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Last update 2008年03月16日

ある閉ざされていない雪の山荘にて  著者:松永夏馬



 ただ生きていくことにも大変なのだ 。

 元々さほど活動的でない毎日を過ごしてきた黛禄郎であっても、生きることは非常にエネルギーを使う。それにもかかわらず高校に進学して貴島虎雄、猫田美紀恵という常にエネルギーを発散しつづけているような二人に捕ま、……もとい、出会って1年と8ヶ月。彼らと付き合う毎日はムダにエネルギーを消費しているとは思うが、最近では慣れたのか不快ではなくなってきているのが不思議だ。
 期末テストが終わり冬休みに入った。エネルギーコストが低い朝の布団のぬくもりを、充分に堪能できるはずの毎日は3日目にして早くも途切れることとなる。
 けたたましく鳴る小さな機械を、禄郎は布団の隙間から手を伸ばして掴むと、ぼんやりとした視界の中でそれを開いた。小さなディスプレイに表示された名前を見て仕方なく通話ボタンを押す。

「クロ! 大変なの!」
 スピーカから飛び出す跳ねるような声。禄郎は猫ッ毛で癖の強い髪と猫のような大きな目をした声の主を思い浮かべ、猫田美紀恵とはこれまた見事に名は体を現しているなぁと寝ぼけた頭で笑った。
「事件なの! 太郎が! 切り裂かれてバラバラで!」
 興奮気味にわめく美紀恵をよそに、禄郎はいったん携帯を耳から離すと、布団に包まりながら体を起こし、サイドテーブルに置かれていたメガネをかける。まくし立てる美紀恵が反応の無さにようやく気付いて静かになった。
「……寝てた?」
「今、起きた」
「ごめんなさい」
 ありがとうやごめんなさいが素直に言えるのが彼女の良いところだと禄郎は思う。休日の朝8時前に電話をかけてくるところは褒められないことだが。
「落ち着いたな? ……で。なんかあったのか?」
「うん事件」
「トラには連絡したのか?」
「起きないと思うからしてない」
 懸命な判断。ちなみにクロというのは禄郎の、トラというのは虎雄の、美紀恵が勝手に付けたニックネームだ。ちなみに、それに対抗してクロもトラも美紀恵のことはミケと呼んでいる。彼ら3人は共に県立根庫川高校に通う2年生で、たった3人しかいないミステリ小説同好会のメンバでもある。もっとも同好会とはいえ入会動機はてんでバラバラで、したがって活動方針もなにもあったものではないが。
「えっと」
 窓の隙間から滲む冷気が少しずつクロの眠気をさましていく。
「スキー行ってんじゃなかったっけ?」
 たしかミケの従姉の友達の別荘だかに行くとか聞いた覚えがある。
「うん、美牛高原の近く」
「事件、と言ったな? 何があったんだ?」
 一呼吸置いてミケが言った。
「太郎が殺されたの」
「警察の対応は?」
「……連絡してない」
「しろよ」
 歯切れの悪い返事に呆れてものが言えない。言ってるけど。その反応にミケは思い出したように謝った。
「あ、えっと、ごめん。太郎ってのは月乃さんの飼ってる猫で」
「は、い?」
「殺猫事件」
「……なるほど」
 それならば警察に連絡しづらいのもわからなくはない。わからなくはないが。ペットだからといってそのままにして良い道理はない。人に対し無力な愛玩動物ならなおさらだ。
「許せないな」
「うん」
 ミケがはっきりと頷いた。『殺された』『犯人』とミケが言うのならばそれ相応の理由があるのだろう。一緒にいるミケの従姉はいちおう、あれでも、まがりなりにも、現職刑事猫田環巡査だ。それに、好奇心旺盛でいろいろなことに首を突っ込みたがる性格のミケだが、不用意に誰かを傷つけるようなことは言わない。
「わかった。聞くだけ聞く。とりあえず最初っから順序立てて説明して」

