※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

目次














1.世界観の相対性について


それでは第五章、「太陽の心」と題しまして話をしていきたいと思います。

本章で私がおもに話をしたいことはね、慈悲とはなにかっていうことなんですね、結局。慈悲の本質、これについて話をしていきたい。まあこういうふうに思います。

えー人間は、なかなかこの慈悲ということに、気がつかないことが多いんですね。なぜ気がつかないかって言うとね。これがね、やはりまあ自分が住んでいる世界の大きさ、それから自分自身の大きさと非常に関係があるんだな。

たいていの人間ていうのは、まあ現代人の平均身長は一メートル七十ぐらいですか、えー体重が六十キロぐらいでしょうか、ねえ男性だと。女性だと百五十七、八、えー体重が五十キロぐらいでしょうかね。

そういうのが平均サイズになってますね。そうすると、その大きさでもって見とる世界を当然と思うんだけれども、じっさいはサイズがちがうと世界観がまったく変わってくるんですね。

それはたとえば、学芸会かなんかで、たまたま高下駄をはいてみたりね。あの朴歯(ほおば)っていうんですか、高下駄っていう十五センチも二十センチもあるようなのはいてみると、急に自分が大きくなったような気になったりする。

あるいは竹馬っていうのがありますけれどね、運動会なんかでする。竹馬に乗って歩いてみると、もう巨人になったような気がするね。そうすると、急にまわりの人が小さくなったり、この世がなんかほんと挟くなったりするような感じがするね。

それから昔から言っているように、これはよく話でみんな読んだことがあるだろうが、えー小学校のときよく遊んだ校庭とか、裏庭、あるいは用水とかね、池とか、道路とか、こういうものが大人になって帰ってきてみるとずいぶん小さく感じるってこと、みんな経験があるんですね。

野球やってて、あんな大きな校庭だと思ってたのにね、この校庭の端まで玉飛ばしたらホームランだってね。あの垣根まで飛ばしたらホームランだって。

だから猛打者っていうのがおってね、小学校四年生や五年生で、ボコーンと打つと、向こうの垣根まで飛んでいくと。「すっげえなー、三塁打。」とかね、「本塁打だー。」なんてやっておった。

ところが大人になってね、社会人になってお盆かなにかに帰省して、そしてふっと懐かしくなって小学校の校庭へ行ってみると、なんのことはない、ちっちゃいんだよねー。

一周まわったって百メートルしかないぐらいのグラウンドで、なんと遠い遠い向こうの垣根だと思って、ホームランなんかにならないなんて思っとったのが、ひょっと見たらボール投げたら向こうに届きそうな、その程度の幅なんだよね。そしてグラウンドのすみのほうは夏草におおわれて、ますます小さくなっている。

あ、こんなに小さなとこで昔、運動会なんて言ってね、えー旗いっぱいぶら下げて、行進してね、やっとったんかなあ。

そしてこんなところで、コースを五コース、六コースつくってね。白墨って言うんですか、白線を引いて、そして用意ドン、やってね、障害物競争、えー、縄抜けしたり、あるいははしごをくぐったりして、パン食い競争したりしてね、やっとったんかな。

そしてそのパン食いのパンが食えるかどうか、はしごがくぐれるかどうかが心配で、前の晩心配で心配で眠れなかった。ああいうのずいぶん緊張感があったけども、なんだこんな小さいとこでやっとったんかなーってね、感じることがあります。

これは相対性ですね、物事の。だから人間であって、子供と大人のときそういうように感じるんですね。

ですから、たとえば犬なんかでもそうでしょうね。みなさん犬を散歩に連れて行ったりしておるでありましょうが、犬が見る世界っていうのは人間が見る世界とはずいぶん違いますよ。

そらちょっと大きめの犬でも、やはり地面からね高さ五十センチとか、八十センチとか、ま、その程度ですね。顔の高さは。まあ普通五十センチぐらいのとこ歩いているでしょう。

まあ普通で言えば、えーまあ部屋のなかのこたつの高さぐらいのもんだね。テーブルか。その程度の高さっていうことはどういうことかっていうと、みなさん四つん這(ば)いにはってみたらいいんだけれども、四つん這いにはいながらね、世界見たらどうなるかね、どういうふうに見えるかと言うと、ずいぶん違って見えるんだな。

