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エンジェルスレイヤー 10

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 一見、中空に浮いた中世の城を模したエントランスでも、周囲は厳重にセキュリティに守られ、不審者は自動攻撃レーザーが排除する。レセプションにはそうそうたる顔ぶれが集まると来ては市側も神経を尖らせないわけには行かない。
 足元のガラスの階段の下に街のネオンが透けて見える。母をエスコートしてホールへの階段を上るイザークが、イブニングドレス姿のエザリアに手を差し伸べる。意識して化粧した母の容貌は息子の贔屓目を抜きにしても素晴らしく美しいもので。
 ばかばかしい。
 会う人ごとに美しいと賛辞され、更に自分がその母にそっくりだと言われるのだ。稀なブルーの色合いとラインの美しさが勝負のイブニングドレスとは正反対の、前時代的なフォーマルを身に纏っていると言うのに。イザークはその身を銀の刺繍地のスーツで包み、スタンドカラーに白のレースタイ、パールのカフスを加え、髪を後で括った全身白銀の出で立ちであった。
 華やかなホールに集う参加者も皆、似たり寄ったりの格好で談笑の花があちこちで咲いている。
「相変わらず、お美しい」
 手のひらを寄せて口付ける男性にエザリアも気後れせず応対する。
「ご子息もご立派になられた」
「まだまだ不精者で、今日もようやく引っ張り出してきましたのよ」
 日々、評議会で手腕を振るう施政者としての母の顔。
「エザリア女史をここまでてこずらせるとは、それはまた頼もしい」
 はっきり言ってイザークはこういった、腹を探り合うような会話が好きではない。探るような視線で自分を値踏みする。官僚にしても経済人にしても、どれだけの利益をもたらすか、ただ将来を見据えて自分と言葉を交わすのだ。
 だから、条約締結に携わった外務次官と言えども会話が続かない。夫婦同伴で会場の男女の数はかけ離れて女性が少ないわけではないのだが、評議員とあってエザリアには多くの来場者が一言挨拶を述べに来る。そのたびに似たり寄ったりの応対を迫られたイザークがそろそろこの場を離れたいと思ったとき、エザリアが見つけた相手に自ら出向いた。
「会えるのを楽しみにしていたわ、レノア!」
「まあ、エザリア」
 母の駆け寄る相手に挨拶をしようとして、イザークは目を瞠った。母の前に立つ女性、それがあまりにアスランにそっくりだったからだ。柔らかい笑みと女性らしさを除けは、髪も瞳も顔立ちさえ、生き写しだった。美しい朱桜色のドレスを誉める事すら忘れていた。
「イザーク。何を見惚れているの、挨拶なさい。こちら、プラント会長のレノア・ザラ。うちの息子が失礼をしたわ」


 やはり、うわさは本当なのだな。
 パーティの華となっている二人の女性を遠めに見て、イザークは目立たぬように壁の花となっていた。レノア・ザラと名乗る女性は後ろに重役やボディガードを従える、あのプラントのトップなのだと言う。温和な雰囲気からはとてもそうは見えないとイザークは思う。
 ペットロボットの最高級ブランド、プラント。本物そっくりの芸術品を世に送り出す、不世出の技術を誇る会社は、その裏では最大のテロ支援企業とも言われている。ペットロボ会社がテロ活動を支援して、社会不安を煽っていては企業活動に反することになるが、プラントは純粋にペットロボだけを作っているわけではない。グループ企業の末端にある関連会社ザフトが扱っているのは、その高い技術力を応用した兵器であった。
 それにあの顔。
 奴の得たいの知れない武器はプラント製の武器と言うことか?
