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 少しづつ暖かくなって来るともう春だ。
 春は別れと出会いの季節というけれど、ミネルバの店長には一足先に別れがやって来たのか、開店からどんよりと暗い雨雲を頭上に浮かべていた。

「これで告白10戦10敗達成ですね」
「お前、笑い事じゃないだろう」

 フロアのスタッフ達もさすがに遠巻きにしている。下手に慰めようなら延々泣きの入った愚痴を聞く羽目になるのだ。
「今度の子は赤毛のツインテールの子だったらしいですよ」
「また年下かよ・・・」
「年上が母性本能をくすぐるような年じゃないしな」

 とは言え、皆言いたい放題である。
 店長と失恋記録を競っているヴィーノが早速、厨房のマリクさんにサンドイッチを作ってくれと頼んでいる。明日の定休日にスクエアガーデンにでも繰り出す気だ。

 ミネルバのブロックから北に少し行くと街の公園がある。
 スクエアガーデンと呼ばれるそこは、湖やちょっとした林があって、ジョギングコースや散歩コースなど、市民の憩いの場となっている。店長の失恋大会はいつもそこでのピクニックと決まっていて、まあ、早い話がフロアで働くメンバーが集まるドンちゃん騒ぎだ。

「アスランさんは来ます?」
「あー、調律士の人来るからな、時間があれば・・・」

 じゃあ・・・と言いかけてシンが厨房の奥を覗き込む。
 がっくり肩を落としている店長が厨房のメンバーに励まされている。

「店長には俺一人で大丈夫だからと言っておくよ。主賓が居なきゃ始まらないだろ?」
「ちょっとだけでもいいんで、顔出して下さいよ」
「ああ、後でつらつら言われるからな」



 大道具一式を運びこんで、アクションの総取替えをしている調律士達を尻目に、翌日、アスランはミネルバの窓から下界を見下ろしていた。薄雲がかかった街は少し霞ががっていて、スクエアガーデンを探す。

「見えるわけないか」

 公園はすぐに見つかったが、さすがに、ミネルバのスタッフ達を探すのは無理で、持ち込んだノートパソコンで編入試験の準備をしていた。編入試験の中身は一般教養と論文である。
 音楽院で学んだことを論文にして提出しても良かったが、せっかく大学に入りなおすのだから数学についてのレポートを提出しようと思っていた。音とは突き詰めれば波であり、数学である。

「すいません! ちょっと弾いてもらえますか?」
「あっ、はい」

 総取替え作業後に簡単な音あわせをしてようやく終えたリビルド作業は、夕暮れ近くまでかかっていた。
 もう日が暮れるという時間。
「さすがに、いないよな」

 それでも、まだ誰か居るかもしれない。
 期待しているのか、俺は。

 わざと遠回りして、スクエアガーデンを横切っていく。足元の影は長く延びて、暗く地面に落ちている。春を待つ芝生の色は白く、青々とした新芽を隠していた。マフラーを巻きなおして、コートのポケットに手を突っ込む。

 寒くなったきた。まだまだ冬だなと思って、枯れ木の公園を見回す。

 あいつ・・・。

 暗くなった公園内でうずくまる姿を見つける。
 耳に飛び込んできたのは、実に不愉快な音。一緒にいたヴィーノが背中をさすってもらっているシンがいた。

「飲みすぎだって言ったんですけど、今日は店長もみなすごい勢いで・・・」

 困り果てたヴィーノががっくりを肩を落とす。
 シンは既に正気を飛ばしていて、笑いながら泣き、思い出したように吐く。公園内の道を行く人達に散々好奇な目を向けられたが、恥ずかしいのは俺とヴィーノだけで、こいつはきっと何も覚えていないだろう。

「あの、アスランさん・・・実はちょっと・・・」



 ヴィーノが俺にこいつを押し付けて、掛け持ちしている別のバイト先に向かって30分。いい加減寒くなってきた。こんなことなら寄らなきゃ良かったと本気で後悔しそうで、シンに声を掛けた。

「おい、シン。立てるか?」
「うぇ~い」

 駄目だ、こいつ。目が据わっている。
 仕方がない、送っていくか。と、そこで俺はハタと気が付いた。
 俺はシンの家の住所を知らないのだ。

「まいったな」

 店長に聞いたところで個人情報だから教えてくれるかどうか分からないし、そもそも、店内にいないのにあの店長が答えられるとは思えない。ミネルバの別のスタッフに聞いて教えて貰おうかとも思ったが、肝心のスタッフに連絡が取れない。
 しかし、このまま放置するわけにもいかない。風邪を引くだけならまだしも、犯罪や、最悪新聞沙汰になることだってありえるわけで、俺は大きくため息を付いた。

