目次
1.「足ることを知る」をつきつめていくと、執着の問題にゆき着く
高橋信次です。では今度は、「足ることを知る瞑想」に入りたいと思います。これは、瞑想法のなかではどちらかと言えば、中級クラスの瞑想だと思うのですね。
瞑想にも、初級用の瞑想もあれば、中級用、上級用と、まあ、いろいろあると思うのですけれども、「足ることを知る瞑想」というのは、まあ、中級クラスです。中級だけれどもね、だいたい瞑想も、中級クラスをマスターすると、ほとんど、八、九割程度までいったというのと同じだと言えるでしょう。
この「足ることを知る瞑想」ができると、人間は、自分の人生というのをだいぶ改善することができるのです。では、この「足ることを知る瞑想」について、いくつかの観点から話をしていきたいと思います。
まず、足ることを知るというのは一体何かということからはじめていきたいと思います。皆さんね、足ることを知るっていうことを、まあ論語か何かで読んだことがあるかもしれませんが、まあ、これは、けっこうね、足ることを知るという意味は、つかみがたいところがあるのですね。そう簡単には、これはわかんないんです。わかるようで、わからない。
たとえば、病気の人が目の前に出て来て、「先生、治して下さい」と言います。これに対して、「いや足ることを知りなさい」と言ったら、病人は、たいてい怒ります。それで、病人が、「先生、薬を調合して下さい」と。そこで、薬を調合します。でね、ちょっと薬をあげます。ところが、「先生、この薬じゃ、ちょっと足りませんから、もっと下さい」と病人が言います。「いや、足ることを知りなさい」と言ったら、まあ、これも怒っちゃいますね、同じです。
あるいは、予備校などで、東大入試を目指して猛勉強しますね。それで、予備校の先生が、予備校生たちに、「君たち、足ることを知りなさい」と。「O点でも足ることを知りなさい。三十点でも足ることを知りなさい」と言ったら、これまた、おかしなことになるんであって、商売が上がったりであります。
あるいは、大学生でもいいけれども、簡単に足ることを知ったとして、「いや、僕は頭が悪いんだから、これで足ることを知っちゃった」ということを言うと、また、これでもつごうが悪いことがありますね。
そういう意味で、足ることを知るっていうことも、言葉だけをとらえていうのは簡単なんだけれども、その反面、局面に合わせて、よく考えないといけないんですね。でないと、間違いのほうに走っていく傾向があるのです。
ただ、そういうことも加味したうえで、よくよく考えてみるならば、足ることを知る、そのほんとうの重要なところは何にあるかと言うと、結局、昔から仏教でよく言っています執着の問題にゆき着くんです。執着の問題なんですね。それについて、これから話をしていきたいと思います。
2.「人間は、何のために生まれて来たのか」という苦悩
まあ、執着というのと一番闘った人はだれかと言うと、歴史上では、インドに生まれたゴーダマ・ブッダ、つまり釈迦なんですね。釈迦が執着と一番格闘したのです。釈迦は、二十九年間、王宮の生活のなかで、おごりとぜいたくのなかで、美女たちに囲まれて、何の不自由もなく育ちましたね。そのなかで、彼は、どんなぜいたくをしても、どんなに美女に囲まれても、何か満足できない自分というものを発見しました。そして、彼は、二十代の後半になって、王宮のなかでずいぶん苦悩しています。
その苦悩の内容を現時点で、もう一度考えてみると、こういう内容だったのですね。まず、自分は、身分としては、生まれつきの王子様で、王が死ねば、シュト・ダナー王が死ねば、その後、自分が王位を継ぐようになるだろう。けれども、そうして、人の上に立って、自分ははたして幸せなんだろうか、と。
インドには、階級制度というのがあります。バラモンというのは、僧侶階級で、まあ生まれもっての貴族ですね。こういう階級があります。そして、釈迦の生まれたクシャトリアというのは、ひとつの武士階級で、武士は武士で集まっています。