 いつも素手で天使を屠っているように見えるが、本当に素手で天使を倒しているとは思っていない。何かカラクリがあるのだと睨んでいたが・・・。自然と険しい顔つきになるイザークに話し掛ける兵の女性はここにはおらず、イザークはレノアを観察する。母のように表情に幅があるわけではないが、優雅な大人の女性である。
「ご母堂を放っておいていいのかね」
 しかし、臆せず話かける男がいた。怪しい事この上ない、金髪長髪の仮面をつけた男だった。
一切の暖かさを排除して初対面の男を睨みつける。
「失礼だが、貴殿は?」
「これは失礼。私はラウ・ル・クルーゼ。これでもプラント重役会の末席に名を連ねていてね」
 手にシャンパングラスを持つ姿は、確かに堂に入っていて、ただの参加者ではない。今回のレセプションの参加者は一通りチェックしたつもりのイザークは内心舌打ちする。
 この男、ノーマークだったな。
 年齢不詳の、どちらかと言えば若い部類に入る男がにこやかに談笑する二人に視線を向ける。
「女二人が集えば、かしましい、とね。君の話題で持ちきりだよ」
「私の?」
 できればお近づきになりたくないタイプだが、相手がプラントの重役では無下にあしらう事もできない。
「二人とも年頃の息子を持つ身だから、話題が尽きないのだろうね」
 イザークの方から会話を存続させるなど全く珍しいことで、先ほどまで思考の中心だった懸案事項が飛び出して思わず聞き返していた。
「ご子息がおられるのか」
「めったに人前に出ないがね。君と同じくらいの年齢だと思うが・・・」
 さぞや似ているのだろうと、問いだそうとしてイザークはクルーゼの背後を移動するボーイが目に入った。黒いスーツにどことなく着せられている感があるが、そう、夜の街の狭間で幾度となく顔を合わせた第7機動隊の稼ぎ頭。
 なぜ、こいつがここにいるっ!
 僅かな表情の揺れだけで驚きを納めると、浮き足立った感情がさっと引いていく。
「母が呼んでいるようです。失礼」
 どこがそんな風に見えるのかという突っ込みはおいて置いて、イザークは強引に会話を打ち切った。人込みの中に銀のスーツ姿を滑らせてエザリアとレノアの輪に向かう。
「セブンスフォースか」
 クルーゼの呟きを聞きとめる間もなく、イザークは会場に散らばる天使達を捕らえていた。給仕のボーイや、警備関係者として数人が紛れ込んでいる。
 迂闊だったな。対テロ条約など、あいつらにとっては邪魔でしかないだろう。
 何を掴んでいる?


「噂をすれば、だわ。イザ―――」
 エザリアの言葉は最後まで叶わなかった。
 シャンデリアが2回ちらついて、ホールの通風孔から白い煙が降りてくる。
「母上っ!」
 明かりが戻ったそこは、逃げ惑う参加者と、会場出入り口を封鎖する警備関係者だった。そこここで小競り合いの怒声が起きるのを、母の傍らに立つイザークは聞く。目の前のプラント最高責任者の女性はいたって落ち着いており、同じように重役やガードマン達に囲まれている。
「テロ・・・でしょうか」
「そのような事を軽軽しく口にしないで」
 評議員本人の前で、条約締結のレセプション会場がテロに遭うなど、例え真実でも口には出せない事柄だった。重役の一人がこぼした一言を咎めるようにレノアが制し、申し訳ないと言った表情をエザリアに送る。
「条約締結直後から早速標的とはな、先が思いやられる」
「そのための条約でしょ」
 白い煙がホールの床を這うはじめてようやく、避難誘導が開始された。主催者である都市の外交部責任者がマイクで会場の空調設備の不具合をつたて、兼ねてより予定時間も差し迫っていた事とあわせて本日のレセプション終了を告げる。
 4つの会場出口から人数をカウントされながらフロアーを後にする最中も、イザークは天使達の動向に気を配っていた。
 ストライクは反対の中二階の出口。
 しかし、警備はどうなっているのだ。このような事・・・あってはならぬことなのに。
 母を差し置いてイザークが何かを言うことはできないとは言え、市政府の面子を潰すような出来事に危機管理責任者を問い詰めたい心境であった。サイレンや館内放送など一切ない、静かな避難活動であった。
 それほどこの条約が気に食わないと・・・? 確かに面白くはないだろう、だが、参加者の中にはスレイヤーに好意的な人物がいないわけではない。ましてプラントトップもいる。第一、ギルドに纏められているとはいえ、スレイヤーは皆大規模な団体行動など適さない。
 ぞろぞろとエレベータホールに人が集い順番を待つ。よくできた騎士像が紳士淑女を出迎えるはずのエレベータホールも、今は芋を洗う人でいっぱいであった。誘導にしたがって階を変え、エントランス前のホールに出る。途中、スレイヤーにやられた天使のエンジェルコアが瀟洒な通路に漂っていた。
