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目次





 5.節名称5





1.男性霊と女性霊


スウェーデンボルグです。今日もまた引き続いて話をしてゆきたいと思います。今日は読者のみなさまは、多少奇異に感じられるかもしれませんが、「霊界と結婚」という話をしておきたいと思います。

結婚ということの意味、霊界における結婚の意味などについても、私は生前、書物を著わしたこともありますので、それに接された方は、かなりの知識を特っておられることでしょう。ただ、本章ではそうした知識を持っていない方を対象に、現時点での私の研究をご紹介したいと思うのです。

まず、「霊界と結婚」という題の出来についてなのですが、霊界についてくわしい方は、これをまことに不思議な感覚で受けとめられるかもしれません。結婚は肉体を持っているときだけにあるのであって、霊になってからも結婚がはたしてあるのだろうかと、それを不思議に思われると思うのです。

そこで、私が調べてきた霊界の結婚論について、語ってみたいと思うのです。おそらく読者の多くはこの意見に賛同され、来世への希望を持つようになるのではないかと思います。

まず、霊界といわれる世界も、ひじょうに広大無辺であることを、断わっておかねばなりません。その世界は幾層、幾十層にも分かれていて、細かく細分化するといったい何十階層に分かれているかがわかりません。それほど、多くの層ができております。

今、○○の○○というところでは、霊界を四次元から九次元までに分類して、大まかな説明をしているように聞いています。ただ、私は実際に体験した霊界ということから見れば、もっともっと、二十層、三十層あるいはそれ以上にも分かれているのではないかと推定されるのです。

さて、そうした多層構造になっているのが霊界のありさまであることを前提として、そのなかの男女の霊のおり方について語ってみたいと考えます。

まず、肉体を去っても男女があるのかということに関しては、ひじょうに不思議な感じを抱かれる方が多いでしょう。男女の差は肉体器官の差であって、霊的な差ではないのではないか、そう考える方も多いでしょう。確かにそれなりの根拠があります。女性が地上で子供を産むということのために、母親としての機能を特ちます。そのために、父親となるべき男性と、まったくちがった肉体的形状をしている。このように考えることができましょう。

したがって霊界では、もう子供も産まないというのであれば、女性にとっての乳房も、また、女性的な他の諸器官も必要がないだろうし、また男性は、父親としての機能を果たすべき部分も必要はないのではないか、このように考えられる方が多いのではないかと思います。

ただ、これはまだ人間というものを、肉体的外形からとらえているからではないかと思われるのです。肉体的外形によって魂の本来の姿を類推しているのではないか、そのように思われるのです。すなわち、男性的なるもの、女性的なるものとは、かならずしも肉体的外観によって規定されるものではないのです。

それはもっともっと大きな問題です。もっともっと大きな、理念的なあるいは精神的な課題としてあるものなのです。精神的課題として、たとえば男性的なるものとはいったい何であるか、こう考えてみると、明らかにここに一つの精神的要素として、積極的なるもの、というものがあります。あるいは力強きもの、荒々しきもの、陽性なもの、こういう要素があると思います。これに対して、女性霊の特徴は何であるかというと、消極的ともいえるであろうし、あるいは優美ともいえるであろうし、また、繊細さ感受性の強さ、美しさ、こういった特徴が女性霊としての特徴でもあるといいうるのではないかと思うのです。

こうしてみると、男女の基本的特性というべきものは、地上を去った世界にも、やはりあると考えざるをえません。そして霊界においても、高次の霊界は別として、まだまだ人間的意識の残っている低位霊界、あるいは中位霊界においては、男女は形態上も男女としての特徴を外側に出しているといえましょう。

こうしてみると、男なるものの霊、女なるものの霊は明らかにあるといってよいでしょう。たとえその霊が、人間的姿をとっていない場合であったとしても、みすがらにその霊が近づいてきたときに、これは男性霊であるか、女性霊であるかということは、霊人にとっては割合かんたんにわかるのです。それは霊的意識体から発せられる、その波動によって感じられるのです。

