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目次


























(1986年8月16日の霊示)

1.西洋医学は唯物信仰


白隠  白隠です――。

――  かねがねご高名は承っておりましたが……。

白隠  まあ、このたび、禅の方がたを集めて、一堂に会して、書物を出されるということをお聞きしておりました。あなた方が私を、そのなかからはずそうと思っているということ、いや、聞いたわけですが、いや、良寛さんが出るなら、私も多少お話がしてみたい、と。いや、たいした話もありませんが、ごあいさつぐらいはさせていただきたい、と。このように考えたのですが、よろしゅうございますか。

――  よろしくお願いいたします。

白隠  現代人というのは、西洋医学に一辺倒であって、どうやら他のものがあるということを忘れてきたようです。ま、西洋医学というのは、確かに眼にみえて効果があるということで、効く面があるでしょうが、しかし、皆さん、だまされてはいけません。西洋医学は、モルモットに対しては、さまざまな実験をして、効果を上げているかもしれないけれども、人間に対して、効くかどうかは分かりません。

とくに外科手術なども、ずいぶんまあ、失敗も多いし、傷跡も残る。こういうこともありますし、まあ、内科に至っては、何をか言わんやで、効いているのか、効いていないのか、薬がね、これが、ちとわからない。医者とて、そんな完璧な人はいないから、医者も、ほんとうだったら霊眼でもって病気を診(み)て、ずばり当てなけりゃいけないのだろうが、まあ、わからないんだろうから、いろんな薬を服(の)ましている。

ですから、私たちの世界から見ると、医者が病気をつくっているところが多いです。かえってね、病名をいっぱいつけて、病気をいっぱいつくって、こういう病名だからと言われて、その病気がそれで実在化するのです。これは、こういう病気だから、これはこれを服まないと治らない。そこで、患者は、一生懸命服む。で、薬を切らしちゃいけませんよ、と。切らすと大変なことになりますよ。悪くなるかもしれませんよ。ずっと来なさい。あるいは、三年間病院に通いなさい。五年間通いなさい、と。こういうことを言っています。

私が思うに、西洋医学の基礎にあるものは、どうやら、唯物信仰にあるようです。人間を物質の集合体だと思っておるようです。そして、病気というのは不可避なものであって、そういう病魔というものがあって、これに憑依(とりつ)かれたら、もうどうにもならなくなる。これはもう、毒は毒を持って制すということで、病魔に対しては、薬という、いわば害のある魔を持って、これを退治せねばならぬ。こう思っておるようです。

しかし皆さん。カプセルとか、錠剤とか、粉薬とか、いろんなものを服まされておりますが、それがほんとうに効果があるかどうか、どうして分かるんですか。また、効かなかった場合には、その責任を追究できますか。何かの薬を服んで、それが他のものに悪い影響を与えていることが、いっぱいあるんです。

神仏というのは、人間に、そういう薬が必要なような肉体は与えてはおらんのです。薬が必要なら生まれて来たときに、腰に袋をぶら下げて持ってくるはずです。それが、薬を持って出て来ないということは、薬がなくてもいけるようになっているんです。

あるいは、動物に、神仏は、薬を必要としていますか、させていないです。動物は薬を服みません。ところが、今、現代人を見ていると、犬猫病院までつくって、犬や猫にまで病気をつくって、病名をつけて、薬を服ましております。こんなことをしているんです。

これは、ひとつの信仰です。物質信仰であり、唯物信仰であります。そして、薬を切らせば、もう自分の体は続かない。もう死んでしまうんではないかと、そういう脅迫観念に迫いやる。西洋医学の基礎にあるのは、脅迫観念です。これを切らすと、死ぬかもしれない。悪くなるかもしれない。で、薬が止められない、と。こうなるんです。


2.神は人体に自己治癒能力を与えられている


白隠  神仏は人間に必ずしも薬を用意されたわけではない。ということを思わねばならない。もちろん、外科、つまり、外傷があって、怪我(けが)をするということはあります。しかし、血が出ても、それは止まります。たいていの場合にはね。まあ、体が半分に切れたら助からないでしょうが、血が出ても、止まります。そういうふうに、神仏は、人間に自然治癒能力を与えられております。それは外傷ですね、指を擦(す)りむいても、皮が出てくる。頭の毛が抜けても、また生(は)えてくる。そういうふうになっていますね。歯だって、生え換わることがあります。