 ********************

 事の始まりはどこにあったのだろうか。
 毎年恒例になっていた2泊3日のスキー旅行直前に届いた、五木春菜が車の自損事故で左足骨折という突然の報。驚いたメンバだが、原因が彼女の単なる不注意(運転中に恋人と携帯メールをしていたらしい)であり、そのケガも入院するまでもないただの骨折ということからさっさと気持ちを切り替えることにした。今年は予定していた日程が月乃の誕生日と重なっていたため、中止にはしたくなかったのだ。
 今年の幹事役がミケの従姉の猫田環。ミケがスキー旅行に行くこととなった経緯はこんな理由である。

 場所はこれまた毎年恒例、美牛高原にある西城月乃の別荘。体育会系でプロスキーヤーを目指した程の父親が趣味の為10年程前に購入したのだそうだ。
 別荘の外観はログハウス調ではあったが内装はシンプルかつモダンだった。玄関からまっすぐ奥へと伸びる廊下、それに平行する形で上り階段があり、廊下右手の扉を開けると大きく空間の取られた南向きのリビングスペース。ダイニングキッチンともつながっているのでかなり広い部屋だ。暖炉(もちろん形だけで中身はファンヒーターだが)まである。廊下の奥には風呂場があり、さらに廊下を進み角を折れるとトイレと納戸が並んでいる。
 2階には南向きの個室が6部屋。さすがに風呂やトイレは無いがまるでホテルのようだ。
「せっかく来たのに」
 リビングの窓から外を眺め、雪で濡れた髪をタオルで擦りながら樫軒トオルがぼやいた。風は強そうだが2重になった窓からは音も漏れてはこない。まるで無声映画のようだ。
「明日にゃ晴れるってさ」
 面白くなさそうなトオルにテレビの天気予報を見ながら笹倉拓也が声をかける。根庫川市を早朝に出発し、トオルの運転するステップワゴンで西城家の別荘に着いたのがその日の昼過ぎ。荷物を置きウェアに着替え、意気揚々とゲレンデに向かったものの、到着と共に降り出した雪はまもなく横殴りのみぞれに。しかたなく早々と別荘に戻る羽目になってしまったのである。スポーツ万能で毎年スキーを楽しみにしているトオルは、恨めしそうに窓の外のモノクロの世界を一瞥してから長身を折りたたむようにしてソファに深く腰を降ろした。
「チャンネル変えようぜ」
 ソファから首だけ仰け反らして、離れたダイニングテーブルの椅子に座る拓也に声をかけた。
「つーか拓也。……なんでそんなとこに座ってんだよ」
 黙ったまま拓也は、シルバーのリングが着いた指でミケを示す。正確にはミケの膝に陣取る小動物。
「ネコ、ダメなのか?」
「ああ」
 にんまりと笑うトオルに対し、拓也はぶすっとした顔のまま手にしたリモコンでチャンネルを適当にザッピングする。ミケは膝の上の小さなネコの、きれいに色分けされた背中を撫でた。この子猫が月乃のペット、三毛猫の太郎だ。
「アレルギーとかですか?」
「いや、そういうのじゃない。ただまぁ……ちょっとな」
 ごにょごにょとお茶を濁す拓也。ミケの隣に座る環がくくくっと笑って言った。猫田家の特徴なのか、吊り目がちな大きな目がよく似た従姉妹だ。
「小学校の時に野良ネコに引掻かれたんだよね」
 ミケを覗くメンバ全員同じ高校の同級生だが、環と拓也は小学校からの付き合い、幼馴染なのだ。
「……言うな」
 恥ずかしさの混じった声でそう言葉を吐く。
「左腕がぼっこぼこに腫れてねー」
「言うなって」
 大袈裟な手振りで話す環を止める拓也。派手な茶髪と鼻と耳と首と指に散りばめた銀色のアクセサリで飾り立てているのは虚勢なのかもしれない。環にいつも