試しに四つん這いにはって外の道路歩いてごらんなさい。

まあ警官が呼びに来ないように気をつけるんですよ。時間と場所をよく気をつけてやるんですが、そういうふうに四つん這いで道路を歩いてみると、世界がずいぶん違うんだな。

そして町が大きく見える。人間も大きく見える。こんなもんですね。こういうふうに非常に相対的な感じになっている。

だけども、その現在の自分というものを当然だと思っていると、これと違う世界観、これがあるようなことはわかんないですね。ちょっとわかんない。そういうことが言えますね。


2.身長五メートルの人間が観る世界観


そうすると、じゃあ地上にいま、身長五メートルぐらいのキリンみたいな人間が住んでたらどうだろうか。身長五メートルあるとどうでしょうかねえ。えー三階建てぐらいの家の窓に手が届くでしょうね、五メートルあったらまあ、五メートルだと、そうでしょうね、そんなもんでしょうね、まあ二階の高さは超えとるでしょう。

そしてバスケットボールなんて、一緒に中へ入ってバスケットをやると、なんか五メートルの人がボールもったら、あんた、なんだよ、みんな飛び上がってぴょんぴょん、ぴょんぴょんカエルみたいに跳ねてなんか、かごのなかにボール入れてるけど、おれから見りゃあんな胸の下にポトンと入れりゃこんなのすぐ入れられるってね。

僕なんてヘソぐらいのところにかごがね、バスケットがヘソぐらいのところにある。こんなの何やってんだってね。こういう感じになると思うんですね。バカみたいでしょうね。

だからバスケットが小ちゃいから小野道風(おののとうふう)の句みたいに蛙(かわず)が柳の木に飛びついてるような感じになってんだけど、五メートルの人から見りゃ、上からポトッと落としゃ、そんで終わるんだな。簡単、バカみたいな話。

だけど五メートルの人は簡単でも、一メートル何十センチの人間から見たらそれが大変なスポーツなんだな。こうなっちゃいます。ですから肉を持った肉体を持ったわずか一メートルやニメートル、あるいは五メートルのものの比喩でそうなんですね。


3.宇宙人の目から見た地球の様相


ところがこれが肉体じゃない者であった場合どうであろうか、ね。たとえばいま、宇宙船UFOというのが地球に来てるってことが大変評判にもなってるし、半信半疑ながらみんな興味持ってますね。

じゃあ、まあこの本書の読者のみなさんが、まあ宇宙人さんだとして、で、はるかなる昔の、はるかなるかなたの星雲から円盤に乗って飛んで来たとする。

そして「おっ、向こうに見えるのがあれが地球らしいぜ。」ってね。「地球っていうらしい。なんせ大地の球らしいから地球っていうんだ。」ね。「アースっていうらしいぜ。」って言って来るわけですね。そして大気圏へ突入する。

そしたらクルクルと青い地球がまわっておる。でアジアだ、アフリカだ、ね、アメリカだっていろいろ住んどるね。

アメリカの第七艦隊なんちゅうのがまあ、ちょっかい出して東南アジアまで行ったりしてるんでね。何かことがあったらミサイル撃ち込んでやろうと思って行っとる。そしたらその第七艦隊の下のほうをソ連の原子力潜水艦がもぐってね、追いかけとんだね。もし変なことしたら下から一発撃ってやる。ちゅうんで原子力潜水艦がもぐっとんだね。

こういうのを宇宙人が見とるわけだ。ちょうどさっきの巨人みたいにね。

そしたらこの地球がどういうふうに見えるかね。みなさんちょっと瞑想のつもりでねえ、考えてみて下さいよ。自分が宇宙人で、円盤乗って地球に来た。そして地球の姿を見てみる。

ああ朝の早いときにもう起こされてね。目こすりながらネクタイぶら下げて、そしてコーヒー飲むや飲まずで家飛び出してね。一時間半この暑いのに、いま八月ですから暑いですよ。出版されるころは涼しいかもしれませんよ。その辺、私責任持ちませんから。

