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Last update 2007年10月20日

桜 著者:暇子


「ただただぐるぐるぐるぐる」
あたしはそうありたくてここに来たのに、
たとえば・・・
アスファルトの光を見ただけで中途半端に感傷に浸れる余裕を、贅沢を、何でまだ持ってんの?


昨日、愛していた人と分かれたあたし。
この桜並木を通って、これから病院に行く。
少し遠回りになるけどこの道を通りたかった。
桜の花はまだ咲く気配も無く、
ただごつごつした枝だけが冷たくあたしを見下ろしていた。
先月、まだ雪が残ってた時あの人とここを通ったっけ。
桜が咲いたら見に来よう、なんてよく言えたものだわ。


これからあたしは、愛した人の、子を、堕ろしに行くのだ。


愛していたのはあたしの方だけだった。
まさかこんな結果になるなんてね。
『オメデタデスヨ』
妊娠を知った時、不安と共に少しだけ幸せな未来を夢見てしまった。
結局は叶わぬ願いだったなんて、笑えない。

何も考えたくない。
何も見たくない。
このお腹の中の命と共に、思い出も何もかも消えてしまえばいいのに。
気持ちが悪い。つわり?
あたしの中で生きている命。これからあんたを殺しに行くのよ。



待合室では、赤ちゃんを抱いた母親が幸せそうな笑顔で話しかけてきた。
「1ヶ月の健康診断なんです」
そんなことどうでもいい。
ヤメテ。
話しかけないで!
あなたとあたしは違う道を歩いているのよ。
あたしの暗い顔に気づきなさいよ!
何の罪も無い幸せそうな母親に憎しみすら覚えてしまう。

母親に抱かれて眠っていたと思った赤ちゃんが突然泣き出した。
自分の母親に対するあたしの思いが伝わったかのように。
こんな小さな体から想像出来ないような力強い泣き声だった。
『必死で生きてるんだ』嫌でもそう思えてきた。

「ごめんなさいね」母親があたしに謝った後、
立ち上がって赤ちゃんを揺らしながらなんとか泣き止ませようとする。
何で謝るのよ!
『あたしはあなたと違って幸せでごめんなさいね』
こんな風に思ってしまう自分が情けなくてまた苛立つ。堂々巡り。


問診で、医者はあたしに念を押す。
「本当に、いいんですね?」
夕べ出し尽くしたと思っていた涙がまた溢れてきた。
後悔はしない答えを出したつもりだったのに。
キチンと気持ちの整理はつけたはずだったのに。
どうしよう、どうしよう。ドウシヨウ、・・・ドウシタイノ?

あたしは・・・

さっきの母親のようになれるかしら?
父親のいない子供でも幸せになれるかしら?
本当は産みたいに決まってるじゃないの!


頭の中で何が起こっているのか自分でも分からないまま、
ただ泣いていた。
気が遠くなっていく。
どれぐらいの時間が過ぎたのか。
病院のベッドの上で目が覚めた。

子供は!?
気持ちが悪い。どうやらまだつわりがある。
という事は、まだ居るのね?
こんなはずじゃなかったのに。こんなんじゃここに来た意味がないのだ。


「目が覚めた?」看護婦があたしに優しく話しかけてきた。
「今日はもう遅いわ。この個室、今夜は開いてるから帰りたくなかったら泊まっていくといいわよ。時間が許す限り、私が何でも話を聞いてあげようか?」
「話したくありません」
「じゃ、代わりに私の話を聞いてみる?」

聞く気など無いのに看護婦は勝手に話し始めた。
「私ね、先月まで不倫してたの。」
だから何?って言いたくなる突然の話題。
あたしが返す言葉に困っていると、看護婦は自分のお腹を擦りながら続けた。
「でも、この子は、産むわ。」
「え・・・」
「私一人で育てるの。相手は認知してくれないらしいし。お金も要るからギリギリまでここで働くつもりよ。先生も無理のない程度に置いてくれるって言ったわ。」

あたしと同じような状況のハズなのに、
彼女の顔はあたしと違って自信に満ちていた。
いや、彼女もきっとツライ思いをしたに違いないのだ。
あたしも時がたてばこの人みたいに強くなれるの?
どのくらいの時間が必要なのだろう。
それまでお腹の子供は待っていてくれるだろうか?
あたしは、まだ弱い。まだまだ、弱いのだ。

あたしは、強くなんてなれないんだ。きっと。

「あのさ、」彼女はあたしの顔を覗き込んだ。
「子供の月齢も近くて、会って話せるぐらい身近なシングルママってなかなか見つからないのよ。あなた、一緒に産んでみない?」
「は!?」
新入生に『一緒にお昼たべない?』なんて誘うような気軽さで、彼女はあたしの人生を決めてしまうつもりだろうか!?

「どちらに転んでも、必ず後悔は付いてくるものよ。」
確かにそうだ。今、どうしたらいいのか自分でも分からない。
正しい答えなんてどこにも無いのかも知れない。
ただひとつ、確かなこと。

それは、
このお腹の中で、確実に生きているちいさな命があること。

また涙が流れてきた。
人間が1日に流せる涙の量というのはどうやら決まっていないらしい。
それとも、1年間を平均したら同じぐらいの量だったりするのかな?
あたしは今初めてて知り合ったばかりの看護婦に、心の全てを打ち明けた。
自分でも何を話しているのか分からなくなっていた。
彼女は優しくあたしの肩を抱いて聞いてくれた。


朝、目が覚めた。
あたしは心にしっかりと決めたことがあった。
もう迷わない。
あたしは一人じゃない。

「おはよう」昨日の看護婦・・・ユカさんが来た。
あたし達は約束した。
お互い、強く、生きていくこと。
片親同士だけど、必ず子供を不幸にさせないこと。





1年後、春。


あの桜並木の下で、ユカとあたしは並んでベビーカーを押していた。
満開の桜だ。

あたし達は妊娠中もよく会って色んな悩みや感情をぶつけ合い、
一番心の許せる仲になっていた。
もちろん子供を産んでからも、二人、手探りで『育児』というモノをそれなりに頑張っている最中だ。


「うちの子のちょうど1ヶ月後だよね。」あたしの子は、そう言って抱き上げたユカにも愛想良く笑っている。
「あたしはこれぐらいの頃からもう人見知りが出てきて、お母さんじゃないと泣き出してたって聞いてたのに。」ユカに抱かれた自分の子を見ながら言った。
「あんたはあたしにしかなつかないと思ってた。」
「生まれる前からよく一緒に居たから、覚えてるんじゃないの?『ママと同じ匂いがする』ってね。」

ユカが笑って言った。
桜の木は、あの日とは違う優しい顔であたし達を見下ろしていた。




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