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目次

















(一九八六年十二月八日の雲示)

1.天上界から地上の皆様へのごあいさつ


内村鑑三です。今、現代の日本で、大川隆法を通じて、さまざまな聖霊たちが、地上の人びとヘメッセージを送り続けているということを知りました。私も、この日本の地で、キリスト教の復興のために一生を捧げた身でありますから、こうした機会を通じて、現代の日本の皆様に、そしてまた、現代のキリスト教徒たちに、心の教えを語ることができる機会を与えられましたことを心から感謝したいと思います。

私の感謝は、現在生きていらっしゃる皆様に対してだけではなく、私にこのような機会をくださった天にまします我が主イエス・キリストに対する感謝でもあります。そこで、キリストの御光のなかにおいて、これから私は、地上の皆様に、私に可能な範囲で、私が体験したこと、私が考えたこと、またクリスチャンたちにとくに訴えたいことなどを、今日から八日間にわたってお話をしていきたいと思います。

あの世の私たちが考えていることを、このような形で地上の皆様に公表できるという機会は、おそらく二千年に一回あるかないかでしょう。こうした機会に際会(さいかい)できたことは、私にとっても嬉しいことであり、このような形で、肉体なき私が皆様に言葉を伝えられるということは、これにまさる感激はありません。また、地上の皆様も、これから現前に繰り広げられてゆくこの奇蹟に対して、おおいなる敬意を払うべきであろうと思います。

私たちのように宗教家は、この地上を去っても、まだいろいろと悔いることがとくに多いと言えます。ああしたら、人びとを教え導くことができたのではないか。こういうふうにしたら、もっと多くの人たちを救うことができたのではないか。こういう思いというものが、いつになっても絶えません。それは、近代に出た私だけではなく、数百年前、あるいは数千年前に地上を去った方がたにとっても、同じことが言えます。つまり宗教家にとっては、できるだけ多くの病める魂たちを救うということが使命ですので、ここまでやればよいという限界がないからです。

そういう意味において、私が地上においてやリ残したこと、また、私の教えにおいて修正されるべきこと、こうした点について、皆様の前にそれを開示し、今、ご説明できるという機会を持てたことをほんとうに嬉しく思っております。


2.近代日本に新たな精神原理というものを打ち立てるべく、私は出た


今日は第一日目ですが、第1章として、「キリスト教と日本」という大きな題を選んでみました。このことに関して、四十五分ほどお話をしていきたいと思います。その間(かん)、退屈される方もいらっしゃるかもしれませんが、ご寛容にお聞き下さるようお願いいたします。

さて、私は、明治という時代に日本に生を受けて、明治、大正、そして、昭和のはじめという三つの時代にわたり活動する機会を与えられたわけであります。

明治という時代は、非常な動乱期でありました。徳川幕府という三百年近く続いてきた体制が崩れて、新たな時代がはじまる移り変わりのときであったわけです。古い価値観が崩れ、新しい価値の体系が出てくる。そういう時代のなかで、人びとは、大きな期待を抱いておりました。イエス・キリスト誕生のときのようなメシヤ降臨の期待とはもちろん別個のものでありますが、新たな時代がこれから開けてくるという期待、自分たちの力によって、新たな時代をつくっていくことができるという期待、そうしたもろもろの期待が、人びとの間に渦巻いておったのであります。

私は、そうした時代を選んで、この日本に生まれました。そして、私の一生のほとんどは、皆様ご存知のように、クリスチャンとして、生きたわけであります。これについては、また後ほど、詳しくお話する予定です。

明治の頃の日本というのを見てみると、維新の志士が活躍して、新たなる政治体制の確立ということに重点が置かれた。また、自由主義経済の萌芽のようなものが現われてきた。わが国に憲法が発布され、内閣制度がスタート。そして、天皇陛下の名のもとに、新たな国づくりというものが生まれてきた。そうした時代だったと言えます。

天皇陛下というものを象徴として担(かつ)ぎ、旧幕府体制、これに代わるものとして置いたのは、それはそれでよいでしょう。しかし、日本人というのは、何かと精神的な支柱というものをほしがるものだということを、私はつくづくと感じました。この点について、もう少し詳しく説明しましょう。