あー、この暑いのにネクタイ締めて、スーツ着てねえ。そして電車のなかで一時間半、ギューギュー、ギューギューゆられて大手町まで行って、そして大手町でやっとオフィス行ってね。

昼まで働いて、ああすんだと思ったら、お昼カツ丼食べるのにまた大手町のあなたオフィス街の地下の食堂街で並んで食べてね。ニワトリみたいにもうスタンドで食べちゃって、それでブーブー言いながらまた帰って行く。

まあこういうことやってて、夕方はどうかっていうと、またドーとはき出したような人ゴミだね。このなかを帰っていくんだなあ。

これがいやなもんだから、ちょっと時差調整なんていって「おい、一杯行こうかあ。」なんてって、赤ちょうちんくぐるんですね。

で鳥銀(とりぎん)かなんかで焼鳥食って、「焼鳥じゃあもの足りねえなあ、おい、釜めし食おうぜー。」って言って、釜めしね、うん釜めしかなんか注文しちゃって五目ご飯かなんか炊いちゃってね。

そして釜めし食べちゃって「おりゃ海老釜めしにするぜえ。」とか言ってね。「おりゃあ海老はきらいやあ。」なんてね。「おれは五目でいい。」なんてね。「おりゃキノコご飯だぜー。」なんてね。いろいろ言っとるわけですね。

でビール飲んでキュッと飲んでね、部長の悪口言って帰る。夜の十一時ごろになってね。「ああ涼しくなったー。」ね。これで帰れるなんて千鳥足で帰って行く、ね。

で朝がまた苦しい。まあこういうことやるわけですね。

「えーこういうふうにやっとんだが、宇宙人の目でこれを見たら、みなさんどー見えるだろうなー。」ってね、ねえ。

自分の視点を変えて、宇宙人の瞑想いっぱいやってみましょうねえ。どんなふうに見えるだろう、円盤乗っていま来てねえ。地球人を見てごらんなさい。日本人を見てごらんなさい、どう見えるでしょうか。


4.地球人の行動原理の不思議


そして日本人のなかでのあなたの会社ね。あなたのご家庭を宇宙人だと思って見てごらんなさい。どう見えるかねー。ずいぶん変わったことしているんじゃないでしょうかねー。どうですかー。

おかあちゃんとあなたがけんかしてるその内容。宇宙人に聞かれてたらどう思うでしょうかねー。不思議なことでやってますねえ。

「おい、メシ! 風呂! 寝る!」ね。「おれが風呂って言っておるのにこの温度はなんだ。チッ、おれが風呂って言ったら四十二度だ。手入れてちょっとほんのりあったかい。この程度じゃなくてどうするか。」

「おい茶! こんな濃い茶が飲めるか。」ね。「バカじゃないか。おれを殺す気か。」ってね、やってますね。

えーこういうのをはるかなるマゼラン星雲から飛んで来た宇宙人が見たらどんなふうに感じるかね。

えー地球人というのはまあなんと神経質な動物じゃろうか。なんでこんなにこまごまとしたことばっかり言って、一日中いさかいして、そしてだれが見ても、ストレス起こすようなそういう仕事をやっとんだな。ニワトリみたいにブロイラーみたいにね、えー箱のなかつめられて、朝に晩にゆられて帰って会社でおこられてやっとんだね。

そして書類なんかまわして仕事して、で紙束もらってね、お金とかいう紙の札もらってそれで喜んでるんだな。で「ああこれはうれしい。これがあればね、僕はやっていける。」

その紙束のお金で何するかっていったら、なーんか「お、一万円札もってどっか行くな、おっ、ヒョロヒョロってはいって行くな。パチンコ屋はいったな。」ってね。

「パチンコフジだな。」てね。
「おっ、座っちやった。まーた自動だ。おっ、これはプロのパチンコのえープロのパチンコ屋さんだな。」えープロのなんちゅうんだ、パチプロっていうんだね。「パチプロか。」ってね。「おっすごい。」ってね。