「一斉に退去したのでは、主要なエントランスは大混雑だろうに」
「母上、そのための控えフロアなのでは」
 街のアイスクリーム屋に並ぶのではないから、参加者はそれぞれのエアリムジンが到着するまで控えのフロアに通される。
 そして、事態を説明する人間の最後尾にイザークはストライクを見つけるのだった。


 その少し前、イザーク達とは別のグループの避難を任されたセブンスフォースは、中二階の出入り口からエントランスへと参加者を誘導していた。キラも第7機動隊のベストを着て、参加者を散らばらせないように最後尾を歩く。隊列を乱す参加者に離れないようにと言ってわき道にそれないようにして、横の通路の先に目を留める。並び立つ騎士のレプリカを照らす明かり。
 ・・・あれって。
 ベルベットの絨毯からぽぉっと浮かび出てくるものがあった。淡くゆらゆらと漂う光は、紛れもなくエンジェルコア。そう認識した途端、キラは『はぐれないように』と言ったそばから、通路の先に駆け出す。
 思ったとおり、それはエンジェルコアで、こんなに間近で接するのは久しぶりだった。
 マリューさんの話が本当なら、僕はこれを運べるはず。
 しかし、一度も運び方なんて教えてもらっていない事に呆然として、そうしてキラが実行したのは、ただ両手で包み込む事。
 手のひらに感じる微かな温かみ。指から漏れる弱弱しい光。
「やったっ」
 ただ掴めただけなのに、一仕事終えたような達成感。キラは肩の力を抜いて、通路を戻ろうとすれば、後に立っているマリュー。
「やっぱり・・・キラ君ならできると思っていたわ。自然とエンジェルコアの扱いも分かるのね。卵を包み込むようにって」
 嬉しそうな笑みにキラは複雑な気持ちになる。自分で思いついたわけではないのだ。ただ、あの時、彼がこうやって小ビンを両手で包んでいたから。それを自分は思い出しただけ。
「これ、どうしますか。このままってわけにも」
「少し穢れているけど大丈夫。これに入れてちょうだい」
 そう言ってマリューが懐から取り出したのは、小さな透明な入れ物。確かに卵のような形をしたカプセルで、軽くひねると二つに割れた。砂を落とすようにコアをその中にすべり落とす。透明だと思ったガラスの容器が虹色に光って、蓋をすると微かに光がスパークする。
 ずっと綺麗なスパークを見たことがあるキラは、その光が消えそうだと寂しげに思った。
「それは貴方が持っていて。今度こそ大丈夫だから」
 遅れて通路に戻った時、そこにナタルを見つけてその理由を知った。
 ローエングリンが撃たれるのだ。
「まだ参加者の誘導が終わっていないグループがあるらしいから、そっちへ回ってくれる?」
 マリューの指示どおりキラは下の階へと向かう。ぞろぞろと歩く参加者達は、やはり街の有力者や経済人で、普段のキラからは想像もつかないセレブな人たちである。知り合いなどいるはずもなく、一生着ないと思われる服装に目が行った。
 うちの母さんじゃさまにならないよな。って言うか僕もあんなスーツ着ろって言われても困るし。そしてキラの視線は派手ではないが刺繍細工が施されたスーツに目が止まる。
 ああいうのならちょっといいかもね。格好よくて。
 なんて言うの、中世? 男のくせに髪の毛縛ったりしてさ、すごい銀髪だ。
 宝石みたいな真っ青な目・・・そこまで認めて、キラは息を呑む。
 向こうは最初からキラが見ていたことに気が付いていたのか、こちらを見ていた。見事なサファイアブルーに見覚えがないはずがなかった。服装チェックなどしている軽い気持ちは吹き飛んでしまう。
 イザーク。
 傍にいるのは母親だろうか。外見がそっくりだった。夜の都会で垣間見るスレイヤーの彼とは雰囲気がまるで違う。違うのに、やけにしっくり来る出で立ちに、不意に怒りが込み上げてくる。
「スレイヤーのくせに・・・」
 キラの呟きが聞こえたのか、そうでないのか、相手が目を細める。群集がいなければこんなチャンスなどないのに、アグニを手にしてないことをこれほど悔やんだ事はなかった。


 にらみ合って数分もしないうちに、エントランスの混雑が収拾したと報告に来た警備の人間から連絡は入る。キラは仕方なく、手分けして情況を説明する。この異常事態にテロじゃないのかと詰め寄る参加者もいたが、ここは努めてそうではないと言った。微かに銃声が聞こえる中で、キラの子供っぽい顔つきでどこまで信用されたのかは疑問だった。
「こちらから。気を付けてください」
 SPに囲まれた女性を誘導する。朱桜色のイブニングドレスの女性は黒いショールで珍しく首まですっぽり覆っていた。耳を飾るエメラルドが瞳と同じ色で・・・。
 ―――えっ!?
