※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

目次









(一九八三年八月二十日の霊示)

1.本体分身は一即多、多即一の原理


恵果  (―― 中国語による自己紹介が長々と続く――)

善川  まことに申し訳ありませんが、私はいま中国語を解しませんので、日本語でお願いできませんでしょうか……。あなた様は、今から何年ぐらい前に中国にお生れになられた方ですか?

恵果  私はいまから千百数十年前に中国に生れたものです。

善川  そうしますと仏教茶のお方では……。

恵果  ――そうです……。

善川  ――では、かつての私をご承知の方ですか――。

恵果  しっております。

善川  ではなにか密教系に関係のあるお方のように思われるのですが。

恵果  ――そう、そうです。

善川  それでは恵果上人さんではないでしょうか?

恵果  そのとおりです!わたしは恵果です。(このあと中国語が長々と続き意味不明)

善川  まことに恐れいりますが、私はいま中国語を解しませんので、日本語でおねがいできましょうか。

恵果  わたくしも、ほんじつ、初めてここに出てまいりましたために、まだ日本の言葉になれておらず、ひじょうに申しわけないと、思うのですが、なかなか、しゃべるのに、不自由を感じるいまでございます。ただし、あなたがたの、言っておられることはすべてわかります、ので、かんたんな日本語でしか答えられませんが、わたくしの、できるだけのことは答えます。

善川  はい。私は前世におきましては中国で、真言密教を学んだ僧侶であったということは事実でしょうか――。

恵果  ――サリシヤ――。

善川  私は仏縁をもちましてその後も日本に僧籍をもって生れてきたわけですが、今日の時代にまた再出しましたが、過去世におきましては仏教の真髄をかなり修めた立場でありながら、その点を全く忘却してしまって、今日のような哀れな状態に陥っております。

恵果  (――早口の中国語にはじまる――)
仏教というものも、もともとの核は、もちろん、ゴーダマ・バターによって説かれたものですが、その解釈なり、実践というものは、時代、時代において違うものですし、現代において、あなたが肉をもってかつて中国の時代にあなたが学んだことをそのまま知り、或は実践しても、それが現代に生きるものではありませんから、あなたには既に根本的なことについては理解しておりますから、これからは自らの行と申しますか、自らの行いは如何なるものでなければいけないかということを考えて行けばよいことでありまして、あなたが過去世においてどのような修行をしたかということは、いま現在では必要ないことですし、特にそのことは過去世に自分が密教系の僧侶であったということを、いま自分と照らし合わせて悔いなげくことも、ないかと思われます……。

善川  私が今世で最近教わったところによれば、人間には本体と分身とがあって、本体と分身とが交互に現世に現われて、そして修行を積んでいくというようなお説でございますが、私とあなた様とでは、当時の年代からすれば、そう遠い年代の開きではなかったと思うのですが、私はその後日本の鎌倉時代に日蓮の弟子のひとりとして再出しております。そして七百年後にまた現在の私が再出しております。というようなことで、同一本体が近々一千年少々の間に、何回も再出して分身は出ていないということは、これは特に何か意味があるのでしょうか。

恵果  本体といっても、分身といってもあなた自身なのです。あなたの―善川三朗―の魂の一部が出ているのでありまして、日蓮の弟子といわれた方も、密教系の僧侶といわれた方も、あなた自身であって、現在個性を持っているあなたと同一のものでありますが、実は、本体分身というような関係をとれば、別の個性を持っているといえるかも知れませんが、彼らの経験は、あなたの経験となり、彼らの修行は、あなたの修行となり、彼らの霊的な経験、力はそのままあなたの力となるというふうになっており、本来一人の人間、本体分身という考え方は、ひじょうにむつかしい考え方でありますが、バラバラの人が居るというわけではないのであります。本来ひとりの人なのです。ひとりの人が様ざまな形で出てくるのです。あなたなのです。三次元的なものの見方、考え方をすれば、本体、分身ということは、おそらくは理解できないことだと思うのです。これは、少し考え方が違うので、三次元的に五人、六人の人が居て順番に出ると考えるなら、これは大変な誤りであります。彼の地、私たちの生れた地においては、あなた方の哲学によれば、<一即多、多即一>という考え方があると思いますが、一人かと思えば五人、五人かと思えば一人、そのようなことが、あり得る世界なのでございます。