女性霊と接したときには、柔らかい感じを受けます。たとえその姿が見えなくても、たとえその姿が球体のようになっていたとしても、他のものに変化していたとしても、女性霊からは何かしら柔らかいものを感じますし、霊となってもある種の女性霊は、色気さえ漂わせているといってもよいかもしれません。

他方、男性霊の場合は、やはり力強さ、積極性というものを前面に出してきているように思いますから、その霊と会った瞬間、すれちがった瞬間に、男性霊であることがわかります。読者の多くは、いま私が話していることの意味がよくわからないのではないかと思うのです。すれちがったときとか、出会ったときとか、「人間的な姿をとっていなくても」という言葉を発すると、いったいどのような世界であるのか、これがさっぱりわからないと思います。

それはたしかに、そのとおりでありましょう。この霊界というところは、死後二百年以上こちらにいる私であっても、なかなか現在でも容易にはわからないのです。それだけの広大無辺な世界であって、いたるところでまったく新しい光景というものに出会ってしまいます。


2.霊的認識の世界の秘密


同じ世界のなかに他の霊がいたとしても、そのことに気づかずに過ごしている人も相当いるのです。この意味がわかるでしょうか。霊界というのは、三次元的な縦・横・高さの世界ではなく、直感と直感が引き合う世界、直覚と直覚とが引き合う世界、また、霊感と霊感とが、おたがいの存在を主張し合う世界でもあるのです。

そうしてみると、距離的に見ればきわめて近いところにいる霊存在どうしてあっても、おたがいの関心事がまったく違っていれば、たがいに相手の存在を知覚しないままに通りすぎるということはよくあることなのです。

それは、あなたがたにわかるように、視覚的にいうとするならば、霊と霊とがぶつかり、衝突するということもあるのですが、それでもおたがいに気がつかずに通りすぎてゆくことがあるのです。こんなことは地上の人間にはわかりませんでしょうが、たとえば幽霊というものが出てきたら、壁を難なく通り抜けて出てくる、また消えてゆくというようにいわれていることぐらいはご存じでしょう。

これと同じように、霊界においては、霊人と霊人はだかいに衝突しても、気がつかないですれちがってゆくということが、いくらでも可能なのです。相手の存在を認めたときだけ、はじめて相手は存在という形式に入るのであって、相手の存在を認めないときには、存在がまるでないのと同じなのです。

したがって一日のうち何度も、他の霊人の身体のなかを横切っていることなど、よくあることです。そしておたがいどうし、気がつかないでいることが多いのです。

また、もうひとつ、この霊界の秘密を明かすとするならば、見ている世界が同じである保証がどこにもないということなのです。たとえば私の目には赤茶けた砂漠に見える霊的世界であっても、その世界に位んでいる人から見れば、緑の生い茂った世界のように見える場合もあるのです。これはまことに不思議ですが、その霊人が思っている心象風景そのものに、見えるといってよいのです。

たとえば私は、かなりの高位霊界においてかなりのものを実体験し、その環境になじんでいますから、私が通常の霊界、あるいは幽界といわれるような世界に来て、そこの精霊だちと交わったとしても、私にはその世界がそれほど美しいものには決して見えないのです。

私から見れば、どちらかといえば、雑然とした町に見えたり、あるいは雑草のはえた公園とか草原に見えるものが、この幽界なら幽界、狭義の霊界なら霊界というところに住んでいる人たちから見れば、限りなく美しく見えるらしいのです。どうもそういうように見えるらしいということがわかっています。

これは、ちょうど自分の生活圏が違えば、違ったように世の中が見えるのと、おそらく同じでしょう。日本のような都会に住んでいる人であるならば、発展途上国に行けば、その姿がいかにも悲惨に見えると思います。