 あまりに似すぎていて。護衛が暗にどけと手で合図するのにも関わらず前に立ち尽くす。
「ありがとう」
 護衛に守られるように顔を見せて優雅に微笑む女性が、キラの目の前を通り過ぎていく。直ぐにSPに覆われて後姿さえ見ることができなかった。
「あれがプラントの総帥。驚いたね。まさかあんなに美しい女性とはな、うちの氷の女王と張るな」
 フラガが誰と対比しているのかそれとなく分かってしまい、彼を探した。この騒ぎの中でも独特の空間を作っているそこに、氷の女王ことエザリア評議員と、その血縁であるであろう彼がいる。あたりを見回せば、先ほど見送ったばかりのプラントの一団の傍にいて、エザリア評議員と例の女性が話している。そこに銀髪の彼が加わる。
 すぐにエントランスに向かうはずが、その一団は動きを止めて後続の参加者に道を譲るではないか。
「順番なんですから、早くしてください」
 慌てて駆け寄るキラの横を通り過ぎる彼が一言。
「今出て行くなど、自殺行為だ」
 非難するように進めるキラを遮って、イザークがキラの腕を掴んで止める。見下ろされる青い瞳には特に何も感情が浮かんでいないように見えて。キラは慌てて振りほどいた。
「どういう意味ですか」
 周囲の視線が痛い。一介の警察関係者のキラと目立つ容貌のイザークでは迫力が違う。それでも、ここでの主導権はセブンスフォースにある。じきに発射されるローエングリンのことを考えても彼らはすぐにこのビルを立ち去るべきだ。
「外ではテロリストの襲撃が起こっているのだろう。安全確保が先じゃないのか」
「違いますよ。ビルの空調設備の不調です」
 レセプション一つ満足に開催できない街の警察機構の実態を露にできない。外にテロリストが集っている今は一斉に葬るチャンスでもあり、時間がない。
「それにしては仰々しい対応だな」
 これ以上何を言えって言うんだ。視線は逸らさずに、でもキラは助け舟を求めていた。そこに飛び込んでくる別の参加者の暢気な声。
「もう行ってもいいですかな」
「ええ、どうぞ。お気をつけて」
 マードックとマリューの咄嗟の機転で事態が動き始めた。
 キラのインカムにカウントダウン開始が届く。



『ローエングリンスタンバイ』
『本部より現場各員へ。照射開始後は速やかに手順どおり作業を開始する事』
 イザークと向かい合ったまま、情況は刻一刻と変化する。
『こいつら全員やっちゃった方が早いんじゃねーの。悪魔も人間も一緒なもんだろ』 
『ウザーイ』
 妙に若々しい声に、キラは一瞬眉を潜めた。
『こらっ、お前達、勝手な事をするな』
 ナタルの声と共にブチッと回線が切り替わる音がして、またカウントダウンが届く。マリューやフラガを見ると、同じように首をかしげている。この見知らぬ声の犯人を知っているわけではなさそうだった。
 視線を感じて顔を上げれば、エントランスに向かうイザークが怪訝な表情を見せている。女性を送るちょっとした仕草さえ洗練されているさまに悔しさを感じる。
 我慢。我慢。それも後少しなんだから。
 それでも消えない悔しさの原因をキラは自分で分かっていたから、それ以上彼を追わなかった。空の両手を握り締めて唇を噛む。他の参加者達をエントランスまで送る間も意識して視界に入れないようにしていた。
 間もなくローエングリンの照射が始まる。
 そうすれば彼は死ぬ。
 ああ、早くエアカーでもリムジンでもなんでもいいから早く乗り込んでくれ。
 だが、キラの願いも虚しく、人で溢れ返るエントランスは下からの爆風で吹き飛んでいた。
 倒れた人々。ひび割れてなくなったガラス階段と跡形もないアプローチ。
「情況確認早く!」
 マリューの叫び声と、フラガの怒鳴り声と。後は参加者の叫び声、怒声、逃げ惑う群集で、あたりはパニックになった。