日本人は、昔の忠君愛国の精神で生きてきたわけです。つまり、封建時代の滅私奉公にはじまり、お家大事(だいじ)、藩に仕え、藩主は、徳川幕府、徳川将軍家に仕えるという形での忠君愛国ですが、これはまあ儒教でしょうね、とにかく、儒教の影響を非常に受けたと言えます。しかし、時代が変わり明治となった。ところがまた、今までのものに代わる新たなる精神的支柱というものを欲(ほっ)したわけです。

とはいえ、その精神的支柱というものが何だかわからない。そこで、まず、天皇主義というのを持ってきた。単なる象徴天皇制ではない実権のある天皇制ということですね。そして、天皇というものを現人神(あらひとがみ)ではありませんが、生ける神様のように奉(たてまつ)った。明治とは、こういう時代だったのです。

ただ、そうした時代において、天皇の復古主義というものは、まあ、昔からある主義でもあるし、こうしたものを新たな日本に取り入れる必要があるのか。むしろ、新たな精神原理というものを近代日本に打ち立てるべきではないか。そう考えて、私は、この地上に生まれて来たわけであります。


3.私の過去世は預言者エレミヤ


内村鑑三の過去世は、預言者でありました。今から二千五、六百年前ですから、ちょうど釈尊(しゃくそん)がインドにおいて活躍していた時代と同じ頃に、古代イスラエルの地に生まれました。私が預言者として生きていたときの名は、エレミヤと申します。旧約聖書のなかに、「エレミヤ書」というのがありますが、これは、私が預言者として、当時、神と呼ばれていた唯一の主から受けた啓示をまとめて、世に伝えていたものです。

現代において、今、大川隆法が受けているような啓示と同じようなものだと言えます。当時、私は、こうしたものを、明瞭な形ではなかったとはいえ、霊聴というものでもって、主の言葉を聞くことができました。そこで、それらを書きとめては、当時の人びとに、「主の言葉は、これなり」と説教して回っていたわけです。

当時は、バビロニアが攻めてくるというような国の危難の時代でありましたから、人びとは邪宗を、邪教を信じておったわけであります。そこで、私は、人びとに伝えたのです。そういう邪宗を信じておったならば、必ずや国難が生じて、人びとは苦しみを受ける、と。まず、外国の軍隊が攻めてくるであろう。軍隊とは、すなわち、バビロンの勢力である。ネブカドネザル王の軍勢が攻めてくるであろう、と。それのみならず、飢饉(ききん)、あるいは、蝗(いなご)などの害虫による被害も起きるであろう。もろもろの天変地異に見舞われるはずである。こうしたことのすべては、人びとの心がまちかっており、正しい教えに帰依(きえ)していないがための心の不調和から起きる結果である、と。

こういうことを、私は、伝え、語ったわけです。

現在では、怒りの神とか、神罰を与え給う神などという表現は流行(はや)りません。しかし、二千数百年前という大昔のことですから、そうした形で訴えないと、人びとはわからなかったわけであります。日本でも、昔は、仏罰があたるとか、神罰があたるとかよく言いました。では、具体的に仏罰、神罰というものがあるかと言えば、そういう形があるわけではありません。ところが、そうした方便をも使わねば、人びとは理解できない時代だったのです。

「エレミヤ書」のなかにおいて、私は、その万能の主、万軍のエホバが人びとに罰を与え給うということをずいぶん言いました。現代の人びとから見れば、時代錯誤的(さくごてき)であって、そうした怒り狂う神というものは、とうてい承服しがたいものでありましょうけれども、時代が時代であれば、そうした警告も必要だったということです。

諄々(じゅんじゅん)と法を説いてわかるような段階にある人間というものは、よほど悟っている人であるはずです。あるいは、教えが広がって心に余裕ができている時代でなければ、そういう人間は現われないでしょう。激しい国難が襲ってくるような末世の時代においては、そうした法でもって、人びとに教えを説くことは、なかなかできません。とはいえ、まちがった教え、災難イコール危難だとする原始的な方法というのをそのままにしておいたのでは、何よりも人びとのためになりません。そこで、私は、ほんとうの神の存在を信じていなかった人びとのために、主として預言という形で、教えを説いたわけであります。私の教えのなかに、それほどの心の教えがあったかどうかは知りません。しかし、唯一の神、エホバの神があったということ、あるということを人びとに信じさせ、正しい信仰に目覚めさせるという、この一事のために、私は、数十年の人生を送ったのです。


