Mystery Circle 作品置き場

なずな

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nightstalker

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Last update 2007年10月08日

夕焼け色の ちいさな箱 著者:なずな


夜が もう 行く手いっぱいに 立ちふさがっていて
彼女は 怖かったのだ・・・・という。



暗闇に響くナースコール、
誰かの急ぎ足、ベッドのきしむ音。
心細げな すすり泣き。 苦しげな息遣い。
そして いつのまにか 空っぽになっている 誰かのベッド。


朝も昼も夕方も この時間は 夜に向かっている・・・ と思ったら 
時間がたつのさえ 怖くなった。
夜にのみ込まれたまま 目覚めない朝のことを想像したら 
息が出来なくなって 心臓がキリキリ音をたてた。

どこかに 逃げ込む先を探したの。
朝も 昼も 夕方も 何もわからない そんな場所を・・・・。


         □


彼女が「ユウコ」と名乗った時
ボクは すんなりと「夕」の字と 名前の由来を 言い当てた。

「カタカナと読み間違えられて、小学校では さんざん からかわれたの。」
病院の庭のベンチで 足を子どもみたいにぶらぶらさせながら
彼女はクスクス 笑って言った。


「お母さんがキミを産んだとき こんな綺麗な夕暮れだったんでしょ?」
「うん。 ものすごく感動したんだって。
   ・・空 いっぱいに 広がった 大きな、大きな夕焼けに。」
「・・と 『 キミが 産まれたこと に 』・・・ でしょ?」

高台に建った この病院は 見晴らしがよく、空がとても広い。 




草花の写真を撮るのが趣味、と言って 
あの頃のボクは 足元ばかりを見て歩いていた。
ガーデニングに魅せられて ふらりと立ち寄った病院の庭で 
茜色の光に包まれた 彼女に目を留めた。

中学生ぐらいだろうか・・
彼女は ひとりで ベンチに 座っていた。

スウェットの上下にカーデガンををはおった様子は 
一目で入院患者だと解かる。
逆光の中、シルエットの彼女は 触れるとゆらゆら
消えてしまいそうに思えた。

ボクは 彼女の 目線を 追う。
その時 初めて 空の色の美しさに ボクは気がついたのだった。

ボクは夢中で 一刻一刻 移ろいゆく 夕焼けの空 に シャッターを切った。



       □



「狭いところが好きなの。」

かくれんぼのとき こっそりもぐり込んだ 空っぽの浴槽・・
階段下の小さな押入れ、お父さんの ブレザー箪笥・・・
閉めきった 小さな空間で 息を潜めてじっとしていると 
なんだか とても、落ち着いた・・と彼女は言った。


「ずっと見つかりたくないと思った。
        だけど、心のどこか別の隅っこでは・・・・」
「誰か 見つけて、どうか 見つけて って・・待っていた?」
ウン・・と うなづく彼女は 
全体にとても華奢で、脆そうで 実際の歳より かなり幼く見えた。

いつも途中で考え込む彼女の 先の言葉をいい当てるのが 
ボクらの会話の 楽しみになっていた。



新型の機材か何かを 梱包した 大きなダンボール箱をつんで
トラックが一台 ゆっくりと ボクらの目の前を、横切って行った。 



         □



産まれつき「壊れ物のからだ」だから 
入院は慣れっこなの、と彼女は 言った。
検査の結果や 病状次第では 大きい専門病院に移される。

赤ん坊の頃から慣れ親しんだ病院、というだけに 
庭やロビーで出会う 古株のナースや 生真面目そうな事務員にも
彼女は 気軽に話しかけ、冗談を言って 笑い合っていた。




学校の定期試験があったりして ボクの生活も多少は 忙しくなった。
日が翳るのが早くなった病院の庭の いつものベンチに 
彼女の姿が見えなくなっていたのは 気がかりだったが
そんなことも、病院の前を素通りするのには ちょうどいい理由に、なっていた。

