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目次











(1988年1月3日の霊示)

1.俳句とは、大和ことばの音楽的旋律


芭蕉  松尾芭蕉と申します。

――  あ、芭蕉先生ですか。

芭蕉  はい。

――  お初にお目にかかりますが、今回私共は、日本も外国をも含みました、特に芸術関係に携(たずさ)わっておられた方々のご意見を収録いたしまして書籍として出版し、現在の芸術方面に関心のある方々に、これからの芸術はどうあるべきか、ということについてのご霊示を賜りたいと、このような気持でおります。

私はこのように、まあ過去数十年間、俳句という道には身を入れて勉強してきた者でありますので、もとより芭蕉先生のご高名は十分承知致しております。一般の世の人びとも、これまた芭蕉先生がいかに優れた詩人であられたかということは存じ上げております。ほとんどの人たちは、芭蕉という人の生涯を通して、先生の残された原稿なりあるいは作品なりを通して、先生をご敬慕申し上げているということでございます。当時からはすでに四百年近くの年月が経っておりますが、現代の文学の世界におきまして、特に俳諧の世界、俳句の世界において、どのような方向を持って我々が進んでいけばいいかということについて、ご高見を拝せるならばと思います。何かその辺につきまして、お説を承れれば幸いでございますが、お話願えましょうか。

芭蕉  まあ、俳句というものは、一(ひと)時代が過ぎたかも知れないとは思いますが、詩の心というものは、いつの時代も過ぎていくことはありません。俳句という詩の形式が果たして普遍的なるものであるか否か、このことに関しては私は多くを知りません。ただ、そうした短い詩の形のなかにも、ひとつの芸術性があることは事実であります。また、そうした新しい形の芸術を創るために、私が地上に降りたことも事実であります。

結局ね、俳句というものは、感動を伝えるための芸術形式なわけです。写真もなく、何もない時に、その一瞬を、芸術的環境、感動、これを永遠の時のなかに封じ込めようとしたもの――これを俳句というのです。俳句は、五、七、五の短い文のなかに世界観を詠(よ)み込み、人生観を詠み込み、芸術観を詠み込み、また、神仏の世界を詠み込まんとするものであります。

さすれば、俳句という世界のなかに、すべてがある。すべてが俳句の中にある。まあこれは、流れを換えれば「禅」というものとも同じかも知れない。禅に禅問答あり。自らの思いを短い言葉で表さねばならぬ。俳句もまたそうかも知れん。大自然からの問いかけに、自らがいかに答え得るかということを、追究したものかも知れない。俳句という形、この形は、果たして永遠の形かどうかは定かではないが、古くより、五、七、五という韻律(いんりつ)のなかには、人の心を揺り動かす何かがあるのです。

それは、ひとつの音楽の始まりと言ってもよいかも知れない。音楽というものも、旋律(せんりつ)であり、言葉の調子であり、調べでもあろう。五、七、五というのは、言葉という、日本語という言葉の旋律でもあろうか。こうしたふうに、言霊(ことだま)によって、ひとつの旋律が出来ているのです。大和言葉においては、五、七、五というのが一番完成された形でもあるわけです。ですから、この定型の中に、さまざまなる人生を織り込んでゆくことが、宇宙を一枚の写真に写すが如き形となってゆくのです。


2.五七五の定型の中に宇宙を封じ込めてみるから味がある


――  まあ、現代俳句におきましては、なんと申しますか、花鳥諷詠(かちょうふうえい)と申しますか、写実を中心とした描き方と、あるいは心の在り方というものを、それを主眼とした詠(うた)い方と、こういうふうに両方のものがあるようでありますけれども、先生のお作を拝するかぎりでは、その両者が混然とひとつになったような形で表現されているというように拝しているわけでございます。最近の句風というものは、ややもすると、このどちらかに偏しているような感じがしてまいりましたが、表現のための表現という形式を重んじるために、なんと申しますか、表現上にかなり無理な言葉文字を使って、あとは詠(よ)む者が勝手に想像せよ、というふうな形で、名詞止めを数多く使う作品が出てきているようであります。