4.エホバの神の実体は、複数の高級諸霊であった


このエホバの神の実体は、一体何者であるかということを、人びとは不思議に思うでしょう。しかしまあ、主としてエホバの神と言われていた実体があったのでありますが、はっきりした明瞭なものでなくて、ほんとうは複数の指導霊たちが天上界にいたわけであります。アラーとかエホバとか言われていた特殊な個性を特った高級霊もおりましたけれども、それ以外にも、イエス・キリストの、要するに誕生前の生命、こうしたものも指導しておりました。あるいは、仏陀の生命体というものも、インドで活躍しておったけれども、時代が同時代であったから、そうした生命体の一部は、またイスラエルの地でも指導というものはやっていたのです。

すなわち、こうした形での高級諸霊のことを、まあ、エホバと呼んでおったのであります。そして、そのなかでも特定な人はもちろんいたわけですけれどもね。ですから、そうしたエホバにあたる高級諸霊もいたわけですけれども、必ずしも彼だけの言葉だけではありません。もろもろの指導霊たちの言葉です。

当時の人たちには、そうした高級諸霊がたくさんいて、そうした方がたがいろいろなことを語るという教えというのが不可能であったがために、エホバの名を通じて、語っておったわけです。現代のように時代が進んでくると、日蓮の言葉であるとか、空海の言葉であるとか、あるいは、キリストの言葉であるとか、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の言葉であるとか、こういうことを言っても人びとがわかる段階に来ておるけれども、当時はわからなかったわけです。まあ、そういうことで、当時の人としては、今流に言うならば、親神様が来て、語ったというようなことであったのかもしれません。


5.私は、二つの「J」のために一生を捧げた


私が預言者エレミヤとして存在した時代から二千数百年たって、日本の地に生まれ、内村鑑三として肉を持ちました。しかし、生命体としては、やはり主としてキリスト教系の光を身に呈しておるがために、私はキリスト教というものを広めたわけであります。

日本の地にも、鉄砲伝来の頃から、原始キリスト教の形で入って来てはおりました。西暦千四、五百年頃のことですね。ですから、皆さんも、天草四郎などと言ってね、バテレン、島原の乱、こういうのがあったということを知っておるであろうし、あるいは、細川ガラシアとか、そうしたバテレン信者たちがいたということも、知っておるでしょう。あるいはまた、高山右近ですか、こういうクリスチャンもおりました。もちろん、当時の彼らが知っていたクリスチャニズム、キリスト教というのは、ある程度、歪(ゆが)められたものではあったわけですが、ともあれ、そういう伝統が、すでに日本の国にもあったということです。

しかし、それだけでは、ちょっともの足りないということで、本格的なキリスト教を明治の日本に持ち込むべく出たのが内村鑑三であったわけであります。もちろん、同時代に出たのは、私ひとりだけではありません。ほかにも有名なクリスチャンたちが、数多く出ました。そして、日本のなかでは、内村鑑三、その弟子の流れで矢内原忠雄とか、塚本虎二、こうした無教会派の流れというものがあったわけです。

さて、今日の本題である「キリスト教と日本」ということに関して、もう少し話を進めていきたいと思います。私の著書のなかにも述べておりますが、私は、二つの「J」、このために一生を送りたいと願ったわけであります。二つの「J」とは何か。ひとつはジャパン、すなわち、日本であります。もうひとつの「J」とはジーザス・クライスト、すなわち、イエス様です。つまり、日本とイエス・キリスト、この二つの「J」のために、私は一生を捧げる決意をしたわけであります。

先ほども申し上げましたが、当時の日本を考えたときに、天皇という生ける神というものをつくってしまって、その前に、人びとがひれ伏すという考え、これに対しては、私は、何とも承服しがたいものがあったわけであります。生きている人間が高級神霊のエネルギーを呈して地上に出る、神の代理人として出るということは、もちろんあり得ることであります。しかし、神の代理人であるならば、神の代理人としての、やはりそれだけの使命と霊格を備えておらねばならんのではないかと、こう思ったわけです。