そうであるならば、内臓の腑(ふ)、こうしたものにも、自然治癒能力があるのは当然なんです。ないわけはないんです。自然治癒能力がなければ、あなた方は皆んな、いったん血が出たら、血が流れて流れて、止まっていないはずです。たいていどっかで、怪我をしておりますから、皆、出血多量で死んでいるはずなんです。しかし、血液のなかには、凝固する作用があって、自然に止まるようになっている。同じように、体内のなかにも、自分を治すような、そういう機能が備わっているのです。

ところが、こうした機能を信頼するよりも、物質信仰、薬剤信仰に走っている。私は、別に医者や薬剤師に失業せよと言っているわけではありませんが、つまりは、間違っていることが多いということです。放っておけば、悪くなると思っているのです。で、薬を服み続けねばならん、と。そう思っている。これが、違っています。放っておけば、良くならなければいけないんです、ほんとうは。ところが、悪くなるという、そういう医者や、薬剤師、看護婦たちの信念が、病気を悪くさせることがあります。

ですから、ほんとうのことを言うと、病院などに入院はしてはいかんのです。入院をすると、病念を持っている人がいっぱいいて、つまり、皆んな、死ぬんじゃないかと思っている人ばかりがいっぱいいて、そういう集団的恐怖心にとらわれるのです。むしろ、病気をしたら、健康な人のなかに交じっていく必要があるんです。健康という観念を植えつけていかねばいけないのです。

ですが、どうもこれはね、恐怖心による治癒、これがどうも現代流行(はや)っているようです。まあ、病気の何とも多いこと、多いこと。ところが、あなた方は、医学が進歩していると思っている。医学が進歩しているのに、病気がいっぱい出てくるんです。次から次へ、と。まあ、これはおかしいですな。これは、おかしい。病気というのは、人間、人類のなかにある恐怖心です。恐怖心が具現化しているのが病気なんです。恐怖心なんです。

心に思ったことは、物質化してきます。肉体に。肉体は心の影と、昔から申しますが、心に思ったことは、外形に出てきます。よく言いますね、四十すぎたら、自分の顔に自信を持てよ、と。よくそう言いますが、心に思い続けてきたことは、顔の表情にまで刻まれてくるんです。神経質な人は、眉間に立皺(たてじわ)が寄ってくるし、人をだましてきた人は、眼が曇っている。あるいは、人の悪口を言い続けた人は、口がひん曲がっている。こういうのは、もう外形にはっきり出てくるんですね。そういうふうに、心の影響というのは、顔に出るものです。


3.胃病は薬害の現われ


白隠  顔に出る以上、どうやら肉体にも出るんです。内臓にも出るんです。たとえば、神経質で、いつもイライラしてばっかりいる人は、たいてい胃腸が悪いです。これは完全です。胃腸が悪い人はたいてい神経質です。胃腸が悪いから神経質なんじゃない。神経質だから胃腸が悪くなっているんです。つまり、そういう人は、いつもイライラ、くよくよしているから、食物を呑み込んでも、落ち着いて、それを消化できない。また、食物を呑み込むと、消化ができないんじゃないかと思って、胃薬を上から放り込む。

こういうふうに、自分の胃腸を信頼していない。胃薬を呑まなきゃ消化できないような食物など、神様はおつくりになっていないのです。ところが、胃が負担になって、胃が苦しむんじゃないかと思って、胃薬を上から放り込む。そうすると、胃は、またまた、すやすやと眠りはじめてしまうから、機能しなくなってくる。こういうのは、恐怖心が進行しているんです。

人間の胃は、そういうふうにできていないんです。放っておけば、消化できるんです。それだけ強くなるんです。それを胃薬なんか服んでいると胃がだんだん弱ってくるのです。だから、患者さんたちのなかで、胃薬を服んで胃が良くなると思っている人がいるならば、それはとんでもない間違いです。胃薬を服めば胃が悪くなってくるんです。胃が鈍(なま)ってきて、本来の機能がはたせなくなってくる。そうすると、薬を切らすと悪くなる。消化ができなくなる。それでまた、胃薬を服む。切らすと悪くなる。消化ができなくなる。それで胃薬を服む。この繰り返しです。胃薬とは、結局、胃を悪くしているのです。間違いありません。


4.心臓病は家庭不和が原因(もと)