「似合わないー」と笑われているそのアクセサリのほとんどは自作なのだそうだ。仕事もそのなりで老人ホームの介護職員だというから人は見た目で判断できない。
「カワイイですよ?」
 ミケは両手で太郎を掲げる。笑うトオルと環。
「あー、いい。いい」
 不貞腐れたように拓也は皆から離れた所でそっぽを向いてしっしっと手を払う。そしてカウンタに置かれた書店の紙袋を手にとると立ち上がった。
「部屋でマンガ読んでる」
「あー、終わったら次アタシね」
 紙袋の中身は来る途中で拓也が買った週刊誌。人の物を勝手に予約する女、環。
 20代半ばにもなってまだマンガ雑誌読むんだなぁとミケは思った。
「ん。どした?」
 皆のいるリビングダイニングから続くキッチンスペース。丁度そこからのっそりと出てきた髭面の大男が部屋を出ようよしている拓也を呼び止めた。
「ちょっと部屋行ってるわ」
「メシまでには戻ってこいよ」
 彼は加茂仁。気は優しくて力持ち、元柔道部主将の大男。某フレンチレストランで修行した後、実家の洋食屋を継ぐコックだそうだ。料理が好きらしく、この2泊3日の昼食と夕食の支度は彼が全て担っている。マイ包丁持参という気合の入りようだ。ちなみに朝食と昼・夕の後片付けは全員の持ち回りである。
「今日のディナーは何かしらシェフ?」
 聞くまでもないよトオルさん。
「カレー」
 匂いでわかる。
「フレンチのシェフがなんでカレーなんだよぉ。もっとこう『なんたらーのポワレなんたら風』とか」
「スキーといったらカレーだろ」
 当然だろう、といった風で仁が言う。
「どんなマジカルバナナだよ」
 と拓也。
「月乃の誕生日プレゼントとしてケーキも用意しているところだ。専門じゃないが期待しておけ」
「ケーキとカレーて」
「何? 楽しそうじゃん? てかミケちゃん凄いねー、太郎がすっかり懐いてる。ああ、そうだ! 加茂っちお鍋煮立ってるよ?」
 仁を追ってキッチンスペースから顔を出したのは西城月乃だ。細面のお嬢様然とした見かけのわりにカラリとした彼女は、少し話しただけで環と同じように美紀恵をミケちゃんと呼ぶようになった。明るくて気持ちの良い人だ。それでいて仕事もバリバリこなすというから男女問わず人気がありそうだ。入れ替わるように慌てて仁はキッチンへ戻る。
「ウチのコ、人見知り激しいんだけどなぁ」
「ああ、まったくオレでも未だに威嚇されるのに」
 トオルが大袈裟に嘆いた。 
「つか、なんでネコなんて連れてきたのさ」
 環が口をとがらせる。
「拓也が泣きそうよ」
「泣くかッ」
 拓也が環に言い返して部屋を出て行った。ドアが勢いよく閉められる。誰かが笑った。
「いいじゃん、せっかくペット仕様の別荘なんだし、それに最近太郎がいないと眠れないのよねー」
 きゃははと月乃が笑う。今朝出がけに思いたって連れて来たらしい。スキー場にほど近いログハウス調の別荘だが、各部屋および玄関の扉の下の部分にはペット用の出入り口が付けられているのだ。熱効率が悪そうではあるが床暖房が完備されているのでさほど気にならない。
「質問質問」
 ミケが律儀に手を上げた。
「はい、ミケちゃん」
 先生よろしく月乃が指名。
「……このコ、雌ですよね」
 膝の上の太郎が身を起こし欠伸をすると、飼い主の膝へと擦り寄っていく。足元に纏わる猫をひょいと両手で抱え上げた月乃は、「え!?」と驚く顔のトオルや環を見て満足そうな笑みを浮かべた。
「そうよ」
「なんで太郎って名前なんですか?」
 さきほど抱えてみてわかったのだが、なんとこの猫、雌なのだ。付いていない。月乃はにっこりと笑って答えた。
「志垣太郎の大ファンなの」

 は?