あるいは、商人階級、不可触賎民(ふかしょくせんみん)と言いますね。賎民の階級というのがあります。こういうふうに大きく四階層に分かれていました。そして、クシャトリア武士層のなかに生まれて、まあ、王家に生まれるということは、名誉なことですね。そういうことでありました。
ただ、釈迦は考えたのですね。なぜ侍の家に生まれたなら、侍にならにゃいかんのか。なぜバラモンの、要するに、僧侶階級、貴族階級に生まれたのなら、やっぱり僧侶になるのか。なぜ商人階級に生まれたら、商人で一生暮らさにゃいかんのか。なぜ賎民階級に生まれたなら、それで一生、生まれ落ちたときのレッテルを貼(は)られたままで一生、生きねばならんのか、と。こういうことを考えたのです。
そうすると、やはり、そのなかには、真実のものがないんではないか。生まれ落ちたときに、人間の一生が決まってしまうのなら、何のために、人間が生まれて来たのかわからない。どう考えても、人間の一生ってものは、自分が努力していってつくっていくもんだし、それを生まれ落ちた、どういう星の下に生まれたかによって、一生が、そのままに決まってしまうってのは、おかしいんであって、そんな不公平な世界を神様がつくられるわけがない、と。こういうふうに、釈迦は思ったんです。
そして、自分を見つめてみると、王宮のなかで、豪勢な生活をしています。次に王になるのは、必定です。美女たちも、ずいぶんおります。はべっております。食べものにも苦労がありません。けれども、王宮のなかは王宮のなかで、さまざまな人たちの葛藤(かっとう)がありましたね。権力をめぐる葛藤、男同士の葛藤があるし、男をめぐる宮廷のなかの女性の葛藤というのもありました。
こういうふうな、いろんな葛藤というものに、釈迦はずいぶん悩まされました。身分があり、地位があり、高貴であるということは、同時に、数多くの葛藤を持っているということと同じだと、肢は感じたわけですね。
また、王様になったとしても、その当時は、大変戦乱の世の中でありましたから、やがて敵と戦ったりして、いろんな人たちを殺していかねばならぬ。そのための指揮をしなければならない。こういう運命に対して、甘んじられるかどうか。これについても、釈迦はずいぶんと悩んだわけであります。
3.釈迦は、「生老病死」を見て、人生には苦しみが多いという考えに達した
また、これも伝説ですけれどもね、釈迦が、有名な四苦八苦というのを発見したときのことです。このカピラ城に東西南北の門があって、釈迦は、そこから一歩も出たことがなかったのですけれども、あるときに、どこでもいいですけれども、東なら東の門を出ると、そこで赤ん坊がギャーギャー泣いておった、と。それを見て、「ああ、生まれ落ちて、そして、これから生きていかねばならんとは、いかなる苦しみなのか。何と哀れな赤ん坊の宿命であることよ」と、そういうことで悩んだ。
あるいは、西の門を出ようとすると、そこの門口のところに腰の曲がった人がいた。そして、釈迦は、そうぃう人を見たことがなかったから、衛兵に尋ねました。「こら、衛兵よ、あの腰の曲がった者は何か」と。そうすると、「シッダルタ王子様、あれは、年寄りという者でございます。人間は年を取ると、あのように腰が曲がるのです」と、こういうふうに教わりました。そこで、「そうか、年を取るということは、あんなに惨(みじ)めなことなのか。人に疎(うと)まれ、さげすまれて生きてゆかねばならぬのか」と釈迦は悩んだわけです。
あるいは、南の門から出ようとすると、今度は、そこでも、見たものがありますね。タンカに運ばれて、ライ病患者みたいのが運ばれていくのを見ました。釈迦はまた、そこにいる人に聞きました。「あの者は、一体、何者であるのか」と。そうすると、その者は答えました。「王子よ、あれは、ライ病患者であります。病(やまい)というものです。病人です。病人というのは、あればど醜(みにく)く、けがわらしい者です」と、そういう答えを言いました。釈迦はまた、これに対して、「ああ、人間という者は、病は避けがたいものなんだな。それほどつらい人生なんだな」と。こういうことを悟ったと言われています。
