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目次






 6.神霊界入門





1.小桜姫の霊界通信 (1985年7月20日の霊訓)


初めてお目にかかります。私が小桜と申す者です。仰せのとおり、神縁ありて小冊子(注・「小桜姫物語」を指す)を通して、こうしてあなたとお引き合わせていただき、小桜はたいへん果報者でございます。

さて、あなたと私とでは、生きている時代も違い、あなたのお考え、悩んでおられることの解決が、この小桜の任に負えますやら否やはとうていわかりかねます。いずれにしても、今日このように、神様のお力によってあなたにお会いできたのですから、小桜は、たとえ間違ったことを申すやもしれませんが、少しなりともお力になりたいという気持ちをあなたにお伝えしたいものです。

さて、私の境涯につきましては、すでに書物でお読みのとおりですので、主としてあなたに対して、こちらの世界から、助言なりと申し上げたく存じます。

あなたはすでに霊能をお持ちで、このお力を活かすことができないで苦しんでおられます。でも、あなたのこのお力は、もう間もなく生き生きと活かされることになるでしょう。浅野和三郎さんに霊界通信を送らせた者と同じ力が、あなたにも、いろいろとご指導なされるおつもりだからです。

思いついたままに、あなたへの言葉を書きます。

さてまず、あなた御自身の身の振り方に触れたいと思います。たいへん辛いこととは思いますが、あなたは、苦難に満ちた人生を歩まれることになります。

神のご助力と、多くの人びとの支持を受けて初めて、あなたもみずからの偉大なる御使命を果たすことができるというものです。これより先、物質的なるもの、この世的な欲望に執われることなきよう心めされよ。あらゆる執着を断って、神の道のみを極めようと心めされよ。あらゆる執着を断って神の道のみを極めようと心掛けられよ。この世的な幸せや、人の評判・名声といったもの、あるいは快楽といったものから心自由であっていただきたい。この小桜でさえ、日々身を清め、心を清め、神と人との間に立ってお務めをしているのですから、ましてや、私などよりはるかに大きな使命を持っておられるあなたですから、尋常一様のお心がけではとうてい神の命に耐えられませぬ。これより先、奉仕にのみ、ご自分のお心の力をお使いなさい。

ところで、あなたの日常生活ですが、いま一つ不足している点があります。それは精神統一の時間をあまりお持ちにならないところです。あまりみずからの霊能力を過信されることなく、時々は心を鎮めて神と対座されることはひじょうにたいせつなことです。ぜひとも今後とも、精神統一の時間をお取りになり、至らぬものではありますが、私たちからの霊界通信にも心を傾けてほしいのです。失意の時だけでなく、得意の時にも私たちの声に耳を傾けてほしいのです。あなたにとって天職とは、後(あと)にも先にも神の道を説くことであって、これ以外にはありません。どうか経済的な心配や、人の陰口など気にされないで、神の道を精進して行ってください。

現在ただ今あなたにできるのは、やはり読書されること、多少の書き物をなさることなどです。

今後、あなたがお説きになる法については、折々にいろいろな神界の方々が示唆されることでしょう。

今後も時折、私をお呼びください。今日はとても光栄でした。ありがとうございました。


2.霊的能力、悟り、祈りについて(1985年7月21日の霊訓)


昨日に引き続いて本日もお招きをいただき、ありがとうございます。

さて、さきほど豊玉姫様もおいでのご様子でしたが、姫様は、このような形で自動書記をなされたご経験がないため、たいへん不自由しておられました。そこで私が、あなたを退屈させぬ程度におしゃべりのお相手をつとめさせていただきます。

さて、それではご質問に答え、霊的能力と悟りの関係について語ることにしましょう。といっても、私の霊的能力もそれはどのものではなく、悟りの程度もたかが知れておりますが。

霊的能力は悟りにはつきものです。なぜかというに、地上の人間が霊的能力を得るということは、心の窓が開いて、神の光が射し込む状態をいうからです。心の窓を開くということが、同時に霊能を得るということであり、悟りを得るということでもあるのです。ですからその程度も、より悟った方ほど概して巨大な霊能力をお待ちです。

(しかし悪の勢力にもて遊ばされながら霊能を持っている人もいるのではないか。)