非衛生的な生活をしており、食糧事情も悪く、いかにもこれはたいへんなところだという感じがするのですが、逆に発展途上の国の方から見れば、生まれ育ったときからそういう生活に慣れていたわけであって、決して特別に困っている風情はないし、また、日本人からみれば濁った水で御飯を炊いたり、濁った水で洗濯をしたり、沐浴をしたりということで、まことに不思議に感じられるのですが、これが残念ながら、彼らにはそうは感じられない。

生まれたときから川は濁っていた、そして生まれたときから人びとはその水で炊事をし、洗濯をし、沐浴をしていた。こういうことになれば、まったく違和感がない。こういうようにいえましょう。

このように人間は、より高次なものを知ってしまうと、低次なものがかすんで見えるということがよくあるのです。同しように、高級霊界においてその生活を満喫している霊人にとっては、低位霊界における生活はどうもしっくりこないことは、想像にかたくないことと思います。

そうしたことは、決して外見だけのことではないのです。彼らの考え方、信条についても同じようなことが言えます。すなわち、その世界にいる人たちは、幸福感を持っているわけですが、彼らの幸福感は、私たちから見るととてもちっぽけで、とても取るに足らないもので、とても刹那的なものに見えるのですが、その世界にいる人にとっては、その幸福が結構最高級であるかのように見えて、それにとらわれることがあるのです。まるで最高級の幸福感、そのように感じられるのです。

たとえば、私たち高位霊界にある者にとっては、力ずくで人を自分の意のままにさせて、それでうれしいということはありませんが、きわめて下の次元の世界においては、自分の念でもって人を自由にできるということを、最上の悦びと感じている者もおります。

また、これのみならず、霊界にはもはや地上のような物質はないにもかかわらず、いろんな物質をつくりだして、そしてその売買などに熱を上げている者もあります。地上の生活がどうしても忘れがたいと、そうした現象が起きてくるのです。 また、これ以外にも変わった点はずいぶんあります。私たちから見れば、下次元の人間は、その人相はさまざまに見えますし、その人たちの長所・短所がきわめてよくわかるわけですが、同次元の人には、なかなかよくわからないらしいということがいえるのです。

同次元の人にとってみれば、すべて自分と同じような知力や、認識力があるように感じられるわけです。そして、なんら他と違っていないという感覚にうたれることが多いのです。

そこで私たちは、降りていってさまざまなことを話し、「こういうふうにしたばうがよいのではないか」というアドバイスをすることが多いのですが、その意味が彼らにはわからないということがよくあります。彼らにはなにゆえにそのようなアドバイスがなされるのか、その意味がわからないのです。

このように、どのような霊人もみずからの認識力と理解力の及ぶ範囲の世界のなかで生きているといえるのです。


3.地獄界の結婚


さて、それでは、この結婚という問題はどういうふうにとらえられているのだろうかということです。地上の人間のなかには明らかに結婚欲というものがありますから、霊界にもそれがあるということは、不思議でもなんでもないといってよいでしょう。

まず、私たちの目から見れば、神の意に反した暗い世界、寒い世界だと思われる地獄でさえ、結婚に類したものはあります。それは正式に両者が愛し合って結婚した、という感じではないでしょうが、あるものへの恐怖心、脅し、こうしたもので、むりやり結婚という事態になった男女の霊というものがよくあるのです。

この、むりやり結婚するというかたちでの男女の生活は、ふた通りのパターンがありますが、ひとつは男性が女性を隷属的立場において、そして、自分の私用に供するというかたちです。まれには逆に、女性が男性をしもべとして使うような関係もあることはあります。

ただ、地獄の世界においては、どうしても力の関係だけで物ごとを見ているということがいえると思います。ほんとうに相手によかれと思って、相手を生かしながらやっているということはないということです。

さて、もうひとつ、さらにくわしい話をしておきたいと思います。地獄では結婚というものが、そのような一種の支配欲の論理のもとでなされているということが、明らかになったわけですが、地獄以外の世界ではどうなのか、こう思われる方もいるでしょう。