白隠  他にも、悪いところがいっぱいありますね。たとえば、心臓の病気というのがありますね。心臓の病気というのは、一体何で起きるのか。心臓とは何の象徴ですか。心臓とは心ですね。心の象徴なんです。一家のなかで不和があると、たいてい心臓にくる人が出て来ます。ですから、心臓の悪い人が出て来る家庭というのは、たいていは何か不和があります。家庭に問題があるのです。心臓病というのは、要するに、調和の反対を意味しているのです。すなわち、心臓の悪い部分が出るところというのは、家庭のなかに何か冷たい空気が流れているからです。

心臓というのは、ある意味では、恐怖心を一番反映しているところなんです。心臓というのは、どきっとか、びくっとかするはずですね。要するに、何か悪いことが起きるんじゃないか。未来に悪いことが起きるんじゃないか。心配ごとが多いんじゃないか。心配ごとが実現するんじゃないか。と、こういう思いが、心臓に響くんです。

つまり、どういうことかと言うと、心臓が悪い人というのは、結局、取り越し苦労をする人なんです。あるいは、恐怖心で、臆病になっている人です。こういう人は、心臓が悪くなってきます。しかし、心臓が悪い人に対しては、治療の方法はあります。どういう方法か。心臓の薬などでは治らないんです。心臓ってのは、ほとんどが精神性なんです。ですから、心臓の悪い人は、平和なものの考え方をしていく。こういうことが大事なんです。

人生に対して、悪いことが起きないという信仰を持つ。まあ、ある意昧での"光明思想"ですわね。良いことしか起きないと思う。悪いことがあると思うから、心臓が悪くなる。良いことしか起きない。明日は今日より良い日、悪いことが起きたとしても、ああ、これからもっと素晴らしくなっていくんだ――。と、こういうふうにものごとを考えていける人は、決して心臓は悪くなりません。

心臓が悪くなる人は、やはり精神的にショックを受けやすいタイプです。ですから、心臓の悪い人に対しては、私は、光明思想をお勧めいたします。これからは、毎日が良くなるしかないんである、と。現在ただ、病気であるとか、現在事業がうまくいかないとか、あるいはまた、現在浪人中であるとか、こういうことはあるでしょう。しかし、こういうことは、まあ、よくあるにしても、これは、良くなる前の最後のひと荒れ。こういうものなんです。

台風が一番暴れてると思うときには、もうそれは、すでに中心を過ぎているんです。台風は過ぎ去っていくんです。だから、台風がいつまでも止どまると思ってはいけない。台風というのは、通り過ぎて行くものなんです。一番すごい雨風のときは、ああもうすぐ去るなということなんです。一番すごい風雨が吹いたからといって、大変なことが起きると思ってはいけないんです。あ、これで通り過ぎるなと思わなければいけない。

ですから、現に不幸があるように思えても、あ、これは自分の悪しき運命が、これでなくなっていくのだと、こういうふうに思っていく必要があります。そうすると、心臓は悪くなっていきません。先程も言ったように、心臓は取り越し苦労や恐怖心が原因で悪くなりますから、こういう人には、"光明思想"を持っていただきたい。まあ、こういうふうに思うんですね。


5.腸の悪い人は心に"善意"の灯を点せ


白隠  胃と心臓について言いましたから、では、次に、腸に入りましょうかね。腸の悪い人がおります。腸ね、よく水分の摂り具合でね、腸の吸収がいいとか、悪いとか、そういうことが起きますね。あるいは、腸の調子がいい悪いで、便秘になったり、下痢になったりする。まあ、腸というものは、何メートルもあるんだけれど、普通の人で七メートルも、八メートルもあるんだけれども、腸の主とした病気は、下痢と便秘ですな。まあ、肛門も関係ありますが、まあ、こういうことです。

では、腸はどうして悪くなるのか、これを考えてみたいと思います。腸というものは、人間の心で言うと一体何を反映しているか。あなた、何だと思いますか。腸というのは、今、あなたも少しおっしゃったが、吸収ということを象徴しているんですね。胃は消化ですな。心臓はまあ、ポンプ役、腸の機能は吸収です。胃で分解された養分を吸収、あるいは、水分を吸収する。腸というのは、そういう吸収ということを仕事としています。そうすると、腸の障害が起きる人というのは何か、と言うと、これは吸収ということに原因があるということですね。

こういう人というのは、つまり、腸が悪くなるという人は、だいたいが被害妄想です。そういう人が腸が悪くなってきます。被害妄想、要するに、身の周りに起きること、他人の言った言葉、他人の言動、自分の自信、こういったものに、まあ、こうしたものに、全般にいい意味が与えられない。すなわち、素直に受け取りたくない。こういう素直に受け取りたくないという気持ちが腸の障害になって現われてきます。

