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目次












8.物理学者は三次元の解明のために生まれてきている


日蓮  物理学者は、三次元を解明しているのです。私たちは、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、それを解明しているのです。学問のレベルが違うのです。彼らは、ひじょうに幼稚な段階に現在あるのです。現在の物理学を通して、われわれの世界は解明できないのです。われわれの霊的認識は彼らの学問を遥かに凌駕(りょうが)して、彼らの学問などは足元にも及ばない子供の学問なのです。彼らの学問をして、われらを認識することは不可能です。

それをたとえて言うならば、小学生が大学生の学問を理解できるか、ということであります。できないのです。

彼らはひじょうに幼稚な段階なのです。まだ物理学という学問は、たかだか一世紀の学問であります。ひじょうに幼稚なものです。物質を勉強することによって、一体何が分かりますか、幼稚な、ひじょうに幼稚な段階にあるのです。

あなた方にとっては、今、三次元世界にあるあなた方にとっては、ひじょうに先端的な学問かもしれないけれども、私たちの世界からみたら、ひじょうに幼稚な、幼稚な世界なのです。たとえて言うならば、箱庭を造って箱庭の中を研究している研究者たちなのです。われわれはこの地球の広さを知っているのです。この世界の美しさを知っているのです。この地球、この海、太陽、そして山、このような世界を知っているのです。物理学者というのは、一日中箱庭に接して、箱庭の世界を分析しているような人たちなんです。非常に学問のレベルが幼稚なのであります。彼らの学問がどれだけ進もうと、われらの世界からみれば、その認識なり研究なりは、ひじょうに幼稚なものなのです。取るに足りないものなのです。踏みつぶしてもどうということもないのです。分子も、原子も、素粒子もどうというものではないのです。それらはすべて三次元の内における現象学であります。ひじょうに程度の低い学問であります。そのようなものを通しては、本来の「神」というものをつかむということはできないのです。

それは、あなた方の身体の細胞の一部を取り出して、それを拡大鏡、顕微鏡で見て、それをいくら分析したところで、人間が分かりますか、人間が一体どんなものか分かりますか、分からないのです。彼らがやっている仕事は、その程度のものなのです。これは強化さるべきものでありますけれども、それ程大したことでもないのです。私どもは、全然問題にしていないのであります。

ただ、この地上的な学問、文化が発達するということに合わせて、そういうものも出てくるし、それは、それなりで立派なものでありますが、今後とも、伸びていってもよいのでありますが、霊的な観点、神的な観点からみたならば、物理学というようなものは、幼稚園のお絵かきです。その程度なレペルであります。問題外であります。

彼らの学問能力、彼らの学問レベルを通して、われらが世界、われらが思想をつかむことも、斬ることもできないのです。ひじょうにレベルが低いのです。

陽子も、中性子も、反陽子も、そのようなことは、レベルが低いのです。ただ、神の心の現象化にすぎないのであります。それがどのような形で出ようとも、われらは何とも思っておらんのです。

それで、世界が分かったかと思ったら全くの誤りです。

あなた方の細胞をいくら分析したところで、それで人間が分からないと同じように、細胞を分析して人間が分からないというよりも、人間の本質が分からないのであります。

細胞を分析して、そこから類推して、人体というものはある程度分かるかも知れません。しかし、人体が分かったら人間が分かったことになりますか、そうではないはずです。物理学には限界があるのです。ひじょうに幼稚な段階にあるのです。あなたが言っているようなことは非常に物理学が進んできて、われらの世界を解明するところまで来ているような錯覚に陥っているけれども、そうではないのです。全部幼稚な段階であります。そのようなものをもって、われらの世界は解明できないのです。

善川  湯川博士も、また、アインシュタイン博士も、その専門家であったわけでありますけれども、他界されると、霊の世界へ入って、自分たちがやってきたことを振り返っていろいろ考察していることだと思いますが。

日蓮  彼らは、三次元世界の進歩、進化ということを促すために出た霊であります。彼らは「正法」そのものを説くために出た霊ではないのです。この三次元、現象世界を進化させるという目的のために、出た霊であります。そういう意味で違いがあるのです。

ですから、アインシュタイン博士なら、アインシュタイン博士の本来の面目というものは、彼の学問の中には出ていないのです。あくまでも、彼の学問は、この三次元世界を一層進歩させるという、そのことにかかずらわっているのであります。

彼の「相対性理論」というもの、その原理そのものは、われわれの世界では常識論なのです。それだけの学問なり、「世界観」の落差があるということです。三次元で説くから不思議な理論と言われるのです。われわれの世界においては、不思議でも何でもないのであります。