「……渋いな」
 唖然とするミケ達の耳に、キッチンから仁の声が響いた。

 ********************

「誕生日おめでとうーッ!」
 夕食のカレーとその他おつまみ多数。旅行前日から仕込んだタッパーを大量に持ち込んだ見習いコックの手料理で月乃のバースディパーティ……と銘打った宴会が始まった。環・月乃・トオル・仁・拓也ら高校のクラスメートだった気の置けない仲間達との旅行、宴会。毎日のように友達と会える学生生活真っ只中のミケからしてみたら、仲間が集まるというだけでこうも盛り上がるものなのかと唖然としてしまう。太郎も雰囲気に酔ったのか、楽しそうにビール瓶の王冠をガリガリかじって遊んでいる。乾杯の掛け声とともに、まだロクに飲んでいないのにもかかわらずアルコールを未成年に薦めてくるから困ったものだ。
 完全に酔っ払ってしまう前にと順に風呂へと入ることとなって、一番風呂はミケがいただくこととなった。
 宴会場となったリビングをミケが出る時に「トイレ」と言って立ち上がった仁にトオルが「ミケちゃんの風呂覗くなよ?」と笑う。むっとした顔の大男が軽薄な色男を睨みつつも黙って廊下へとのっそりと出た。ミケは高校生にしても小柄なほうだから、身長差が40センチはありそうだ。仁はミケの頭をポンとたたくと、照れたように笑った。
「アホはほっとけ」
 寡黙な大男はそう言って廊下の奥へと進んで行く。熱気溢れるリビングと違い、ひんやりとした空気が廊下に漂っている。閉め切られた部屋での宴会の息苦しさと暑苦しさから開放されたミケは、着替えを取りに玄関脇にある階段を一段飛ばしで駆け上がった。

 入浴を終えパジャマ代わりのスウェットに着替えたミケが宴会場、もとい、リビングに戻ると、つけっぱなしのテレビから流れるバラエティ番組をBGMに、皆はそれぞれ仕事の話で盛り上がっていた。というより愚痴大会である。嫌味な上司、うまくいかない人間関係、仕事そのものよりもその環境に対処できるかどうかが、大問題らしい。大人は大変だ。
「課長は全然下のこと考えてないんだよな。客は客でワガママ言うし、挟まれるこっちの身にもなってみろってんだ」
 商社営業のトオルが愚痴れば、
「まだマシよ。コッチは女だからってやりたい仕事させてもらえないのよ」
 事務職に甘んじている月乃が嘆く。
「加茂っちはいいよね、親なら文句も言えるし」
 月乃に言われ、実家の洋食屋で働く仁は憮然と言い返す。
「店でも家でも四六時中顔合わせてなきゃならんのだぞ。それに、いつ潰れるかわかったもんじゃない」
「その点、老人ホームや警察は潰れないからいいよな」
 軽く言ったトオルを睨んで拓也は口をとがらせる。
「馬鹿言うな、給料は安いし仕事はきついし、毎日毎日サービス残業」
「環は?」
 それぞれが文句を言い合う中、名指しされた環はグラスをくいと傾けてから言った。
「うーん、まぁほら私は腰掛けみたいなもんだし。あははー」
 刑事を腰掛けでやるな、とミケは言いたい。
 あっけに取られるミケに座布団を譲り、立ち上がった環は「お風呂いただきまーす」と言って、いくらかふらつく足取りで部屋を出ていった。
「……あいつが刑事やってるっつーのが一番信じられねぇ」
「うん」
 拓也が呟き、皆一同に頷いた。