「ナタルっ!?」
 カウントがゼロになり、インカムにローエングリン照射を告げる天使の声が響く。吹き飛んで夜の都会が筒抜けになったエントランスからは、本当に細かい霧雨が降る摩天楼が見えていた。


 上空を滑空する天使達が見える。このビルに降り立つ天使もいるだろう。キラはインカムから流れる情報を便りにビル内を探し回る。逃げ送れた参加者がいるならさっさと逃がして、自分はストライクとアグニを取りに持ち場に戻らなければならないのだ。
 通路で何人かの参加者とすれ違う。会う人ごとに早く逃げるように催促して、もう一つのエントランスである中二階に向かう。
「キラ・・・?!」
 思いもかけない人物に鉢合わせした。茜色の髪を揺らして不安そうな顔をする彼女を支えるのは、カレッジの同級生のサイ。必死な表情の彼女はフレイだった。
「どうして、二人ともこんな所に」
「俺達はフレイの親父さんを迎えに。そしたらこの惨事でさ。それよりお前こそ、何やってんだよ。警備のバイトなのか?」
 言える訳がない。セブンスフォースの一員だって。
「お父様? どこお父様」
「あっ、フレイ! そっちは危ないよっ」
 フラフラとテラスに向かってうろつくフレイ。関係者を見つけたのか、小走りで向かう。慌ててサイとキラが追うが追いつけず、彼女は霧雨の中を立ち尽くしている。テラスにあるのは動かない一山。動き回っている人影は警察関係者で、雨に濡れないように遺体にシートをかけていたのだった。
「フレイ見るな!」
「いやあぁぁぁぁ」
 叫び声と涙が夜空に響き、自分の影に浸食されるフレイ。サイが慌てて支えて、壁にもたれ掛けるか、背中の影がどんどん小さくなる。
 びくびくと体がはね、通常の状態ではない事が見て取れた。軽いショック症状だけではない異常事態が彼女に起きている。
「とにかく中へ運んでっ!」
 異様な重さのフレイを運ぶ事は叶わず、テラスの壁に持たせかける。雨がかからないだけましだった。
「キラっ、お前その格好。・・・・・・なんで」
 サイの視線がキラの着ているベストに注がれ、キラから言わずともバイトの真相がばれたことを知った。駄目押しとばかりに、フレイを支えようと駆け寄るキラの懐から転がり落ちる、光る入れ物。それが何か分からないサイとフレイではなかった。
 光を失ったフレイの瞳から涙がただ溢れる。
「ごめん」
「キラは天使は守るくせに・・・・・・パパは・・・守ってくれなかったのね」
「ごめん」
 焦点を無くした目で、夜の都会に向けて呟くフレイ。彼女を抱きしめるサイ。
「どうして・・・どうしてパパが死ななきゃならないの。あんなに一生懸命・・・」
 謝る事しか思いつかなかった。
 こんなことになるなんて思わなかった。
 自分の判断が元で誰か親しい人が死ぬなんて。
 僕があの時、もっと慎重にしていればフレイのお父さんは死ななかったかも知れない。


「そのままだとその女も死ぬぞ」
 重く沈んだ雰囲気に一石を投じた声に、キラとサイが振り向いた。テラスをうかがうように立っているイザークだった。幸いにして二人とも面識があったから慌てて取り乱すような事はなかった。
「どう言う意味・・・」
「その女は堕ちかけている。もうほとんど堕ちているがな。悪魔となった人間が今、外にいて大丈夫なのか?」
 イザークの言葉にキラははっとなった。
 ローエングリン照射は相変わらず続いて、フレイがビクンビクンと震えるのは父親を無くしたショックからじゃないとしたら。何より、小さなエンジェルコアが産み出す影が異様にフレイのだけ小さい訳が、本当に彼の言うとおりだとしたら。
「動かすのは無理だろう。堕ちたら通常の数倍の重力が掛かる」
「堕ちるって? キラどういうことだ」
