Mystery Circle 作品置き場

おりえ

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nightstalker

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Last update 2007年10月27日

きっと全てがよくなるでしょう 著者:おりえ


「あたしに触りたいんだったら、あたしだけ見な」
 そう言ってやったら、目の前の男はどこの天使様ですか、来るところ間違えてませんかってくらいのにこにこ顔でじぃっとあたしの顔を見つめてから、よしよしと頭を撫でてきた。
「素直じゃない君も素敵だね」
「あー聞こえない聞こえない」
 あたしは鳥肌を立てながら、目を閉じて両耳を塞ぐ。
 いつの間にこいつはあたしの隣にいるんだろ。いつの間にそれが当たり前になっちゃったんだろ。
 頭に置かれた手の暖かな感触に何故か泣きたくなりながら、あたしはそれを無視して思った。

 誰でもそういう時期はあると思うんだけど、中学・高校時代って、人間一番荒れてる時期だと思う。反抗期ってヤツ。親の干渉がわずらわしくなって、何もかも嫌になって、めちゃくちゃになっちゃう時期。自分でもどうしようもなくて、でもグレる勇気も根性もない。用意された箱の中で存分にわめいてるばかり。そんな多感な時期。俺に触れると火傷するぜってやつよ。
 そういう時期にさ、ただでさえ母子家庭でちょっぴりやさぐれてる娘の前に、なんで「新しいパパよ」と男を連れてくるかなぁ。どうよこれ? それまではいい子でいようと精一杯振舞ってきたあたしもついにぶち切れですよ。アンタ、女なのはわかってるけど、あたしの親でもあるんだよって。
 「あなたにも父親は必要でしょう?」だなんて、都合のいい説得であたしを納得させようってんなら、それは間違いだよ。子供は案外わかってる。親が不仲なのだってわかっちゃうし、子供なりに気を遣ったりするんだよ。なんでわかんないかな。大人って子供から成長した姿のことを言うんだよね。どうしてそういう子供の心を忘れちゃうの? 理解できない。全くわかんない。
 ヒトの家に知らない男が家族として入ってきて、あたしはそれが嫌で嫌で、食事も自分の部屋で食べるようになったし、お風呂だって深夜に入るようになった。なるべく男と顔を合わせないよう過ごしてきた。多感な時期に、異性の存在、しかも母親のオトコ。あたしがどうにかなったって、誰があたしを責められるだろう?
 完全に心を閉ざしてしまったあたしに対して、母親とオトコは初めはなんとかしようとしてたけど、今ではもう諦めてしまってる。努力すれば何でもできるわけじゃない。大人のイヤな所はそういうトコ。すぐに諦めちゃう所だけはご立派だと笑ってやろう。
 そんなささくれたあたしは、それでも家にいたくないので高校に入った。高校を卒業したら即就職して家を出るつもり。だから高校生活は勉強とバイトに明け暮れようと思ったわけ。
 友達もいらない。恋人? そんなもん絶対いらない。母親が自分のオトコを連れて来た日から、あたしはオトコってやつに嫌悪してる。女子高は落ちたから仕方なく共学にしたけど、そういう目で男を見たりしない。そう思いながら入学したっていうのに、――こいつですよ。
「君の心は寒々としたブルースカイ。僕はその心を溶かすために生まれたんだ」
 初対面でこれだよ?
 あたしじゃなくたってこいつはヤバイと思うでしょ?
 あたしは思わず後ろを振り返って人がいないか確かめた。こりゃあたしに向かってじゃねーだろーと思ったんだけど、残念ながら誰もいなかった。
 どうしようと思って無言でそいつを見ていたら、男は自分が何者なのかを語った。

「僕は演劇部の脚本を手がけているんだ。今書いてる本の主人公のイメージと君が、あまりにも似ていたから」
「似ていたから?」
「思わず声をね」
「勧誘?」
「まあ、そうとれなくもないけど」
「さいですか」
 あぶないあぶない。あたしはさっさと方向転換して逃げた。
 だけどそいつはストーカー並にしつこかった。どうしても演劇部に入って欲しいと毎日毎日訴え続けた。
 あまりにもしつこいので、あたしはそんな暇はないんだということを説明するために、家庭環境を男にぶちまけてやった。
「あたしは卒業したら一人暮らしをするの。そのためにバイトをしてお金を貯めなくちゃいけないの。わかる? だから部活には入らないよ。それにね、あたしは男が嫌いなの。話しかけて欲しくない。世の中にはね、自分だけが不幸だと思ってる人間はごろごろしてるんだから、何もあたしに目をつけることないでしょう? 幸せな人間と不幸な人間。世界にはこの二種類しかいない。わかったらさっさと別の子を探してください」
「だったら僕も、不幸な人間だな」
「は?」
 男は野郎にしちゃ長いまつげを伏せて見せ、
「君が僕の前からいなくなってしまったら、僕は間違いなく不幸になるだろう」
 あのー、こういう場合、殴ってもいいんですか? この人。
 あたしが無言で拳を振り上げると、男はどこからかさっと一冊のノートを取り出した。
 思わずそれを見下ろすと、タイトルが目に入った。



「私を忘れないで」



 油性ペンで、斜めがちに書かれた筆跡が目に飛び込んだ途端、あたしは何も言えなくなってしまった。




――あたしを忘れないで。

――あたしだけの人でいて。

――あたし以外の人を、愛さないで。







 お母さん…!