 拓也が一度自室に戻り、環に貸す週刊誌とカードゲームを持ってきたので、一同揃ってUNOを始めた。酔っ払い始めた面々は単純な子供のゲームにそれこそ童心に返って盛り上がる。風呂から戻って来た環が呆れたくらいだ。
「なげぇ風呂だな。ほれ、そこに持ってきたぞ」
「サンキュ」
 拓也が男性にしてはほっそりとした指でダイニングテーブルを指し示す。銀色の指輪の示す先には分厚いマンガ雑誌。
「次、月乃入る?」
 環はダイニングチェアに座り、マンガを広げながら言った。
「その前に、そろそろ、発表してもいいだろ?」
 トオルがニヤニヤしながら立ち上がりかけた月乃の腕を掴む。それを受け、月乃も少し顔を赤らめて頷いた。
「えー」
 トオルも立ち上がり、月乃の手をとる。わざとらしくゴホンと咳払いすると、まるで演説でもするかのように皆を見回して言った。

「オレら、結婚しようと思う」

 驚きと祝福と戸惑いが混じった声が漏れた。
「思う、じゃなくて、するんでしょ?」
 先ほどまでとは少し違い、柔らかい雰囲気で月乃が口を尖らせる。
「……式は来年の6月を考えてるんだけどな」
 さすがのトオルも照れくさそうに笑って頭を掻いた。
 高校からの気の置けない仲間。そんな関係の中で『結婚』という関係が生まれるとは環は思ってもみなかったのだろう。びっくりした顔のままで固まっている。拓也や仁も「ドッキリ」なんじゃないかというような顔。

「……おめでとう」
 一瞬の間を置いて仁が静かにそう言ったのを皮切りに、環も拓也も婚約発表を済ませた二人に詰め寄る。
「なによ、結婚て。マジでー?」
「いつのまにお前ら」
 そんな芸能リポーターよろしく質問を浴びせかける二人から、逃げるように月乃は風呂へと部屋を出て行った。
 最近では20代半ばで結婚するのも早いほうなのだろうが、ミケは10年後の自分が誰かと結婚するなんて想像すらしていない。というか、従姉の環が結婚することすら想像できない。それに気付いて、自分はなんて子供なんだと今更ながら実感した。今のままずっといられるような気がしていたのはやはり自分が子供だからだろう。いつか、などと考えなくてもあと1年ちょっとで高校を卒業するというのに。この「今」という瞬間が急に揺れ動かされてしまう感覚だ。
 ぼんやりとしていたミケの頭をぽん、と軽く叩いたのはのっそりと立ち上がった仁だった。大きな手になんとなく安心感を与えにっこりと微笑んで彼を見上げると、ほろ酔いの足取りで空いた皿をキッチンへ片付けに行く。

「悪いな」
 その背中に向けてトオルが言った。
 彼の言葉にピクリと肩を震わせた仁は首だけこちらにむけ、もう一度「おめでとう」と告げた。奇妙な沈黙の中、テレビのニュースではキャスターがサッカーの国際試合の祝辞を述べていた。

 拓也と環の話によると、仁は月乃に対して想うところがあったらしい。もっとも寡黙な男はそれを口に出すことはなかったが。それを聞いたミケは、夕方キッチンで料理をしていた時の仁の笑顔を思い出していた。彼はどんな思いで今日のケーキを焼いたのだろう。