 キラとイザークには馴染みのある言葉でも、サイにそれを現実の事として捕らえることは無理だった。まして、自分の彼女が悪魔になりつつあるのだと。
「サイ、それは・・・」
「あれっ、こんな所に悪魔見っけ」
 霧雨に煙るテラスの向こうに突如下りてきた天使。三体がテラスのフレイを見下ろし、その嫌な雰囲気にサイが彼女を抱きしめる。キラは立ち上がり、見上げた。
「なんか死にそうじゃん?」
「彼女は悪魔なんかじゃありません」
 面白そうに見る天使達はそれぞれに個性を持っていて、キラはナタルの通信に割り込んできた声だと気が付いた。とすれば大天使以上の天使。
「まっ、俺はいいけど。お前、奥の奴と何を話してたんだよ」
「そいつスレイヤーだろ。さっさとやっちまおうぜ」
 背後で舌打ちが聞こえる。僅かな空気のゆれと共に気配が遠くなる。追うようにして、3体の天使がテラスから奥へと滑空する。フレイには手を出さずに暗がりに消えた天使と、消えたエンジェルスレイヤー。静かになった夜の霧雨が降るテラスに残された3人。
「サイ・・・」
「助かるのか? フレイは・・・もう駄目なのか?」
 キラはフレイを抱きしめるサイの前でただ頭を垂れるほか無かった。キラには答えるべき回答を何一つ持っていなかった。何より、人間が魔に堕ちる現場というものをはじめて見たのだ。


 3天使も加わり、ビル内を疾走するイザーク。
「逃げるなら下じゃないの、イザーク?」
 それなのにイザークは閉まる上に向かうエレベータに飛び乗っていた。ちょうど下に向かうエレベータのドアも開いていたというのに。手だけ突っ込んで扉を閉めてから、わざわざ上に向かう事を選択する。
 ガラス張りのエレベータからは霧雨の降る摩天楼にネオンがぼんやりと輝いている。いつもよりもずっと明るい夜。
「もしかして、あの子こと気になってるとか?」
「うるさいっディアッカ! 貴様も考えろ。奴らの新兵器はなんだと思う?」
 ボタンの前、外からも中からも直撃を受けない位置に持たれて腕を組む。
「やっぱり~」
 影から姿を見せる悪魔にギリッとキツイ瞳を向ける。
「やっぱ、空じゃない? 有効射程はそうだなあ、半径1キロくらい」
 電子音ではない鐘の音が到着を告げて、外をうかがった後廊下に飛び出る。そのフロアに天使はおらず、急に冷えた空気と湿った風がなだれ込む。降りたばかりのエレベータのガラスが砕かれて、下からいきなり姿を現す天使達。風を切る羽音が迫る。
「随分と凶暴な天使じゃないのっ」
 口笛を吹くディアッカがイザークの影に沈み、すぐさま、横を衝撃波が走る。絨毯がめくれ、壁に掛かったライトがはじけ飛ぶ。破壊された装飾品が縦横無尽に飛んでくる。いくらイザークが悪魔と契約して超人的な力を得ていると言っても、元は人間である。当たれば痛いし、刺されれば血も出る。
「エンジェルスレイヤー顔負けだ」
 壁に穴を穿つ光線を避けた拍子に髪を掠めて、束ねていたリボンが焼ききれた。暗がりに銀糸が舞う。
 エレベータホール前で騎士像が持っていた武器をひっ捕まえる。脇につるした銃の感触を冷たく感じる。水分を含んで広がる髪をなびかせて、屋上へと続く非常階段を上る。勿論、非常シャッターを下ろすことは忘れない。
 辿り着いた屋上階の施錠を銃で打ち抜いて、肩から体当たりする。強風に雨が混じる冷気が吹き上げる、そこは屋上。視界に入る赤い非常灯と、頭上を飛び回る天使達。
 上空を見渡そうと一歩を踏み出した。
「やばい。やばい、イザーク出るなっ!!」
「何っ」
 悪寒。と言うより火傷のような神経に直接響く痛覚に、イザークも足を止めて戻る。空気に含まれている何かが、いや、屋内で作用しないなら目に見えない光線か何か。切羽詰ったディアッカの声と自分の状態に正体を悟る。
 これかっ!