「ほら。シン行くぞ、立て」

 無理やり立たせて、肩を貸す。
 力の抜けた人間がこんなに重いものだと言う事を思い知った。帰宅ラッシュのバスに二人で乗って、後から乗り込んできた人達に嫌な顔をされた。むにゃむにゃ言っているこいつを張り倒したくてうずうずしている手を何とか握りこんで、俺のアパートに付いたのはどっぷり日が暮れた夜だった。

 ヒーターの温度を目一杯あげて、自分とシンの上着を椅子に掛ける。
 シンをキッチン兼リビングの床に寝かして冷蔵庫を漁った。ミネラルウォーターのボトルを差し出したが、彼は既に眠りのかなたに落ちようとしていた。

「はあ、どうしろって言うんだ・・・」

 どっと、疲れが押し寄せて来る。
 酔っ払いの介抱なんて、音楽院以来だ。
 吐き気はおさまったようだが、念のため横を向かせて一つしかないクッションを首にあてがって、俺は自分の夕飯の支度を始めた。昨日の残りをレンジで温め、ポットのお湯でコーヒーを入れる。ふうと、一息ついてテレビをつけようと思ったが、そのまん前で寝ているシンを見て手を止める。

 何か・・・鳴っている。
 ブーンと聞こえるのは。 

「携帯が鳴っているのか?」

 しかし、シンの荷物からではない。部屋をぐるりと一周して音の発生源を突き止めた。上着のポケットだ。チラリとシンを見て、仕方なく電話に出る。

「ハロー?」
「えっ、あれ、あのー、お兄ちゃん?」

 電話の声は女の、まだ少女といった風の声で、見知らぬ声が答えたので戸惑っているようだった。今日の顛末を話すとすぐに事情を察した呆れた声で、すみませんとあやまった。なるほど、シンの兄貴気質は妹がいるからかと納得して、一晩泊めると説明して通話を切る。

「今、妹さんから電話が―――って、こら。そのまま寝るな。風邪引くぞ」

 ゴソゴソと身じろぎしたから起きるかと思ったが、寝やすい格好に移っただけで、すぐに寝息が聞こえる。毛布を引っ張り出して掛けると、上手く身体に巻きつけるのだから感心した。

 俺と2つ3つ違うだけなんだよな、確か。
 寝顔が意外と子供っぽい。
 いやいや、こいつは普段もガキだ。
 それでも、もう大学生。バイトと勉強とを秤に掛ければ勉学を取る、夢に向かって頑張る奴で、毎日重たい鞄を持ち運びしている。

 シンの夢とは一体何なのだろう。

 夢。

 将来なりたいもの。叶えたい望み。



 馬鹿馬鹿しい。
 俺も早く寝よう。
 その夜、俺は夢の中で両親と一緒にどこかに向かっていた。「父上~」「母上~」と手を振る自分を思い出すだに恥ずかしくて、母が亡くなった今となっては絶対に叶わない夢に苦笑するしかなかった。



 翌日、シャワーを浴びてキッチン兼リビングを除くと、テレビの前で丸まっているシンがいた。時計を見れば8時。

「おーい、シン。生きてるか」

 窓を開けるとまだ冷たい空気が入って来て、さーと足元が冷える。
 俺はシンの傍らにしゃがみ込んで声を掛けるのだが、反応はなくて仕方なく肩をたたく。

「朝だぞ」

 急にゴロンと寝返りを打つから一瞬ビクッとして、じぃっと覗き込んでしまった。おもむろに伸ばされた手が、毛布を引き寄せるのかと思いきや、その手でむくりと上半身を起こす。

「ん―――――」
「お・・・おはよう」

 ずいと迫るシンはまだ半分寝ている。

「おはよー、マユっ」

 はっ? マユ? 誰だそれ?
 寝ぼけてんのか、こいつ・・・。
 半分閉じた目がどんどん近くなって、反射的に手をかざした。

 生暖かくて、みゅっとした感触の後、ざらりとしたものが手のひらに・・・。
 目の前でずるずると墜落するシンはまた、すーすーと寝息をたて始め、俺は、呆然と、うっすら光る手のひらを見た。

「お、おい、シン。寝るな、こ、このバカ」

 1分後、ひたすら俺は手を洗っていた。
 朝食の用意をしながらテレビをつけたが、シンは一向に起きる気配もない。

 とんだ拾い物だ。

 時間を見計らって俺はミネルバにコールした。遅刻するにも、休むにしても連絡は必要だ。ひどい二日酔いの店長はまだ来ておらず、俺が話をしたのはオーナーの女性だった。

『そう、揃いも揃って仕方がないわね』
「申し訳ありません」
『いいわ。今夜のピアノは知り合いの子に頼むから。シンの面倒は頼むわね』

 なんとなく惰眠を貪るシンを睨みつけてため息を付く。突然できてしまった時間を編入試験の勉強に当てるべく、壁に詰まれた本を取り出す。ページを来る音だけが時間を編んで2時間。モゾモゾと動く音がした。