 ********************

「刑事の仕事ってどうらのさ? 殺人事件の現場とかなー」
 トオルがビールのグラスを手に言った。もう何杯目かわからないが、喋り方が微妙におかしいのは気のせいだろうか。
「あー、刑事つっても3課だしね。窃盗とかそっち系だし。ドラマみたいなもんじゃないよ」
「そりゃそうだろうな」
 仁が自作のケーキをつついて言った。
「あ、でも不審死の検証とかの手伝いはあるなぁ。検死……司法解剖とか見学したけどけっこうキツイよ? 最初は吐いたね。あはは」
 笑いながら言うことか。なんだかげんなりして拓也が皿を置いた。マイペースな従姉だとミケは人知れずため息をつく。
 それからしばらくカードゲームで盛り上がり、月乃が風呂から戻ってきたのは、丁度ニュースで純血三毛猫の競売の話題をやっていた時だった。
「すげぇな三毛猫の雄に50万ドルだってよ」
「50万ドルっつーと……5……6……7000万円?!」
 指折り数えて環びっくり。こういう話題は大好きな従姉だ。
「そんなに!?」
 思わず拓也の声が高くなる。この二人は似ているかもしれない。
「雄が遺伝的に希少だっていうのは知ってたけど、こんなにするのね」
 あきれたように月乃は長い髪をタオルで拭きながら大きく息を吐いた。
「……そういえば太郎いないですね」
 ミケが思い出したように部屋を見回した。ミケが入浴する前には月乃のひざに乗っていたのを覚えてはいるがいつのまにいなくなったのか。月乃も環も部屋を見回す。
「どっかで寝てんだら?」 
 ポテトチップスをつまんでトオルが言った。かなり顔が赤くなっている。婚約発表で浮かれた彼のピッチはかなり早い。
「猫は夜行性だ」
 仁のツッコミが少し刺のあるように聞こえるのは気のせいだろうか。もっとも酔っ払いは気にもしていないが。
「外に出てくわけはないからどっかにいるでしょ」
 月乃はそう答えてビールの缶を開ける。「こんな時間に飲んだら太るかなぁ」などと言いながらもぐびぐびと良い飲みっぷりだ。スラリとしてむしろ痩せすぎな部類の彼女が言うセリフじゃない。ミケの隣で仁特製のスペアリブをかじる従姉ならともかく。というか環は少しくらい気にしたほうがいいかもしれないとミケは思う。
「まさか太郎もあんなおっそろしい値段なのか?」
 仁が眉をひそめて訊ねた。
「つーか、太郎は知り合いから貰ったコだからねー」
 月乃は首を捻る。
「でも値段とかうんぬんじゃないし、値段なんてつけられないよ」
 うんうん、とミケは頷く。ペットとはいえ家族の一員なのだ。最近はペットをオモチャのように扱う人もいるが、それは本当に許せないことだ。動物好きのミケは月乃に諸手を挙げて賛同する。
「うー、ちょっとトイレ行くかな」
 拓也がよっこらせと腰をあげた。
「ついでに風呂も行ってくればいい」
 そう言って仁が空いた皿を手に立ち上がり、キッチンへと向かう。仁の手料理もあらかた食べ尽くされてきていた。その時、突然声を挙げたのがトオルだった。
「オウッ、すまん……トイレッ!」
 言うが早いがリビングを飛び出すトオル。そして閉め忘れたドアから聞こえるどたどたと荒く廊下を走る音が突然止まった。
「ぐぶッ!」
 何か噴出すようなトオルの声。片手に重ねた皿を持ったままの仁と風呂へ行くと言って立ち上がった拓也がいぶかしげに顔を見合わせた。
「……どした? 吐いたか?」
 環も月乃も、ミケも動きを止めた。その沈黙を再び動かしたのは、やはり廊下から響くトオルの声だった。