2.密教の奇蹟は、神仏信仰への便法に用いられたもの


善川  よく分りました。つぎに、これは歴史上のことでございますが、空海大師は、あなたのお弟子さんであられた時代がございますね。

恵果  ――ハオウエ。

善川  そうですね。

恵果  ――ハオウエ。

善川  空海さんはその後、あなたのお教えを受けて日本に帰り、密教を広めまして今日に至りましたが、あなたのお考えとしては、現在日本に伝わっている密教は……。

恵果  密教というものは、たしかに空海の力によって日本という国に伝えられて、現在までそのいのちを保っておりますが、私の考えによりますと、わたくしの当時の密教のあり方と、現在の時代の密教のおり方とでは、意味が違うと思うのです。私たちは、密教という修法を通じて様ざまな、いわゆる奇蹟を起こし、私たちの霊力を人びとに見せましたが、それはご存知のように゛便法゛に過ぎないことは、ご承知のとおりであります。人びとは、なかなか神、仏の世界を信じようとせず、あの世の世界の存在を信じようとしないために、私たちは人びとの眼を開くという目的のために、密教という一つの方法論を用いて奇蹟も起こしましたし、それを通して人びとに少しでも、仏の世界に眼を開いてほしいと祈っていたのですが、現在の密教をみてみると、これは単なる一分派と申しますか、釈迦の教えた仏教の一分派といいますか、亜流といいますか、単にその方法論、特殊な方法論にとらわれた一つの分派に過ぎなくなっており、本来私たちが目指しておったものとは違っております。

善川  時代は変ってきましてそれから一千百数年経ってきましたが、今日の三次元のこの世に生活している人の心にはまだ、その悟りというか、あの世の存在と、人間の魂は不生不滅で転生輪廻を繰り返し、仏(解(ほど)け)の道を修行しているのであるということの認識が、まだできていないような状態だと思うのであります。こんにちわれわれが、大衆に対する布教という方法については、やはり旧来の密数的な方法も講じなければならないということも考えねばならないのでしょうか……。

恵果  たしかに、これからあなた方が伝道ということを考える場合に、゛現象゛もある程度使わなければ人びとは信用しません。現象――ひじょうにむつかしいことかと思いますが、現象にとらわれては、本来の゛法゛がなおざりになってしまいます。゛法゛のみ説いても人びとは、単なる道徳論かと従いて来ない。ひじょうにむつかしいです。現象も必要だし、法も必要ですし、その現象と法とをうまく解釈し説明する力も必要です。

善川  そういう現象を法の中に密着させて、そして今後正法流布する能力が備わりましょか。

恵果  現に備わってきております。現にこのような形で話ができるようになってきております。今後、時と環境とは与えられます。何も心配ありません、時はやがて来るのです。向うから来るのです。このような力を持っていれば、必ずそのような時が来、そのような立場に立たされ、そのような環境にやがて本人の好むと好まざるにかかわらず、そのような場に押し出されていくのです。


3.サタンとの戦いは一生涯続いた。空海もまた同じ


善川  ただこの間に、サタンの攻撃というものがありまして、ひじょうに苦しめられる場合があるのですが、失礼ですがあなたも当時霊道を開いておられましたですね。

恵果  ――はい、おりました。

善川  その際に……。

恵果  ものすごく攻撃をうけました。やはり同じことなのです。だれ一人として避(のがれ)ることはできません。釈迦といわれた方も、イエスといわれた方も、その他の高名な仏教者たちも、霊道をいったん開いたならば、そのときの心の状能に応じて、天上界の人も、地獄界のものも入ってこれます。わたくし自身も大変な、ひじょうな苦しい日々を送りました。魔に負けかけたことも何度も、一度や二度ではありません。このようなもの、戦いということは――私たち特殊な能力をもったものたちは、それだけまた重荷を負わされているというか、人以上の試練を受けるということも、やむを得ないこととなっております。私たち元もとある程度悟った存在であります。それが肉体をもつと忘れるものでありますが、私たち霊能力者たちは、要するに天上界の生活を知っており、忘れていないものであります。このままでは修行にはなりません。更に厳しい環境に置かれるわけです。

善川  あなたの場合には、その期間はどのくらいの期間でありましたか。

恵果  ――一生であります。サタンとの戦いは一生続きました。

善川  お弟子さんの空海さんにつきましては、如何でありましたか、そのことにつきましては。

恵果  空海もまた大変長い間苦しんでいたはずです。空海も苦しんでいたはずです。

善川  空海さんもサタンとの戦いの経験があるのですか……。

恵果  サタンとの戦いはありました。誰もそんなことは分りません、彼個人の苦しみ、戦い、迷いの時期がありました。

善川  それは日本に帰ってからのことですか。

恵果  私たちのところの修行に来た時にも、彼は悩み苦しんでおりました。

善川  その時にもう既に空海さんは霊道を開いておりましたか。

恵果  私の力によって彼は霊道を開きました。彼の素質を見て、彼に授けたものです。

善川  そうでしたか。

恵果  一応この苦難は、すべての霊能力をもったものにはつきものですが、これにうち克つものと、失敗するものとがあります。すべてのものが成功するという何の保証もありません。己れの力を過信し過ぎたものは地獄へ陥ちるケースが多々あります。

善川  人は転生輪廻を重ねますが、あなたは、恵果上人としてお生れになる以前は、釈尊がインドにお生れになった時期に、同じくインドの地にお生れになっておられて、釈尊から直接仏法を聴かれましたか。

恵果  私は当時のインドには生れておりません。私の前世はも少し古い時代の西の方の国に生れております。中国は始めてです。

善川  西の方といいますと、例えば古代ギリシャとか?