新生日本において、ほんとうの神のもとに人びとが集(つど)うならともかく、たまたま血族で天皇家というところに生まれたがために、その人が神となるのは、これは原始の時代の宗教にすぎません。ですから、近代における宗教としては、どうしても納得しがたいものがあったわけであります。

私が考えるには、人びとが、その前において、ひざまずき、ひれ伏するに足る人、それは、やはりイエス様をおいて他にはないと思いました。ですから、このイエスの愛の教え、こうしたものこそがほんとうの教えであるし、また、日本人にはない教えであろうと思います。


6.明治の日本に必要だった精神原理は、愛の教えであった


今まで、伝統的な日本の国を律してきたものは、孔子の儒教、すなわち上下の秩序を保つという教えでありました。あるいはまた、日本神道系における秩序の概念であったと言えるでしょう。

しかし、明治は、四民平等の時代であります。つまり、すべての人が、神の子として、自由自在に活躍できる時代でありました。そこで、そういう時代に必要な精神原理とは一体何であるかと考えるに、それは、やはり愛の教えであろうと私は思ったのです。

愛とは、何か。愛の本質というのは、まさに、人間平等の思想なのです。人間に上下があり、忠君愛国ではありませんが、主(あるじ)と臣下とがあるという考えでいったならば、そこにあるのは、一方的な愛の押し売り、上から下に与えるだけの愛、これでしかないと思うのです。

しかし人間は、すべて神の子なのです。とすれば、神の子であるということにおいて、やはり平等であるべきだ、と私は思うのです。平等であるとは、人間としての能力が平等であるとか、生まれ持っての性格が平等であるとか、経済力が平等であるとか、こういうことでは、もちろんありません。こうしたことは、あくまでも地上に現われたるさまざまな顕現態様(たいよう)の差異であって、神の子、人間の本質とは、また別のものなのです。ですから、人間は、神の子であるということ、まず、これを認める。神の子であるという前提のもとに、平等であるということを認める。かくしてはじめて、愛ということが納得できるのです。そうではないでしょうか。

では、愛とは、何ですか。愛とは、一体何でしょう。もともと人間は、今言ったように、神から分かれてきた生命です。であるならば、他人と見えるものでも、これは他人ではなくて、ほんとうは兄弟なのです。同じ生命、同じ親から生まれて来た兄弟なのです。そして、兄弟であるからこそ、人びとは仲良くしなければいけないのです。この原理が、明治の日本には必要だと思いました。すなわちそれは、上下観ではなくて、平等観であり、横のつながりなのです。


7.明治以降の日本は、平等と公平の二つの価値概念を中心に発達してきた


では、平等であればいいのか。まあ、こういう考えもあるでしょう。それだけでは、もちろん、足りないことがあります。そのために、明治以降の政府は、しきりに学問というものを奨励しました。福沢諭吉さんという人を出して、「学問のすすめ」、こういうものを、神様は書かせました。そして、人間というものは、天のもとに平等で、その努力によって報われる社会、そういったことを説かしたわけです。彼は宗教家ではありませんでしたが、そうした原理を説きました。福沢さんは、今、私がいるところと同じようなところにいて、よく話をしております。

個人の努力、あるいは、その努力の差によって、さまざまな社会における役割を変えていく。これは、機会が平等に与えられるということにおいて、ほんとうの公平さだと思います。ですから、近代の政治、あるいは、社会の原理というのは、平等と公平、この二つの原理から成り立っていると思います。

平等の原理とは、愛の原理です。人間は、すべて神の子で、愛しあわねばならないという愛の原理。公平の原理とは、等しい機会が与えられた以上、その努力と努力の結果によって差異がつくられていく。これが公平の原理です。ですから、一生懸命勉強した人が報われず、何も勉強しなくても、大金持ちの家に生まれただけで、幸せになるというような社会だとしたならば、どこかがおかしいと言えるのです。ともあれ、明治以降の社会というものは、この平等と公平の二つの価値概念を中心に発達してきたと思います。