4.四次元~六次元の霊的結婚


地獄ではない天上界部分の世界に、精霊界といわれる世界があります。この精霊界では、人びとはきわめて地上に似た生活をしています。そうして、その生活そのものが、ほんとうに地上から一歩も出ていないような感じがするものです。地上の生活に近いものになるために、そのような努力をしている、こういう世界がたしかにあります。この世界においての結婚とは、では、いったいどのようなものでしょうか。

この世界における結婚は、まずおたがいの共感のうえに成り立っている、ということがいえましょう。たがいに感じ合う、共感し合う、こういう意味で成り立っているといえるのだと思います。

その、たがいの共感とはいったい何であるか。これがおわかりでしょうか。たがいの共感、それは相手を親しい者として感じ、受け入れる能力です。相手をよく知っており、相手のためになんとかしてやりたいという気持ちもある、こういう人が生きている世界なわけなのです。

この世界においては、もはや、支配・服従という関係はありません。そうではなくて、もうすこし親近感という言葉でも表わせるような結婚観があります。この世界では、気に入った男女の霊は、いっしょに生活をします。もちろんいちばん多いものは、地上時代に夫婦であった者が、共にこちらの世界に還ってきて、そしていっしょに生活をするという霊です。

こういう霊は数多くおります。夫婦単位で生活をしているのです。たいてい、自分の伴侶が地上を旅立ったときに、いちはやく追いかけるようにして死んでいった人です。配偶者が亡くなって一年、あるいは三年以内に亡くなるような魂は、よく霊界でも、片方が追いかけてきて、そしていっしょに生活をしていることが多いといえましょう。

この一段上の世界は、おそらく五次元霊界といってもよい世界であると思います。この世界においては、多少霊界の結婚の意味合いが違っております。この霊界での結婚とは、二つの要素を充たしているものです。

ひとつは、純粋に愛というものの意味が考えられ始めているということです。純粋に愛というものが考えられ始めているのです。その「愛とは何か」ということを知る契機として、恋愛があるということです。

この意味において、この世界での恋愛は単に夫婦の間にだけ起きるのではなくて、霊人としての恋愛というものがあります。もちろん、たいていの場合相手は異性であります。これに対して、同性に対する愛というものもあるでしょうが、それは恋愛感情とは区別をされた、親愛の情ともいうべきものです。あるいは、友情ともいうべきものとして、理解されております。

さて、こうした愛とは何かがわかる段階となって、そして、もうひとつの要素は何かということですが、おたがいに励まし合うということを知っているのです。たがいに相手を励まし合い、引き立て合うということを知っている。そうぃう霊人の存在です。この世界においては、相手がいるということが自分を向上させる原理になりかかっているわけであります。

さらに、これより上の段階で、霊的結婚というものがあるかどうか。これは六次元の世界に入ってくるわけですが、この世界になると、いわゆる結婚的形態をとることは、きわめて稀となります。きわめて稀で、なかなかそういうことはしないで、各人が自分の個性に応じた職業に励んでいることが多いといえましょう。

けれども、ごく稀にではありますが、ほんとうの意味での霊的結婚はなされることがあります。それは何であるかというと、霊的合体ともいうべきものなのです。二つの個性ある霊が一体となって、合体霊となることがあるのです。まことに不思議です。二人で一人になっている。こういう合体霊というものがあります。

これも霊界の結婚のありかたですが、このたいていの場合は男女であることが多いのですが、男女の愛の絆がひじょうに強いために、だれもこれを切り離すことができない。そして二人で一組という形での結婚生活をしているのです。

だから、その霊は「彼」であり「彼女」であるのです。「彼女」であり「彼」である。私たちは、そうした結婚霊に話しかけるときには、「あなた方」という呼びかけをすることが多いです。「あなた方は」といいます。一人でいるより二人で一つとなっていたほうが、おたがいに愛し合うことができてよいというわけです。

もちろんこちらの世界での結婚ですから、男女の性的な問題というものはほとんどありません。あるとしても、それはごくごく下次元の世界に限られたものであって、六次元といわれるような世界における結婚現象において、男女の性的結合という意味合いはなくなってきます。