また、釈迦が、北の門に行きますと、今度は、人びとが悲しみに泣きぬれて、黒い衣装を着て立っています。そのなかを、ひつぎが運ばれていきます。それで、「どうしたんですか」と釈迦が問うと、「実は、昨日の夜、あそこに立っておる娘の父親が死にました。今日は、そのお葬式なんです」と言う。「そうか、死というものは、これほど苦しく、悲しいものなのか。自分は死を知らなかったけれども、こうしたものが死であったのか」と、釈迦はこういうことを知ります。生老病死ですね、この四苦。
まあ、これは、もちろん比喩(ひゆ)であってね、お釈迦様が、そんなことを何も知らなくて、門を出るとき見たというのは、もちろん寓話でありますけれども、こういうのを見て、人生というのは、とにかく苦しみが多いということがわかった。つまり、初期の釈迦は、そういう考えに達したわけです。
4.「人間の努力によって得られるものは、自分の心の持ち方だけ」との考え
そして、釈迦は、では、どうしたらこの苦しみから脱することができるのかということを考えに考えたのです。いくら頑張っても、死ぬことから免(まぬが)れることができない。いくら努力しても、老ゆるということから逃げることができない。また、生まれもっての身分というもの、これからも逃げることができない。
そうすると、人間が自分の努力によって築けるもの、手に入れ得るものは一体何かというと、結局、それは自分の心の持ちようだけしかないではないか。釈迦が考えたのは、そういうことなのですね。自分の心の持ちようしかないではありませんか。それならば、どうした心の持ちようにすれば、一番苦しみが少ない世界へと入っていけるのか。これを釈迦が考えたわけです。
5.「悩みの根元は執着である」と釈迦は看破した
そこで、いろいろ考えてみると、王宮のなかでも、立身出世を願う人たちの心というのは、見ると、いつも落ち着きがなく、イライラ、イライラしておって、まったく心の幸福というのからほど遠いように思います。
また、女性という者も、非常に美しくて、手に入れたいもののようにも思えるけれども、当時のインドの貴族社会のように、身分のある人には、三人、四人、五人の王妃がかしずくようになってくると、これも、また女性同士のなかでの争いがあって、その嫉妬のために、男性は非常に苦しみます。頭が痛い。どちらの女性が、よく愛されたかということで、お互いに足の引っ張り合いをする。どちらかの局(つぼね)のところには、シッダルタ王子が何回足を運んだかどうか。私のところには、月一度しか来ないとか、こういうことで争いになる。
しかし、そういうもので公平に接しようとすると、また、それはそれで無理がある。自分にはやはり自分の好みの女性がいる。それを無理やり、他のいろんな者を押しつけられている。そういうものがある。そして、まんべんなく、それを養っているのは非常に苦しい。いっそなら、そういう女房たちのいない世界へ行ってみたい。これも苦しみです。
女性というのは、苦しみのもとです。それは、現代でも変わりありません。妻がいるために、どれだけ男性というのは苦しんでいるか、世の女性たちは知っておるでしょうか。男性っていうのは、結婚前は、もちろん結婚したいと思うけれども、したら、たいてい当日か、あるいは、新婚旅行から帰って来た頃に、「しまった」と思うのです。「この結婚さえしなければ、俺は、どれだけ無限の可能性が前に開けていたか」と、それを思うとき、「あっ、しまった」となる。しかし、釣り上げられた魚と一緒で、もう逃げることはできないのです。
結婚というのは、バケツのなかに入れられた魚と同じもんで、ここから飛び出せば、もう死ぬしかないんです、魚は。もとの海には帰れないのでず。もう、パシャッと入れられたようなものなんです。けれども魚は、みすみす餌に食いついていきます。なぜ魚は、餌に食いついて釣り上げられ、バケツのなかに入れられるのか。それは、執着があるからです。女性を手に入れたいという執着があるから、そうなっていきますね。