確かに悪霊の手先となって、霊能を使っているものもあります。しかし、真にその人が悟って霊能を持っているかどうかは、その人の人柄・人格を見ればわかります。

さて次に、あなた御自身の悟りについてふれましょう。

御自身が、悟られたきっかけは何だったと思われますか。それは単に自力によって得られたものだったのでしょうか。悟りというものはやはり、単に努力のみで得られるものではなく、人格を高めてゆく途次で、神の御力によって与えられるものなのです。すべての人が、その人の進歩の程度に応じた悟りを神より与えられるのです。

今日はそれほど長くいられませんので、次にひと言だけ、「祈り」について話しておきましょう。

人は近ごろでは、祈りというものをずいぶんと軽視します。しかし祈りというものは、もともと、神の子である人間にとって毎日の仕事だったのです。祈りを忘れたからこそ、人の心はますます神から遠ざかってゆくのです。

(それではお尋ねしますが、私が自分の個人的な幸福のためにいくつかのお願いをするなら、あなたや、あるいはあなたをお助けになる龍神たちは、私の望みをかなえてくれるのでしょうか。それともかなえてもらうためには、何かの条件が必要なのでしょうか。)

お答えいたしますと、まず、祈りが真剣なものでないと聴き届けられません。祈りが真剣なものであってはじめて、次に、その祈りを聴き届けることがその人にとって真に救いとなるかが吟味されます。そして最後に、その人にとって時期を得たものであるかどうかが検討されます。しかし、広義においては聴き届けられない祈りは一つとしてなく、何らかの形でそれが成就される方向に私たちの念力が働いており、仮に実現しなくとも、そのことによって、さらにすばらしいことが現われるよう、私たちは必ず祈っているものです。

ちなみに、あなたが念じておられる自己実現については、あなたの祈りは二年以上も前から私どもの世界に響いてきておりますが、いかんせん時期を得ていないためどうすることもできません。あなたは今、新しい天命の下に動きはじめておられますが、この動きが本格化するまでは、あなたの願いを聴き届けるのは早すぎると、私よりも上位の神々からのお達しが届いております。それは忍耐ということもあなたの修行にとって重要だと、神々が判断しておられるからにほかなりません。ですから、いましばしお待ちになり、あなたのなすべきことに励んでほしいのです。

(A氏の事業につき昨日否定的なお考えであったが、これを祈りの力によって成功に変えることはできないのか。)

一時的には、祈りが聴き届けられないことが理不尽に見えることもありますが、時間が経ってみると、もっとすばらしい結果を生み出すための踏み台であったことが明らかになることがよくあります。A氏もしかりです。

(あなた方光の使者たちの予言もまま違うことがあり、それが私を当惑させ、若干の不信をあなた方に抱くことにもなっているのだが、その点につきどう思われるか。)

確かに私たちの予言もはずれることもあります。しかし、そのような場合はおのずと限られております。一つは、あなたと私どもとの関係上、何らかの答えをしなくてはならない場合であり、その場合でも、あなたのお心が、ある結果をひじょうに強く希望しておられる場合、私どもはどうしても、あなたの希望に水を差すようなことはできかねるのです。結果は過ぎてしまえばよくわかるのですから。

(ほかに何か今日言っておかれることは?)

私からの通信は今後も続きますので、一冊の本にされるつもりで、私の通信を記録してください。おそらくこのノートブック六冊ほどで、一冊の本となりましょう。出来上がったら「神霊界入門」と題して、出版社から出してもらってください。そのころには、あなたからのご本も数冊は出版されて、かなり反響も呼んでおられることでしょう。では今日はこのへんで。


3.神仏の使者と悩み(1985年7月28日の霊訓)


さて、何日かの期間を置いて再びまた、あなたの前に戻ってまいりました。やはり、恋しい人に会うようで、しばらくお会いしていないと小桜は寂しうございます。かといって、あなたにとっては、小桜ごときに邪魔されるなどとは不本意に違いありませぬ。けれど、いつまでもそうとばかりはおっしゃられぬよう、たまにはためになる話の一つや二つはしてみましょう。