これについてはまあ、私は、石楠(しゃくなげ)系の臼田亜浪(うすだあろう)先生の後をひく松村巨湫(きょしゅう)先生のお教えを受けた者でありまして、巨湫先生はこのことを非常に嫌われて、必ず大和(やまと)言葉の述べ言葉で、きちっと措辞(そじ)でおさめるようにというお教えでありまして、私もそのことに多く学んでまいったのですけれども、まあ巨湫先生は、韻律を重んじ型に捕らわれず定型を超えた詩の世界を表現しようとして、晩年にはご努力されまして、「格はいく」という世界を打ち出されたのですが、先生のご寿命が長くなく、その完成を見ることもなくして、弟子の後を継ぐこともなく世を去られたような方でありますけれども、この精神を私は非常に尊いものだと、このように思いまして、心の底では巨湫先生をお慕いする気持が今だに残っておるわけなのです。

詩というものは、必ずしも型の中にあるのではない。人間が型の中にあるのではなく、型は人間が定める。その意味において人間が主であるというお説でございましたのですけれども、そういうお説を承る限り、大本(おおもと)である芭蕉先生の精神に立ち還っておられるような気もいたしました。

この辺の形、定型と自由、自由律と言いますか、明治時代の自由律俳句ではなく、人間が自然と人生のなかでこの世ならざる美しきもの、真なるものに邂逅(かいこう)したときに湧き出してくる感激を純粋な詩精神として受けとめ、文格あるやまとことばにのぼらせ、時に、短律、中律、長律と変調し詩にする。これを単行詩、または「はいく」、と称(よ)んで私たちは学んで来たのですけれども、この「定型」という考え方と、必ずしも「定型に拘(こだ)わらない」という考え方、この辺について、どのような認識を持って当たればよいのか。その辺のところを何かお教え願えたらと思うのですが、いかがでしょうか。

芭蕉  確かに、定型に捕らわれるなかれという考えにも一理はあるとは思うのですが、ただね、それをするならば、普通の文、まあ地の文と変わらなくなってくるという点があると思うのです。そして、そこに努力の痕跡(こんせき)がなくなって来るように私は思うのです。確かに有りのままかも知れない。思いついたままかも知れない。しかし、思いついたことを有りのままに述べただけでは、それでは努力も工夫もないのではないでしょうか。

猿だとて果物を洗って食するというではないですか。まして人間が、自分の思いをひとつの芸術作品にせんとするならば、それなりの器に入れてしかるべきです。器に入れて、盛って、飾って、食べて、美しい。

あなた方でもそうでしょう。刺身を食べておいしいのは、それが陶器の器に乗り、お皿に乗って、醤油とわさびをつけて食べるからおいしい。また、卓椀の上で食べるからおいしいのであって、この刺身というものを魚からそのまま取り出して、突ついて食べるなら、そうおいしくは思えぬかも知れない。まあそうしたものです。

牛肉であってもそうであろう。今、ステーキとかいって牛の肉を食べておるのだろう。これにしても、すぐ目の横で牛を引き裂いて、その肉を持って来て焼いて食べるというならば、これはこれ以上残酷なことはあるまい。ステーキというものでも百五十グラムとか、二百グラム、二百五十グラムというように、切って食べているのではないかな。それは、その方が口あたりがよいからではないのかな。肉は牛によって違うから、好き勝手に切ってよいという考えもあるだろう。

しかし、料理にはそれなりの味付けというものがある。どの程度の肉に、どの程度の香辛料、調味料を加えて、どの程度の火かげんで焼き上げるかということがあるであろう。刺身も一切れ一切れが箸にかかるようであって、初めて、口にもおいしいのではないかな。寿司も一個一個が手に取って食べられる程度であるから、おいしいのではないかな。両手で持たねばならぬような寿司なら、おいしく感じないであろう。ま、そうしたものだ。

ものごとはそのように、味わいの仕方に、非常に口あたりのよい味わいの仕方がある。したがって、心に思ったことを思いのままに断定し述ぶるというやり方は、その人にとっては気持がよいかも知れぬが、他の人にとっては気持がよいとは言えぬかも知れん。まあそうしたところがあるのではないかな。

料理が料理として認められるためには、それだけの客観性、他の人に受け入れられるような形が必要ではないのかな。私はそちらの方が大事ではないかと思う。料理の独創性ということも大事であろう。独創性ということも大事だけれども、一メートルもあるステーキを食べる人はいないであろう。

――  まあしかし、先ほどのお話もございましたけれども、まず俳句は、短い言葉の中にすべてを打ち込んだものであると、禅における禅語と等しいものであるというようなお話でございましたが、そういう意味におきましては、やはりこの五七五定型というものは、外(はず)せない形でしょうか。