そうではなくて、魂と魂の結合であり、おたがいが他人であることが許されないような強い気持ちがある場合にこういうようになります。おたがいにみずからの個性を追求し、探求するよりも、別々のものとしてゆくよりも、一体としてありたい、一日中いっしょにいたい、ずっと永くいっしょにいたい、こういう感じで一体となっているのです。


5.七次元以降の霊的結婚


七次元の世界、菩薩の世界以降で、結婚ということがはたしてあるのかということですが、原則としては、きわめてむずかしいと言っておいてまちがいがないでしょう。

なぜかというに、菩薩の世界においては、たしかに地上的には人間の姿をとって生活をしていることもありますが、彼らの生活時間の大半は、むしろ人間的姿ではない他の姿をしていることが多いからです。

これを地上の方はそうかんたんに理解することはできないかもしれませんが、いろんな表現形態をとって、他の者として現われることもあれば、あるいは念としてだけ、エネルギー体としてだけ存在することもある。こういうことがひじょうに多いのです。

すなわち人体的意識がかなりうすれてきますので、この意味において、男女の結婚ということが、かなりむずかしくなってくるわけです。こうなってくると、もし菩薩の魂どうして、霊的結合があるとすれば、これはよりいちだんと大きな霊体をつくってゆくこと、そういう目的のみにおいて結婚があるということになります。

実際そういうことがはたしてあるのか、ということですが、これは当事者どうしが好き合って一体となるというケースは、きわめて稀だと申せましょう。それよりも、より上位にある者の意志によって、ある一定の意図があって、結婚に似た霊的結合がなされることはあります。

たとえば、ひじょうに優れた魂があるとしますが、その優れた魂は、魂的に偏ったところが多くて、そのままではこれ以上の霊的向上が望めないという場合です。しかもその偏って足らざるところは、教育によってそれを補おうとすると、何千、何万年、あるいはそれ以上の歳月がかかるであろうと思われるときに、この魂の欠けている部分を補って、そして総合的な魂をつくることがありうるのです。

霊的存在どうしの結合といいましょうか、一種のドッキングがなされるわけであります。こうして総合的な魂となった際に、どうなるのかということですが、やがて上の次元に上がってゆくことが多いのです。

すなわち、八次元の如来といわれる世界に上がってゆくことが多いのです。このように霊的向上の原理としては、ひとつには各人の魂が自己修行によって光を増大させて、向上してゆくパターンと、もうひとつはかなり他力的な力も加わって、別々の魂が一体となリ、総合的魂になってゆく場合、こういうことかありうるということなのです。

ですから霊界においては、これを結婚という表現にしてよいかどうかはわかりませんが、魂が一体となるということはひじょうによくあります。


6.霊界の結婚と魂の兄弟の関係


さて、以上て霊界の結婚について、概論を話してまいりましたが、この霊界の結婚という考え方と、魂の兄弟という考え方がどのように関係するのか、それがわからないと思われる方も多いでしょう。

ここで、まだ、魂の兄弟について知らない人に説明をするとするならば、たいていの魂は本体と分身という組み合わせによってできており、本体を一とするならば、分身が五人ぐらいいる、このような霊的な集団となっており、そしてこの個々の魂が順番に地上に生まれ変わってくる、こういう理論であります。

これは、主として六次元以下で、七次元でも適用されるかもしれませんが、そのクラスまでの魂では、こういうことが成り立っているように思います。それは、遠い昔において、魂を形成したときに、そのようなグループとして魂を創ったことがあったからです。そうした遠い過去の記憶をひいて、現在でも魂の兄弟という、そういうグループがなされていることが多いのです。

さて、この魂のダループと、霊界での結婚とはいったいどうちがうのか、こう思われる方がいると思いますが、実は、今は霊的世界において、この魂の兄弟理論がかなりくずれかかってきているというのが真相であります。