とはいえ、一方では、伝統的な秩序観、上下観というものが、何度も何度も繰り返して出てきた。この平等観、すなわち、人間はすべて平等ではあるのですけれども、平等観のなかにも、ある程度の差がある。その部分ですね。では、その差として、生きている人間が認めていいものは何か。それは、はっきりと神の子として地上に出て、人びとを救っていった救世主イエス・キリストだと言えます。何人も、イエス・キリストの前には、平等だと私は思う。しかし、天皇陛下のもとに平等かと言えば、問題がある。つまりそれは、血筋で決められた地位だからです。人間がつくった偶像だからです。

しかし、イエス・キリストが、神の教えをほんとうに地上に持っていらした人であり、その人格において、過去、最大の人格者であったということは、だれもが否(いな)めない事実でありましよう。ですから、手近に、その人の前にかしずき、その人の前にひざを折るというのであるならば、イエスに対する信仰を抜きにして、それは語れないと私は思います。


8.イエスの生涯は、旧約聖書のなかに預言されたとおりであった


ここで、イエス・キリストの信仰について、少し話をしておきたいと思います。イエス・キリストは、今から約二千年前、ナザレという地において、貧しい家庭、大工の子供として生まれました。

しかし、幼少時から、さまざまな霊的能力というものを発揮し、教会などで説法することもままありました。天使たちの声を聞き、姿を見るというような奇蹟的な現象は、小さい頃から現われていたとはいえ、彼自身は、非常に努力の人であり、また、ずいぶん勉強した人でもありました。正規の学問は受けておりませんでしたが、当時の旧約聖書などを大変に勉強しておりました。ですから、イエスは、旧約聖書のさまぎまなところを暗誦(あんしょう)するまで読んでおられた。そのことは、その教えの端々(はしばし)に出てきておるのであります。

さて、イエスについて、すべてを語ることはできませんが、大切なことは、救世主としての自覚と、その預言についてだと思います。イエスの生涯、三十三年の生涯というものを振り返ってみると、まさしく旧約聖書のなかに預言されたとおりの生涯であったといえます。


9.真の救世主が出るときは、それ以前から大きな胎動が起きている


旧約聖書のなかには、イスラエルの民のなかから救世主が出て来るということがすでに謳(うた)われておりました。今から三千二百年も前に、モーゼが奴隷であったヘブライの民、すなわち、後のイスラエルの民を解放したように、イスラエル、このユダヤの地に、やがて救世主が現われるということは、イエス・キリストが生まれる千年、あるいは、それ以上も前から予言されていました。私は、イエスの出る約五、六百年ほど前に肉を持ちましたけれども、すでに、その予言を知っておりました。旧約の預言者がつぎつぎと出ましたが、メシヤ降臨ということで、いろんな方が予言していきました。

ですから、イエスの三十三年の生涯というものは、千年ぐらいも前から計画されていたことなのです。たくさんの預言者が、さまざまな預言を残していって、ぎりぎりいっぱいまでですね、いろんな予言というものをしておったわけです。そして、とくにイエスが誕生する百年ほど前から、そうしたメシヤ降臨の思想というものがかなり濃厚になってきました。

これをとくに信奉していたのは、エッセネ派というひとつの宗派であったわけです。このエッセネ派というのは、今で言うならば、まあ、ある意味での新興宗教のようなものだったと言えます。そして、昔のモーゼの法を奉ずる律法者たちというのは、今で言えば、仏教学者か、そうした者であったと思います。

今でも、そうでしょう。たとえば、仏教を例にとっても、禅宗、念仏宗、こうしたものをいろいろと現代にも伝えている者がおる。しかし、それとは別に、昭和期においても、さまぎまな新しい宗教というものが、雨後の竹の子のように出て来ており、そうした新しい宗教の信者たちは、自分たちの教祖こそがメシヤであるというようなことを言っておる。当時にしても、いろいろなメシヤが出るということが予言されていたために、我こそはと名のって出た人がたくさんおりました。名前こそ残っていませんが、我こそは、我こそは、といろいろに言っていたのです。