芭蕉  私は、やはり外すべきものではないと考える。それを外すなら、それはまた新たな形式であろうと思う。これは俳句と似て非なるもの、別な詩の形体であろうと思う。それはそれでもよいであろう。そういうものを創っていくのは、それはそれでよい。しかし俳句は俳句。その五七五の中に、宇宙を封じ込めるからこそ値打ちがある。五七五ならずとも宇宙を表すことは簡単。これを詩と言ってもよい。


3.俳句の奥行きは正しい余韻


芭蕉  また、名詞止めのことも話があるようであるけれども、俳句のね、奥行きというものは、結局、語られた言葉の背後を詠(よ)ませるというところにある。余韻(よいん)にある。作者がすべてを語ってしまっては、余韻はないのです。語られた言葉を手がかりとして、その奥を味わわせるというのが俳句の姿です。これは、日本料理は目で楽しむということと、よく似ているところがあるかも知れない。その背景を詠ませる。そういうことです。

名詞止めの背景は何かと言うと、名詞の後に来るもの、この述語を読む人に言わせるということです。思わせるということ。AはBなりと言いきってしまった時に、それ以外の解釈はなくなるということです。この点、一考を要するのではないか。

――  私が教わった先生のお言葉によると、「名詞止めもいいが、それは無責任であってはいけない」ということを言われたのですが、ただ安易に、名詞で止めて、あとは勝手にお前たちが考えよというようなことではいけない。やはり大和言葉は、述べ言葉で結拝辞(けつじょじ)すべきだというお説でありましたのですけれども、この辺の使い方に問題があるということなのでしょうか。

芭蕉  たとえば日本の芸術の典型として、「竜安寺(りょうあんじ)の石庭」というのがあるであろう。あの石庭は見方によっては、山にも見え、見方によっては海にも見える。また、獅子が潜んでいるようにも見えたり、島が点在しているようにも見える。いろんな形に見える。観る人の心、心によってその心に映る姿が違う。また、一日のうちでも、その時刻によって姿を変える。

芸術というものは、このように、無限の味わいの可能性があって初めてよいのであって、竜安寺の石庭は、こういう意図でつくられたのであるという説明があって、これ以外の感じ方をしてはならぬというのであるならば、もはやこれは芸術ではなく、これは押し着せである。作者が雄弁すぎるのである。饒舌(じょうぜつ)すぎるのである。語らない部分に値打ちがある。饒舌は芸術の敵であるということを知れ。

――  なるほど――。


4.「季」は神仏の流転のお姿


――  この「季」ということにつきましては、私もこれは、いずれの場合にしても、人間の世情にまったく一致したものであって、「季」の移りによって、移り変わりによって、人の心のその芸術的な考えなり、色彩なり輝きを表現するものであるというふうに考えられるのですが、特に先生、この「季」の問題について、何かお教え願いたいと思いますが。

芭蕉  季節の「季」ですか。

――  はい、そうです。

芭蕉  これが、やはり日本特有のものではないかと思います。古来より、日本というものには、非常に芸術的なる雰囲気が漂っていたと思いますが、日本をそのように芸術的なる存在とならしめているものは、この「季」、季節感、四季というものであろうと思います。

これほど見事に、神仏の芸術が地上に現れている例というのは、真(まこと)に珍しい。「季」はすべて、これ神の流転する姿であろう。芸術の究極には、やはり神があり、仏がある。神や仏の変化する姿を映し出さないで、一体いかなる芸術があろうか。「季」は、すなわち、これ神の流転する姿、仏の現れの姿、この移り変わりであろう。この一年の中の春夏秋冬のなかに、すべての人生があり、すべての歴史があり、神仏の心の変転の姿がある。

――  この「季」の捉(とら)え方というものは、従来、人間は「季」の移り変わりというものを、人間の目で観て感じていたというのが実情であっただろうと思いますけれども、今、先生のお説から深く考えられることは、神のお姿の流転である、神の流転のお姿であるというような、そういう観点から、人間は「季」というものを感じ取るという形で、受け止める方が正しい受け止め方である、ということでよろしいのでしょうか。

芭蕉  それでよい。

――  ただ、とかく、その季語がなければいけないということからして、何か草花とか、あるいは気候とか、そういうものだけを句のなかに入れておけば、それで俳句としては一応かたちがとれている、というような安易な考え方ではやはりいけない。「これでなければならない」というものが、入らねばならないという説を、唱えている方々もおられましたのですが――。