自動だけど、右手固定しちゃってね。すごい。ゴムバンドかなにかで固定しちゃって、もう動かないように固定しちゃって、パンパンパンパンパンパンパンパン玉うっちゃって、それでどんどんはいる。チューリップがパーッと開く。パーッと開く。パーッと開く。「あー気持ちいい。」ってね。

「チューリップがパカパカ開くのがうれしくてうれしくてしょうがない。もうほんとすっきりする。」ね。えーそう言ってやってますね。

えー一万円、そんなのに使うために一万円使ってますね。えーその一万円札もらって喜んでおる。ねえ。不思議ですねー。なんでそんなことしてるんだろうかってね。

で一万円札持っていったらなんかビールが飲めたり、一万円札持っていったらパチンコできたり、一万円持っていったらなんかガミガミ言ってたおかみさんがおとなしくなったり、いろいろするんですね。

だから宇宙人から見てたら「あの一万円札ってなんだろうか。」ってね。「あの紙きれなんだろうか。神様のお札だろうか、なんだろうか。」ってね。

「不思議な物を地球人は持っている。あのお札見せればみんながへへへーっちゅうて、ありがたがる。妙な信仰だ。どうやら地球人ていうのはカミを信仰しているらしく、そのカミっていうのはゴッドの神ではなくて、紙きれのカミらしい。」ね。

「カミというのは」報告書に書くわけですね。マゼラン星雲から来た母船に書くわけです。「地球人ていうのはどうもカミを信仰している。私たちはゴッドの神を信仰しているけど、地球のカミっていうのはお札の紙だ。」ってね、この紙を信仰しちゃって、これがまわってくるとうれしそうに幸福になる。

なんせゴッドのほうは全然幸福にしてくれないけど、お札の紙のほうはもうちょっと積み上げただけで幸福になってしまう、ね。

まあちょっとこれでも使いなさいなんて五十万ぐらいくれると、もうとたんに人生幸福になって、バラ色になって「あーうれしい。」ってね。「これで今年の夏はうれしいわ。」ね。「ハワイヘ行けるかもしれないわ。」なんて喜びますね。こうなっちゃう。


5.人間だけが最高の認識力を持っていると思ってはいけない


だからみなさんね、自分の人間としての目、これを当然と思ってはいけないんでね。どれほどね、視点を変えたら変わったふうに見えるかね。こういう考え方、見方というものをね、ときどきしなければいけませんよ。

現在の自分のありかたを当然と思っちゃいけないよ。自分がこう考えるのはこれが世の常識であってね、ほかの人も同じように考えると思っちゃいけないということですね。これ大事ですよ。

物事は非常にね、違った面から見れば違うんです。だからアリとアリとがね、砂糖の粒運んでおるから、道でばったり会うとね「なんだてめえ、おれより大きい砂糖粒持ちやがって。」なんていさかいしとんだけど、上から人間が眺めとったらバカみたいですねえ。夏休みの子供のアリの研究やられとるだけなんですね。小学生の夏休みの勉強。

「アリさんは」ってね。「一日何回往復しました。穴から出てそして穴のなかに水を入れてみるとアリさんが大勢おぼれそうになって出てきました。けれど、しばらくするとあったかいんで、熱いもんだから水が乾いちゃって、アリさんまた気嫌よく砂糖粒を運んでいました、マル」っちゅってね。こういうふうな夏の研究、報告しますね。こうなっちゃう。

こういうように、人間だけが最高のようするに認識能力を持った動物だと思っちゃいけないんですね。もっと高度な知性あるものが世の中にないと思うその根拠はいったいどこにあるんでしょうかね。ないんじゃないでしょうか、そういう決めつける根拠はね。

もっと自分たちがわからないようなものが自分かちを見ているかもしれない。そういう気待ちっていうのをね、大事にしなきゃいけない。

アリさんはあなたがたが観察しているとはわからないんですね。夏休みのそんな宿題のために、あなたがたがね、アリさんを研究してるとか、そんなこと全然思ってない。

けどちゃんと見てるあなたがたがいるんだね。そのアリさんを見ているあなたがたを見ている宇宙人だってUFOだっているかもしれない。そのUFOを見ている高橋信次だってまたいるんですね。

