Mystery Circle 作品置き場

Clown

最終更新:

nightstalker

- view
メンバー限定 登録/ログイン
Last update 2007年10月07日

タイトルなし 著者:Clown


 彼の読者は、彼の小説につきまとっていた一種異様の鬼気を記憶するであろう。
 記憶し続けるだろう。


 藤堂が死んだ。
 何の前触れもなく、ただ胴体に永遠の別れを告げた首だけが、地面に転がっていた。
 私はその首を拾い、意外な重さに戸惑いを感じると共に、不思議とある種の爽快感も感じていた。
 苦悶を感じる間もなく、ただ漫然と空を見上げたままの、表情。
 まるで空間をそのまま切り取ったかのような、鮮やかな断面。
 流れ零(こぼ)れ落ちる血液すらも、芸術的な幾何学模様を大地に描いていく絵の具だ。
 ただ、びくびくと痙攣し続ける胴体だけが、不快と言えば不快ではあったが、それとて予想された不協和音と思えば、幾ばくか趣がある。
 藤堂が死んだ。
 私が、殺した。


 藤堂は、私が愛したただ一人の男だった。
 若き天才と謳われた小説家。
 出版されるやいなや、瞬く間にミリオンセラーとなったデビュー作『Coda』は、その結末の美しさ故に『全小説に贈る結尾(Coda)』とまで言われた。
 私は、それが誇らしかった。
 彼は表向き、その評価に対して無関心を装っていたが、私にだけはそっと胸中を語ってくれていた。
 嬉しい。でも、怖くもある。
 結末を賛美されたのでは、今後書く小説はそれ以上の結末を描かなければならない。絶賛を、絶賛で打ち負かさねばならない。
 今は、結末だけを考えて書いてるよ、と、彼は寂しげに笑った。
 まるで、『終わる』ためだけに『始めて』いるようだ、と。
 私はそれを聞いて、ぎり、と胸が苦しくなった。
 終わるための始まり。
 それはまさに、生命の営みそのものではないか。
 だとしたら、藤堂は小説という空想の中でさえ、生命であることから解放されることを許されないと言うことではないか。
 そう言うと、彼はふぅわりと笑ってこう言ったのだ。

 ──じゃあ、君が開放してくれるかい?

 蟋蟀(こうろぎ)の声が美しい夜だった。
 彼と私の、最後の交わり。
 私は彼に誓った。
 必ず、あなたを開放してあげると。
 終わりのための始まりから、あなたを解放してあげると。
 私の中に注がれる彼の温かさを感じながら、私は既にその時、決めていたのだと思う。
 彼の結末(Coda)を。


 蒼く塗り込められた月が、星一つ煌めかぬ空に張り付いた、ぬめりとした夜だった。
 私は彼と並んで縁側に座り、出鱈目(でたらめ)な油彩絵画のような夜空を見上げながら、何を語るでもなくそこいた。
 徘徊する風は生温く私たちの間をすり抜けたが、そのじとりとした感触すら、今の私たちには不快ではなかった。
 否、ここに蟠(わだかま)るどろりとした空気そのものが、何故か心地良かった。
 心地良かったのだ。
 本当に。
 だからこそ、私はそこを離れた。
 闇の天蓋を見つめたままの彼の隣から。
 そして、心地よさの残滓を断ち切るように、私は終幕の緞帳(どんちょう)を下ろす綱を引き下げた。
 ピアノ線で出来た、綱を。

 ──ぶつん、と言う音が、響いた。

 胡座(あぐら)をかいた藤堂の体が、ぐらりと傾く。
 初めは、体全体が。
 ややあって、一部が先立つ。
 そして、点と点が一文字の線となって顕わになったとき、先だった「それ」は、緩やかな放物線を描いて短い遊泳を果たした。
 ごとり。
 音と共に地面に張り付けられ、「それ」は動かなくなる。
 一寸遅れて、さぁっと紅い花が咲いた。
 ど、という無粋な音を引き連れ、主を失った胴体が縁側に倒れ込む。それは主を捜し求めるように藻掻き、足掻き、やがて意味を成さぬ動きを繰り返すに止まる。
 私はその横を通り過ぎ、大地に縫いつけられた「それ」を拾い上げた。
 そして、子細に眺める。 
 驚きも苦痛もなく、ただ目の前にある物をじっと眺め続ける、がらんどうな瞳。
 薄い眉。
 すぅっと通った鼻筋。
 何かを呟くように、僅かに開かれた口。
 何もかも、何もかも愛しく、私は「それ」を胸に抱いた。
 これが、結末。
 彼に誓った、開放。
 彼のために私が描いた、彼の最期。

 ──「終わりのための始まり」を終わらせるための、永遠の終結(Fine)。

 それは、晩秋の頃。
 しわがれ声になった蟋蟀が、腹を見せて干涸(ひか)らびる季節。


 私は、彼の首を胸に抱いたまま、彼の書斎に赴き原稿に目を通した。
 完結したはずの彼の小説には、最終章が存在しなかった。
 ただ一言、最終章となるべき原稿用紙の一枚に、たった一行。

 ──この小説の結末を、愛する志乃に捧ぐ。D.C.

 そこに至るまでの、狂おしく、濁々と流れる奔流は、その一言をもって唐突に、そして静かに、跡切れていた。
 まるで、今の藤堂を予見していたかのように。
 或(ある)いは、今の私を予見していたかのように。
 しかし、その末尾にある記号に気づいたとき、

 私はふと、もっと別の理由があったのではないかと疑った。





コメント

名前:
コメント:
目安箱バナー