なにせ、あなたといったら、小桜が百年かかっても読みきれないような本をお読みになる方ですから、その知力にひき比べ、我が身の知力の見劣りは、毎度ながら苦痛にございます。けれどやはり、あなたも現象界に肉を持ってお生まれになった以上は、小桜たちの世界のことや、小桜たちの考えの大方をお忘れになっているに相違ございますまい。そういった勝手な理屈をつけて、今回も出しゃばった次第です。

さてまず最初に、日ごろのあなたを見て気のつくことからお話を始めましょう。昨夜でしたか、あなたは神様に次の二つのことを祈っておられましたね。

一、神仏の使者であることをすでに悟ったはずの者が、何故に、やはり時によっては悪霊の邪魔をうけ、肉体的にも変調をきたすのか。神仏の使者である者が、こんな弱い力しか与えられていないのか。神よ、答えたまえ。

二、神仏の使者であることをすでに悟り、高度の霊能力を持っている者が、何故に身近に住む人を嫌に思うことがあるのか。彼らが悪霊に憑依されていることは十分承知はしているが、それらのものと闘うことも、一つの与えられた使命であるはずなのに、悪霊に憑かれている人を嫌がり、避けたくなるのは、いかにも弱々しく、とてもこのままでは神仏のお役に立つとは思えぬが、これについて答えてほしい。

この二つのことが、あなたの祈りの内容だったと思います。小桜にわかる範囲でお答えしたいと思います。

まず、最初の質問ですが、これはしかたがないのですよ。この三次元の現象世界は、善と悪、神霊と地獄霊が入りまじって磁場を造っているのですから、あらゆる機会をみて、悪霊はあなたに攻撃をかけてくるのです。それはそうでしょう。あなたご自身の目的なり使命なりが、彼らの生きがいと両立していかないのですから、彼らにとってはあなたは邪魔になる敵、亡ぼしたい人の筆頭みたいな人物です。あなたを苦しめているのは、単なる地獄霊というのは少なく、やはり悪霊の頭、サタンと呼ばれている、目的を持って行動している悪霊が主です。

あなたは彼らと闘うためにこの地上に生まれた、いわば職業戦士ですから、彼らに苦しめられるのは、いわば降りかかる火の粉、振り払わざるをえません。せめてできることは、肉体を健康に保つべくよくコントロールし、精神的疲労感を一掃して、抵抗力をつけておくことです。また、あなた自身の将来に対する不安や自信のなさが、彼らのつけ込むスキになっておりますから、将来に対して確固たる自信を持ち、古い言葉でいえば「不動心」ですね、これを養ってゆくことが大切です。

第二の点、これも難しいものですよね。霊的に目覚めれば目覚めるほど、他人を愛さねばならないという使命感が強くなるのですが、それとちょうど反比例して、悪霊に対する嫌悪感が強くなって参ります。過去の宗教家たちも、まったく同じ問題でずいぶんと苦しんでこられたのです。自分が人格的に高くなればなるほど、他人の欠点がよく目につくようになってくる。また、真に善いものとは何かを知れば知るほど、悪に対して敏感にならざるをえない。また、霊的能力があるから余計に悪霊に対して過敏となる。ちょうど悪循環が始まるわけです。

けれどもこの問題も、一つにはあなたが普通の人間と同じような社会生活を営もうとしているから生じるのです。霊人として、宗教家として徹した立場で行動するなら、この世の人に憑きたる微々たる悪霊など、あなたにとって問題にもならぬはずです。ですから、これも過渡期の問題と思ってください。ごく近い将来には、あなたは決然として、悪霊に悩める人びとを救いはじめるのですから。この問題は自然に消滅するものと思われます。


4.生まれ変わりの池


さて、今日はもう一つ別の話をするためにやってまいりました。あと三十分から四十分ほどお時間を頂戴したいと思います。

あなたもまだよくご存じないようなこととして、転生輪廻のしくみについて、お話ししましょう。

人間の魂が幾代にもわたって生まれ変わるということはご存じですよね。けれども、実際にどのようなしくみで生まれ変わりがなされているのか、また、どういった過去世を生きたら、どういった来来世が待ちうけているのかといったことを、詳細に述べられたものは、それほどないと思います。