もともとは六人でI組となっていた魂の兄弟で、近現代において、地獄に堕ちる人が急増していて、分離がひじょうに激しくなってきています。ひじょうに激しくなってきて、地上に出た魂が、天上界に還ってこないで地獄界にとどまっているというケースが増えてまいりました。

こうして、六人組の形式が大幅に崩れかかってきているのです。そうして、魂の兄弟理論からいえば、一人の兄弟が地獄にいるときは、他の魂は地上に生まれ変わってくることができないことになっているので、これであれば、とうてい地上に生まれ変わってゆくことができなくなってしまいます。

この意昧において、他の親縁な魂を呼び寄せて、魂の兄弟をつくってゆくという意味での結婚もあります。

これと違った意味での結婚もまたあります。それは、霊のなかで、もはや魂の兄弟の群れの中からはぐれて、はずれて、個性霊として生きている霊もかなりいることは事実です。個性霊として一体で生きている霊もおりますが、こうした霊はひじょうに心細く、たよりなく思っているので、なにかのときに自分の半身となるべき魂を求めております。

こうして、霊界において好きあった者があれば、結合するということがよくあるのです。こう考えてみると、実は霊の世界というのは、ひじょうにくっついたリ離れたり、自由自在な世界なのだな、と感じる人も多いでしょうが、まさしくそういう世界であるのです。

また、のちほどお話をすることになると思いますが、最近地上に生まれ変わっている霊のうちの多くは、まだ、なじみのない魂であることが多いのです。こうした異星人の魂ともいうべきものは、魂の兄弟組織が十分にできていない個性霊であることが多く、それゆえに単独で生活をしてゆくのに、不安を感じることが多いのです。

こうした霊を助ける意味で、地球出身の魂が、彼らを援助することがよくあります。こうした異星出身の魂を援助して、地球出身の魂が協力をしてやることがあります。この意味で、二人が一体となったり、三人が一体となったりして、生活をしてゆくことがあります。

あるいは地上では守護霊・指導霊という言葉がありますが、地上を去った世界、霊界においても守護霊・指導霊というのがあって、こうした不案内な霊に対しては、守護霊や指導霊がつねにくっついて生活をしていることもあります。彼らが独り立ちできるまで、指導をするのです。

もうひとつ、まだまだ規則からはずれている魂として、動物霊からの進化言というのがあります。動物から人霊への進化というのは、きわめて厳しい条件があります。よほどすばらしい生涯を何度かにわたって経験しなければ、動物霊が人間霊として進化してくることはありませんが、霊界の法則のひとつとして、そのような例外措置もあるわけです。

たとえば家畜のなかで、ひじょうに人間と親しく家族のように交わってきたもの、そして、人間になりたいと本人がひじょうに強く念願しているもの、しかも、人間に対して大いに協力をしたもの、こういう魂は一定の割合で、次の転生において人間に生まれ変わることも、可能とされています。

ただそのパーセンテージはきわめて低いものです。宝くじに当たるような、そのようなパーセンテージですが、家畜霊のなかには、強く人間として生まれたいという気持ちを持っているものが多く、人間の情がうつり、人間のような考え方ができるようになるにつれて、そういう形式をとることが多いのです。

ただ、こうした霊が、文明国に生まれ変わることはきわめて少なく、初めは未開の地において、人間として生まれてくるというケースが多いといえましょう。未開地において、原始人と変わらない生活をしている霊たちがいまだおりますが、こうしたところに、まず人間として生まれ変わってきて、基本的な生活パターンを身につけ、次第しだいに文明地をめざして進化してくることがあります。

このような進化霊の場合にも、魂の兄弟が成り立っていませんので、やがてどこかで、他の似かよった魂と共感し合って、自分の総合力を増してゆく方向に、ゆく場合があります。

このように、霊界の結婚という言葉で話をしましたが、この結婚はある意味での結合といい換えてもよいでしょう。このように魂が力を増してゆく過程において、さまざまな組み合わせや、取り合わせ、結合形態があるということです。これをまず知っていただければ幸いです。