こうしたもんで、結局のところ、立身出世を願っても、人より偉くなりたいという執着のために、人びとは苦しんでおるし、多くの女性を手に入れることによっても、やはり女性同士の、お互いにひとつでも、ふたつでも人より多くの愛を得たいという、その女性の執着のために苦しみ、また、自分自身が悩みます。
あるいは、食べものでもそうです。どんな豪華なものばかり食べておっても、その食欲というものは、なくなることがありません。
それで、釈迦というのは、人間の内部というものを深く、深く見極めていったんですけれども、結局のところ、諸悪の根元、悩みの根元というのは何かと言うと、執着だな、こう思ったんです。
で、釈迦は、カピラバーストを出て、とりあえず、六年の間、この執着をなくす修行をしようということで、彼は修行したんです。
6.六年間の修行の結果、難行苦行で執着は断てないことを発見する
まず、釈迦は、妻子から別れました。これは、妻のこと、子のことを思うがゆえに、自由自在になれない自分から逃げ出して、自分自身を自由にするために、まず、妻子から逃れたのです。また、後を継(つ)いで王になり、そして、敵軍と戦わねばならぬという宿命から逃れるために、王子という地位も捨てました。
そして、山のなかに入って、野の水を飲み、蜂蜜をなめ、キノコを食べ、本の実を食べて、最少限度の食事でもって、修行に打ち込むことにしました。着るものも、かつては王宮で素晴らしいものを着ておったのが、今は、乞食(こじき)同然です。そして、断食(だんじき)に入っていきます。骨と皮ばかりになっていきます。
釈迦は、すべての執着さえ断てば悟れると思って、骨と皮ばかりになって、洞窟のなかで修行をやっておったけれども、なかなか、心の悟りを得られない。断食ばかりをしておっても、今度は、ひもじいという思いが頭に去来して、どうしてもこの思いを断ちがたい。
確かに、他の欲望というものは断(た)ったけれども、今度は、他の欲望が去れば去るほど、ひとつの欲望というのが大く、大きくなってきて、要するに、何とかして食べたい、お腹いっぱいに食べたいという、こればっかりが一日中、頭のなかを占領するようになる。女性に対する執着がなくなったし、地位に対する執着はなくなったし、他の執着はいっさいなくなったけれども、食べたいという執着だけが、やたら肥大化して、それだけが、どうしても処理できなくなる。
食べたら食べたで、今度は、もちろん食べる欲望は減るだろうけれども、肉食などすると、今度は、可愛い村娘などを見るとまた欲望が出てくる。
ひとつの欲望の量を減らすと、今度は、他の欲望が出てくる。そうすると、欲望の合計というのは、いつも変わらない。ひとつに減らすと、大きくなる。欲望を小さくすると、数が増える。どうしても縦横(たてよこ)が並んだら、同じになってしまう。こういうことをして、彼は執着を断とうとしたけれども、どうしても断ちがたい自分という者を、やがて発見していきます。そして、六年間の難行苦行の結果、洞窟から出ます。
7.村娘の弦(げん)の音(ね)を聞いたとき、「悟りは中道にある」と悟る
釈迦を取り巻いた、つまり、シッダルタ王子を取り巻いた、五人の出家した護衛の兵士たちも、まあ、釈迦と一緒に修行しておったんだけれども、釈迦がどうするのかなあと見ていると、トコトコトコと出て行って、朝まだき霧のなかに、カンガーの川の流れのなかに、顔を洗いに行くのかもしれないけれども、釈尊が降りて行く。
そうすると、向こうから村娘が来る。村娘は、釈迦の前でたたすみます。村娘が見ると、お釈迦様、お釈迦様とは言えないけれどもね、名前を知らないから、やせさらばえたそのブッダの体から、かすかに金色の光がもれてくるのが見える。
そこで、村娘は、これを見ると、「ああ、この人は、きっと悟った方に違いない」と。そういうことで、釈尊の前に体を投げ出して、ひざまずいて、おじぎをします。「ブッダ様、どうか私のお布施(ふせ)を受けて下さい。あなたこそ、きっと悟られたブッダに違いありません。今、ここに……」、まあ、これはいろいろ言われているんですけれども、山羊(やぎ)の乳と言われたり、羊(ひつじ)の乳と言われたり、あるいは、牛乳でつくったお粥(かゆ)だとか、いろんなことを言われているようですけど、山羊の乳と思ってもいいでしょう。とにかく、「山羊の乳があります。お椀(わん)いっぱいの山羊の乳、これをお布施しますから、どうかお飲み下さい」と。まあミルクですね、ミルクを釈尊に差し上げたわけです。