「大変だ! 猫が。……太郎が死んでるッ!?」

 ********************

「確認なんだけど、『殺された』ってのは間違いないのか?」
 右手のシャープペンシルをカチカチ鳴らしながらクロは電話の向こうのミケに尋ねた。朝の寒さにぶるりと体を震わし、毛布を体に纏う。
「うん、環さんが確認した。首の骨が折れてたみたい」
「猫だけど、高いところから落ちたなんて可能性は?」
「トオルさんが太郎を見つけたのは納戸の中なの。酔ってトイレと間違えて開けたんだって。納戸といっても掃除機とダンボール箱がひとつ置いてあるだけで、落ちるような高い場所がないのよ。いくら猫でも天井に張り付いたりはしないだろうし」
「なるほど。人為的な『何か』があったのは間違いない、と」
 クロはペンをサイドテーブルに転がすと、ベッドから立ち上がる。万が一環が犯人だったとしても、「殺された」とウソをつく意味はない。
「経過ってのはよくわかったんだけどさ」
 クロは考えこみながらケータイを右手に持ち替え、殴り書きのメモを手にとってもう一度眺めた。眺めつつ、こんなに長い電話になるのならトイレくらい行っておくべきだと悔やんだ。
「結局のところ、太郎の姿が確実に確認されたのはミケが風呂に入る前なんだよな?」 
「うん……。ペット用の扉があるから、好き勝手に出入りできるし、みんなあんまり気にしてなかったみたい」
 アルコールも入りはじめたところだし、それは仕方の無いことだろう。クロはため息をついた。
「そうなると、犯行時刻はミケが風呂に入ってからトオル氏が発見するまでの間か。風呂に入る為に部屋を出た月乃さんと環さん、それから仁氏と拓也氏の4人……いや、トオル氏の早業ってことも考えられるか」
 トイレに出て太郎を捕まえ、首を折ると共に発見者を装う。やってできないこともないがそうなると結局全員に犯行が可能だということである。
「飼い主の月乃さんやタマちゃんまで疑うの?」
 抗議するようなミケの声がスピーカから飛び出す。耳が痛い。
「この一件の大前提はミケがウソをついていない、ということだけだ」
 スッパリとそう言いきる。
「環さんはともかくとしても、月乃さんならなおさらだ。関わりが大きい分動機も生まれ……」
 クロは言ってて自分でもアホらしくなった。太郎は猫なのだ。ただの三毛猫のメスだ。いくらなんでも猫自体に対して殺意を抱く人間がいるわけがない。そうなると動機は?
「殺したいほど猫の太郎を嫌いになる、わけないもんな」
 拓也だっていくら猫が嫌いだからといって友人の飼い猫を殺すまでするとは思えない。
「拓也さんはむしろ、近寄りたくない、という感じだったよ」
 クロの心の中を見透かしたかのようなミケの言葉。しかしこれでは犯行のタイミングも動機も絞れない。
「そうなると月乃さんへの嫌がらせとか? ……いや、でもわざわざこんな限定された時にやらなくても」
 ぶつぶつとクロが呟く。
「突発的な出来事……。何かの拍子に? ……もしそれなら別に正直に……」
 最後のほうはもうミケには唸り声にしか聞こえない。
「……ん? ミケ、そういや確か切り裂かれた、とか言ってなかったか? 首の骨折られたんだろ?」
「ああ、うん、まだ続きがあるの」
「なんだよ、早く言えよ」
 呆れたような声を出すクロに、ミケはムッとしつつも「話を中断させたのはどっちよ」の言葉を飲み込む。
「……そんじゃ端的にいくよ。その、太郎が発見された後、月乃さんが軽くパニック起こしたのね。声揚げて泣き出しちゃって。トオルさんはもうそれで一気に酔いが冷めちゃったみたいで、月乃さんを部屋に連れてってつきっきりで寝かしつけてた。軽くて調子のいい人だけどちょっと見直しちゃった。
 他のみんなでどうしたもんかって話になったの。人間だったら即警察、救急車なんだろうけど、飼い主の月乃さんはそんな感じだし、しかたないから明日月乃さんの回復を待ってから考えようということに落ち着いたわけ。拓也さんが自分の部屋からタオル持ってきて太郎にかけてあげて、パーティもそれでおしまい。
 そんで今朝よ。アタシ6時前に目が冷めちゃってさ、のど渇いたからなんか飲もうと思って、上着羽織ってキッチンに降りたんだ。ついでってわけじゃないけど、太郎に手を合わせようと思ったんだけど、なんか昨日の夜とタオルの下の形が違ってるように見えて。タオル除けたら太郎の体はズタズタに切り裂かれてて。血はそんなに流れてなかったんだけど、解剖されたみたいで……思わず悲鳴挙げちゃった」
「そりゃそうだろ」
「今でも吐きそう。……で、みんな起き出してきて、月乃さんは起きたそうそう太郎見てまたパニック起こしてそのまま貧血で倒れちゃって。救急車呼んで、あ、もちろんこれは月乃さんの為ね」
「そりゃそうだ」
「今トオルさんが付き添って病院へ行ってる。さて、残された私達はどうしようか、ってのが現状」
 ミケの話が終わり、しばらく沈黙が流れた。クロは目を閉じて下唇を噛んだ。
 何故犯人は猫を殺したのか。何故犯人は一度殺した太郎を改めて殺したのか。あれ、なんかお腹痛い。
「……どう思う?」
 痺れを切らしたミケが口を開いたのと、クロの下腹部から『ぐりゅう』とヘンな音がしたのとほぼ同時。
「う……」
「どしたの?」
「あー、えーと。と、とりあえずちょっとコーヒーでも飲んで整理するッ」
 クロはこう答えて携帯電話を折りたたみ、トイレへと駆け込んだ。