ちょうどイエスの時代に、神は、バプテスマのヨハネと後に言われていた洗礼者・預言者を送りました。このヨハネがイエスに先立って、さまざまな奇蹟を起こしておったわけです。ヨハネが、ヨルダン川の辺(ほとり)で、水によって洗礼を与えていた。これは史実にもあり、有名な話です。では、バプテスマのヨハネの力とは、何か。

洗礼ということがありますが、結局、浄霊ですね、現在で言えば、浄霊をやっておったわけです。その儀式として、水によって洗礼をする。こういうことをしておったのです。要するに、ヨハネは、悪霊に憑(つ)かれた人たちから、悪霊を追い出したり、そういうことをしておったわけです。

また、彼自身にも、さまざまな啓示が下ったので、それについて発表したりもしていた。そして、彼は、いずれ偉大な救世主が生まれるということを人びとに告げ知らせたのです。すなわち、「やがて、その方が来るであろう。私は、その方の靴の紐(ひも)を解く値打ちすらない。それほど偉大な方が来るであろう」ということを言っておりました。

また、ヨハネ以外にも、イエス・キリストが生まれる前における予言というのが、いくつか残っています。これが、聖書に出てくる東方(オリエント)の学者たちです。つまり、オリエント世界の学者たちが、星の動きを見て、ベツレヘムのほうに、どうやら救世主が生まれたらしい、偉大な星が現われた、と。こういう予言をずいぶんしておりました。このように、イエス降臨の前から、預言者たちは、さまざまなことをやっておったのです。すなわち、ほんとうの救世主が出るというのは、それ以前から、大きな胎動が起きるものです。ですから、それが、必ず予言として伝えられたのだと言えます。


10.現代のこの一大救世運動は、釈迦によって預言されていた


現代の日本にも、こうした預言はあるはずです。そして現在、日本を中心に一大救世の動きが起こってきつつあるわけでありますけれども、この日本において、一大救世運動が起きるということは、すでにインドの時代において、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)によって預言されておったことです。釈迦牟尼仏は、今から二千五百年前の当時、東方の国にまた甦(よみがえ)って人を救うということを預言したことがありました。また、末法の世には、弥勒菩薩(みろくぼさつ)というものが下生(げしょう)して、弥勒下生ということがあって、人びとを救うであろうと、こういうことも言われています。まあ、これは仏教のほうですから、私は深入りはしませんけれども、そうしたなかで、東の国、あるいは、時代的な末法の時代というのは、どこにあたるかというと、まさしく現代です。現代の日本にあてはまるのです。

ですから、これから、ひとつの大きな救世運動が起きていくと思います。そして、後になって、人びとは、そういえば、以前に予言されていたことなどは、こうしたことであったのかと気がついていくようになるはずです。


11.イエスの生涯は、神の伝道の芸術であった


話をまた、イエスの時代に戻しましょう。イエスの時代には、イエス出現の予言があり、さまざまな予兆があり、そして、バプテスマのヨハネが出て、イエス・キリストの誕生を告げたわけです。

イエス・キリストの霊的自覚自体は、幼年時七歳頃からありました。十代になると、いろいろな地、インドのほうなどへも行ったことがあったようです。あるいは、ペルシヤのほうで修行したこともあったようです。あるいはまた、エジプトのほうで、魂の永遠について学んだこともあったようです。ともあれ、そうした霊的修行を十代、二十代のはじめにかけてしておったのです。そうしたことについては、いずれイエス・キリスト自身からお聞きになるとよろしいでしょう。

二十代におけるイエス自身は、まだ自分の心を磨くための修行をずいぶんやっておったようです。父親の仕事を手伝いながら、休みの日には、洞窟のなかに篭(こも)ったり、山のなかに行って、ひとり静かに瞑想しておったようです。そして、心のなかで、高級霊たちと会話をしておったようです。エレミヤとして、イエスよりも先に生まれた私は、当時、イエスに啓示を与えたことがあります。ですから、彼にしても、霊的修行はずいぶん積んでおったわけです。そして、イエスが三十歳になったとき、天命が下った。

「イエスよ、今、お前は、ヨルダン川のほうへ歩いて行きなさい。そこで、バプテスマのヨハネに会うであろう。そこから新しいはじまりが起きる。ヨハネは、お前が何者であるかを、人びとに語るであろう。そして、ヨハネの前にいる人たちが、まず、お前の最初の弟子になるであろう。そうした弟子たちを携(たずさ)えて、お前は伝道に入っていきなさい。お前は、これから十二弟子に会っていくであろう」