─ 彼女が 自分に会いたいと思っているかどうか 解からない・・・

足元から視線を上げることのできなかった 自信のない「自分」が 
まだ、そこに いた。


           □


夜が 行く手いっぱいに立ちふさがっていて 怖かったのだ・・・と 彼女は言った。


やっとの思いで ナースステーションで 面会の旨を告げると
若いナースは 複雑な顔をして
会えるかどうか解からないけれど・・「声をかけてあげてね。」
と 妙な言い方をした。
四人部屋から個室に つい最近、移ったという。

 ─ 容態が悪化でもしたのだろうか・・
ノックして そっと 個室のドアを開ける。



ベッドの上には 彼女のかわりに あの 大きなダンボール箱が載っていた。

        □ 

疲れきった青い顔で 彼女の母が ボクに説明する。
 ─ こんな箱持ってきて ほとんど一日 閉じこもってしまってるんです。  



四人部屋の一人が 夜中に急変した日から 
彼女は夜を怖がるようになった。

 ─ 夜が怖くなって、夜が来るのが怖くなって 
夜までの時間全てが 怖くてたまらない・・・。

布団を頭から被って 一日中ふるえていた その次の日、四人部屋を抜け出すと彼女は いなくなった。
ナースと母親が必死で捜すと 捨てられるはずの この箱の中で
彼女は眠っていたという。
ベッドに戻るよう説得したが、ダンボールだけは どうしても離さなかったそうだ。


検査や診察、食事や排泄、そんな時はかろうじて 出てくるが
それ以外は ほとんど ダンボールの中にいるらしい。

 ─ 出てくるときも 出来る限り目を伏せ、耳をふさいでいるんですよ。
母親は目に涙をためて 付け加えた。

個室に移してからも 彼女は決して ダンボールから 離れない。


あの箱の大きさでは いくら小柄な彼女でも 横になってゆっくり休めない。
眠るときはちゃんと 出てきてるのだろうか。
胎児のように からだを丸めて眠るのだろうか・・。


       □


ダンボールに耳を寄せると 小さな息遣いが聞こえる。
衰弱しているのではないか、それだけが気がかりだった。
暗がりの中で膝を抱えて 座っている彼女の姿を 想像した。



「渡したいものがあるんだ。手だけでも出さない・・?」

ダンボールに 顔を近づけて囁くと 小さな反応があった。
彼女がコツコツと音を出す位置に、あわてて借りてきたカッターナイフで 穴を開ける。

ボクは、初めて会った日の夕焼け空の写真を数枚、プリントして持ってきていた。



「手、出して。」
ボクの開けた穴から 細くて白い彼女の手が ゆっくりと差し出される。
写真を そっと その手に のせてやると、
ダンボールの中に 夕焼けの写真がゆるゆると 吸い込まれていった。

小さな 嗚咽が 箱の中から 聞こえてきた。


その日、ボクにできたのは それだけだった。


      □


面会に 行くたびに、古株のナースや医師や カウンセラーや両親が
ダンボールに向かって 説得や哀願、
脅しともとれるような言葉を 繰り返していた。
小さい頃から彼女を診てきた馴染みの病院だけに、かなりの配慮は見せていたが
そろそろ 無理やりにでも ダンボールを取り上げかねない 
あきらめと苛立ちの空気が 周囲に漂いはじめていた。



「話、したいんだけど。・・・ちゃんと聞こえるようにしても いいかな?」

「手」のときと 同じように 声を掛けてみる。
コツ、コツ と また 同じような 反応がある。
耳と口、彼女が 中から合図する辺りに 控えめな穴を 開けた。



ボクは 今日の空の話をした。
ボクの下手な冗談に応えて かすかな 彼女の笑い声が聞こえた。 


その日 ボクにできたのは それだけだった。



    □ 


疲れきった母親が ソファーでうたた寝をしていた。
廊下で「今日こそは あのダンボールを処分する」と 古株のナースが神妙な面持ちで言っていた。

ダンボールの中からは 小さな寝息が聞こえる。
ボクが開けた穴から伸びた彼女の白い手を そっと 握る。



彼女の起きるのを待つうちに ボクも少し 眠ってしまったようだ。
シーツや毛布を載せた大きな台車が カタカタと廊下を通る音で目が覚めた。
ぴたりと閉じられたブラインドの 僅かなな隙間から茜色の光が漏れて来る。