そこで、こちらの世界でも魂の段階に応じて住む世界が違うことは、すでにあなたもご存じのことですが、それらの段階別にどのような生まれ変わりがあるかということを、私の知る範囲でお伝えしたいと思います。

まず最初の例は、江戸時代にある藩にお姫様として生まれ変わった人の話です。その人の名を、かりに千姫と呼んでおくことにしましょう。千姫は、過去世においてはチベットという国に、今から一千五百年くらい前に生まれました。そのときは、とても厳しい修行の人生を送り、一生を独身で、まあ、いわば尼さんの生涯を送りました。そして五十七歳でひっそりとした人生を閉じたのです。この人は十八歳のときに、ひじょうに恋焦がれた人があって、その人と連れ添いたかったのですが、その人が仏道修行のために出家をしてしまい、とうとう結婚はできなくなってしまったのです。そこで他の人といまさら結婚する気にもならず、そのスミレのようなうら若き女の身を、やはり仏の道に投げ入れることになったのです。

けれども、その女心の深い底にあるのは、やはり、心に思った人への憧れ、真の仏道修行ではなく、死んであの世に還ってからこそ、その恋する人と一緒に夫婦になりたいという思いでした。やがてそのような恋心を押し包んで尼として生きた生涯を終え、こちらの世界にやってまいりましたが、やはり心のあり方は、仏の境涯にはほど遠く、女としてもっと人間的な一生を送りたかったという気持ちでいっぱいでした。もちろん想っていた人とは、こちらの世界で一度きり会えましたが、彼の修行がはるかに進んでいたために、とうてい夫婦になることもできず、ある人の紹介をうけて、私、小桜のもとを訪ねて来たのです。

その日は、そうですね、ちょうど小春日和のような穏やかな日で、朝から小桜の胸には、「ああ、今日はだれか私を訪ねて来るな」という、虫の知らせのようなものがありましたので、じっと持っておりますと、ちょうどお昼前後頃だったでしょうか、歳(とし)のころは二十八歳ぐらいの、尼さんの姿をした彼女がやってまいりました。日本の尼さんに近い格好で、白い頭巾(ずきん)を被り、紫色の袈裟(けさ)のようなものをまとい、足は白たびでした。右手には、なぜか、巡礼が持つような鈴のついた杖を持っておりました。

「あの、小桜姫様をお訪ね申したいのですが。」「私が小桜です。さあ、こちらに上がりなさい。」といった会話から始まり、彼女の身の上話を延々と何時間も聴きました。小桜も結婚こそいたしましたが、死に別れた夫のことで、心の修行を重ねてまいりましたので、そういった点が共感を呼んで、彼女を私のもとに呼びよせたようです。

彼女の願いは、もう一度人間として地上に生まれたい。ついては、日本の国が仏国として栄えているゆえ、もう一度この国に生まれ、心を入れ替えてここで修行をし直し、こちらの世界に来ている、心に思い染めた人と同じ境涯にまで達して、あらためてその人と夫婦になりたい、というものでした。

なるほど、「女の一念岩をも通す」と申しますが、この方の場合は、「女の一念三世を通す」とでも申しましょうか、とにかくすごい思い込まれようです。

しかし小桜は、この女性が、また尼さんのような生涯を日本の国で送ることに反対いたしました。そのような恋心で仏門に入っても、結果は見えていると申しますか、前回とおそらく同じになってしまうし、それではせっかく、小桜たちの国まできて生まれ変わる意味がないではないですか。

そこで小桜はまったく反対の生涯をこの女性に提案したのです。つまり大名の家にお姫様として生まれ、華やかな生活を送るなかで悟るという生涯です。小桜の意見では、人間は格別に仏門に入らなくとも、日常生活のなかで悟ることも可能だし、神様はおそらく、私たち女性に対しては、むしろそちらのほうを望んでおられるに違いありません。女の人は、正常な結婚をして、貞淑な妻として夫に仕え、家庭の要(かなめ)となってゆくなかで、神の道、仏の道に誘われるのだというのが小桜の考えですし、また、私が現在、神様の一人として小桜神社に祀(まつ)られている理由も、私が神の道、仏の道を修行したからではなく、女として生きた一生のなかに、神仏の心に適(かな)うところがあったからだと思います。

