Mystery Circle 作品置き場

松永 夏馬

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nightstalker

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Last update 2007年11月23日

六天満博士の愛した数式  著者:松永 夏馬


「世の中の天才を見ろ。わがままばかりじゃないか」

「天才イコールわがままと仮定しても、わがままイコール天才ではありません博士」
 六天満博士は嬉々とした表情で振り向きながら言った言葉を受けて、返事をした秘書の蓮見ネムの声は相変わらず冷淡で抑揚がなかった。
「天才という人種が全てわがままな性格だからといって、わがままな人種がすべて天才とはかぎりませんし、むしろ極わずかであると思われます。というか博士は単なるわがままなだけです」
 刃こぼれ一つない日本刀で一刀両断にされたかに思われたが、六天満博士は飄々とした態度をそのままに軽く眉をひそめて子供のように口を尖らせた。
「おいおいネム君、相変わらず君は容赦ないね。いじけちゃうよ」
「ちゃんとお給料さえ頂ければ博士がいじけようが発狂しようが別に構いませんし、今とさほど変わりません、結局は変人です」
 すごい秘書だ。隣でこの会話を聞いている僕の心臓のほうが心配だ。
「あ……あの……」
「変人! いいじゃない! 過去偉大なる天才たちは周囲の人たちを寄せ付けぬ奇人変人ぶりだったそうだ」
「そうですね、アインシュタインやガリレオも周囲から浮いた存在だったと」
「天才イコール奇人……」
「博士はただの奇人変人です」
「ネムくーん」
「わがままな、奇人変人です」
「そんなぁ」
「そんな博士でも大丈夫ですよ、いつか世界に認められることもありますよ」
「そう? そうだよねッ」
「ええ、死後に名を残すタイプだと思います」
「ええー」
「あの……僕は……」
 いいかげんに僕の存在を知らせなければ延々とこのドツキ漫才(それも秘書の言葉による一方的な)を聞かされて一日が終わってしまいそうだ。なんとか体を割り込むようにして六天満博士の視界へと映ることに成功した。

「誰?」
「バイトの募集に応募されてきた矢口武実さんです」
 秘書が相変わらず淡々と答える。この部屋まで通したのをすっかり忘れていたんじゃないかと思うくらいの無視っぷりだったが、そういった狼狽を微塵に見せず事務的に僕を紹介してくれた。が。
「バイト? 募集したっけ?」
 目をしばたかせる中年博士の耳元で秘書は素早く囁いた。

「実験台です」
「ああ、アレ」

 うん、はっきりと聞こえた。
「いや、あの、書類整理と雑用、と聞いて来たんですけど」
「ええ、書類整理が主な仕事ですが何か?」
 メガネを直しつつ秘書はサラリとそう言った。
「え、でも、今実験台って」
「書類整理と雑用です」
 きっぱり。まるで自分が聞き間違えただけのような錯覚に陥る……ってそんなわけねぇよ。
「やっぱ……帰……」
「時給2000円」
「やらせていただきます」
 ああ、お金が欲しい。時間も欲しけりゃお金も欲しい、行動力と若さがウリの大学生は多少胡散臭くとも払いの良いバイトに惹かれるのである。まるで街灯に集う虫のように。……殺菌灯でないことを祈ろう。
「……ほ、本当に書類整理と雑用なんですよね?」
「ええ、簡単な書類整理と雑用が主な仕事です」
 そう繰り返す秘書の後ろで博士が思い切り顔を背けとりますが。
 顔の筋肉が痙攣を起こしかけたような僕を見て、小さくため息をついた秘書はその冷たくも綺麗な顔を柔らかく優しく微笑んで僕に笑いかけた。
「大丈夫ですよ、本当に仕事の内容は書類整理と雑用」
 聖母マリアのような微笑に宛てられて僕は一瞬ポーッとなった。

「…………と実験台」
「やっぱ帰るッ!!」
 って何最後に呟いてんだこの秘書。

「時給2500円」
「ぐ……」
 お金の為に体を張るのは大学生にとっちゃ般教の単位と同じようなもんだよね、普通だよね、みんなやってるよね。泣きながら。
「まぁまぁ、ボクはこれでも天才と言われるこの分野での世界的権威だ、心配はいらないよ」
 ききき、と笑いながら六天満博士。自分が苛められていないと嬉しそうだ。

 ********************

 今から即バイトということで僕はタイムカードをガシャコンと鳴らした。時給2500円時給2500円と頭の中で繰り返しながら、制服だと言って秘書が用意した箱の中の服に着替える。

「……制服……なんですよね?」
 白衣姿の博士と秘書が揃って頷き、僕は纏った服をまじまじと眺めた。病院の人間ドックで見られるような淡いブルーの長い薄手のガウン1枚、パンツすら履いてない。ああ、もうアレだ。実験台だ。100パーセント実験台仕様だ。この格好で書類整理なんぞしてたまるか。
「腕時計も外してね。携帯電話は電源切ってそっち置いておいて」
 にっこりと笑顔で博士が言う。
「計器に乱れが出たら何が起こるかわかりませんから」
 秘書はさっきの天使の微笑みはどこへやら。すっかり仮面の女に戻って淡々と僕の服をチェックして箱に片付けた。そしてその箱ごと金庫のようなスチール戸棚へと押し込んだ。扉を閉めると妙な電子音が鳴ったりする。怖ぇよこの研究所。