つまり、他人が常に自分を害そうとしているんじゃないかとか、あるいは、今いいことが起きても、これは悪いことが起きる前兆ではないのかとか。人が、立ち話をしているのを見たら、自分の悪口を言っているのではないかとか。あるいは、人生というのは、最悪のことを考えておけば、それ以上悪くならない、と。で、いつも最悪のことばかり考えている人、こういう人がおりますね。最悪のことを考えておけば、人生、それよりは良くなるはずだからいいと、まあ、ある意味でのこれも利己主義者ですけれども、いつも最悪のことを考えている。自分についてもそう。他人についてもそう。こういう人がおります。こういう人は、たいてい被害妄想の気がありますが、こういう人は、腸が悪くなっていきます。

腸には、そういうふうに吸収したくないという意識、これが現われてくるんです。腸の障害には。ですから、腸が悪い人というのは、自分はどうも被害妄想でないかと、その点をよく考えていただきたいのです。世の中の事物を、そのまま正確に受け止めているかどうか。人のことをね、しっかりと考えていただきたいと思うのです。

腸は、そのように、まあ、外部的な事象とか、人の気持ちを素直に受け入れたくないという気持ちを現わしています。ですから、こういう人はね、腸を治すためには、平和な気持ち、大調和の気持ち、こういうものを持っていく必要があります。そういう善念と言いますかね、良い念を把持(はじ)しておかないと、腸というものは良くなりません。ですから、腸が悪い人はとくにですね、常に心のなかに、"善意"の光を灯(とも)しておくように。善意のランプを、灯(ひ)を点(とも)しておくように。ローソクを、善意のローソクを立てて置く必要があります。

ですから、まあ、自分から積極的に腸を治していこうと思えば、他人に対して、善意を与えていくということです。善意を振りまいていくということです。これが大事ですね。被害妄想に打ち克つためには、善意を持って人に接する。あなたが善意ある善人であれば、周りの人も、あなたに対して悪いことはしないのです。だいたい、人が自分を害そうとしているんではないかと思う人は、すでに、どこかで人を害しているんです。

ですから、腸が悪い人は、どうかね、心のなかに善意を持って、善念を持って、会う人ごとに、いいですか、いい気持ちを与えるような、会う人ごとの心を安らかどれだけ多くの幸せな人をつくったか、これを誇りにするような人であれば、腸は悪くなりません。一日のうちに、何人かの人に出会うはずです。人間はね。で、会った人を、皆んな幸せにしていけるような、そういう気持ちで生きていけば、決して腸は悪くなりません。腸の病気はこれで治るはずです。


6.肺の病に患(わずら)う人は、大自然への感謝の心が欠如


白隠  では、次に、肺、肺臓の話をしましょうか。肺の悪い人がおります。まあ、ひと昔前と違って、結核というのは少なくなりましたが、肺の悪い人ね、今でもないことはありません。あります。"肺"とは、一体何を象徴しているか。肺は何だと思いますか、あなた――。

――  肺は、空気を体内に入れて、血液を浄化する役目をはたしているところですが、これを患うということは、天地の大きな大生命とつながること、つまり、そういう機会が少ないということでしょうね。

白隠  うむ、わりにいいところを、あなた、見つけられましたね。――肺というところは、要するに、空中の空気を吸い込んで、酸素を取り入れて、そうして、血液を浄化しているところですね。そういう意味で、肺というのは、大自然と人体との接触する場所ですね。で、肺が象徴しているものは何かと言うと、結局、これは大自然に生かされている自分ということですね。要するに、酸素を取り入れて、人間は生かされている。人間は、自分で職業を持って、お金を稼いで、お金のお陰で生かされていると思っているけれども、お金のお陰で生かされているんじゃないんです。

人間が生かされているのは、こういう空気があって、酸素というものがあるから、それで吸収ができて、はじめて生きていけるんですよ。食物を食べただけでは生きていけないんですよ。酸素がなければね。酸素というものは、大自然の恵みの象徴なんです。酸素をつくるためには、さまざまな樹の緑ですね、樹の緑が活躍しているのです。空中の二酸化炭素を分解して樹木がね、炭酸同化と言いますかね、自らのなかに澱粉質をつくって酸素を放出する。そして、そうした新鮮になった空気ですね、樹木が酸素を放出して、新鮮になった空気ですね、その空気を吸収して、人間は生きていける。