この女性は丸一日、私の話を聴いて納得しました。ところが次は、いったいどうしたらお姫様として生まれ変わることができるかが問題となりました。私もそのへんのことは詳しくありませんでしたので、いつもの指導役の龍神のおじいさんにお願いしたところ、こういうことを伺いました。

つまり、それぞれの産土神(うぶすながみ)のお治めになる領地の中に、「生まれ変わりの森」という場所があるのです。生まれ変わりたい人はその森に行くと、そこには小さなお堂があるのですが、その前で、自分の過去世の告白をし、自分のどういうところをどのように改めたいから、今回はどういう地域にどういう自分で生まれたい、そしてこのようなことをしたい、ということを願(がん)かけするのです。祈願の内容が産土神の御心に過(かな)えばすぐに許可されますし、許可されない場合には、しばらく産土神の命ずるところへ行って修行を積み、もう一度、生まれ変わりの目的と希望内容を祈願するのです。

こうして、産土神に生まれ変わりを認められると、次は、「生まれ変わりの池」というところを目指して歩いてゆきます。そこは、「生まれ変わりの森」から歩いて一時間くらいでしょうか、森が途切れた所で、ちょっとした、そうですね、三メートルぐらいの崖(がけ)になっており、その下が直径二十メートルぐらいの美しい池になっているのです。その池を崖の上から見下ろすと、予想に反して自分の姿は映らず、他の中に何層にもなって世界が見えてくるのです。深いところの世界、浅いところの世界などです。

しばらく見つめていると、池の底のほうに自分が生まれ変わってゆく先の世界が見えてきますので、そこを目がけて思いっきり飛び込むわけです。いったん他に飛び込むショックでみんな気を失ってしまいます。そして母となる人の胎内に宿るわけです。この「生まれ変わりの池」に飛び込むときに気を失うということが、人間が地上に生まれて過去世の記憶を失ってしまう理由なのです。この「生まれ変わりの池」に飛び込むところが崖になっている理由は、それだけの覚悟をして生まれ変わってほしいという意味からです。

なかには、この崖まで来て、気が弱くなって引き返す人も出てくるのですが、たいていは、その人の守護霊や指導霊に説得され付き添われてもう一度帰ってまいります。ごくまれな例としては、産土神にお詫(わ)びをして、やはり霊界にとどまる人もいるようです。そういった人は、やはり生まれ変わりの時期が来ていないのであって、まだまだ霊界で勉強しなければならないのです。産土神もそのことを十分承知しながら、本人に自分自身で思い直してもらうために、「生まれ変わりの池」まで行かせることがあるそうです。

ところで例の女性ですが、無事に「生まれ変わりの池」までたどりつき、首尾よくお姫様に生まれることができましたので、どうかご安心ください。これが生まれ変わりの一つの例です。


5.親子、兄弟、夫婦の縁(1986年4月6日の霊訓)


小桜です。たいへんご無沙汰しております。この前の通信から、一年とはいいませんが、数力月経(た)ってしまいました。この間、みなさま、たいへんご苦労もされ、また、いろいろと事業も進展しているご様子、小桜も嬉しうございます。昨夏、善川さんのご指摘がありましたとおり、小桜の通信には、思想も気品もないため、読者ががっかりされるだろうと、あなたもお思いのことと思います。おおせごもっともで、小桜は学問も教養もない女性ですので、あなたにお伝えできるのは、私がこちらに来てからの経験と、わずかばかりの私の心の持ち様の変化だけです。でも、私は私なりに思いもし、望みもするのですが、あなた方が刊行しておられる難しい霊言集もたいせつなものではありますが、ひじょうに内容が難しいので、小桜のような、平凡な女性が読者であってもわかるような、平易な霊界通信も必要なのではないでしょうか。そこで、私は私なりに、この通信が出版されるかどうかは、あなた方三次元のみなさまのご事情にゆだねるといたしまして、こうしてご縁が出来たのですから、少しなりとも私の気持ちをお伝えしておきたいと思うのです。

さて前回は、生まれ変わりの不思議についてお伝えしましたので、今回は、別の視点から、私たちの世界のことをご紹介いたしたいと思います。今日お伝えしたいことは、この地上に生まれるとき、親子、兄弟、夫婦、友人たちの縁が、どのように出来るかということです。