そうすると、釈尊は、村娘の真剣な姿というものを見て、そのお椀を取り上げて、生物(なまもの)はいっさい禁じていた自分であるにもかかわらず、それをグーッと一気に飲みはします。すると、そのミルクっていうのが、口から喉に、喉から胃袋にと、ドンドン、ドンドンと滲(し)み亙(わた)っていって、何とも言えない力がみなぎっていって、清々(すがすが)しい気持ちというのを得ました、彼は。
そのときに、彼は悟ったわけですね。その村娘は、釈尊が近づくまで、歌を歌っていました。まあ、弦楽器みたいのがあったんですが、当時ね。まあ、三味線と言ってもいいけれども、三味線なら三味線でいいでしょう。三味線の音というのは、弦を締めすぎると音が良くない、と。また、ゆるめてしまうと音が出ない。締めすぎると切れてしまう。やはり弦というのは中(なか)ほどに締めたら音色がいい、と。こういう村娘の歌を聞いていたわけでずね。そのときに、ミルクを飲んで、彼は思ったわけです。
「そうか、自分は、今、肋骨(あばらぼね)だらけになって、欲望を断つことばっかり、執着を断つことばっかりを考えておったけれども、どうやら、それでも執着を断つことができなかった。また、王宮のなかの豪奢(ごうしゃ)な生活のなかでも、自分は悟ることはできなかった。どうやら悟りは中(なか)ほどにあるな」
ということを、彼は悟ったわけです、そのときに。中道(ちゅうどう)に入ろうと思ったのは、このときです。これが、釈迦の有名な中道ですね。
8.中道の道は、奥を極(きわ)めれば極めるほど、まだ先がある
修行者だからといって、特別な生き方をしてもいかんし、また、あまりにも自分の肉体に奉仕するばかりの生活をしてもいかん。両極端には悟りがなくて、悟りというのは中(なか)ほどにあるんだ、と。人間というのは、ともすれば、その中(なか)ほどに悟りがあるというように言うと、安易な現実妥協者だと考える向きもあるが、実はそうではないのです。
中(なか)ほどという、中道というなかには、非常に深い意味合いがあるのです。中道の道というのは、奥を極めれば極めるばど、奥が、また先にあることがわかるのですね。
9.昼間きちっと働き、毎日六時に帰る生活に、現代人の中道の悟りはある
よく、極端な生活をしている人で、それを止めようとしてブレーキを掛けると、急に自分が自分でなくなったような気持ちになる人がいます。たとえば、猛烈サラリーマンで、朝から晩まで、夜中まで働いて、休日も返上して働くような人がいます。こういう人が、毎日が日曜日のような仕事になると、これまた、腑抜(ふぬ)けのようになります。けれども、毎晩毎晩働いて、土、日も働くようなサラリーマンだと、これまた、腑抜けになります。両方ダメなのですね。
ところが、夕方六時になると家に帰るようなサラリーマンになれるかっちゅうと、なかなかそうはいかないのですね。習慣があって、こういうもんなんですけれども、しかし、その毎日六時に帰るという生活のなかに、偉大な、長続きするような神理があるということを、サラリーマン諸君は、まず考えなくてはいかんのです。
釈迦の悟りというのは、現在に焼き直すと、そうゆうことなんです。夜中まで働いて、他人より長く働いて、そして、実績を上げて、人に認められて、給料が上がって偉くなることが、ほんとうの生きがいなのか。
それとも、社会ではね、人から仕事をもらえずに、ちゃらんぽらんに生きて、どんな感じに働いたって、給料の七割、八割は絶対確保できるのだから、まあサボらにゃ損ということで、会社では手紙を書いたり、ムダ話をしたりして、何もしないで、一日つぶしている。こういう人もいます。この両極端じゃないんだということですね。