5.俳句の条件は、時、所、人の姿の明確さにあり


芭蕉  まあ俳句というのはね、短い文ですが、この中に、やはり人と時と場所、この、人、時、場所、この三つがやはり必要です。その句を詠んでいる人の姿、その季節、時刻、また場所、この三つがなければ嘘になります。それは嘘になります。単なる空想や絵空事であってはいけない。その詩を表現せんとするなら、誰が言わんとしているのか。人は誰なのか。また、時はいつか。時の大いなるものは季節。小なるものは一日のうちの時刻。時はいつか。場所はどこか。そして何が言いたいのか。こういうことになる。人と時と場所があって、主張が初めて生きてくる。主張が空回りせずに生きていく。この三つがなければ、それは単なる作りものになる。

――  この場所のことにつきましてですが、遠く我々が聞き及んだところによれば、その固有名詞というものを入れるということは、それは作者の考えがぞんざいな思考から出ているのである。なるほど本人にとっては、その場所、あるいはところというものは、そこから出て来たものであろうけれども、これを世に出す場合、世の人がそのような固有名詞を持った場所というものの想定がつかないのではないか。これは不親切な語りかけであり、それは客観性に乏しいから、これは用いないという意向が強いような意見がありますのですけれども、この辺については、いかがでしょうか。

芭蕉  私の句に、

閑(しず)けさや 岩にしみ入る 蝉(せみ)の声

まあこうした句があったと思いますが、これは奥州(おうしゅう)で詠んだ句であったし、奥州のあるお寺の庭園で詠んだ句であったと思いますが、ただ、そうしたことわり書きがあって、この句の中身の解釈ができる人もあれば、そうした場所の固有名詞がなくとも、岩と蝉の声、これからさまざまな地域、自分の過去観た風景のなかで、懐かしい気持をそそられることもあるでしょう。奥州が四国であっても、やはりこの句は生きます。生きるところがある。まあこうしたところです。

俳句の難しいところは、そうしたことわり書きがないと、シチュエーション(状況)が必ずしもすべてはわからぬというところにあるかと思います。


6.自分に嘘がつけぬが詩の心


芭蕉  蕪村の句に、

五月雨(さみだれ)や 大河(たいが)を前に 家二軒

まあこうした句があったかに記憶しておりますが、確かに写実として、そういうこともあるであろうとは思うが、私は、こうした五月雨が降って川の水量が増して、その前に雨のなかに家が二軒立っているという姿は、確かに風景にはなっているとは思うが、二軒の家そのものは、これは生き物ではない。感激がない。感動がない。そのように思うわけです。私が句を詠(よ)めば、二軒の家にかかわる人の生命、生活、念(おも)い、あるいは五月雨が流るるなかの生命の在り方ということになりましょうか。

まあこの辺が難しいところですが、蕪村などは、やはり平面的なる、絵画的なる風景をよく詠んだようですが、私はそうではない。やはり、立体的にものごとを考えていたと思うし、立体的な考え方のなかに、人間としての懐(ふところ)の深さがあるように思います。

菜の花や 月は東に 日は西に

まあこうした句もあるであろう。これも蕪村であったと思う。菜の花畑が広がっていて、月が東で、日が西にあるという風景であろう。それは確かに絵になっているが、しかし絵になっていて、そうしてどうなのだ。これがどうなのだ。それがどうなのだというところに嘘がある。嘘があるというのは、絵にせんがための句であるのではないかという部分だと思う。絵にせんがために、菜の花があって、月は東に、日は西にと配置をせねばならん。しかし、私は真実、自分の心を動かしたものを詠み込んで、いきたい。このように思うし、句のなかに、やはり自分の魂の影というものが、どこかになければやはり句は空(むな)しい。

旅に病(や)んで 夢は枯野を かけめぐる

蕪村の菜の花の句に比ぶるならば、これはずいぶん寂しい風景であろうし、荒涼とした風景でもあろう。しかし、木枯しの野に出て駆け巡っている夢というものは、すなわちこれ、我が魂魄(こんばく)のものの姿であろう。ここに嘘はない。私は俳句とは、自分の魂にとって嘘がない句、というものでなければならんと思う。