廊下で 医師と母親の 話し声がする。
握ったままの彼女の手に 少し力が入ったのに気づいた。
立ち上がってブラインドを少し上げると 
最初に会った日のような みごとな夕焼けだった。



「見に行こう!」
ボクは 彼女に 声をかける。


ボクは 廊下に飛び出して、医師と母親の間をすり抜け、
押していたナースを追いやり、載っているものを放り出し・・・ 台車を奪う。

個室のベッドの脇に一気に突っ込んできて ダンボールを降ろし台車に載せた。
それは 女の子が中に入ってるとは思えないくらい ふわりと持ち上がる。
哀しいほどの軽さだった。



「振り落とされるぞ、しっかり つかまって!」
長い まっすぐな 掃除の行き届いた廊下。
ボクは 台車を加速する。 
ダンボールから突き出た手が 台車のパイプをギュッと掴む。 

後ろから 古株ナースと母親が 何か叫びながら追いかけて来た。



「逃げきるぞ!!」


間一髪で 業務用エレベーターに滑り込むと 
クスクスクス・・ダンボールが 笑った。 
久しぶりに聞く、あの彼女らしい 明るい笑い声だった。


   □


台車を押して 最初に会った、あの場所にたどり着く。
ここが 一番 空が広い。

茜色の光は ダンボールの中にも差し込んでいるのだろうか。
彼女の息遣いがおかしくないか気になって 
急に、無茶をやったことが心配になってきた。


「夕焼け空・・見たい。」
彼女が 先に言い出した。

「ここにも 開けてくれる? のぞき穴・・」
ボクは 彼女の言う通り、少し上の方に 細長い四角形を切り取ってやった。

覗き穴から どれくらいの空が見えたのだろう・・・・・。彼女はボクに言う。
「ちょうどこの季節、今ごろなの。私が産まれた・・・」

「こんな 空だったのかもしれないね。今日は特に綺麗だよ。       
     ボクが『親』でも 感動して名前つけちゃうかもしれない・・・。」
覗き穴の中の彼女の目がボクを 真っ直ぐに見ていた。

「あ、でも ボクのセンスなら『ユウ子』は、まず ないな。
     うーん、アカネか・・ それとも・・。」
「酷っ。 センスないってこと?私の名前・・・」
二人 ひとしきり 笑った。




「出てきなよ。」

空気が一瞬緊張する。

「夕焼け・・見えてるよ。ここからでも ちゃんと 見えてるよ。」
彼女が 消え入りそうな声で 言う。

「空いっぱいの 大きな夕焼けだよ。
      そんな小さな穴から覗いても 見えないよ。」
ボクは 彼女の手を取って しっかり握り締めた。



 ─ 大丈夫。産まれたときと同じように その、小さな場所から 出ておいで。
ボクは ダンボールに 大きく切り込みをいれる。

出ておいで。
そうしなければ 夕焼けの 本当の大きさは わからない。


 □


「怖くなったら また あそこに逃げ込んで、
      隠れてしまいたくなるかもしれない・・」
彼女の細く長い影が 空になったダンボールまで 伸びていた。

「同じところに 続けて隠れたら かくれんぼに ならないよ。」


彼女はダンボールを静かに閉じて 少し考えた後 ボクに聞いた。
「どこに 隠れても ちゃんと 見つけ出してくれる?」

「一緒に 空、見よう、夕焼け見ようよ・・って 連れ出すよ。・・・・きっとね。」

夕焼けの空の下、茶色の紙の箱は 
思っていたよりもずっと ちっぽけに見えた。

どこに逃げ込んでも 閉じこもっても 
ボクは きっと キミを 誘い出す。

ボクはキミに 何度だって言う。


 ─  出てきなよ。

   そうしなければ 夕焼けの 本当の大きさは わからない。





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