だからそういうように自分の立場、これを当然と思っちゃいけない、ね。そう思わにゃいかんのですよ。


6.貨幣経済は当然か


だから宇宙人から見りゃあ、一万円札のやりとりして喜んでいる地球人て見たら、ほんとう変わった信仰持ってるように見えるんですね。「これは邪宗を信じている。」と。

「ここの惑星の人たちは」で、なんか福沢諭吉か、聖徳太子か、なんか知らんがそんな顔きざんで喜んでおる。人間が人間の顔を紙きれにきざんで酋長(しゅうちょう)の顔をきざんでそれで喜んでおる。たいへんな未開人だ。こう報告しますね。

こんなことをお互いに紙きれまわして喜ぶぐらいなら、紙きれなんかなくして自由になんでもできるようにすりゃあいいじゃないか。なんでしないんだろうか、ねえ。

飛行機乗るのになんで金取るんだろう、ねえ、ただで乗りゃいいじゃないかってね。欲しけりゃ食べりゃいいじゃないかってね。

みんながお互いに奉仕するつもりで働いておりゃ、一円もいらないじゃないか、ね。

もう農作業したい人はようするに作物作って、牛の乳しぼりたい人は牛の乳しぼる、ね。機械が好きな人は機械作る。自動車好きな人は自動車作る。飛行機運転したい人は運転する、ね。でそれで好きなようにすりゃいいじゃないかってね。

なんでそれがお金使わにゃいかんのだ、ね。それでありがたいと思ったらそのときに乗るときに「ありがとう。」って言やあいいじゃないか。「ありがとう。」って、パイロットは「いやうれしいありがとう。」って。

そのかわり、降りたときパイロットもホテルオークラ行って「ほいっ、ありがとう、ステーキ一ちょう。」って言ったら「ありがとう。」ってステーキが出てくるんですね。それでありがとう、ありがとう言っときゃあすむじゃないかって。

なんで札束出してね、それで決済するんか。これは不思議ですねえ。まことにまことに不思議ですねえ。こんな不思議なことなんでするか。

そしてその紙きれ作るために山んなかはいってね、伐採して、えーチップスをいっぱい作ってね、木の。そして紙幣作っとんでしょ。不思議ですねえ。

山がこれで荒らされます。そして緑が減って、酸素が不足になってね、なんでこんなことしてるんだろうか。まこと不思議ですね。

だからみなさんね、自分たちが二十世紀の後半に持っておるこの価値観、価値概念というのを当然と思っちゃいけない。けっして思っちゃいけない。これは別な見方があるかもしれないという視点、絶対にこれをね、忘れてはならない。

これを私はとくにね、強調しておきたいと思うんですね。


7.あなた方が太陽だとして、太陽の光のおかげを考えてみなさい


さていま、UFOだとか、まあいろんなこと言いましたけども、じゃあ、太陽の心、本章の題である太陽の心っていうのを考えてみましょう。

みなさんが、自分があの天空にかかっている太陽だとしたら、ね、地球、あるいは地上の人々が一体どういうふうに見えるかね。一度太陽の瞑想でもやってみて下さい。みなさんね、どう見えるでしょう。

あなたは太陽ですね。太陽でもう無始無終の存在で、無限の昔から熱と光を一円も取らずに、与え続けとるんですね。地球にね。

あなたは太陽で、熱やエネルギーを一円も取らずにね、一秒間に二百万トンからの石炭を燃やすだけの熱エネルギーを与え続けとるんですね。

これにお金払ってたらもう国家予算なんかぶっ飛んじゃうぐらいのエネルギーですよ。東京電力ぐらいの代金払ってたら、日本のGNPなんかふっ飛んじゃいます。その程度の熱エネルギーですね。

これを与えとるんですね。これを無所得のままに太陽は与えとるんです。

そうすると、あなたがたが太陽だとして、その気持ちでもって何億年も昔から地球に光を与えてきた。なんの要求するところもなく。で地球にはその太陽の光のおかげでいろんな植物が繁り、海中には魚が泳ぎ、で陸上にも動物が繁殖してきた、ね。