「あれ、何で俺・・・ここどこって、頭痛ってぇ」
「ようやく起きたか」

 手にしたミネラルウォーターを渡す。
 シンはわけが分からないと俺を見上げるが、自らの状態に何やら思いついたらしく、いきなり頭を下げた。

「うわぁ、俺、ものすごく迷惑かけましたね!」
「ああ」
「ここって、アスランさんちですか?」

 そうだよ。家ってわけじゃないけどな。
 伺うように部屋を見回すシンが毛布から這い出て、ごくごくと喉を潤して頭を掻き毟る。

「まず、シャワー浴びろ」

 タオルを投げて、俺はキッチンのテーブルに戻る。せっかくできた休日だから、有効に使わない手はない。提出レポートのために、パソコンと本を見比べて、パソコンに打ち込んでいく。

「何だ?」
「何してんすか?」
「お前は、さっさとシャワー浴びろよ。酒臭い!」




 タオルでガシガシ髪を拭くシンは、頭痛がどこかへ飛んでいったのか、やけにすっきりしている。俺がパソコンを閉じて、本を壁際に片付けると、テレビつけてもいいですかと来たもんだ。

「アスランさん、なんで勉強してんですか」
「大学入り直すから」

 ピアノとは全く関係ない本に隠す必要もないだろう。
 この部屋にはピアノすらないのだから。

「ふーん、どこ受けんですか?」
「UCLの編入かな」
「ええぇ、UCL!?」

 なんでそこで驚く。
 大体、ええぇは店長の口癖だぞ。

「大体、何で大学なんて今更」

 テレビのニュースアンカーが原稿を読んでいる。政治、経済、国際関係に地域の話題。音楽院を主席で卒業しても、世の中にかすりもしない。

「いつまでもピアノを弾いてるわけにはいかないからな」
「アスランさんピアノすっげぇ上手いのに、なんで」

 ニュースの合間にCMが流れていく。
 最後に現れた企業ロゴを見て、俺はテレビを切った。
 それは父の経営する会社のものだったから。

「あっ、プラントって、街にでっかいビル建てるって噂ですよね」
「そうなのか?」
「ミネルバのビルより高いって話、なんかヤですよね。確かにプラントは大企業だし、ここは金融や経済の中心都市だけどさ・・・でも、プラントの総帥いいっすよね」

 今なんて?

「あんな、厳しい顔をした男がか? 周囲に怒鳴り散らしてるぞ」
「何言ってんですか、働く男って感じ? 男ならやっぱトップ目指したいし、ビシッとして格好いいじゃないですか、パトリック・ザラ」

 そうか。ビシッとして格好いいのか。


 ・・・・・・そうだ。格好よかったのだ。

 確かにかまって貰えない寂しさとは別に、働く父に憧れていた所もあった。何人もの秘書に囲まれて世界中を飛び回っていた父。部下に指示を出し、疲れているにもかかわらずそんなそぶりを見せなかった父。

 何不自由なく生活できたのも全て父のおかげで、飛び出してからそのありがたみを思い知ることになったわけだ。
 それなのに、俺は一度も感謝の言葉一つ言った事がない。

「・・・ありがとう」

 口に出していたら、少しは父との関係も変わっていただろうか。

「なんでアンタが礼を言うんですか」
「いや、何となく!」
「あっ、ファミリーネーム一緒ですよね。親戚とか・・もしかして、会ったことあります?」
「あるにはあるが、もう3年は会ってないし」

 シンが素直に驚きつつも、怪訝な顔してじぃっと見ている。

「あんま、似てないですよね。アスランさんって女顔だし」
「あのな」

 それはそれで、ありがたくない表現だ。音楽院でも散々言われて慣れたといえば慣れたが、20歳過ぎの男が女顔だといわれて嬉しいわけがない。

 いや、本当になぜ「ありがとう」なんて口に出したのか分からずに、慌てて別の話題を振った。

「そっ、それよりお前、マユって誰だ?」
「妹ですけど・・・? 何ですか、急に」
「お前、毎朝、妹相手にあんなことしているのか? 妹じゃなかったら犯罪だな」

 バッと真っ赤になったシンが口をパクパクさせる。
 これ以上、追求されないだろうと思って、ホッと胸をなでおろす。話題が上手く変わって主導権を取り戻した俺は、朝の珍妙な経験を思い出した。

「安心しろ。お前がキスした相手は俺の手のひらだ」





ちょっとインターバル的なお話を・・・。や、私がパパリン好きなもんで。今回は特にフューチャーしたい曲がなかったです。次はショパン行きたいです。素敵な曲が多くてどれにしようか困るぞなもし。