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目次
















8.権力も心の自由は縛れない


――  まあそういうことで、人々はいろんな材料の中で自分が選択していくわけでしょうが、ここに一つ話は変わりますが、権力ですね、権力というものがあって、それが人々の自由な選択を許さないというような状態が現在世界のいろんなところにあるのですが、これらについては如何なものでしょうか。

老子  あなたの言っているような、人々を自由にさせないような権力とは一体何んですか。

――  それは例えば、あなたがお生まれになった国の、現在の中国とか、その隣りの国のソビエトとかいうようなところでは、権力が人々の自由を許さないという状況下が今現在政治的に行われているということですが……。

老子  では権力は彼らを鎖で縛っているわけですか。

――  まあ具体的に鎖というもので縛っているわけではないわけですが、それは一つの法律とか、或いは武力、警察力とかで縛っているわけですがね。

老子  それは生きている人間の動くべき範囲を狭めるかどうかということであって、先程私の言ったような、心の中における牧歌的生活には関係のないことであります。゛毛沢東(もうたくとう)思想゛というのがあるかもしれません。けれども、人々の心の中は自由であります。これは先程言ったモルモットであります。立ち止まってふと、考えてみるかどうかであります。ですからこの世的なものは余り信用されないことです。思想においても、機械とかその他便利なものにおいても、いろんな発明においても、機械とかその他便利なものにおいても、この世的なものはもうほどほどに交際(つきあい)程度に信用するということですね。つきあい程度です。世間から離れない程度、そして自分の心の王国をあくまでも守ることです。

その心の「王国」は、決して飾りたてたものではありません。心の王国というのは、大いなる田舎であります。大いなる田舎の風景であります。自分の心の中にそうした大いなる田舎の風景を隠しておく、或いは保って置くということです。現代人にとって大切なことは、このあくせくとした時代の中において、輝く泉のような心を持って生きるということです。深い水を湛えた、深い緑をたたえた、輝く泉のような心でもって生きていくということです。

――  それはもう現象世界のなり行きや、その結果に一喜一憂しないという考え方ですね。本質としては現象否定でもいいわけですね。

老子  そういう見方もできるかも知れません。けれども、この現象世界を縁(えん)として゛地獄゛に堕ちている方々がこれだけ居るかという現実に接したならば、そうした教えも説かざるをえません。そうではないでしょうか。この現象世界で修行を積むことによって、すべての人々が一つの学校を卒業するように、どんどん上級に上がっていけるならば、例えば現象世界というのが小学校であって、これを卒業したら中学校へ、中学校から高校へと、卒業していけるものならば、それは結構なことでありますが、この現象世界、小学校を経過して幼稚園、保育所へと行く人が大量に居る現代において、こういう教えも必要でないかと思います。


9.イエスは愛、釈迦は慈悲、私は素朴な清い心を説く


――  あなた様のお考えなり、思想というものは非常に高度なもので、現代社会の人間が全く咀嚼(そしゃく)して自分のものとするには、かなり理性なり、理解力なりがなければ中なか困難なお考えであるように思うわけでありますが。

老子  ですからね、私の言うのは、イエス様という方は「愛」を説かれました。人と人との人間関係、調和の方法ですね、愛というのは、人と人との人間関係、調和の法である愛というのを説かれました。お釈迦様は「慈悲」ということを説かれました。これは、人への神の恵みですね。神の恵みの大切さといりことを説かれたわけです。私が説いているのは「素朴さ」です。素朴さと清らかさです。本来聖なるもの、神聖なるものは、それは何かというと素朴さです。素朴で清らかなものです。それが神の心であり、神の僕(しもべ)の心であったということです。そうしたものが保てなくなっているために、イエス様のような「愛」による人間関係の調整とか、お釈迦様のような新たな天来の神の恵み「慈悲」というものを説かわばならなくなったわけですが、私の教えはそうではありません。そうした外から来る力によって調和していこうとするものではありません。本来ある神の子としての素朴さ、また清らかさ、こうしたものをとり戻しませんか、という考えなのです。分かるでしょうか。努力の教えではないのです。人間と人間との間を調整しようとか、神から与えられるものをいただこうとか、こういった教えが他の宗教の教えです。

イエス様は自分から他に放射する念を調整することによって人間関係をよくしていこうと、こういう教えですね。

お釈迦様は人間は人間だけの力ではどうにもならないから、やはり大いなる神仏からの慈悲、慈悲の光を得ることによって、悟っていこうとされました。こういった他の力というものを考えておられるわけです。