だから、都会ではね、スモッグだとか、そういうもので、息が苦しくなって倒れる。倒れてはじめて、自分たちの過ちに気がつく。木がないんです。緑がない。人間は生きているときには、緑に対する感謝がありません。で、木などは、偶然に生(は)えていると思っている。植えているから、生えてると思っている。そうじゃないんです。彼らは実に大きな役割をはたしているんです。

そういう緑があるからこそ、人間が呼吸ができ、いろんな動物が生命を保てているんです。木など、あなた、偶然に景色の一部分としてあると思っているかもしれないけれども、樹木があるからこそ、あなた方も生きておられるんです。自然を大切にしなければいけないというのは、そういう意味なんですね。

ですから、肺が象徴しているものは、大自然との調和であり、大自然への感謝であります。つまり、肺が悪くなる人というのは、大宇宙、大自然界に生かされている自分への、その自分の感謝ですね、その感謝の念がないんです。肺の悪い人は。ですから、肺が悪い人というのは、自分が生かされている存在だということを、どうかしっかりと勉強していただきたいのです。そうずれば、肺は良くなってくるはずです。呼吸しているひと呼吸、ひと呼吸、これは野山の樹木が努力して、きれいな酸素をつくり出して、そして、自分が呼吸できているんだ、と。道の草や、山の樹木にも感謝するような心を持って生きていけば、肺は悪くなりません。ですから、感謝ですね、感謝の気持ちを持つ、これが大事です。そうすれば、肺は良くなっていきます。


7.膵臓(すいぞう)、胆嚢(たんのう)病の人は、人生に"やる気"を起こすこと


白隠  まあ、内臓で言えば、膵臓(すいぞう)であるとか、胆臓(たんぞう)であるとか、こういうものがありますね。これらは、たいていホルモンの分泌ですね、これを司(つかさど)っています。こういう肺臓とか胆臓、胆嚢(たんのう)ですか、が、一体何を象徴しているか。これは、要するに、その人の"生気"です。生気がなくなると、膵臓とか、胆臓、胆嚢が衰えてくるのです。まあ、生気と言うと、生命の意欲ですね、これを現わしているものです。

ですから、膵臓とか、胆臓、胆嚢が弱ってきている人、ホルモンのそういうバランスが崩れている人というのは、生命への意欲が衰えてきていますから、自分の生命を燃焼させるものを何か見出していかなければいけません。

要するに、膵臓というのは、膵臓というところからあるホルモンが出て、そして、活力の源になっておりますが、こういうのは、結局、その人のやる気が出る部分なんですね。膵臓の機能が悪くなって、やる気が出ないのではないのです。やる気を出す対象がなくて、要するに膵臓が弱ってくるんです。

ですから、そういうホルモン関係の器質が、器管が悪くなっている人というのは、人生にやる気を持つ必要がある。つまり、やる気を燃え立たすような、打ち込めるもの、目標を見出していく必要がある。そういうことなんです。これもホルモンの病気だからと言って、薬など服んでいてもよくならないのです。だいたいホルモンのバランスが崩れている人は、人生にやる気がなくなっています。だから、そういう人は、自分が打ち込むべき仕事を探すこと、これが大事です。


8.腎臓(じんぞう)病は執着心を捨てれば治(なお)る


白隠  次に、腎臓というところがありますね。そこで、腎臓のお話をいたしましょう。腎臓というのは、ご承知のように、腎臓から膀胱(ぼうこう)へとつながって、尿を出すところですね。腎機能というのはそういうところですが、あなた、これは何を意味していると思いますか、腎臓は。

――  まあ、これは、やはり人体の新陳代謝を行なって、その老廃物を排泄するという機能ではないのですか。

白隠  とすると、心のどういうところが反映するんでしょうか。

――  このことは、要するに、一日の労苦は一日で足れりということで、不調和な心、不安な心をいつまでも胸に留めていたのでは、内臓にその影響が出てくるのではないでしょうか。

白隠  そのとおりです。よくお分かりです。腎臓が悪くなるという人は、たいていの場合、要するに、いろんなことに執着する傾向があるのです。腎臓の機能の悪い人は、執着心が強いです。だいたい腎臓が悪い人は、調べてみれば、そうなっているはずです。執着心が強い。そういう人です。いろんなことにこだわり続けている。こだわっているんです。