現代流に言えば、やはりそうじゃなくて、朝きっちり出て来たら、九時から働いてね。夕方の五時、六時まで働いたら、毎晩毎晩、赤提灯の下をくぐるんじゃなくてね。やるべきことをちゃんとやったら、週一回ぐらいは、おつきあいしてもいいけれども、後はサーッと帰って来て、家で子供や妻の顔を見て、話をして、まあ、夜八時すぎたら、書斎にこもってね、自分の心の勉強をする。修行をする。こういう生活のなかには、実は、無限の発展の可能性があるんですよ、と。
毎晩毎晩、もう年がら年中、赤提灯をくぐっているなかには、悟りはないんです。また、会社のなかで、昼寝ばっかりして、人とうわさ話ばかりしてて、何も働いていない、と。こんななかにも、悟りはないんです。
悟りというのは、九時から五時までぴっちり働いて、やるべきことをやって、まあ、月に一回、週に一回ぐらいは、適当に人とも、おつきあいをした後、家庭を大事にしながら、自分自身の時間を見つけていく。このなかに、ほんとうの悟りはあるんですよ。こういうことを釈尊は教えたわけですね。現代で言えば、そういうことですよ。
サラリーマンの皆さん、断食せよとか、ミルクを飲めとか言っているんじゃないんです。そういうことを言っているのです。現代では。そう言われてみると、よくわかるでしょう。
「確かにそうだな。不規則な生活のなかには、悟りはないし、心のやすらぎはないんだな」「そうか、毎晩、酒ばかり飲んでもいかんし、また、酒など一滴も飲まずに、自分はマイホーム主義だからということで、まったく会社の人をないがしろにするのもいかん。そこそこのところに、やはり接点を見つけるべきだな」ということを、やっぱり考えていくんですね。そのなかに、自分の発展が、またあるわけです。
10.「足ることを知る」――第三者の立場で自分を見ながら、八割で良しとする
結局ね、足ることを知るという前に、今日は釈迦の、要するに執着の話をしてきたんですけれども、結局、釈尊が得たのと同じ悟りになるのです。足ることを知るっていうことはね。
さっき言ったように、予備校のテストで0点をもらいながら、足ることを知っちゃいかんのです。そうぃうことでしょう。0点もらいながら、いや、足ることを知ってね、0点でもいいんだ、これで、他の人の偏差値が上がるだろう。僕は0点で足ることを知っていますから、皆さんどうか八十点、九十点を取って偏差値を上げてください。僕が、皆さんの偏差値を上げましょう、と。こんなことで足ることを知ったんじゃあ、やっぱり浪人生のほんとうのところってないんですね。ほんとうの姿はないんです。
親から金を送ってもらってね、高い予備校代を出してもらって、それで0点ばかり取ってて、足ることを知っててはいかんのです。パチンコしててね、足ることを知っちゃあいかんのです。
たとえば逆に、「自分は東大の理科三類、医学部しか行かんのだ」ということで、十三年も浪人している人がおります。予備校でね、十三浪とか、十一浪とか言って、まあ、ひげ面で、赤ちゃんかかえているような人がいますね。「どうしても東大の医学部以外、俺は行かんのだ」ってね、やっています。こういうのもまた、執着が強すぎるのです。0点であっさりあきらめる人もいれば、十三年も浪人してでも東大へ行こうって人もいます。あるいは、司法試験浪人もそうですね。十年、二十年やっている人がいます。こういう人は、やっぱり執着だけに取り憑(つ)かれているんではないでしょうか、これは考えにゃいかん。
そういうことで、やはり自分の「分(ぶん)」というものを人間は知って、それを中心として、ものごとの判断をしなければいけない。そのためには、善意なる第三者の立場という、私が常々言っている立場というのは大事なわけですね。私が常々言っている立場というのは大事なわけですね。
第三者の立場に立って、自分はどうかなと考える。東大の医学部に行くような頭じゃないことは、両親見ても、兄貴見ても、兄弟見ても、姉見ても、親戚一同を見ても、そんな人、ひとりもいないんだから、どう考えたって、入れるわけがないんだから、そんな、突然変異が出て来るわけがないんだから。だれが見たってね、そんなことあり得ないんですね。