私はそうではありません。人間そのものの中に素朴さ、清らかさを発見していこうではありませんか。そして自分自身の心を、素朴に清らかにしていこうではありませんか。その素朴な心、清らかな心になって、神の童(わらべ)どなった心はそのまま、天国に在るあなた方そのものなのですよと、これが私の教えなのです。素朴さと、純朴さ、清らかさ、こうしたものをもっともっと価値あるものとして認められるような、世の中になってほしいと思います。

都会の子ばかりが増えて、田舎の子が減っているような現在であります。そうではなくてね、機械が進んだり、機械文明が進んだり、秒刻みの世界があるというようなことが決して進歩ではなくて、本来ある素朴さ、そういったものの美しさに、人々は醒めてほしいのです。遂に私の世界観からいうならば、都会など住むのを止めて田舎の方で子供を育てたいと思う人が増えてくるような社会が私の理想に添うものかと思われます。


10.立ち止まり心の大自然の湖を見渡せ


――  まあ理想としてはそうでございますけれども、現在の社会に生きているものはやはり生活圏ということから考えてくると、都会というものの生活というものを抜きにすることはできないのですが、都会生活の中で自然に生きるというものの考え方、そういう考え方というのは、それはそれとして説かねばならないようになるのではないでしょうか。

老子  そうです。ですから立ち止まる教えというものを都会人に説いて欲しいのです。よろしいですね。忙しい中で立ち止まってみなさい。立ち止まって自らを振り返ってみようではありませんか。自らの心の中に澄んだ湖があるかどうかを見つめてみようではありませんか。自らの心の中にある湖に、さざ波が立ってはいませんか、大嵐になってはいませんか、大波が立ってはいませんか、大波が立っているなら波を鎮めましょう。自らの心の中にある湖を美しく照り輝いた静かな凪いだ湖にいたしましょう。そういうことを私は言っているのです。

――  しかし現代の人は、既にそういう大自然というものに接する機会が少なくて、人工世界にほとんど毎日、釘付けにされた生活をしているわけですが、その中でそういう精神を養うということは、やはりそれなりの環境なり機会というものを持たねばならぬと思うのですが、一つの手段(てだて)としてはやはり、禅を行うとか、或いは週に一回は郊外に出て野山を歩くとか、そういうふうな自然との接触を深めるという何かの機会を持つということが心を洗うよい方法となるのではないかと思うのでありますが。

老子  その通りです。ですから現に大自然に恵まれている方々は素晴しい方々です。彼らは自らの恵みを十分に感謝して下さい。生かして下さい。残念ながら自然に恵まれていない方々は、別に休日に遊びに行けとは私は申しません。やはり宗数的な何らかの精神的な修養というもの、これを重視されるということです。その中において、心の中に大自然をとり返すことはできるはずです。つまらぬ″淫祠邪教(いんしじゃきょう)″ではなくて本来の心、心の王国を築かしてくれるようなそういった、精神主義、精神運動の中に自分を没頭させていくということです。

――  そういうてだてというものを示さなければ、ただ単に自然に還れということだけでは、中なか理解がいかないのが現代人であろうと思いますけど、今のお教えによりまして、人びとが真の自然の中に本来の神の子としての姿を自分の心の中に描く、そういう機会を、一日一回でも持つというそういうことを行うということが大事であると、こういうことを我々は説かねばならぬということですね。

老子  そうです。それが瞑想であり祈りではないでしょうか。そしてあなた方が今書物を出していますが、これは少なくともこの書物を読んでいる方々は、一日に短時間であっても、本来の大自然、大宇宙、神の世界に心を遊ばせることができるということです。そういう意味において、あなた方の仕事が如何程大切であるかということを悟って頂きたいと思います。


11.心の大自然をとり戻す運動これも正法の一つ


――  大変雄大な人間、本来の姿はかくあるべきしというお教えを賜わって非常に啓発されるところがございました。私達も、皆様方聖賢から承ったお話を十分今後も咀嚼(そしゃく)してそして自分自身の血肉として人々に伝えたいと考えております。

老子  あなた方のお仕事も今後、喩えて言うならば人々の心の中に、大自然をとり戻すための運動であるということです。人々の心の中に芝生を植え、雑草を植え、大地を蘇(よみがえ)らす作業だということです。お分かりですか、大自然は決して土地の上だけにあるわけではありません。大自然は心の中にもあるのです。その心の大自然へとあなた方が導いてあげるのです。それがあなた方のお仕事です。

――  大変ありがたいお話をうけたまわって参考にさせて頂きました。今後、また機あらばご指導賜わりたいと思っております。

老子  ご理解いただいたでしょうか、今日私が言ったことをよく憶えて下さいよ。お釈迦様という方は、神から頂く、神仏から頂く慈悲の大切さというもの、天来の恵みということを重視されました。イエス様は、人間関係の調整の原理をお説きになりました。私は、そうではなくて本来の神の子は、神の童(わらべ)は、純朴な、純真な、本当に飾り気のないものであるということ、これをとりもどしてほしいと言ったということです。このためには何の努力もいらないのです。あるがままに還っていくということです。こういったことも一つなんですよ。これも正しい法、「正法」の一つだということです。