たとえば、腎臓の機能が悪いというのは、要するに、腎臓が濾過(ろか)機能を十分はたさないだけじゃないんです。やたら機能が良すぎる。つまり、濾過機能が良すぎるのも、またこれ、腎臓の障害です。やたらトイレに行く人がおります。本人は水の飲みすぎだと思っています。しかし、そうじゃありません。

これは、一種の精神的な病なんです。本人は腎臓機能がいいと思っているかもしれません。が、そうではないのです。こういう人は、執着心が強いという話を私はしましたが、本人は、さまざまな悪いものを、心のなかにいっぱい持っているんです。そして、そうしたことについて、いつも、あれこれ、あれこれと、くよくよ考えているんです。

そして、どうなるかと言うと、腎臓というところは、そういう執着心を反映していますから、これを水に流したい。早く水に流したいという気持ちが起きてくる。だから、やたらとトイレに行きたくなるのです。やたら尿が出るという人は、これは、本人の心のなかで、水に流したいという気持ちを逆に反映しているんです。そういう執着心を取りたいという気持ちがあるんです。一部ではね、取りたいという気持ちはあるんだけれど、取れない。

それで、水に流したいという気持ちが、腎臓の障害となって現われてきます。ですから、腎臓、膀胱、同じです。膀胱も同じですけれどね、やたら尿が出る人、トイレの近い人というのはたいてい、いろいろと粘着質で、執着心が強いはずなんです。それで、水に流したいという心理から、そういう機能が強くなってきているんです。

こういう人は、トイレで水に流すよりも、心のなかのいろんなひっかかりを水に流してしまうことです。サラサラとした気持ちで生きていくことです。そうすると、機能が、正常に戻ってきます。腎臓の機能が正常に戻ってくると、水分もそれほどほしくなくなってきます。やたらと水を飲んでいるから、トイレに行きたがるんじゃないのです。

やたら水を飲みたがるのは、腎臓がそれをまた欲(ほっ)しているところがあるんです。なぜ欲したがるか。つまり、水に流したいと思っているからです。ですから、執着心の現われなんです。腎臓及び、膀胱は。執着心の現われですから、執着心を持たずに、サラサラと生きていく。

つまり、昨日(きのう)のことは昨日のことです。後悔してもはじまらないんです。今日から先を良くしていく。そういうことが大事なんです。淡淡と生きていく、そうすれば、腎臓は良くなっていくのです。こういうことですね。これが腎臓の機能です。ま、他にもありますが……。


9.肝臓(かんぞう)病予防には、反省行に励み、嘘のない人生を送ること


白隠  肝臓というところがありますね。肝臓は、あなた、心の何を反映していると思いますか。

――  肝臓は、心に毒素(どくそ)が溜(たま)ると患うのではないでしょうか。

白隠  肝臓というのは、血液中の毒素を取り去る機能をしていますね。ですから、たとえば、アルコールなどを飲みすぎると、肝機能が悪くなったりよくしていますね。つまり、消し切れないということです。では、なぜアルコールを飲むと肝機能が悪くなるか。これを考えてみる必要があります。

アルコールとは、一体何でしょう。結局、アルコールというのは、自分をごまかそうという気持ちですね。自分をごまかそうという気持ちがあると、肝機能が悪くなる。これは何だろうか。結局、ごまかそうという気持ちがある反面には、悪いところがある。つまり、自分のこの悪いところをごまかしたいという気持ちですね。それがある。そこで、酒に走る。酒に走ると、肝臓が悪くなる。こういう循環になっています。

結局、自分の悪の部分を、見つめ切れない人、こういう人は、肝臓の障害となって現われてきます。要するに、自分をごまかそうとしている人です。ごまかしの人生を歩んでいる人、こういう人は、肝機能が悪くなっていきます。肝臓というのは、消毒作用のあるところですから、これが弱ってくるということは、毒を消し切れなくなってきているということです。

心のなかに、そういう毒が溜(たま)ってきている。つまり、肝臓というところは、善、悪を象徴するところなんです。人体のなかでは。ですから、肝機能を良くするためには、自分のなかで、悪というものを溜め込まないで、これを浄化していくということが大切なことです。自分の間違いや、誤りや、嘘をごまかしたり、糊塗(こと)しないで、これを真正面からとらえて、対決していくということです。

自分が悪いところは素直に人に詫(わ)び、神に詫びるべきです。自分の過ちは反省し、二度と繰り返さないことです。過ちをごまかさない。嘘をつかない。こういう正直な気持ちで生きていく。そうすると、肝機能は正常になります。