太陽の熱エネルギーのおかげで植物はどんどん大きくなって、その植物を食べて動物は育つ。その動物をまた食べてるのがある、ね。

海中でも。そうですね。えーいろんな熱エネルギーで海草が育つ。その海草を食べて魚たちはうれしそうに生きておる。またその魚を釣り上げて人間が食べておる、ね。

そしてまた太陽の熱エネルギーによって海面にその太陽の光が当たると、水が蒸発しますね。水が蒸発して、そして水蒸気になります。その水蒸気がどんどん上がっていって、上空何千メートルのところへ行って冷えてきますね。そしたら水の粒になってきます。

そして雲になりますね。雲になって、こんどその雲が陸上山の上を通り過ぎるときに山に当たって、サーッと雨を降らしますね。その雨が山肌にしみ込んでいきますね。そして木々がその雨にうるおいます。

そして雨は大地にとけ込んで、しみ込んでいってまたどこからか地下水になって湧いてきますね。そして湧き水になって小川を造ります。山間(やまあい)の谷から小川になって、小川が中流になってね、中流が大河になっていく。河口になっていったら大きな大河になって、また海に出ていく。

こういう水が転生輪廻しているんですね。こういうふうにね。そして生かし合っている。

海水は塩っ辛くてそのままじゃ飲めないけども、それが蒸発することによって、ふつうのH2O水になってね、純粋なそしてまた木や動物たちのうるおいになって、また海にもどっていく。こういうふうになってるわけですねえ。


8.海では、化学反応の結果塩ができ、それが万生万物を生かしている


で『高橋信次の新復活』だったかなんだかに私、前言ったけれども、まあ「海の水がなんで塩辛いか知ってますかー。」なんて私聞いたことあるねえ。

塩がはいってるから塩辛いなんてダメよーなんて言って、質問が全然こないけど、「じゃあなんで塩辛いんですか。」なんてだれも言ってこないけれど、「そりゃ舌を刺激するから塩辛いんですよ。」なんてね、まあそういう答もあるかもしれないが、なぜ海にその塩がね、たまっておるか、ね。なぜ海水が塩辛いのか。なぜ海に塩があるのか、ね。

まあ、こういう話をする必要もあると思うんですが、この塩っていうのはね。NaClっていうんですが、Naっていうのはナトリウムですね。Clっていうのは塩素ですね。えー塩化ナトリウム、これを塩っていうんですね。

このNaClの元(もと)は何かっていうとNaの部分は、NaOHといいましてね。これは水酸化ナトリウムなんですね。もともとは。

それとHClね、HClっていうのはこれは何か知ってますか、ね。これは酸ですね。酸とアルカリの酸なんですね。えー塩酸これをHClといいますね。このHClとNaOHこれが化学反応を起こしてNaClになってるんですね。そして凝固したわけですね。

そのもとのじゃあNaOH、これはなんだろうか、水酸化ナトリウムね。まあそもそもじゃあ水酸化ナトリウムっていう場合、ナトリウムっていったいなんだろうか、ね。それから塩素、Clって言うのは一体なんなんだろうか。ま、これ考えにゃいけない。

ナトリウムっていうのが、そもそも地上に発生した理由っていうのは、これはナトリウムっていうのはね、えーまあ、あのう現在の化学、化学のほうがどこまで研究をしておるか知りませんが、これはまあ物質化ね、固体が物質化するときのま、ひとつの陽性、陽性の核なんですね。

Naっていうのはね。ナトリウムっていうのは、陽性の核なんですね。

そして、えーClっていうのは陰性の核なんですね、陰性、マイナスのほうですね。電気でいうとプラスとマイナスですね。Naっていうのはプラス、Clっていうのはマイナスなんですね。それぞれの核なんですね。

これが中和をしてNaClという食塩ができるんですね。中和の結果がそういう産物を産んどるんですね。

そしてそのNaClっていうのは、これは生物にとっては非常に大事なものなんですね。魚にとっても、あるいは陸上の動物にとっても、この塩っていうのが大事なんですね。

だから地上に住んどって動物たちが塩食べてないかっていったら、そんなことないんですね。

えー大地の大部分のなかには塩分がはいってます。それは、大地はかつて海の底だったことがあるからです。ですから塩分ていうのが土地のなかにはいってるんですね。海だったからです。