12.私の職位は若草色の黄緑


――  最後に先生は今どういうところにお住居されていますか。

老子  住居は言われると非常にわかりにくいいい方になりますが。

――  ではどんな方々とご一緒にお仕事をされて居られますか。

老子  たとえて言えば、キリスト教系の方でいうならば、ルターさんとか、カルビンさん。こういった方々と一緒に仕事をしております。仏教系の方でいうならば、阿閦如来(あしゅくにょらい)であると か、或いは大日如来という名で知られている方、或いは薬師如来といわれている方、名前ですよ、敬称ですがそういった方々と同じような仕事をしているということです。

――  さようでございますか、過般お見えになられましたインドの大日如来様とはご一緒の方でしょうか

老子  その方だと思います。つまり私達の役割というものはこういうことなのです。神には属性があるということです。それが、神の属性というものが何人かの、数人の方々のお力によって幾つかのプリズムヘと岐れていくのです。彼らの力を通すことによって幾つかのプリズムとなって、分光となっていきます。その分光の根っ子に居るのが私達だというわけです。

――  私達現象界に居るものは、太陽光線のプリズムによって理解しつつあるものですが、先生の場合は何色の光縁に当たるものなのでしょうか。

老子  光線で言うとすれば゛緑゛です。緑色になると思います。しかし私の緑は、普通の緑ではありません。萌(も)え出る若草色のようなそういった明るい緑です。私の近くには今申し遅れましたが、ギリシャの方でいえばソクラテスという方もいらっしゃいます。

――  この方は確か、マリンブルーでしたが。

老子  青い光線ですね、私は萌え出るような若葉線、そうした光を放射しているのが私です。それが私の先程の゛牧歌生活゛へと繋がっていくものなのです。いわば光源のところにあるいろんな色のランプであり、ライトであるわけです。そういうことです。神の光というものがあって、これは本当は色がないのですね、色が無いただの光です。神の光というものがあって、これを様々な、イエス様だとか、様々な方が分光されるわけです。作業されて分けられるわけです。その分けられたものが私達の世界へ来ると、七色の虹になるような形で様々な色となって、この地上界へ、九次元から八次元、七次元、六次元、五次元、四次元、三次元へと放射されていくのです。こういった色が出る光線の色となる部分が、私達のところなのです。

――  九次元の方には色はないわけですか。

老子  私達のところの光というのは七色といいましたが、本当は七色ではありません。もう少し沢山の光線が出ています。十幾通りかの光線であろうと思います。すべて合わせると。九次元の方々というのは、こういったものを、たとえば三つなり四つの領域として、まとめて持って居られるということです。

まず神の光を、三つ四つ五つと、こういったものに分けていくわけですね、大きな分け方です。こういうのに、まず分けられるわけです。これら一つの光がまた岐れてくるわけです幾つかに。

――  孔子様はどういう色を束ねておられる方ですか。

老子  孔子として出られた方は、どちらかというと、青系統を司っている方です。色でいうと青から紫、そして赤紫、青がかった色を幾つか持って居られます。そうしたものを司って居られる方です。ですから私の中でも、私は先程若草色といいましたけれども、私の中には青の要素もありますし、もう一つは黄色い要素ですね、これは釈迦の光源ですけれども、こういった要素も入っているわけです。

――  私達のこれからの仕事の一つとしては、天上界の仕組みについての解説ということがはいっているようでありますので、このようなこともお訊ねしたようなわけですけれども、このような機会を通して天上界の仕組みというものも分からせて頂いているような気がいたします。

老子  これらのことに関しては、地上に生きている多くの方々にとっては、いわば余聞、余談になるわけでありますが地上人の大部分は、こうした仕組みを知ることによって救われるということは少なかろうとは思いますけれども、あなた方が遺された法、書物、こういったものを通して、後に出て来る光の指導霊達が学ぶべきことがあるのです。

そうした方々のために、天上界の構造を明らかにしておく必要があるということです。私が何色の光線であるかというようなことは、これは一般の方々には失礼ながら関係のないことであります。ただ、後に来るあなた方の後輩、光の後輩指導霊達に遺して置かねばならないということです。

――  本日は私ども、また後世の人びとに対しまして、老子先生には極めて深遠なるお教えを各般にわたってご教示賜わりましてまことにありがとうございました。今後また機あらばご指教の程よろしくお願いいたします。

老子  それでは還ります。