親子の縁


まず、親子についてお知らせしたいと思います。親子の関係というものは、ひじょうに縁の深いものです。これは、一回や二回の生まれ変わりで出来たものではありません。

親子となる場合は、次のようなきっかけでそうなるのです。

一、過去世でたいへんお世話になった方へのお礼の意味で親となる。

二、職業的に大を成すことを計画している人が、その職業を予定している人と約束して子供となる(音楽家などに多い)。

三、過去世でも親子の関係があった。

四、魂の傾向が似ているものどうしが互いに引きつけあう。

五、高級神霊が、あるご計画達成のために親子となるべき魂を決められる場合。

だいたい以上が親子となる場合です。


兄弟の縁


兄弟となると、多少色あいが変わってきます。親子となるよりは多少結びつきは希薄となりますが、何らかの縁で結ばれていることに変わりありません。

一、男親、あるいは女親と別々に縁があり、当時者どうしはそれはども知りあっていない場合。

二、過去世で、兄弟あるいは友人だった場合。

三、過去世で、敵またはライバルだった者たちが、そのカルマの刈り取りのため、兄弟となった場合。

四、かつて恋人、あるいは夫婦であった者たちが、今世でもどうしても出会いたいというので、兄と妹、姉と弟となる場合。

以上のような場合です。


夫婦の縁

さて、夫婦の問題が微妙です。これは親子と同じくらいか、ある意味で親子以上に深い縁ともいえます。というのも、男の魂にとっても女の魂にとっても、人生の大半を共に過ごす伴侶であり、互いの人生への影響度は甚大だからです。ですから、たとえば女性の人生というものは、この世に生まれる前に、あの世で夫となるべき人を選定する段階から、だいじになっているのです。

さて夫婦になる縁には次のようなものがあります。

一、過去世でも夫婦であった場合(これがいちばん多い)。

二、過去世では恋人どうし、または片想いであった者で結婚できなかった者が、どうしても夫婦になりたいと約束する場合。

三、過去世で互いに傷つけあい、争いあった者が、そのカルマを刈り取るために夫婦となる場合。

四、神霊界の媒酌人の引き合わせにより、未知の魂同士が、新たな人生計画を遂行するために選ばれる場合。

だいたい以上の場合が夫婦の縁ですが、どの場合にも、この地上界に生まれてくる前に、霊界において、夫婦の約束をして出ていることが肝要です。

このことに関して次のような問題が派生してきます。

まず第一番目は、貞操観念についてです。近年地上界では、世界的に貞操観念が薄れ、残念でなりません。男女の自由な性的結合が行なわれているようですが、何か、盲目の者どうしが手探りで、手に触れるものを何でも掴(つか)んでいるようで、不愉快な感じがします。妻だけしか女性を知らない男性、夫だけしか男性を知らない女性の存在が、滑稽視(こっけいし)されるような世の風潮に対して、小桜は、とても悔しい想いでいっぱいです。むしろ怒りに近いものを感じます。

夫婦というものは、この世で、二十数歳の男女として知り合ったのが最初ではないのです。すでにこの世に生まれる前から、いっしょに努力してやっていこうと約束した仲なのです。ですから、自分の妻となるべき女性以外に手を出す男性は、他人の妻となるべき女性を奪うのですから、実在界から見たら泥棒と同じです。また、何人もの男性に身を任せる女性も、契約違反そのものです。自分の名前が一つしかないように、自分の家が一つしかないように、妻、または夫となるべき人は、一人しかいないと考えるのが筋です。

第二の問題として、離婚および、再婚というものについて考えてみたいと思います。離婚、および再婚が多くなったのは、この世的条件で相手を見ることが多くなったということが一つ、また妻以外、夫以外の男女を知る機会が増えたことが一つです。女性の職場進出が増えていく今後、離婚、再婚の問題はますます多くなってゆくでしょう。

この背景には、男女を別々の個性と見なし、互いに尊重しあいましょうといった西欧的な考えがあるのは明らかですが、ほんとうの正しい認識は、男女は二人で一組となっていると考えることなのです。お互いを尊重するのではなく、自分自身を尊重するということなのです。