「とりあえずこちらへどうぞ」
 秘書が次の部屋へと誘導してくれる。相変わらず僕は時給を頭の中で延々と繰り返していた。それだけが救いなのだ。
 言われるがままに広めの手術室のような部屋へと進まされ、中央のベッドに横になる。
「……えーと……訊くの忘れたんスけど、博士の専攻って……」
「言ってなかったっけか? あはは」
「生体分化学です」
 何それ。こちとら文系一筋だ。
「今は人工的に作られた臓器類の移植に関する拒絶反応について研究しています」
 メガネを直して秘書は言う。テキパキと僕の手足をベッドに拘束しながら。臓器移植か、それにしてもうーん、手際がいい……って!
「ちょ……やっぱ無理!」
「時給2800円」
 痛いところを突いてくる。ていうか勝手に時給上げていいのだろうか。博士がどうしたらいいかわからない顔してるぞ。それでもさすがに怯える僕をかわいそうに思ったのか、秘書は優しく微笑んだ。ああ、天使の微笑み。
「パッチテストを知っていますか? アレルギーの有無を調べるテストです」
「あ……ああ、確か食物アレルギーで弟が幼い頃にやった記憶が」
「それと同様の検査をするだけです。何も心配はありません」
 そうしてやさしく頷くと秘書は博士を振り返った。
「博士、まずは何からやりますか?」

「そうね。じゃぁウシの細胞から」
 がびーん。
「ちょっと待て。なんだウシって」
「角が生えててモーモーなく動物」
 知らないの? みたいな顔をするなこの中年親父!
「はい、それじゃぁ矢口君、ウシの気持ちになってー」
 できるかー。
「無理ですッ! 無理! 何をする気だッ!」
 暴れようとも手足を拘束されていて何も出来ない。必死で体をくねらせて首を振る。秘書はやれやれ、と言った表情で首を振り、僕を見下ろして言った。
「いいですか? 臓器移植をする上でもっとも問題なのは臓器の提供者が圧倒的に少ないことです。さらには脳死等で移植に使える臓器があったとしても、患者に拒絶反応があれば使えません」
 ムツカシイことを言われてもよくわかりませんが。とりあえず頷く。
「だからと言って人間を大量生産して移植用にストックするわけにもいきません」
「り……倫理的な問題ですよね」
「その通り。だから、家畜化された動物からの移植が可能になれば、提供可能な臓器数は飛躍的に伸びます。それと比例して患者に適応する臓器も増えるわけで、世界中の移植を待つ患者達の光と成りうるのです。その第一歩として、矢口さんの体にウシの遺伝情報を組み込んで拒否反応が出ないことを確かめます」
「ウシの気持ちになったほうが拒絶反応少なそうじゃない?」

「なるほど…………って納得できるか! 無理! 帰る!」
「時給2850円」
 時給の上がり方がショボくなったぞ。
「すいません帰らしてくださいー」
 さすがに僕だって泣くぞ。泣きながら必死の抵抗を見せる僕を見て、博士と秘書は困ったような顔を見合わせた。そしてさも仕方ないといった表情を一転させ、博士はにんまりと笑った。

「うん。それじゃコレでバイトの契約は終了だ。ネム君」
 呼ばれた秘書はタイムカードをガシャコンと鳴らした。
「1時間20分くらいですね」
「うん、じゃぁ時給2800円の、1時間半でオマケしてあげよう」
「では4200円です」
 どうやら実験台にされなくてもバイト代はくれるらしい。意外にいい人達なのかもしれない。ホッと胸を撫で下ろした僕だが、拘束が解かれる気配がない。
「あのー。もうそれじゃ自由にしてもらえません?」
「ああ、そうね」
 そうして足を止めてある黒い帯に手を伸ばしかけて博士は動きを止めた。
「コレいっこ外すのに400円かかりますけど良い?」
「はい?」
「両手両足で全部で1600円になります」
「金取る気かよ!」
「嫌なら別に。このままこの状態で実験に参加してくれるまで放置するけど」
「わかった、わかりました。払えばいいんでしょ払えば!」
「ちなみにその服のクリーニング代が1200円。アナタの服が入ってる金庫を開けるのに300円かかります」
 秘書が淡々と言う。
「それから、そこのドアを開ける暗証番号4ケタは特別セール中で2000円」
「な、なんでそんな金を取るんですか!」
「この研究所はかなり極秘な研究を行なう施設ですからね。部外者には入られては困るんですよ」
 なんでもない、といった顔で説明する秘書。嬉々とした表情で博士が続ける。
「手を触れた場所は殺菌しないといけないのでその処置代もかかるからね」
「無菌状態でなければこういった研究はできませんので」
 二人して笑う博士と秘書。その目は施設内のいろんなところを探すように見ていた。ふと僕の視界に天井に設置された空気清浄機のダクトが映った。頬がヒクつく。

 おいおいちょっとマテ。ヘタすりゃ空気もそのうち、有料になるぞ。




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