 鉛のような塊が喉の奥からこみあげてきた。
 それを飲み込んで、気づかれないよう何か言葉を探して口を開いた。



 だって大好きだったんだもん。
 ずっとふたりで生きて行こうって思ってたんだもん。
 なのに。なのに。なんで? なんでなの? お母さん。


 だめだ。口を開いたら、今まで誰にも言わないでいた言葉が飛び出してきちゃう。

 お母さんにだって言わなかった。オトコと楽しそうにしてるお母さんを見てたら言えなかった。
 お母さんを幸せにできるのは、あたししかいないって思ってたんだから。
 それをあんなオトコに取られちゃって、どうして平気でいられるの?
 そんなこと言えないよ。
 だって大好きなんだもん。
 あたしが我慢しなくちゃ、お母さん幸せになれないじゃない…!

 顔が熱くなって、涙をこらえようとしていたのに、涙腺は勝手に泉を蓄えだした。

 あたしは悔しくて、目の前の男を責めるように怒鳴った。

「何よこれ。なんでこんなことすんのよ」
「不幸自慢するのは、好きじゃないんだけどね」

 男は困ったように笑って、自分のことを話しだした。

 世の中には幸せな人間と不幸な人間しかいない。
 あたしが後者なら、男も後者だった。あたしと同類の。
 あたしははっきりと拒絶の意思を親に見せたけど、男は見せなかった。
 いつも笑顔で、家族を笑わせるために道化となった。他人を受け入れて家族として迎え入れたふりをして、他人が家族となっていくのを見つめながら、気づいたら他人は自分の方になっていたことに気づいた。家族の前に見せている自分は偽物で、本物は違った所にいたから。それで心が満たされるわけもなく、趣味として書いていた小説に、思いの丈をぶつけていた。

 本当の僕を、忘れないで。

「君を見たとき、君は僕と同じだってわかったよ。僕は君を幸せにしたいと思った。

 自己満足だけどね。君を幸せにすれば、僕も幸せになれるっていう」
「あたしを幸せにする方法を、あんたは知ってるの?」
「ああ、たぶんね」

 あたしの心の壁に小さな小さな穴を開けて、男はこっそり滑り込んできた。
 お互いの家庭環境は相変わらずだけど、理解し合える人間がいるのといないのとでは、全く違う。
 そう思えるようになったとき、男は嬉しそうに笑うのだった。
 ちなみに演劇部には今も入っていない。一人暮らしをする決意は薄れていないから。あたしと親の間にある溝はそう簡単には埋まらないし、埋めるためには相当な時間が必要になるだろう。男は脚本に毎日手を加えながら、この話の主人公も、最後は幸せにするつもりだから、楽しみにしていてと言った。

 学校の昼休み、男と一緒にいるのが恥ずかしいので人気のない体育館裏で一緒に座ってお弁当を広げていたら、不意に男が言った。

「ねえ、今、君に触れてもいいかい?」

 それで冒頭のやりとりにつながるわけ。全く、何考えてんだか。で、まあいいやと思っちゃうあたしもあたしかな。
 頭を撫でられて日向で眠る猫のような気持ちになっていると、男は笑った。

「幸せそうだね」
「そうかも。おかげさまで」
「僕は君に何か言わなくちゃいけない言葉があったように思うんだけど、なんだったかな?」
「知らんよ、そんなの」
「おかしいなあ。君も忘れてると思うんだけど」

 男はあたしの頭から手をどけて、空になったお弁当箱を片付け始めた。あたしもパンが入っていたビニール袋を丸める。いつものことながら、何を言っとんじゃこいつはと思っていると、男はゆっくりと立ちあがった。

「僕はいつだって君を見ているつもりなんだけど、君はそう思わないのかな。それを君に証明するためには、僕らには言わなくちゃいけない言葉があったように思うんだけど」
「いきなりなんなの? 言いたいことがあれば言えばいいのに」
 眉をひそめたら、男は首をかしげ、それから喉が渇いたと言って、歩き出した。おいおい。
 小走りでついていく。言わなくちゃいけない言葉? なんだろ?
 自販機まで歩くと、男は財布を取り出して、小銭を指でつまみあげた。
「僕らに欠けているものってなんだと思う? 人に素直になる心。まさしくこれが足りない。僕は君にそれを取り戻してあげたいんだ。そうすれば、お互いもっといい関係を築けると思う」
「はぁ…素直な心ねえ? あたしは以前よりかなり素直になったと思うけど」
「どこが? どこら辺が?」
「なんなの、その上から下まで眺め回すような失礼な視線は?」
「だって、わかんないから」
「あたしは言ったでしょ、『触りたいんだったら、あたしだけ見な』。これ以上、どう素直になれっていうの?」
 腰に手を当てて言ってやる。そーらそら。考えろ考えろ。
 男は次第に真っ赤になって、口元に手を当てて、うろたえだした。全く。鈍いんだから!
「……参りました」
「よろしい」
 うむとうなずいてやると、男は動揺した手で財布の中に落としてしまった小銭を再度つまみあげた。
「記念に奢ろう! 何がいいかい?」
「うわ、しょぼ…」
「貧乏学生に何を期待してるのかね」
「じゃあそこの水でいいよ」
「……なんで水?」
「今ダイエットしてるから」
「けしからん! 君のようなオナゴには、ココアを進呈する」
「はいはいありがと」
 全く。あたしですらここまでなったのに、こいつは未だに素直じゃないんだから。

 小銭入れをしつこくまさぐっていた男は、自販機に表示された「110円」の文字と、財布の中身を何度も何度も見比べた。
「……すまないが、……10円持ってないかい?」
 ああ、なんて憎めない人だろう!
 あたしは笑いをかみ殺しながら、自分の財布を取り出した。


「10円足りないのもあんたくらいだよ」




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