「閑(しずけ)さや――」の句にしても、「岩にしみ入る蝉の声」これは嘘ではない。現実に私がそのように感じていた。岩にしみ入るが如き輝の声というものは、わかるであろうか、その灼熱の太陽の陽(ひ)。その蝉が鳴き止まぬ生命力、この生命力が、まさしく沈黙の岩のなかにしみ透っていくようにみえてゆく。沈黙している岩というものが、この夏の日の暑さを象徴している。岩もまた、水を欲しているのではないのか。水が無いがために、そうした清涼感がある蝉の声がしみ透っているのではないのか。岩もそのように感じているのではないのか。蝉しぐれと言うが、時雨(しぐれ)の雨が岩にしみ透っていっているようなのではないのか。こうしたものを、本当に私が感じたのです。

さみだれを 集めてはやし 最上川(もがみがわ)

「さみだれを 集めてはやし 最上川」これも蕪村の「大河を前に家二軒」と対比してもよいけれども、嘘がない。そのままである。ただ私は、川――川というものが生命力を吸い込んで生きている、その生命の息吹、流れというものをつくづくと感じた。川というものは、悠久の昔から流れている。これに五月雨(さみだれ)が加わって、そして、その川の生き物としての生命力が、増していくかのようだ。まるで栄養分を扱い取ってゆく植物のように、川は五月雨を吸収して、そして、流れてゆく。生きているというものは、これは生物だけではないのではないのか。万物が生きているのではないのか。最上川が生きているのではないのか。私たちが呼吸をし、私たちが食べ物を摂取するように、最上川は水を摂取して流れてゆくのではないのか。五月雨が降る時こそ、最も生命力に富んでいるのではないのか。川のなかに、我(われ)は生命力を見た。生きてゆく力を見た。枯渇せずに、膨らんでいくものの力を見た。


7.芸術の極致は宗教的なる悟り


――  先生のお作でありますけれども、これはまた、代表作と言われるような大作でございますが、

荒海(あらうみ)や 佐渡に横たふ 天の川

という大変スケールの大きな、感動的なお作を拝しまして、感激を覚えたわけでございますが、この辺のご心境もあわせて、お話願えればと思うのですけれども。

芭蕉  これは、宗教的なる悟りでもあろうかと思うのです。今、あなた方も瞑想をやったり、いろんなことをやっていると思いますが、結局、人間はね、自然を見つめるなかに、どれだけこの五尺の体から抜け出すことができたかということが、その人の大きさにもなると思うのです。大自然の心を詠(よ)み、佐渡の心を詠む。また、天の川の心を詠む。その奥に神仏の心がある。

過去幾百年にわたって、流人(るにん)を受け入れてきた、この佐渡という島。そこに宗教的なる魂のふるさとを感じ、また、わが魂魄(こんばく)のとどまるところなく漂泊していく想いを感じた。漂泊せる魂は、佐渡の地にしばしとどまって、やがて佐渡の地から離れ、無限の彼方(かなた)へと立ち昇ってゆくのであろう。佐渡に漂った魂が、無限の彼方へ、無限の空へと立ち昇ってゆき、やがてあの天の川のなかに消えてゆくであろう。悠久の天の川にあっては、この日本という国の小さな島にあった人間の生業(なりわい)、人間の栄枯盛衰、成功と失敗、繁栄と悲惨、こうした人間の人生、人生の歴史、そうした悲しみがまた、大いなる星の世界のなかにおいて、結晶せる涙の如く、キラキラと輝いてゆく。佐渡が島が象徴しているものは、人間の営みの悲しさです。天の川が象徴しているものは、悠久の世界、無限の世界です。無限のなかにあって、有限なるものの切なさ、哀れさ、これを私は言いたかった。

佐渡の海は荒れています。荒れている海は、これは人生そのものです。有限と無限。悠久と朽ちていくものの対比――。このなかに神の世界がある。仏の心がある。こうした宗教的なる真理を、私は句のなかに詠み込んだのです。

「佐渡に横たふ」というのは、まさしく擬人的表現でもあろうかと思いますが、夜、黒々と見える島の姿が、それが人間の死を思わせるかのようです。流されて、病に伏せって横だわっている人間も思わせます。佐渡に横だわって大空を見上げれば、遙かな昔から輝く星々が光っているのです。こうした永遠を感じる時に、人間は人生のはかなさを知るのです。ここに芸術の発端があると言ってもよいでしょう。芸術の究極があると言ってもよいでしょう。

芸術の究極は結局のところ、有限なる世界に生きているものが、そのなかにおいて、無限なるものを発見するということです。限りある生命(いのち)のなかに、悠久の生命(せいめい)を発見するということです。それが、芸術の本質に他ならないのです。