肝機能の悪いという人は、たいていの場合、ごまかしの人生を生きています。ですから、肝臓の悪い人は、とくに反省行をやっていただきたい。過ちのない人生を送っていただきたい。このように思います。肝機能というのは、正邪、正と悪、これを現わしております。だからこそ、ごまかしのない、過ちのない人生、こういうものを送っていただきたいと思っています。


10.気管支炎、喘息(ぜんそく)は心の排他病者


白隠  では、次に、気管支の話をしましょうか。肺の病には感謝の念が足りないということを話しましたが、気管支が悪くなる人、気管支炎にかかる人、こういう人はどういう人か。精神的に言いますと、これは、人を排斥するという気持ちがあります。気管支炎になるのは、排斥するという気持ちの現われです。人を排斥する気持ちがあると、たいてい気管支炎になります。

ですから、気管支炎になる人というのは、他所から、外から、徽菌(ばいきん)が入ってくるんじゃないかと、空中に徽菌でもいるんじゃないかと、無意識のうちに気管支がそれに拒否反応を示しているんです。空気のなかに、何か汚れたものがあって、それを自分が嫌(いや)がっている。そういう拒絶反応が起きているんじゃないか、こう思っているんですね。これが気管支炎の原因です。

喘息(ぜんそく)というのは、その典型です。ですから、喘息になる人は、こういう人は薬なんか服んでも治らないです。喘息になる人は、心の持ち方に誤りがあります。他人を排斥する気持ちがあるんです。こういう人は、人との調和というのを、もう少し考えていかねばなりません。というのは、たいてい他人を排斥する気持ちがあるはずですから。そうすると、そういうふうに、空中に徽菌があると思って、喉のなかの繊毛(せんもう)がね、細い毛が逆に働いて、排斥しようとしていますが、ほんとうは、そんなゴミ、汚れがあるわけじゃない。ですから、そんな排斥の気持ちを持たないということです。これが主として、気管支ですね。気管支炎とかのだいたい原因です。


11.蓄膿症(ちくのうしょう)は正しい信仰心で治る


白隠  次に、鼻の病気にいきましょうかね。鼻の病気になるということは、何か。まあ、鼻というのは、顔で言うと、そのど真中にあります。そして、顔のなかで一番高いところです。一番中心にあって、目立っているところ、それが鼻なんです。鼻というのは、要するに、その人の人生観を現わしているのです。これが鼻なんです。その人の顔の中心にあり、一番高いところにあります。

さて、鼻の病気になる人はどういう人かと言うと、ま、ひとことで言えば、正しい人生観を持っていないということなんですが、さらに言うと、蓄膿になるような人というのは、まあ、健全な精神を持っていないということですな。心のなかに、悪いものを蓄め込んでいる。それが、だいたい蓄膿の原因です。健全な精神を持っていません、鼻の悪い人は。蓄膿障害は、たいていそうです。こういう人は、かなり不健全なものの考え方がどこかにあります。蓄膿などというのは、普通はなるもんじゃないんです。

これは精神病なんです。ひとつの、精神によって物質化した現象なんです。ですから、こういう鼻の病気にかかるような人というのは、どうすれば良いかと言うと、正しい信仰を持つことです。正しい信仰心を持つ。鼻というのは、顔の象徴ですからね。正しい信仰を持つということ、また、鼻というのは、背骨みたいなものですからね、これは人生の背骨、これを持つことです。そうすると、鼻の病気は良くなってきます。


12.喉(のど)、口内炎は、自意識過剰と鬱積(うっせき)


白隠  また、口の病気というのがありますね。口の病気もいろいろありますが、たとえば、口臭というのがありますね。ロが臭(くさ)い。これで悩んでいる人も、けっこう多いです。現代人のなかでもね。口臭というのがある。なぜ口が臭いか、あなた、お分かりですか――。

――  まあ、胃が悪いとか、口内炎とか、歯根膜炎とか、いずれにしても、体内に炎症がある場合に起きるんではないでしょうか。

白隠  まあそうですね。口臭の原因は、ロ内炎症とか、それに内臓の悪い場合もありますが、口臭がするという人は、やはりこれも、精神性のものですね。普通出るもんじゃないんです。食物が臭いというのは分かるが、それ以外の臭いが出るというのは、おかしいです。吹きつけるだけで息がつまるような臭い息がする。これも、精神性なんです。