 屋外でのみ作用する対悪魔兵器。霧雨を降らす上空を仰いで天使達を追う。
 銃を構えるイザークが空の一点を狙う。水の粒子に反射して浮かび上がる燐光の外輪。その中心。
「ディアッカっ! アレを狙うぞ」
「無理無理。届かねえって」
 言い争ううちにも近づく破壊音。
 どれくらい持つ。10秒・・・いや5秒で沸騰死だろう。
「イザーク! それでか? 無理だって」
「迷っている暇はない。ハンドガンで駄目ならこれだ」
 騎士像からかっぱらってきた武器。レプリカに違いないが、この土壇場で使えるような代物ではないのは百も承知。それでも、イザークは弦を引っ張って弓なり具合を確かめた。置物が持っていた装飾の施されたアーチェリーを構える。
 もう直ぐそこまで羽音が聞こえ、大気が揺れる。
「ディアッカ、分かっているな!」
「まじかよっ」
 外輪の中心を狙うイザーク。腕に力をこめて、矢を引くが、身体は急に押し出された。追いついた三天使が爆風共に屋外に投げ打つ。
 蒸発する自らの影。うわあ゙ぁぁ―――!!
「こ・・・の・・・腰抜けがあっ」
 体が宙を舞い、苦痛に顔をゆがめてもなお、イザークは矢を引いた。身体をひねり、暗雲垂れ込める夜空の一点を定める。大気の湿度と風、初速と移動ベクトル、矢に掛かる重力。そんなことなど計算せずに、夜空に放たれる1本の矢。ディアッカの魔力を受けて輝き、銀紫の尾を引いて伸びる。
 上空で聞こえる爆発音、雨雲を白く覆う煙のベール。
 ドサリと落ちて、勢いのまま屋上のコンクリートの上をすべる身体に先ほどまでの灼熱感はない。直ぐに弓を投げ捨てて、銃を構える。起き上がろうとして激痛のまま膝を折った。


 くそっ。目が。全身の感覚が麻痺しているのか。
 霞む視界に見えるのは自分を追ってきた3天使。見えなくても囲まれたくらいは気配でわかった。
「滅殺ッ!」
 感覚のない手で銃を上げて引き金を引く。天使の肩を貫いて銃弾が雨空に消え、天使が振り上げる腕の先には今時珍しい剣。呆然と振り下ろされるのを見る。ネオンに鈍く光る刀身と、自分の目の前で鉄柵で防がれる光景を。上空のエアバイクから打ち込まれた鉄柵が天使と自分を分かち、武装した集団が逆に天使を取り囲んでいた。
 最後にエアビーグルから降りてくる男をイザークは知っていた。今日のレセプション会場で知り合った男、クルーゼと言ったか。
「間に合ってよかった。君の母上に頼まれたのだよ」

如何にしてイザークを活躍させるかが今回のテーマだったのですが、あんまり・・・。なぜ。難しいですイザーク。この現実派ヤロウ。あまり無茶な奇天烈なことできないし。まじめだし、義理堅いし。マザコンだし。イザークが活躍できるシチュエーション求む!

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