Mystery Circle 作品置き場

篠原まひる

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nightstalker

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Last update 2008年03月15日

病まない雨  著者:篠原まひる


「Thank you! 俺もお前が好きだぞぉ」

 ラバトリーから、少しだけエコーが篭る、妙に間伸びした呑気なツカサの声が聞こえて来た。
 私は、ツカサのいつもの調子の返答に、ちょっとだけガッカリしながら、そしてそれ以上の罪悪感を持ちながら、軽い苦笑いのまま、「ありがとう」と返答した。
 半分開いたドアーの向こうからは、ツカサが使う水道の音が聞こえた。 きっと今の私の声は彼には届いて無いだろうと思い、もっと悲しくなった。

 突然、手に握り締めていたマナーモードの携帯電話が震える。 私は、ツカサがまだラバトリーから出て来ないのを確認して、そっと携帯電話を開く。
 メールの送信者は、やはり私が思った通りだった。 内心の焦りを隠し、私はすばやく、「彼が帰るまで待ってて」と打ち、そのまま電源を落とした。

 何も、同じ日に来なくてもいいじゃない。 私は心で文句を言いながら、ソファーの上で膝を抱く。
 窓越しの休日の午後は、灰色一色のような空模様。 昨夜から続く長雨は一向に止む気配も見せず、時折物凄い勢いで、窓を打ち鳴らす。

 雨に濡れる街は、建物までもが灰色に塗り潰されているかのように、暗く見えた。
 細いボリュームのままのFMは、そんな灰色の街に相応しい曲を選んでいるかのように、少し物哀しいラヴバラードばかりが流れ出る。
 暗い部屋の中、私は抱いた膝の上に頬を落とし、そぼ降る雨の音に耳を傾けつつ、さっきのメールの主の事を想う。

 ツカサが戻って来た音がする。 冷蔵庫の開く音がして、続いてビールのプルタブが引かれる音。
 外では、水を撥ねて通り過ぎる車の音や、どこからか聞こえる楽しげな話し声。 目を瞑ったままの私の耳に、沢山の音が流れ込む。
 私は、軽い眠気を覚えつつ、同じ姿勢のまま、ツカサの声を待つ。
 スピーカーからは、Billy Paulの、Me and Mrs.Jonesが流れ出した。 何と皮肉で、何と優しい歌声なのだろうと思った。



 ツカサの唇が、強く、私の舌を吸い上げる。

 ツカサのビール臭い息が、私の首筋に吐き出されるのを感じる。
 私は、彼のいつもの、くすぐったいような、それでいて凄くじれったい愛撫に、身体を反応させる。

 いつも、思う。 聞いた試しは無いけれど、きっとツカサは、私以外の女性を知らない。

 いつもいつもツカサは、私がしてあげた通りに、私が反応を示す通りに、まるで私と言う人間が彼の中での全てであるかのように、教えた、教わった通りの行動を辿る。
 だからツカサは、私が知る以上の事を知らない。 私が教えた以上の事は出来ない。

 いつもの、じれったく、もどかしいセックス。
 私は、ツカサが突き上げてくるその動きのままに吐息を漏らし、彼の汗ばんだ背中に両手を回し、強く強く抱き締めながら、言葉に出せない想いを送る。


 ねぇ、ツカサは私以外の女性を抱きたいとは思わないの?

 ねぇ、ツカサは、私が今まで、何人の男と愛し合ったか知っているの?

 ねぇ、ツカサが帰った後、私はここで、誰と逢うのか知っている?

 ねぇ、ツカサ。 どうしてツカサは、私の、「愛してる」には、同じ言葉を返してくれないの?

 ねぇ、ツカサ。 あなたが言う、「好き」は、どんな想いの、「好き」なの?

 ねぇ、ツカサ。 ねぇ、ツカサ。 ねぇ・・・・・。



 ツカサは、オーガズムを迎える前には、必ずそれを私に伝える。

「イっていい?」 私は強く目を瞑りながら、軽く頷き、「うん」と答える。
 いつもの儀式だ。 私はツカサを、身体ごと受け止めるかのように抱き締めつつ、彼がイクのと同時に、私も小さな悲鳴を上げる。

 ツカサは終わった後、いつも嬉しそうに、私に聞く。
 私の頭を撫でながら、今日も一緒にイけたんだねと、私の頬に軽くキスをくれる。
 私もまた、いつものように、恥ずかしそうな表情を浮かべ、「うん」と頷く。

 ツカサはいつも、私が感じているかどうかを気にする。
 何度イけたか、どんな行為に感じたか、そんな事ばかりを気にする。

 最初の頃、そんな事ばかり考えなくてもいいんだよと、何度も何度も私は言った。 女の望むセックスとは、そんな所にはないんだよと、何度も何度も彼に伝えた。
 それでもツカサは、私を気持ち良くさせたいその心を、私に伝えてくれた。