ロ臭の強い人は、要するに、人と話をしたくないという気持ちがあるんです。人と話をしたくないという気持ち、それが現象化してきて、それが口臭となってくるのです。人と話をしたくない。あるいは、人を遠ざけたいという気持ちがある。口臭の人にはね。口臭の結果、対人恐怖になると、本人たちは思っているかもしれない。しかし、逆なんです。

対人恐怖だから、口臭になっているんです。ロ臭の人は、要するに、人と話をしたくないという気持ちが強いです。それに、口臭の人は、意識過剰の人も多いんです。ほんとうは、そんなに臭くない場合もあるんです。ところが、本人は、やたら臭いと思っている。これは自意識過剰ですね。口臭の人というのは、やはり人との接し方に問題があります。

たとえば、その他、口内炎というのがありますね、あるいは、扁桃腺(へんとうせん)。こういうものにやたら罹(かか)る人がいます。ま、もちろんこれも、現代医学で言えば、ビタミンの問題もあるんでしょうが、単にビタミンが欠乏するわけではないんです。それにはそれなりの原因があります。ロ内炎になる人、あるいは、喉ですね。ほんとうは、自分が言いたくて、言いたくてしようがないのに、それを言う機会がない、と。こういう人に起きるのです。

喉とか、要するに、ロのなかのそういう口内炎、炎症の類(たぐい)の人は、たいていの場合、ほんとうは、喉がもっと欲(ほっ)しているんです。こういう人は、人の下に使われていると、たいてい喉が悪くなったり、口内炎になったりよくします。要するに、人の下に仕えて、言いたいことが言えない。

こういう状況の下に、悪くなっているんです。ですから、こういう人は、人の上に立って、自分が思っているとおりのことが言えるようになると、そうした、病気は治ってしまいます。

たいていの場合、言いたいことが言えないという状況です。だから、こういう人は、自分がしゃべれるような機会を主としてつくっていく。こういうことが大事です。つまりね、喉が痛くなったり、ロのなかが痛くなったりすると、しゃべらなくてすむということでしょう。しゃべらなくていいということを、正当化することになるのです。そういう心理が働いているのです。


13.眼は心の窓、心を閉ざすと眼病となる


白隠  では、眼の病気に移ります。眼は心の窓です。とすると、眼の病気というのは、だいたい何が原因となって起きるか、あなたにはわかるはずです。眼は、外部と内部との接点なんです。眼があるから、人間は自他の区別ができ、外部と、内部を区別し、外の動き、もの、人、そうしたものを見ることができるのです。そういう意味で、眼は心の窓であります。

ですから、眼が悪くなるという人は、要するに、自分と外部とに断絶があるということです。心のなかに断絶があります。眼が悪い人には、つまり、たいてい自分の内部世界と、外部世界との間に、かなりの断絶がある人が多いです。つまり、外のものはそれほど見たくないという気持ちもあるんです。もちろん、物理的に眼が悪くなるということもあり得ますが、それは治ることが多い。しかし、ただ単に眼が悪くなっていくという状況は、要するに、外部と内部との間に断絶があるということです。

すなわち、眼が悪くなるという人は、社交性がない人です。社交性のない人が、眼が悪くなっていきます。眼を象徴しているのは、社交性です。外界と内界との接点、そういう役割です。眼の役割は、社交性ということを持っているのです。言い換えれば、心が閉じていると、それが原因となって、眼が悪くなるということです。

ですから、眼が悪くなっている人は、心理的には、非社交的になってきていると言えます。つまり、外部のものごとに対する関心が薄れてきている。こういう人は、自分自身の価値感情、あるいは、自分自身の人生観、自分自身の価値判断、こうしたものにあまり執われすぎてはいけません。こうしたものは取り払って、もっと多様なものの考え方をする必要があります。すなわち、他の人の生き方、他の人のやり方、あるいは、さまざまなできごと、こうしたものに対する寛容な心を持っていく必要があります。

眼は、外部と内部との接点です。そういう意味で、心を社交的にしていく必要があります。つまり、ある意味においては、陽性ですね。陽性化していく。心が陰気になってくると、眼が悪くなってきます。ですから、眼が悪くなってきた人は、どうか心の窓を開いてみて下さい。自分が、自分の世界に閉じこもっていないかどうか。外部との接触を絶っていないかどうか。自分が価値を感じるもの以外のものに対しても、興味を失っていないかどうか。

こうしたことについて、考えていただきたいのです。何度も繰り返しますが、眼は社交性の象徴です。そのはずです。そこで、眼が悪くなってくると、たいていの場合、社交というのを断ってきます。これが眼です。