こういう聖霊の預言が彼の身に臨みました。そこで、彼は、その預言のとおりのことを実行していったのです。その後、三十三歳の十字架までの物語は、あまりにも有名であります。

救い主が十字架にかかって死ぬということは、旧約聖書で、すでに預言されておりました。すなわち、千年以上も前からイエス・キリストの、そのような人生が予定されていたのです。個人として見れば、不幸な人生であったかもしれません。しかし、それもまた、神の御業(みわざ)、神の人生の芸術、神の伝道の芸術、これが現われんがための、奇蹟であり、そうしたドラマであったのだと思います。


12.イエスのわずか三年間の伝道のなかに、人びとは、二千年普遍の神理を見た


わずか三年間のキリストの伝道ではありましたが、人びとは、この伝道のなかに、人生の神理を知り、二千年語り継がれる普遍の神理というものを見たわけです。このように、ほんとうの教えとは、教えの期間が長ければ、それでよいというものではないのです。ほんとうのものであれば、短くてもよい。ですから、そういう意味で、今、あなた方も、新たな教えを説いているわけですけれども、ただ長々と説けばいいものではなくて、そのなかに真実のものを説いていっていただきたいと思います。それが、ほんとうの教えなのです。

イエス・キリストにしても、三年の間にさまざまなことを語ったために、同時代の人に理解されなかったといううらみがあります。また、私から見ても、ずいぶんほんとうのことを言いすぎていると思うことも多いと言えます。しかし、彼は、自分の時間がないために、すべてを語ったわけです。彼にして時間があれば、もっといろんなことを言ったでありましょうけれども、なかったがために、彼はあまりにもはっきりと言いすぎている。「我はそれなり」ということをずいぶん言っています。「我はそれなり」とは何か。すなわち、「あなたは来たるべきメシヤであるか」と、こう問われて、「我はそれなり」と答えているわけです。今の日本では、「我はそれなり」と答えられる人というものは、なかなかそう簡単にいるものではありません。しかし、イエスは、それだけの自覚をはっきりと持っていました。実際、それは真理でありました。しかし、その真理がゆえに、彼は十字架にかけられたのです。「救世主なリ」と語ったがために、結局のところ、十字架にかかったのです。

ですから、もし、イエスが、「そうではない、私は神のお弟子のひとりであって、ひとつの教えを説こうとしているだけである」と、こういう姿勢で言ったならば、おそらく十字架にはかからなかったでしょう。

「我はそれなり。我は救世主なり」と彼は、はっきりと明言した。それゆえに生命を縮めたのです。しかし、それもまた、彼の預言されたストーリーであったからです。私は、このイエス・キリストの勇気に対して、敬意を払いたいと思うのです。


13.私の人生も、キリストと同じく、「我はそれなり」であった


内村鑑三の人生も、やはり同じでした。すなわち、「我はそれなり」でありました。「我はクリスチャンなり」「我はキリスト者なり」ということで、天皇陛下に対する不敬事件を起こしたこともあります。しかし、「我はそれなり」、これは、私の信念であったからです。「我はキリストの僕(しもべ)なり。キリストの僕として、日本に生まれるなり。そのために一生を送るなり。天皇陛下のためにあらず」と、私は、はっきりと言いました。そのために、イエスに及んだと同じ災厄(さいやく)が、私にも及びました。ただし、私は今だに、それを後悔しておりません。後の世の人びとのためには、私が妥協しない人生を歩んだことはよかったと思います。

私は、これからいろんなことを話していきますけれども、まず今日、あなた方に言っておきたいことは、「我はそれなり」という自覚、これが大事だということです。段階的に法を説いていく方便も、もちろん、大事ですけれども、「我はそれなり」との自覚が大事だということを知っていただきたいのです。そして、そのために、たとえどのような迫害を受けようとも、「我はそれなり」という、この気持ち、この気概、これだけは忘れないでいただきたい。

これをもって、今日の第一回目の話を終わりといたします。ありがとうございました。