 幼さの残るツカサの笑顔。 セックスにまで、私に気を使うその性格。
 私は彼を抱き締めながら、「うん、気持ち良かったよ」 いつも残酷な嘘をつく。



 シャワーを浴びたいと要求するツカサに、今日は妹達が来るからと嘘を言い、追い出しに掛かる。
 口を尖らせながら不平不満を言うツカサは、まるで本当に子供のようだ。 私は、大きめのパーカー、一枚だけを羽織ったままで、苦笑を堪えつつ、母親か姉のように、彼に服を着せてやる。

 外の雨はますます激しく、玄関のドアーを開けようとした所に、風に煽られた雨が打ち掛かった。
 外からの風に身を縮めながら、ツカサと軽いキスを交わし、一言、「ゴメンね」と耳元でささやく。 ツカサは、「大丈夫」と笑いながら傘を差し、次第に暗さを増して来る、雨の街へと歩き出した。
 私は、「ゴメンね」の意味を取り違えた彼に、本気で胸が痛くなるような罪悪感を感じながらも、急いで携帯電話の電源を入れようとしている自分に嫌気を感じ、嫌と言う程に、恥を感じた。

 私は電源を入れ、すぐにコールをする。
 一度目の呼び出し音で、電話は繋がる。

 どこにいるのと私が聞くと、アキラはいつもの低い声で、近くにいるとだけ答える。

 私がいくらも待つ事無く、玄関のドアーが打ち鳴らされる。 ドアーを開けると、何もかもがズブ濡れになったアキラが、そこに立っていた。



 どこにいたのよ? 私が聞くと、アキラはためらいもせずに、家の前で待っていたと返す。 キスをする度に、シャワーの熱い湯が、二人の口の中へと流れ込む。

 何でそんな所に立っていたのよ? 私が咎めると、アキラは、他に行くあてが無かったと簡単に言い返す。 私は、アキラの身体を両手で撫で回しながら、ちょっと背伸びをして、軽く耳を噛む。

 今まで、彼氏と一緒にいたの。 私が言うと、それで? とアキラは聞き返す。
 熱いシャワーの中、私は彼を強く抱く。 彼の、浅黒い肌の中に顔を埋める。 目を瞑ると、再び私の耳に、音が聞こえ始めた。

 雨よりも、熱く強く降りそそぐ、水の音。 遠い昔に、丸まりながら聞いた記憶があるような、鼓動の音。
 私は、熱い雨の中、ずっとアキラにしがみついたままだった。


 まだ、二人の汗を沢山吸ったままのシーツの上に、アキラは堂々と寝そべる。
 私は、つい先程まで、別の男に抱かれていたベッドの上で、今度はまた別の男の上に覆いかぶさる。

 アキラはきっと、私がさっきまでこのベッドの上で、快楽の声を上げていたと白状したとしても、眉一つ動かさないだろう。
 いや、恐らくはきっと、そんな事は知っているのだ。 知っていても平気なのが、いつものアキラなのだ。

 私は、丹念にアキラの身体に舌を這わせて、誰にもしないような愛撫で、彼を愛する。
 彼は私に全てを任せ、時折軽い反応を示す以外は、ただ私のされるがままに寝そべっているだけだ。

 私は、全身にくまなく舌を滑らせながら、何気無くアキラの全身のパーツを点検してみる。

 アキラの胸を唾液で濡らしながら、夏でもないのに、また肌の色が黒くなってるなとか、脇腹を撫でながら、真新しい綺麗な傷を見付け、今度は何をしたんだろうと疑問に思ったりとか、せめて他の女性が付けたキスマークぐらい、消えてから来なさいよ・・・とか。

 そして私は、膨張したアキラのパーツを口で含む。 アキラは小さく吐息をあげる。
 私はいつも、ツカサにはしないような淫らな行為で、アキラを愛する。

 私は、アキラと触れている時だけ、私の中のタブーを解放出来るような気がした。


 アキラはいつも、肉食獣の匂いがした。 まるで、自分の牙が折れたら、そこで人生の幕が閉じてしまうような、そんな男に見える。

 彼は私を胡座で座った上に乗せ、ゆっくりとじらすように、果てしなくのんびりと突き上げつつ、何度も何度もキスを重ね、長い長いセックスを楽しむ。
 アキラとの、いつものセックス。 だらだらと、ひたすら長い、果てしの無いセックス。

