現在フィギュア界に君臨するキラの演技を固唾を呑んで見守る。
 得意のジャンプは絶好調で、唯一人飛ぶことができる4回転アクセルが決まると会場は割れんばかりの拍手で溢れた。
 キラのすごいところは、フリーの終盤残り20秒という所で、4回転-3回転のコンビネーションを飛べるところだ。体格はシンと大して変わらないのに、伸びのあるスケーティングはこのリンクが狭く感じられる程。

 演技が終わった時の拍手は、アスランの時と同じかそれ以上で。
 心臓の高鳴りはSPの時以上だった。
 帝王の後に滑るのはシン。とりを飾るのである。

 艶やかなスケートも、ダイナミックなスケートも、今はまだシンには届かない。けれど、シンにはシンのスケートがあった。

「お前はお前だ。全力で行けばいい」
「シン。行ってこい」

 真っ赤なコスチュームの背中に触れる白い指先。
 少し力を込めて押し出され、つっと離れる指先の向こうは、もはや氷の上。シンは白いリンクの上に滑り出た。





オリンピックのテーマを探しましたが、トリノの曲は見つからず。ロサンゼルス大会のは一杯見つかるのですけど・・・。中間部が結構いい感じの曲だったのだけどな~。次はいよいよ最終回です。一日おいて誤字脱字修正しています。

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