恵果  そうです――、そのとおりです。ギリシャに生れております。

善川  これからの布教上の参考となる研究書、たとえば阿含経、華厳経、法華経などという仏典諸経の研修を行う必要はないでしょうか。

恵果  その必要はありません。仏教の各経典といったところで、今語っているようなことしか書いてないのです。今後もうそんなことする必要ありません。そんなものは捨てなさい。今後あなたのすることは、古いことを掘り起こすことではなくて、未来のこと、後世の人びとへ残すものを書くのですから、そんなものであってはいけません。現在以降に眼を向けたものであってほしい。今後どのような世界が来るにしても、彼らの心の糧になるようなものを考えていきなさい。


4.二十一世紀へ向っての指導集団について


善川  これからの時代に向っての精神の指導集団のあり方についてお伺いいたします。

恵果  たとえば鎌倉時代を考えてみて下さい。法然が居り、親鸞が居り、日蓮が居り、道元が居り、様々な人たちが出て法を説いているはずです。彼らは彼らの信ずるところを行い、彼らはもともと仲間であったんだけれども、違うものとして自らの教えを説いております。同じように゛正法゛の説かれる時代にも、複数の光の天使たちが出て、いろんな人が、いろんなことを説く場合がありますし、そして一つの時代が出来ていく場合があるわけですから――過去の時代もそうです。いつの時代もそうです。あなた方の時代もやはり、一つの極だけでやっていくのではなくて、二つ三つと極ができていて、その周りに輪が展がって形になっていきます。これは分るでしょうか。一つの極だけでやっていくには、現代という時代は、余りにもむつかしいのです。私たちも一つ、第一の目的、第二目的、第三の集団、あれこれと、あれが失敗したらこれでというふうに、幾つかの用意をしております。


5.政、経、教育界の今後の動向について


善川  今から一千年、二千年前と違って、現代の文明はひじょうに進歩しており、かつその各分野が複雑に分化し、発展してきました。特に最近、ニューメディア、ハイテクノロジー時代の幕開けとなり、こうした自然科学の急連な発展は、産業、経済、政治、教育各分野の構造変革を来たしつつありますが、こういう時代の引金となっている、産業人、科学者の中にも秀れた指導霊の方々が出て居られるのでしょうか。例えば経済界では松下幸之助氏というような方がた……。

恵果  出てきているわけです。彼はキリスト教系の方で過去世においては、イスラエル地方に生れた方ですが、その他財界人の中にもかつて仏教系の方で著名な方がたが居られます。

善川  ――そういう主だった方々のお名前をお聞かせ願えませんか。

恵果  ――ま、そういうことよりも、あなたがた目を凝らして現在活躍しておられる方がたを見ており、言っていることを聴いていると、この方は仲間ではないかというような人は分るのです。分らなければおかしいのです。わかります。眼を光らせて見てみなさい。確かに世の中において一目おかれている人の中にもいろんな人が居りますが、眼を凝らしておれば、この人は仲間だというひとは分るのです。

善川  経済界の人においては、案外率直なというか、ストレートなものの考えをもっておられる方が多いようですが、政界人については、これは複雑怪奇ですね。

恵果  むつかしいでしょう。しかし政界の中にも優れた方が居るはずです。

善川  日本にも出ていましょうか――。

恵果  出てくるはずです。やがて政界にも一大革新が起きるでしょう。いまのままでいいわけはないのです。必ず革新が起って来、優れた人が指導者になれる時代がもうすぐ来るはずです。今のような人達が政治の実権を握っているのはおかしいはずです。必ず人格的にも、能力的にも人びとを指導できる人が政治家になっていくような時代が現われて来ますし、天上界においてそのような計画があるように聴いております。

善川  日本の教育界については、問題児、不良化などが起り、荒廃しかけているように思うのですが。

恵果  特に荒廃しているとは思いません。ひずみはあると思いますが、現在他と比べてうまくいっている方ではないですか。

善川  たとえば、いま、日教組という教員の組合がありますが……。

恵果  いや、もう、わたくしは、そのようなことは、わかりません。申し訳ないですが……。

善川  私の欲目で申し上げるのかもわかりませんが、日本の教育界は、いま大きな問題を抱えていると思うのですが、今後新しいモラルを特った指導者が現われてきましょうか。

恵果  現われると希望しております。まず私たちの世界の計画からいえば出ないわけはないです。そういう人達、軸になる人達は、今後必要な世界に必ず出てくるはずです。

善川  ――いろいろありがとうございました。最後に私たちについて何か特にアドバイス頂けることがございましたら……。

恵果  特にありません。私は今回初めてあなた方の前に出て、少し喋り過ぎたと反省しております。私の任務というか、力を超えたことまで喋り過ぎたように思います。何か間違ったことを言って、あなた方を導きはしなかったかと、少し反省しております。間違ったことがあれば、守護霊、指導霊とよく相談して、私の間違ったもの、どうか聴かなかったことにして下さい。違いもあるであろうと思います。

善川  それでは、恵果先生、本日はまことにありがとうございました。どうかお帰り下さい。

恵果  ――ツァイチェーン(再見)――。