 アキラと肌を重ねていると、まるで自分までもがケモノと同じ体臭に変わるような気がした。

「愛してるよ」
 アキラは言う。

「好きよ」
 私は答える。

 アキラは私に、「好き」とは言わない。 ただ、イクまでの間、ずっと私に語りかける。 「愛してる」の言葉を。

 愛してるって、何なの? 私は彼に、声には出さずに問い掛ける。
 アキラは私を、まるで子供を抱くようにしながら体位を変える。 私は、汗っぽいアキラに覆われながら、その服従の喜びを、身体中で反応させる。

 ・・・愛してる。

 もっと言って・・・。

 ・・・・・・愛してる。

 もっと言って・・・・・・。

 私はアキラの下で、激しく突き上げられながら、彼よりほんのちょっとだけ早くイった。

 ラバトリーより漏れてくる灯り以外何もない、真っ暗な部屋の中、二匹のケモノの息遣いだけが響く。
 いつしかスピーカーからは、いつか昔観た映画の、印象的な主題歌が流れていた。

 気が付くと、私の耳へと届く音の中に、アキラと交わっていた間、ずっと屋根を打ち付けていた雨の音だけが止んでいた。



「これから行くの?」 私が聞くと、アキラはただ短く、「うん」とだけ答える。

 終電すら無くなったこんな時間に、一体どこへといくのだろうかと疑問には思うが、私は敢えて聞きはしない。
 どうせこいつは野良なのだと自分に言い聞かせ、私は、まだ生乾きのジーンズをベッドの上に放り出す。

 暗い昼下がりのワンシーンと一緒だった。 私は全裸のままで、膝を抱きながらソファーの上で座り込む。

 真っ暗な部屋に、ドアーから漏れ出す一筋の明かり。
 アキラの、ヘアムースを押し出すスプレー音が聞こえて来る。

 こいつは、一体どこまで鈍感な男なのだろうかと呆れる。
 きっと彼は、私が付き合っている男の存在など、本気でどうでもいいのだろう。 恐らくアキラは、ドアーの向こうで当たり前のようにツカサのヘアムースを頭に塗り付け、体裁を整えているに違いない。

 今、私がアキラに、「愛してる」と言ったなら、アキラはどう返答するのだろうか。

 きっと、何の躊躇もなく、間髪入れずに、同じ言葉を返して来るに違いないと思った。

「今日は、いくら欲しいの?」
 私は、「愛してる」の言葉の代わりに、いつもと同じ台詞を吐く。
 そしてアキラも、いつもと同じ。

「いくらでもいいよ」

 私は、財布の中のお金、千円だけを残し、後は全部生乾きのジーンズのポケットへとねじ込む。

 どこまでも、いつもと同じ。 事が終わったら、金をせびって再びどこかへと消えるだけ。


 全裸のアキラが、私の前を通り過ぎる。 アキラは黙って、私が置いておいたシャツとジーンズを身に着ける。
 玄関先で、アキラが靴に足を落とすと、ぐしゃりと湿った不快な音が聞こえて来た。
 そう言えば、靴だけは乾かしてなかったと思い出すが、どうやらアキラにはそれすらも不要な事らしく、「じゃあ」とだけ言うと、何のためらいもなく玄関のドアーを開けた。

 外は、音の無い霧の雨。

 街は、濡れたアスファルトに街灯の灯りが乱反射する、夜の闇。

 信号機は黄色の点滅を繰り返し、遠くにアクセルを吹かす車の騒音が聞こえた。

 アキラは、私が差し出す傘を、後ろ手だけで断りながら、深夜の街へと消えて行った。

 彼は両手をジーンズのポケットへと差し込んだまま、少し肌寒い夜の中、その風景と同化する。
 ただの一度も後ろを振り返らない彼は、一体今から、どこの誰の家へと向かうのだろう。 私は、今度は一体いつ逢えるのかも分からない彼の姿を、街の明かりに溶けて消えたままに、いつまでもいつまでも見送った。


 人生には幾度か、心底寂しく悲しい夜がある。

 私は、二人の男に抱かれたベッドに腰掛け、再び電源を戻した携帯電話で、寝ている筈のツカサへとコールする。


 何十回もの呼び出し音を聞きながら、出ない相手に、私は何度も何度も愛を呟く。
 果たして私は、どこの誰に、その言葉を聞きたいのだろう。

 音が聞こえる。

 再び強くなり始めた雨の音。

 私の独り言が、嗚咽で言葉にならなくなった頃、呼び出し音が途切れる。
 寝惚けながらも優しい声に、精一杯の言い訳をしながら、私は相変わらずの欲求的なる言葉を並べる。

 次第に数を増し、屋根を打ち付ける深夜の雨は、私の嘘まで、優しく掻き消してくれるかのようだった。




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