で、海というのは何してるかって言うと、こういう化学反応が起きる場なんですね。海のなか、水のなかで水溶液になってて、そういうプラスとマイナス、陰極と陽極のそれぞれのイオンていうのが、電解作用でね。イオンヘ分離してるんですね。

そしてそういう水酸基と塩基とが結合して、NaClという塩のような、そういう化学反応の結果、物質ができるんですね。そしてそれが万生万物を生かしておる。まあこういうようになっとるんですね。

だから海があるって、そこで塩ができているから実は生物たちはみんな生きてこられるんですね。塩分がないと生きていけないんですよ。そういうことを知らなきゃいけない。

その塩分、生きていくための塩分を作るためには、酸性のものとアルカリ性のものが、化合して中和しとるんですね。そして中道に入って人間の役に立つものを作っておる。これは大自然が私たちに教えている姿なんですね。


9.塩の存在は、自他が共存共栄していける調和ある生き方を教えてくれている


同じように私たちにとって、本当に必要なものは何かっていうと、人間を生かしていく糧は何かっていうと、これは結局、酸性とアルカリ性の中和なんですね。

まあ酸性っていうのは、えーともすれば他人を侵食する考え。

アルカリ性っていうのは、自分を侵食する考え。まあこう考えてもいいでしょう。

酸性っていうのは、ま、攻撃的なんですね。他人を害するかもしれないようなアグレッシブな動き。

アルカリ性っていうのは自分を自己内部を侵食する動きですね。自分をいじめる動き。

だから他人に対して攻撃的にならず、自分に対しても攻撃的にならず、自他がともに共存共栄していける生き方、調和してゆける生き方、これを塩、これの精製、出現というものね、こういう生き方を私たちに教えておるんですね。


10.太陽のような与えきりの心がたいせつであることを忘れるな


まあ大きなそういう化学反応を通しての流れというものを言いましたけれども、太陽の心っていうのはね、そういうふうに惜しみなく与える心なんですね。そして見返りを求めていません。

見返りを求めているのは地上の人間だけですね。そういうお札というね、宇宙人から見たら非常に不思議な信仰持ってるのは人間だけです。

太陽はお札なんてもらってません。そして自分が火をくべるのにね、薪(まき)なんか要求してません。無限に与えとるだけですね。

それが本来の神の姿であり、人間の姿でもあるっていうことね。これを忘れちゃいけないよ。

人開はともすればギブ・アンド・テイク、もらったら与える、与えたらもらう、こういうのを交換経済といって、紙幣によって交換するね。こういう経済を編み出したけれども、これを当然と思っちゃいけない、ね。

本来の姿は太陽のような与えきりの心、これか大事なんですよね。これを忘れて宇宙人に笑われるような生き方をしておるんじゃないかな。どうか、こういうことをもう一度ね、真剣に考えて頂きたいんですよ。

別に与えただけもらうっていうのがね、それが原則じゃないっていうことね。

それは経済学の原則かもしれないけれども、心の原則ではないっていうこと、それと大宇宙の原則でもないっていうことね。それを知らねばならん。

だから自分を一メートル何十センチのそういう目でもって当然と思わずに、ときどき自分の視点を変えてね、いろんな観点から考えてごらんなさい、ね。宇宙人になってみたり、太陽になってみたりして、自分の姿というものをもう一回ね、見てごらんなさい。

そこに不思議な習性を持っている自分というのを見い出したら、はてなと思ってね、もう一度原点に立ちもどってね、考えてみなさい。

そういうこと大事ですよ、ね。私たちはそれを希望します。

だから学校で習ってる学問だけがすべてじゃありませんよ。そういう学問を捨て去った奥にね、大いなる英知、大自然の英知っていうことがあるっていうことをね、忘れちゃいけない。地上の学問だけで全部がわかると思っちゃいけない。そういうことですよ、ね。

このことを特に私ははっきりと、厳しく、みなさんに言っておきたいと思います。まあ今日はね、太陽の心ということで以上お話してみました。