とはいえ、再婚が悪いわけではありません。青春期に、好きだった人が一人きりという人は少ないと思います。同じように、夫婦となるべきカップルもベスト・カップルと、ベター・カップルとがあって、前者の場合には、相手は一人しかいませんが、後者の場合には、相手が複数いる場合もあるのです。ですから、たとえ再婚したとしても、その知り合った相手を縁ある人として、大切にしてゆくことがだいじです。偶然なるものは、この世にはないのです。すべて目に見えない、張りめぐらされた縁の糸によって、人びとは結びつけられてゆくのです。


友人の縁


同じようなことは、友人の場合でもいえます。この世限りでできる友人もいますが、多くの場合は、何回、何十回もの転生輪廻で知りあった者どうしであることが多いのです。また、特に、高級霊が使命を持ってこの地上に肉体を侍つときには、彼を守り、援助するために、過去世の弟子や友人たちが大挙して同時代、同地域に生まれてくることがあるのです。

ですから、互いの魂に影響を与えあうような友人どうしは、今世限りのものではないという考えのもとに、立派な友情を築いていってほしいものです。

過去世からの縁というものをずいぶんと話してきましたが、他方では、今世で始まる縁というものもあるのですから、これもまた大切にしてゆきたいものです。

目に見えない糸を大切に紡いでゆきましょう。そのことが、あなた方の魂の向上に益することもまた多いのですから。

では今回は、親子、兄弟、夫婦の縁について語りました。次回は、多少難しくなりますが、「魂の進歩」に関して語りたいと思います。この小桜の言葉にいま少し、耳を傾けてくださることを希望します。


6.神霊界入門(1986年4月6日の霊訓)


今回は、再びあなたに通信を送れる幸運を感謝いたします。なにせ、あまり文章を書いたこともない私ですから、文章の拙(つたな)いことはいわずもがな、あなたの頭のなかの言葉を使わせていただきながらも、私自身の考えは、何百年も前の古色蒼然(こしょくそうぜん)たるものですので、われながらあきれてしまいます。

でも、どうかわかっていただきたいのです。今回私がこうして通信を送る理由は、ただ単に小桜がでしゃばりだからだけではないのです。昨年、潮文社さんから、「小桜姫物語」というのを出させていただいておりますが、その編著者であられた浅野和三郎さんがおっしゃるには、「潮文社から同じく、霊言集を出しておられる〇〇さんに通信を送って、『小桜姫物語』の続編を出しなさい。あのままでは、霊界通信としてはとても未熟、未完であって、後世の人びとに申し訳がない。あの本はせいぜい『霊界入門』のレベルであるので、小桜よ、ご苦労だがもう一度、現界に舞い戻って通信を送り、せめて『神霊界入門』程度の書物を遺(のこ)しておいてほしい。」と、こうおっしゃったのです。

私は、浅学非才の小桜ではどうも任に耐えませんとご辞退申し上げたのですが、浅野さんがおっしやるには、自分が遺した仕事と、〇〇、〇〇両氏のお仕事との間には、あまりにも飛躍があるので、この飛躍を埋めるものを、中継ぎになる何かを出しておきたいとのことなのです。

浅野さんも、〇〇、〇〇、お二方の日本での先駆者としてお生まれになられた方ですから、そのお言葉ももっともであり、私のようなものの霊界通信も、日蓮聖人や天照大神のような偉大な方々の霊言との隙間(すきま)を埋めるものとして、何らかのお役に立てはしまいかと考えたのです。

そういう意味で、この小桜も今後、神霊界での浅野和三郎さんのご指導を仰ぎながら、通信をお届けいたしますので、次第しだいに内容も向上してゆくものと思われます。

浅野さんがどのあたりにおられるか、疑問をお持ちのようですが、浅野さんは近年こちらの世界でも、神界から菩薩界へとお上がりになられたところで、霊格もたいへんごりっぱになられているので、そのご経験をこの小桜を通じてお伝えしたいとのことです。浅野さんのお弟子様方もまだ存命なので、みずからの通信となるとご自分のお弟子様が、〇〇さんや〇〇さんをご批判なされるのをたいへん心配しておられるので、この小桜が、媒介役を買って出たということなのです。

そういうことで、これから次の内容の霊界通信へと入ってゆきたいと思います。