 ********************

 クロってコーヒー飲まないと思ったけど……と思いつつ電話をポケットに突っ込んだミケがリビングに戻ると仁の声が聞こえた。
「月乃が目を覚まさない限りオレらで勝手に処理するわけにもいかんだろう」
 太郎の処遇である。切り裂かれた猫の死体をそのままにしておくのも気味が悪いが、飼い主の許可なく処分してしまうわけにもいくまい。
「メシ、どうする?」
 拓也が小さい声でそう言った。顔色が良くないのも仕方がないだろう。
「食欲ないわよ」
 当然のように環は首を振る。仁も「ああ」とだけ言ってソファの背もたれに深く沈んでテレビをつけた。休日の朝のワイドショーがやけにテンション高く見えてげんなりする。拓也も環もなんとなく顔を見合わせてから、リビングのホットカーペットに腰を降ろした。
「スキーどころじゃないな」
「……ああ」
 ため息をつく拓也に仁が頷いた。

 そんな3人を横目にミケはひとりキッチンへと足を運んだ。
「せめてコーヒーでも煎れるね」
 そう言ったところでダイニングテーブルの椅子に置かれたアタッシュケースのような黒い鞄に目がいった。仁の持参した包丁ケースだ。

 そういえば、太郎を切り刻んだ刃物はどこから調達したものだろうか。

「誕生日プレゼント、渡しそびれちゃった。とんでもないバースディね」
 環が沈んだ声でぼやいた。
「オレは……ケーキを焼いたからな。いちおう間に合った」
 仁が小さく笑った。

 なんとなく足を忍ばせてキッチンに滑り込むと、ミケはキッチンの流しの下の戸を開けた。そこにしまってあった包丁はさび付いていて切れそうもない。ダイニングに取って返し、テーブルの上に黒い鞄をそっと置く。
 リビングの3人はミケに背を向けぼんやりとテレビを見ている。
 静かに。そっと。
 ミケは鞄の留め金をゆっくりと外す。

 ミケは考える。
 太郎を連れてきたのは月乃が出発直前に突然決めたこと。それに、猫である太郎に対して殺意を持つ人間がいるとは思えない。たとえ動物を虐待することを楽しむ嗜虐的な人物だったとしても、友達のペットを殺すだろうか。そうなると考えられるのはやはり月乃に対する嫌がらせ。首を折るだけではあきたらず、体を切り刻むほどの鬱屈した陰湿な想い。
 何故今? 昨日何があった?
 旅行に来てスキーをやり、誕生日パーティを兼ねた宴会をやり、カードゲームに興じ、婚約発表が行なわれた。浮かれて酒を飲むトオルと嬉しそうに頬を赤らめる月乃。トオルが月乃に対して嫌がらせをやるとは思えない。
 ミケは考える。

 カチ。

 金具の跳ねる音がミケの心臓に響く。大丈夫。皆気付いていない。
 ミケはそのまま静かに鞄の蓋を開け、並んだ包丁の1本に目を留めた。自分のハンカチで右手をくるみ、そっと持ち上げる。

 はらり、と何かがゆっくりと舞い落ちる。薄茶色のちいさな塊がふわりと空気抵抗によって広がり舞い散る。

 机の上には、確かに短い毛が数本、落ちていた。




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