十年、二十年やりゃあ受かるなどと考えるのが間違っとる。そうじゃなくてね、家に金がないのなら、どっかね、まあ特定の名前出したら叱られちゃうから、差別だってね。とにかくね、どこでもいいんです、どっか地方の大学でもいいから、医学部に何とか入れればいいしゃないか、と。これで努力する。それは自分の「分」を知った努力ですね。こういうのがあります。
あるいは、全国の人が、皆んな総理大臣になるために努力されても困ります。今、総理大臣の後継者争いなどというのがあるようですけれども、やはり後継者と目されるような人がいて、ねらってしかるべきという人のなかで争いがあって、当然なんです。だれが見たって、あんなのと思うような人が、たとえばね、よく銀座なんかでトラックに乗って、日の丸の鉢巻を頭にしめて、「エー、私は……」って言って、北方領土返還を叫びながらやっているような人が、総理大臣に向いているかと言うと、そりゃちょっと無理だろうと思うのでね。こういう人は、考え違いです。
そういうことで、まず、発想は一緒です。足ることを知る瞑想も、善意なる第三者の立場に立って、自分はどういう才能を受けておるのか、どういう天命を持っておるのか、こういうことを見極めながら、八割で良しとする考えですね。腹八分目で良しとする考え、これです。
11.「足ることを知る瞑想法」――自分を正しく見る見地から、心を落ち着かせる
これがまあ、「足ることを知る」ですけれども、結局ね、瞑想のなかで、もう一度、自分自身の姿というものを、第三者の立場で考えてみることなんです。
たとえば、先程の医学部の浪人生であれば、ほんとうに十三年も浪人して受けることが意義あることなのかどうかね。執着の塊(かたまり)になっていないかどうか、よーく考えてみること。あるいは、友だちが出世して、自分が出世しないけれども、それは何か原因があるかどうかをよーく考えてみること。
そして、その人のほうが偉くなっていくのが当然であるならば、偉いものは偉いとして認めてあげて、自分の努力のなさをなさとして考えて、また、一からはじめてみるということも大事です。
そういうふうに、人間というのは、まず第三者の立場に立って、自分を見てみる。そして、ときにはね、自分は人より何ひとついいことはなくとも、五体満足で、健康で生きていること自体が素晴らしいことだということを気がつく必要があります。
ヘレン・ケラーの悟りのようにね。ヘレン・ケラーは、三日間、目が見えたらということを言ったはずです。自分は世界を見て回りたい。恩を受けた人たちに、握手して回りたい。花たちと、草木たちと、話をしてみたい。ヘレン・ケラーはそう言っていたようですけれども、そういう素晴らしさですね。この世の世界を見ることだって素晴らしい。呼吸ができることも素晴らしい。食べものの美味しいことは素晴らしいことです。そういう素晴らしさに気がついていくことも大事です。
あるいは、もしあなたが犬に生まれていたら、どうですか。猫に生まれていたら、どうですか。彼らの立場に立って、もう一回、自分というものを見つめたときに、人間に生まれるということは、このうえない素晴らしいことがわかるでしょう。自分の育ちがどんなに酷(ひど)い環境だって言ったって、犬に生まれたいとは思わんでしょう。やっぱり人間に生まれて良かったんじゃないですか。
こういう意味での、万象万物のなかにおける自分の立場というものも、また、第三者の立場、大いなる神の立場に立って見ることも必要ですよ。そのなかに、ほんとうに心のやすらぎが生まれてくるんではないでしょうか。まあ、そういうことですね。
ですから、やはり自分というものを正しく見るということから、「足ることを知る瞑想」がはじまっていきます。そういう、自分自身を正しく見るという見地から、自分の心を落ち着かしていく瞑想、それが、この「足ることを知る瞑想」なのです。
どうか皆さんもね、執着に執われす、かといって、また、その逆にもいかず、どうか、ちゃんとした中道のなかに自分自身を見つめて下さい。そうすれば、そこに、ひとつの悟りがあるはずです。